【七年前の回想】首輪に付いていた3つ目の術式
急ぎ自室へと戻り、子どもに支度をさせてザインへと飛ぶ。
療養時に訪れた別邸の庭の片隅に転移すると、アレオンはチビを抱えたまま塀を乗り越え、その敷地を出た。
「ここ、どこ?」
「ザインだ。街の中央にある公園で狐と待ち合わせてるから、そこに行くぞ。はぐれるなよ」
子どもを降ろして自分のマントの裾を掴ませる。
公園の入り口自体はすぐ近くだ。アレオンはチビに気を配りながら歩き始めた。
こんなに人がいる場所に来たのが初めての子どもは、きょろきょろとしきりに辺りを見回している。しかし興味よりも不安の方が勝っているようで、アレオンにぴったりとくっついたままだった。
ザインは王都と比べたら人の波も穏やかでゆったりとした方なのだが、それでも馴れないチビは緊張してしまうのだろう。
アレオンはふと思い立って近くの屋台に行くと、そこで鈴カステラとオレンジジュースを買った。
不思議そうに見上げる子どもを連れて、そのまま近くのベンチに座る。どうせこっちから探さなくても、カズサなら向こうから気付いて寄ってくるはずだ。ここで待とう。
「ほら」
アレオンにくっついて隣に座ったチビに、ジュースとお菓子を渡す。初めて見る鈴カステラに目を丸くした子どもが、こちらを見上げた。
「……食べていいの?」
「ああ」
頷きつつひとつ摘まんで、チビの小さな口元に持って行く。
するとその甘い香りに誘われて、ぱくりと子どもが食い付いた。
んむんむと小動物のように咀嚼して味わう姿に和む。
「……おいしい」
「そうか」
「ぼく、これ好き」
無表情だけれど、これはだいぶ気に入ってくれたようだ。
少し緊張もほぐれたようで、ジュースを啜った後にはう、と長い息を吐く。
「お兄ちゃんは?」
「俺はいらん。甘い物はあんまり得意じゃねえ」
「そうなの? ……じゃあ、これぼくのためだけに買ってくれたんだ」
子どもはそう言ってもうひとつ菓子を口に入れると、少し楽しげに足をぱたぱたさせた。
「うれしい。ありがとう、お兄ちゃん」
「……ああ」
表情はなくても、その喜びは伝わってくる。
こんな感情を向けられることは本当に馴れていなくて、アレオンはひどくこそばゆい気持ちになったけれど、それ以上に満たされた気分になるのが不思議だった。
誰かを喜ばせることがそれ以上の自分の喜びになるなんて、まるで理解しがたい感情、だったというのに。
アレオンはほのぼのとした気分で子どもを眺める。もしかするとこの小さく穏やかな世界こそが、自身の理想の世界なのかもしれない。
しかし今は急ぎのミッションの最中。アレオンは数分もせずに、そこからすぐにいつもの世界に引き戻された。
「あっ、いたいた、こんなとこでくつろいでたんですか」
さっき分かれた長髪丸眼鏡のカズサがこちらを見つけて声を掛けてくる。それに驚いたチビが固まった。
「貴様、いきなり声掛けてくんな。チビがびっくりしてんだろうが」
「あ、おチビちゃんにはこの見た目じゃ分かんないか。ほら、俺きつねさんだよ? 怖くないよ~」
「……きつねさん?」
その声とアレオンの態度ですぐに目の前の男がカズサだと理解したチビは、ほっと息を吐いた。
アレオンと逆隣に座った男に、緊張する様子もない。
二人に挟まれたまま、かえって安心したようにジュースを啜った。
「おチビちゃんがお菓子食べ終わったら行きますよ。ここからそんなに離れてませんし」
「俺らが行くことは魔工翁には?」
「さっき伝えてきました。殿下のことは半魔を保護するボランティアだと説明してありますんで、何か言われたら上手く話を合わせて下さい」
「……それで、一番胡散臭えお前の立ち位置は?」
「俺はアレオン殿下の代理人です」
「俺の代理人?」
また珍妙なことを、と眉を顰めると、カズサは苦笑した。
「仕方ないでしょ。特上魔石を12個も調達できる人間なんて、他にいないんですよ。まっさらの特上魔石をこれだけの数そろえるのは、金を出したって無理です。盗んできたなんて嘘ついたらそれこそ仕事受けてもらえませんし、本当のこと言うしかなかったんですよ」
「……まあ、確かにそうか。じゃあ何だ、状況としては魔研に追われる半魔の保護に、俺が密かに手を貸してるって感じなのか?」
「そうです。半魔にまで慈悲の手をさしのべる、強くて優しいアレオン殿下。その仲立ちをする代理人が俺ということで」
「マジで胡散臭え」
でもまあ、これで傷つく人間も損する人間もいないのだ。それで話が通るなら気にしない。
肩書きや意味合いに齟齬があるだけでやろうとしていることは変わらないのだし、問題あるまい。
「じゃ、そろそろ行きましょうか。おチビちゃん、ジュース飲み終わった?」
「うん。おいしかった」
「そっか、良かったねえ」
子どもが空にした器をゴミ箱に捨てて、立ち上がる。
アレオンは再びチビに自分のマントを掴ませると、先導するカズサについて公園を出た。
メインの通りから路地に入って二つほど角を曲がる。周囲に人はまばらで、店を出すにはかなり不向きだと思われる場所だ。
そんな通りの、木造の小さな建物の前でカズサが立ち止まった。
表には目立つ看板はなく、ただ扉のノブのとなりに職人ギルトの加盟店の札だけが掛かっている。これは、通りがかりではほぼ間違いなく見過ごすし、店だと分かっても一見では入れないだろう。
しかしカズサは気にせずその扉を開けた。
「こんにちは、魔工翁」
「……ああ、来たのか」
中にいたのは、白いひげをたくわえた、いかにも職人然とした老人だった。眉間のしわが、いかにも気むずかしげに見える。
それでも高慢さや性悪そうな雰囲気はなく、かといって変におもねることもなく、アレオンから見ると好ましいタイプの人間だった。
「……半魔とその保護者を連れてくるという話だったが、一人足りないな」
「ん? ああ、いますいます。小っちゃいから陰に隠れちゃって……。おチビちゃん、おいで」
アレオンの後ろにいたチビが、呼ばれておずおずと出てくる。
するとそれを見た魔工翁は目を丸くした。
「子どもか……! 魔研の奴ら、こんな小さい子にまで……!」
「使役の首輪に探知魔法を掛けられてて、王都にいると魔研に居場所がバレてしまうんですよ。これ、先日渡した特上魔石でどうにかなりませんかね?」
「……とりあえず、その首輪をよく見せてくれ。どうせ半魔なのは分かっているから、フードも取ってここに来い。おい、そこの保護者のあんたは扉に鍵を掛けてきてくれ。誰かに見られると困るだろう」
言われた通りにアレオンが扉の鍵を閉める間に、チビはフードを取って老人の前に進む。
そして魔工翁の正面に立つと、ぺこりと頭を下げた。
「えっと、よろしくお願いします」
「おお、ちゃんとあいさつできるのか。えらいな」
それだけで場の雰囲気が少し和む。
アレオンはこんなきちんとした挨拶を教えた覚えはないが、おそらくライネルからもらった児童書に書いてあったのだろう。ちゃんと学習しててえらい。
「ではちょっと見せてもらうぞ。じっとしてなさい」
少し目元を緩めた魔工翁が子どもの前に屈んで、その首輪に手を掛けた。
そしてその隙間から内側に刻んである術式を確認する。
僅かずつずらしながらそれを一周させて全てを見終わると、再び眉間にしわを寄せた彼は額に手を当てて、重苦しいため息を吐いた。
「……難しいのか?」
「あ、いや……」
対応するのが厳しいのかと思わず訊ねたアレオンに、魔工翁が一瞬だけ動揺する。何だか歯切れが悪い。
しかしすぐに気を取り直したようで、軽く首を振った。
「術式自体は特に難しいというわけじゃない。……この子どもに掛かっているのは、使役と感情封印、……それから制御不能だな」
「制御不能?」
何だそれは。
思いも掛けぬ3つ目の術式の存在に、アレオンとカズサは目を丸くした。
魔工翁がそんな二人に向かって説明する。
「どんな魔法でも常に最大出力でしか使えなくなるという術式だ。あっという間に魔力を使い切ってしまうから、本来はあまり役には立たないのだが」
そう言われて、アレオンはすぐに思い当たった。
確かにチビの使う魔法はいつもフルスロットル。敵がいれば魔力がすっからかんになるまで発動しっぱなしのこともある。
ランクの高い強敵ばかり相手にしているから気付かなかったが、まさか魔法の出力の調整が出来ないようになっていたとは。
「……魔研は何でこんな術式を付けたんですかね?」
「この術式の使用目的は、一つは魔物を使い捨てにするため、もう一つは魔物同士を戦わせて興じる際に、戦闘を派手にするためだ」
「魔物同士を戦わせるって……遊興目的のモンスターバトルってことか!?」
それは非常に危険なため、国の法律で禁止されていたはずだ。
おまけに魔物同士を戦わせて耐えられる建物なんて、そうそうない。王宮や、それに準ずる国家機関の結界を持ち合わせる施設でもないと……。
そこまで考えたところで、アレオンはすぐにその施設に思い至って頭が痛くなった。
「……魔研に隣接する実験施設で貴族が興じる賭け事が行われているという噂は以前からありましたから、おそらくそれですね」
カズサはそれを知っていたようで、特に驚きもなく受け入れる。もちろんそれがこの小さな子どもに付けられていることは、全く許容できないだろうが。
それにしても、その魔研の金儲けを父王が知らないわけもなく、許可料を受け取っていないわけがなく、国王自ら法を犯していることに呆れ果てるしかない。
そのくだらない金儲けの中に、チビを組み込みやがって。
「この肌の変色は、そのバトルのための薬剤を投与されたからだろう。……以前はわしのところに、魔研から用途不明の薬剤の作成依頼が来ることがあった。全部突っぱねてやったが、おそらくこういうことに使っていたんだろうな」
「え、え? それって、もしかしておチビちゃんもモンスターバトルに出されてたってこと?」
「……うん、昔」
本人に肯定されて、アレオンとカズサは驚愕した。
しかし、考えてみればこの子どもは桁違いの魔法の強さなのだ。この小さな身体で大きな魔物を倒す光景は、見世物的には最高だろう。
けれども、昔、ということは、最近はバトルに参加させられていなかったということか。
……連れ出した当初に満足に歩けなかったことも考えると、結構長いこと戦闘はしていなかったのかもしれない。




