【七年前の回想】アレオンの動揺
カプセルフロアには一応、その労力を払ったに見合う報酬がある。
敵の殲滅後に現れた奥の扉をくぐると、そこにはレア宝箱と体力・魔力が全回復する涌き水、そして劣化しない食料がたくさん置いてあった。
生き残ることさえできれば、ここでフルチャージできるというご褒美があるのだ。
涌き水はこのフロアから持ち出すとただの水になってしまうが、それでもゲートの中で汚染の心配なく飲めるありがたい飲料水だ。
ちなみに食料は持ち出しても効果はなくならない。これは後で大容量ポーチに入るだけいただいていこう。
とりあえずアレオンは最初に涌き水のところに行き、抱えた子どもに水を飲ませることにした。
ポーチからコップを取り出し、涌き水を掬って小さな口元に持っていく。
……勝手が分からず、動きがおっかなびっくりになるのは仕方がない。
こんなふうに他人を扱うことなんて、今までしたこともないのだ。
それでもどうにか少しずつ子どもの口に涌き水を流し込む。
すると、間もなく子どもがぱちりと目を開けた。
まあ身体に何があったわけでもなく、魔力が切れただけだ。覚醒さえすればどうということもないだろう。
「目が覚めたか。……ほら、自分でコップを持って、一応それ全部飲み干せ。魔力が全回復するはずだ」
アレオンは子どもにコップを持たせると、抱えていた小さい身体を降ろして床に座らせる。そして自分は涌き水を直接手酌で掬って飲んだ。
傷を負わなくても、やはり体力は減っているのだ。
この一掬いの水で、疲れは一掃される。
隣で言われた通りにコップの水をちびちび飲んでいた子どもは、すっかり一仕事終えた様子のアレオンを見ながら首を傾げた。
「お兄ちゃん、さっきのフロアは?」
「死なずにこうしているんだから、クリアして終わったに決まってるだろう。ここはカプセルフロアの報酬部屋だ。今日はここで休むぞ」
「……うん」
途中で気を失って結末を見ていないせいか、子どもは無表情のまま生返事をする。それにアレオンは片眉を上げた。
「何だ。何か気になるのか?」
生きるか死ぬかの戦闘で生き残った。明確な結果の出ている二択であり、それが全てだと思うのだが。
しかし子どもには生死以上に気になることがあるようだった。
「……ぼく、ちゃんとアレオンお兄ちゃんの役に立ってた?」
「は?」
その言葉に、思わずぽかんとする。
あれだけの大魔法を繰り出しておいて、自分が役に立っていないと思うのだろうか。
……いや、結末を自身の目で見ていないからこそ、言葉にしてもらわないと不安なのか。もしくは子どもにとっては、アレオンの主観による結果しか意味がないのかもしれない。
(……他人に労いの言葉をかけるなんて、柄じゃないんだが……)
しかし今この子どもが生きているのはアレオンの役に立つという命令のため、ただそれだけの理由なのだ。
つまりこれを肯定してやらなければ、彼の存在意義に関わる。
ここはきちんと、この子の生きている価値を評価せねば。
アレオンは意を決して、しかし気恥ずかしさから極力気のないそぶりで、子どもの働きを労った。
「……まあ、それなりによくやったんじゃないか。想像してたよりは役に立ってたぞ」
そう口に出してから、はたと、こんな言い方では評価が低すぎるのではないかと自分で気付いたがもう遅い。
フロアの魔物をほぼ一掃するという脅威の働きをしたのに、これだけの評価しかされなかった子どもは、ただ真顔のままその言葉を受け取った。
「そっか」
彼がひとつ頷いて、そのまま会話はそこで終わってしまう。
二人の間に沈黙が訪れ、子どもの視線が手元のコップに向いてしまい、アレオンは途端に動揺して内心で汗をかいた。
……自分のこんな薄い評価を受けて、この子どもはどう思ったのだろうか。感情が封じられているから、反応がないとその機微が分からない。
今まで他人がどう思おうが気にしたことなどなかったというのに、自分の言葉がこの小さな子どもを傷付けたり悲しませたりしていたら、と考えただけでひどく落ち着かない気分になった。
何なんだ、この感情は。
最初は魔研でつらい目に遭わされていた子どもへの僅かな同情心、ただそれだけのはずだったのに。
「……おい」
沈黙に耐えかねてアレオンが呼び掛けると、子どもはすぐに視線をこちらに向けて首を傾げた。
しかしその瞳に感情が乗っていないことが、さらに焦燥を煽る。
自身の慣れない心の動揺にアレオンは小さく舌打ちをして、子どもに訊ねた。
「……お前、笑えと命令したら笑えるのか?」
命令は絶対だというのなら、どうにかその心の機微を表出させることは出来ないだろうか。
そう考えたアレオンに、子どもは「ん」と予想外に軽く頷いた。
「笑った表情を作れって言われたら、できると思う。……えっと、こうかな?」
口角を上げ、出来上がる作り笑い。当然だが表情は固く、目も笑っていない。逆につらそうに見える顔だ。
アレオンが見たかったものとは全く違う。
「……もういい」
そう声を掛けると、子どもはすぐに真顔に戻った。
やはり、彼の素の表情を見るためにはこの首輪を外さなくてはならないようだ。
(……だが、首輪を外して命令を聞かせられなくなったら、この子どもはどうするだろう?)
もし自分がこの子どもと同じ立場で、さらに同様の力を持っていたら、まず間違いなく復讐をする。二度と誰の命令も聞かないし、今まで命令してきた者は殺す。
そして魔研は当然として、その存在を許していた王都あたりも壊滅させるだろう。
もちろんこの子が同じことをするとは限らないが、それでも。
万が一その力でもってこちらに逆らい、本気で攻撃を仕掛けてくれば、アレオンは彼を殺して止めるより他なくなる。
そう考えると、アレオンは安易に子どもの首輪を外してやろうなどとは思えなかった。
(……もしもそのまま姿を消されて、どこかで死なれるのも嫌だ)
一番大きいのはこの可能性だろうか。
そもそも半魔には生きづらい世界、こんな姿で帰る場所、生きる場所なんてあるとは思えない。
その結末はやけにリアルで、アレオンは考えただけでゾッとした。
ならば。それこそ、姿を隠して生きている自分の側でこうしているのが、彼にとって一番適当なのではなかろうか。
このひらめきは、アレオンにとってこの上ない最適解に思えた。
これまで他人を連れ歩くなんて邪魔で足手まといでしかないと思っていたし、その考えは今だって変わってはいないのだが。
しかし、この子どもなら隣にいても構わない。
何故自分がそんなふうに思うのかは分からないけれど、とりあえず『役に立つ、小さくて持ち運びしやすい』という当たり障りのない理由を掲げて、アレオンは自身を納得させた。
「……おい」
再び、子どもを呼ぶ。
さっきよりちょっとだけ自身の声の角が取れてしまった気がするが、今はもうどうでもいいことだ。
「……これから飯を作る。何か食いたいものあるか?」
まずはとりあえず、自分の側がこの子どもにとって少しでも快適であれば良い。そんなことを考えて。
アレオンは夕飯を作るべく、食材を取りに立ち上がった。




