【七年前の回想】ライネル登場
その日の夜、アレオンの自室には二人の男が訪れた。
「久しぶりだな、我が弟よ! 少し大きくなったかな? どれ、お兄ちゃんがハグして確かめてあげよう」
「いらねえわ、やめろクソ兄貴」
ルウドルトがライネルを連れて来たのだ。
数ヶ月ぶりに会う兄は相変わらずテンションが高く、アレオンはそれをすげなくあしらった。
「珍しいな、兄貴まで来るなんて」
「ここ数日は父上が、国内の視察と言う名の豪遊に行っているからね。おかげで私はすこぶる忙しいが、その分好きに動けるのさ」
王都に父王がいない間は、ライネルが国政を回している。とはいえ、平時も国王補佐として八割方の仕事を請け負っているから、それほどいつもと変わりがあるわけではない。
ライネルが忙しいのは、その上で父王がいないうちにと色々な『下準備』をしているからだ。
「ところで、お前が心奪われたという可愛い子ちゃんはどこだい?」
「……変な言い方すんな。……魔研が探知してると困るから、とりあえずゲートに置いてきた」
「おやおや、半魔とはいえ子供をランクSのゲートに置いてきて大丈夫なのかい?」
「今いるのは敵の出ないフロアだし、一応ひとり護衛を立ててる」
「……もしかして『死神』ですか? オネエから殿下とその男に接触があったと報告を受けておりますが」
「ああ。元『死神』だけどな」
オネエとの話は、すでにルウドルトに伝わっているらしい。まあ特に隠す必要もないかとアレオンは頷いた。
「『死神』って、以前アレオンの命を狙ってきた暗殺者だろう? 大丈夫なのかい?」
「今のところはな。思っていたより頭がおかしい奴ではなかった。変態だけど」
「アレオン殿下との接触を図っているというから、てっきり以前の復讐かと思っておりましたが……」
「そういう感じではねえな。……まあ、あいつに関しては俺がもうちょっと様子を見る」
カズサについてここで三人で勘繰っていても仕方がない。
どちらにしろ、今重要なのはそこではないのだ。
そこで一旦話を切ると、アレオンはすぐに本題に入った。
「ところで、ルウドルト。魔研の方の子供の探索はどうなってる?」
「はい。始めの5日ほどは私どもで子供の捜索に当たっていたのですが、その後は魔研が探知魔法で探すことになりました。1日に複数回、ランダムな周期で捜索が行われているようです」
「……定時じゃないのかよ、やりづれえな……」
時間が決まっていれば探知が掛かっていない間に子供をどこかに移すこともできるが、ランダムではそういうわけにもいかない。常時でないだけマシとはいえ、リスクは高いだろう。
「兄貴、何か探知魔法を回避できるものとかないのか?」
「一時的なものなら、結界が使えるよ。ただ色々調べてみたんだけど、王都全体に掛かっている結界で効果が消されてしまうものが多くてね」
「……じゃあ意味がねえな」
「そうでもないだろう、街の外では使えるってことだから。一応ね、有効そうな結界図を写してきた。ゲートを出た瞬間なんかは危ないから、先にその周囲に描いておきなさい」
「俺、結界を発動するだけの魔力持ってねえぞ」
「それは半魔の子にしてもらえばいいよ。地上に現れてから魔法で探知されるまで、数秒のタイムラグがあるからね。その間に発動するんだ」
とりあえず、ライネルは忙しい中でも探知についてだいぶ調べてくれたようだ。
ルウドルトに持たせていた書類バッグを受け取って、紙束を取り出した。その中からまず結界図の写しを取りだしてこちらに寄越す。
その他の書類は、全て調べ物をまとめたものだった。
「時間が限られているから、探知魔法についてと魔道具についてだけ重点的に調べてきた。知らなければ対策の取りようもないからね」
「……悪いな、兄貴も忙しいのに」
ライネルに直接的に関わることでもないのに、アレオンと子どものためにこれだけの労力を割いてくれるとは。
その感謝と僅かな申し訳なさから出た言葉に、向かいのライネルはぱちりと目を瞬いた。
「……ほう、アレオンがそんな言葉を私に掛けてくれるなんて、頑張った甲斐があったなあ!」
「ちょ、やめろ」
にこりと笑った兄が、身を乗り出して弟の頭をぐりぐりと撫でる。
「以前のような雰囲気の刺々しさが減ったし、少しだが表情も柔らかくなった。……可愛い子ちゃんのおかげだな。となると、やはり絶対にその子を魔研に取られるわけにはいかないね」
ライネルは嬉しそうにそう言うと、テーブルの上に書類を広げた。
「まず探知魔法についての話をするよ。探知魔法というのは対象の魔力を辿ることで居場所を知るものだ。これには生物用・無機物用・魔術用の三つがある」
「生物っていうのが人間や動物、無機物がただの物体、魔術用が術式関係ってことか」
「だいたいそんな括りだね。そこで、魔研が半魔の子と首輪のどちらに探知を付けているのかをきちんと明確にしておく必要がある」
つまり生物用か魔術用か、どちらの探知魔法が展開されているかということだろうか。
「その二つで対応に何か違いがあるのか?」
「もちろん。人や術を探知するには固有の魔力や術式をフックにして探すんだが、もしも魔研の探知が半魔の子に対して掛かっているなら、子どもの魔力自体の周波数を変える必要がある。一方魔道具に掛かった術式がフックになっているなら、その魔道具を壊すか外すかすればいい」
「ちなみに私が捜索中に正式にジアレイスに確認したところ、探知は首輪の方に掛かっているということでした」
「やはり首輪なのか……」
……そうなると、あの首輪を外すことを考えなくてはならない。
これはアレオンにとってかなり抵抗があることだった。
自分と子どもは命令だけでつながっている間柄。
その命令権を失ったとき、チビがどこかに去ってしまう、使役した者に報復をして来て戦う羽目になる、自ら命を絶つ、どれも嫌だ。
命令をしたいわけではない、けれど命令なしではどうしていいか分からない。あの小さな子どもを自分の元に置いておくためには、あの首輪は必須なのだ。
「首輪を外すことができれば一番手っ取り早いんだけどねえ」
当然出てくる選択肢。
ライネルがそれを口にしたことにビクリとする。どう拒絶しようかと考えて、しかしその言葉に物申したのは、アレオンではなくルウドルトだった。
「それは難しいかもしれません。どうやら、あの首輪はジアレイスたちには外せないようでして」
「外せない? 魔道具を取り付けた者なら解除パスワードを持っているはずだろう」
「よく分からないのですが、とにかく外せないの一点張りで」
「……『外さない』でなく、『外せない』か……。何にせよ、難儀なことだね。無理に外そうとすれば子どもの精神に障害を与えかねないし。別の手を考えないといけないな」
「……何か考えがあるのか?」
首輪は『外せない』。それなら仕方がない。
アレオンはそれに内心でどこか安堵をして、ライネルの次の言葉を待った。
「とりあえずはマメに探知を回避していくしかないね。根本的な解決ではないけど、ジアレイスたちの目から逃れられればひとまず問題はない」
「今もらった結界でか?」
「それは王都内では使えないし、乗っている間、ずっと発動者の魔力を消費するからあまり長くは保たないよ。移動することもできないしね。それはゲートの出入りなど、ちょっと立ち止まる必要があるときに使いなさい」
確かに結界に乗っていては移動ができないし、ずっと魔力消費があるのではあまり頻繁には使えない。
「じゃあどうすればいいんだ?」
「探知魔法というのは、まず感知範囲があるんだ。魔研からだと王都やこのあたりをすっぽり覆うくらいかな。熟練の魔導師なんかはエルダール全土を感知範囲にできるようだが」
「……それじゃジアレイスたちは全土を感知できるんじゃないか」
ジアレイスは魔法学校をとても良い成績で卒業したのだと、本人から自慢話を聞かされたことがある。だから魔法生物研究所の所長に任命されたのだと。
だとしたらエルダール内の街や村、どこにいても危険だということになってしまう。
しかしそれを聞いたライネルは、肩を竦めて苦笑した。
「当時の彼は次期国王の親友で名家の嫡子。地位と金にものを言わせれば、大した努力もなく望む結果を得られる立場だよ? 向かうところ敵なしのわがまま放題が、その辺の学生と同じように、真面目に基礎から魔法の練習をすると思うかい? まあ、魔法学には興味があったようだから、少しばかり知識はあるけど」
「……マジか。騙された」
「自分より優秀な生徒は追い出したりしてたようだし、目を付けられたくない人間は彼より低い点を取ろうとしただろうから、だいぶ平均点が下がった上で『良い成績』だったのは本当なんじゃない?」
ライネルはふん、と鼻で笑う。
いつも泰然自若としてにこにこしている兄だが、父王とそれに絡む人間に関することにはとても侮蔑的な反応をした。
彼は端から見ると、次代の王として何不自由なく大切に育てられ、執政の補佐を任され、弟よりも遙かに良い境遇に思える。
しかし父への憎悪は何故かアレオンよりずっと大きいのだ。
ライネル曰く、『あの男の血が自分の中に流れていると思うだけで忌まわしい』ということだった。
一体何があったのか。少しだけ気に掛かるが、今はこちらの事案が先だ。
「……ジアレイス以外の奴らは?」
「あの辺りも全員名家の子息だよ。コネで集まっている上に同じような選民思考を持った人間ばかりだから鍛錬なんてしてないし、魔法は並程度しか使えない」
「確かに、魔研の使う術式などは組み上げる実力が足らず、外注するものが多い印象ですね。攻撃魔法は高価な杖や指輪のような増幅器で底上げしているから、そこそこの威力のものを使えるようですが」
ということは、王都周辺から離れている時はほぼ魔研の探知を気にすることはないわけか。
……だが、自分が長期間王都を離れていると、父王の疑いの目が向くかもしれないのだ。そう考えると、王都外に滞在するのも一時的な逃げ道にしかならないだろう。
「……アレオン殿下、元『死神』の男が信用できるようなら、その者に子どもを預けて他の街村で潜んでもらうのがいいのでは?」
「嫌だ」
何を馬鹿なことを。
ルウドルトの提案を思わず即座に却下すると、向かいでライネルがにこりと笑った。
「ふふ、即答か。よほど可愛い子ちゃんと離れがたいんだねえ」
「……っ!? ……い、いや、決して離れるのが嫌とかではなく、まだあの男も信用できないし、チビも俺がいないと安心できないだろうし」
「まあそういうことにしておこう。……ただそうなると、やはりちょっと難しいね。後は絶縁体を手に入れるくらいか……」
「絶縁体?」
ライネルが次に持ち出したのは、聞き慣れない言葉。
アレオンは怪訝に首を傾げた。




