兄、地下牢で兄と語る
地下牢に着いたのは10時を幾分オーバーしてしまった頃だった。
すでに中のソファではライネルがワインを飲んでいる。無言で近付くとルウドルトが一礼をして、地下牢の扉を開けた。
「悪い、少し遅れた」
「構わんよ、さっきカズサが挨拶をして出て行ったから、きっとお前と会っているだろうと思っていた。私たちの再会の功労者だ、あまり虐めてやるなよ? ……まあ、あの男はお前に対してはドMだから、虐められて逆に喜んでるかもしれんが」
「……俺がいない間、よくあいつを雇っていたな。昔から俺に兄貴を殺して王位を取れと勧めるような奴だったのに」
「カズサはお前が許可を出さない限り、実行しないよ。彼は実力もあり、頭も良く、お前に対しての忠誠度も高い。かなり使える男だ。お前たちが消えた後はショックでやる気無くふらふらしていたから、拾っておいたんだ」
ライネルは向かいのソファに座ったレオのグラスにもワインを注いだ。それに軽く口を付ける。
2人でこんなにゆったりと会うのはどれだけぶりだろう。少なくとも過去15年ほどは記憶にない。まあ、直近の5年は会えるわけもなかったのだけれど。
「……それで、お前たちはこの5年間、どこにいたんだ?」
「異世界に飛ばされてた。……あいつが逃がしてくれたんだ」
「異世界? もしかしてあの時、あの子が時空ゲートを発動したのか……!? お前がいつも連れていた、管理飼育No12……」
「その呼び方はやめろ。……ちゃんと名前がある」
「……それがユウトか。あの子にそこまでの力があったとは……」
「ユウトは昔のことは覚えていない。だからあいつに余計なことは言わないでくれ。……できれば、思い出させたくない」
レオにはまだユウトに隠している過去がいくつもある。しかし、知る必要のないことだ。それを弟に告げるつもりは毛頭無かった。
彼はレオの弟であることだけで十分だと言ってくれている。それでいい。
「分かった。……しかし、そんな力のある子に今はミドルスティックを使わせているのか」
「力があるからこそ、基礎が大事だ。制御できない大きな力ほど怖い物はない。あの子は賢い。それを分かって従ってくれている」
「はは、ユウトはとんでもない魔法使いになるな。……だが、お前だけでは教えきれないこともある。ユウトにも言ったが、一度王都に来い。魔法学校にいい講師がいるんだ。紹介する」
「そうだな、王都……。もう兄貴から隠れても意味がないし、久しぶりに行ってもいい。……まあ、そのうちだがな」
エルダールの国民は、レオの顔を知らない。王族に関わりのある人物でも、レオと対面している人間はごく僅かだ。すでにアレオンは5年前に死んでいることになっているし、正体がバレる心配はあまりない。
「そういや、兄貴の方はこの5年どうだった? 街の復興はめざましいが、利権がらみの狸どもが地位や工費目当てに群がって来たんじゃないのか」
「父上について回っている時に、そういう狸はリストアップ済みだ。父上を断罪する時に並べ立てた罪状と一緒に、奴らの悪事も全部暴いて同時に潰した」
「さすがだな、容赦ない。その後は?」
「貴族が牛耳る代わりにいくつかギルドを作って、街の中で仕事と金を回すようにした。街同士を連携して職人を管理させて、依頼受注形式で復興を担わせたんだ。その仕上がりや工期を加味して報酬にランクを付ければ、皆が頑張って最短でいい仕事をしてくれるようになった」
「なるほど、そうやって街に金が流れて国民が豊かになってきたんだな。……じゃあ今、王家筋で残っているのはほとんどいないのか。大体みんな肥え狸だったしな」
前国王の時は、国王自体が強欲だったせいで似た者ばかりが周りにいた。特に、父方の親族はやりたい放題だった。
レオはそんな親族を毛嫌いしていたが、ライネルはそれどころか憎悪すら抱いていたことを知っている。
自身が国王になったあかつきには、奴らを全部排除する。こっそりと王宮内で会った時、兄はいつもそう弟に漏らしていた。
「父上の血縁はほぼ潰した。母方は、私のもお前のも親戚は残っている。私は父上を軽蔑しているが、唯一女性を見る目だけは認めているよ。こっちはちゃんと民のことを考えられる一族だ。だから今、皇嗣は母方の従弟にしてある」
「そうか」
ライネルは穏やかそうな顔をしているが、その中身はなかなかに冷徹で容赦がない。その兄が認めている従弟なら、問題ないだろう。
エルダールはライネルが治めていれば大丈夫。特にレオが口を出す必要はない。
「内政は順調そうで何よりだ」
「政治はいいんだ。各街の領主も能力のある者にすげ替えたし、私の管轄だからな。……今の問題は、魔物とゲートだ。まあ、お前がユウトと働いてくれるようになれば、だいぶ楽になる。頼りにしているよ」
「……まあ、受けた以上はちゃんとやるさ。ユウトの可愛い格好も見られるし、それだけを楽しみにする」
二着目の装備を使おうと思い立ったのは偶然だった。まあ、本来もライネルたちの目を欺くために作った装備だ、わざわざ一着目と全く違うテイストにしてある。正体不明の人物を装うにはうってつけだろう。無駄にならなくて良かった。
「そういえば、変身するとか言っていたな」
「ああ。異世界の衣装でスーツと魔女っ子というのがあるんだ。迷宮ジャンク品でも時々出るから、兄貴も見たことくらいはあるかもしれん。今回の祭りでも何人か仮装で着てる奴がいた」
「ほう。一度見てみたいが」
「ユウトが恥ずかしがるからどうかな。俺から見れば完全無欠の可愛らしさで、恥じるところなどないと思うんだがな」
レオのユウト礼賛は嘘がない。本気でそう思っているのだ。
それにライネルは微笑んだ。
「微笑ましいね。お前にそうやって心を注ぐ相手がいることは私も嬉しいよ。ふふ、確かにユウトは可愛いからな。素直で純粋で、つい撫でたくなる。寝顔も天使だったしね」
「天使なのは寝顔だけじゃないけどな」
「ああ、そうか。違いない」
大きな瞳に白い肌、細くすんなりとした手足に、さらふわの髪の毛。ユウトの容姿は、どこか庇護欲をそそる。
そんな彼のために尽力することが、今のレオの生きがいなのだ。
昔のユウトは今と少し容姿が違ったけれど、彼との出会いがレオの投げやりだった人生を一変させてくれた。
そんな弟を、失った過去の分まで幸せになるよう、手助けをしてやりたい。これは国の事情に巻き込んでしまったユウトへの贖罪でもあった。
「ユウトにはもう一回くらい会って、兄様って呼んで欲しかったなあ。あれはとても可愛かった」
「それ、人前で呼ばれちゃまずいだろ。関係性を疑われる」
「大丈夫、次は王都で密会室を作っておくから。……さて今後、お前たちとの連絡はどう取ろうか。まあ、カズサに頼めばいいかな」
「……あの狐、必要な時以外はそっちで預かってくれてていいんだが」
「そう言うな。あれは隠密としても優秀だ。お前が命じてくれれば、こちらとの情報交換も密にできる。クエストの依頼なんかもカズサを通してするから、あんまり邪険にしないでやってくれ。……おや、もうこんな時間か」
ふと時計を見て、ライネルは立ち上がった。
今回は仕事での来訪だ、あまり時間がないのだろう。
どうせまた会える。再会を喜び互いの近況を聞けば今は十分と、レオも立ち上がった。
「今日は無理に引っ張って悪かったな」
「別にいい。その鬱憤は今外で晴らしてきたし」
「ふふ、親愛なる弟が帰ってきた上に可愛い弟まで付いてきて、私にとっては喜ばしい日だったよ」
ライネルは楽しそうに笑う。それから、牢の外にいる金髪の男を見た。
「そんな可愛い弟たちに渡したいものがある。ルウドルト、あれを」
「はい」
促されたルウドルトが、レオの前に来て綺麗にカットと装飾をされた魔石を差し出した。
転移魔石だ。それも2つある。
「一度行った場所に転移できる魔石だ、お前も昔は使っていたから知っているよな。危急の時用に2人で持っていてくれ」
「ああ、これは助かる。街では金を出してもなかなか手に入らないんだ」
「これがあれば、王都との行き来も数段楽になるだろう。魔力の補充に時間が掛かるが、上手く使ってくれ」
「分かった」
レオはそれを受け取るとポーチに入れ、地下牢の扉を出た。
「じゃあな、兄貴。……まあ色々あったけど、会えて嬉しかったよ」
「私もだ。またな」
「ああ、また」
お互いに軽く手を上げてあっさりと別れる。
昔から人目を忍んで短い時間で言葉を交わすだけだったから、これだけ話せれば十分過ぎるほどだ。
レオは収監口から外に出ると、ユウトの待つリリア亭へと急いだ。




