【七年前の回想】子どもへの命令
子どもが今までどんな食事をさせられていたのか分からないから、今日のメニューは山菜ときのこのリゾットと野菜スープにした。
正直これでも胃がびっくりしそうだが、がっつり固形物よりは消化がいいだろう。
子どもは最初、良い香りで湯気を立てるそれが、自分の食べて良い食事だと分からなかったようだった。
それだけで魔研での待遇が知れる。
食え、と言うと、子どもは何度かリゾットとアレオンを交互に見て、それから恐る恐るスプーンを口に運んだ。
一口食べて、そのまま固まる。
無表情だからよく分からないが、何だかふるふるしているのは、おそらく初めて食べたそれに感動しているのだろう。二口目からはぱくぱくと小さい身体なりによく食べた。
最後に森で採ってきたリンゴをむいて、それを切り分けてやりながら声を掛ける。
「……明日からはお前にも戦ってもらうぞ。自分の身は自分で守れないと、魔物に食われて死ぬだけだからな」
少し脅しを掛けた言葉に、子どもはやはりあっさりと頷いた。
アレオンはそれに眉を顰める。
怯えて役に立たないなら尻を蹴り上げてでも言うことを聞かせられるが、全く死を恐れないというのは質が悪い。
アレオンも生に執着はない方だが、それでも無駄死にや不本意な形での絶命はまっぴらごめんだ。
でもこの子どもは違う。どんな死でも同じ価値として受け入れる、危うい達観がある。
「いつ死んでもいいなんて思ってんじゃねえぞ。俺はお前を魔研から解放にしてやるために連れて来たわけじゃない」
そう告げると、子どもはじっとこちらを見たまま頷きも何もしなかった。
無表情な上にリアクションもないと、さすがにその感情を推し量ることができない。
「分かってんのか?」
改めて反応を求めたアレオンに、子どもは軽く首を傾げる。
これは分かっているのかいないのか。
やはり何とも言えなくて、アレオンは小さく舌打ちをした。
「チッ、分かりづれえな。……そういやジアレイスが、声は出るって言ってたか。お前、言葉を理解出来るならしゃべれるんじゃないのか? 黙ってないで、何か言え」
これは命令だ。もし話すことができるなら、絶対服従。どんな形でも反応をするはず。
そう思って子どもを注視していると、彼は小さく口を開けた。
「……救世主」
子どもらしい、少し舌っ足らずな声。
その言葉を口に上せた意味が分からないが、やはり話すことはできたのだ。これなら感情が見えなくても、意思の疎通ができる。
アレオンは今まで黙りこくっていた子どもに、呆れたようなため息を吐いた。
「しゃべれるなら最初からしゃべれ。何で今まで黙ってたんだ」
「……あの人たちに捕まったとき、泣いてばかりいたら、『黙れ』って命令されて声が出せなくなったの。……今話せるようになったのは、『黙ってないで、何か言え』って命令してくれたから」
「……ああ、そういうことか」
この子どもが今まで黙っていたのは、最初に魔研で受けた命令から逃れられなかったからだったのだ。それを今アレオンの命令が上書きをしたおかげで、声を発せるようになった。
ジアレイスは話せるか分からないと言っていたけれど、奴らが一番最初にその言葉を奪っていたわけだ。だから彼は悲鳴のような、自分で制御できない声しか出せなかったのだろう。
だとしたら、この子どもに文句を言うのは筋違いだ。
……それにしても、この子の声。
感情が乗らず抑揚もないのに、どこか庇護欲をそそる可愛らしさがある。何だろう、この感覚は。
正直全く無縁だと思っていた理解不能な感情に気付きかけて、しかしアレオンはすぐさま蓋をした。
こんなのは気の迷いだ。この先戦っていく上で、全く必要のないもの。
子どもだからと情を移して判断を誤ることなど、あってはならない。
「ぼくはどうしたらいいの? いつ死んだら良いの?」
アレオンがそんな葛藤をしている向かいで、子どもは再び首を傾げた。どうやらさっきの言葉が理解出来ていなかったようだ。
……そして、やっぱり死に対して恐れを抱いていないことがはっきりする。
「……あのな、その辺の雑魚にやられて死なれたら連れて来た意味がないんだよ。いいか、とにかく全力で戦え。死ぬのはそれからだ」
「分かった。全力で戦って死ねばいいんだね?」
「……何だか分かってる感じがしねえな……」
アレオンはどう言ったものかと思案した。
この様子だと、力を尽くした後は何の抵抗もせずに簡単に死にそうだ。
そうではなく、さんざん粘って生にしがみついて、できる限り敵を殲滅してから死ぬくらいでないと困る。
悩んだ挙げ句、アレオンはひとつの命令を思いついた。
「……そうだな。お前は勝手に死ぬの禁止だ。俺のために死ね。俺のために力を使い、万が一俺が危機に陥ったら、俺を守るために死ね」
ここまで明確に言えば、力及ばずで死んでしまうことはあっても、自分からおとなしく死ぬことはないだろう。どうせ下層に行けるまでの期待はしていない、そこそこ保ってくれればいい。
そう思って子どもを見ると、彼はまた感情の見えない顔で、じっとこちらを見ていた。
「……分かったのか?」
怪訝に思いつつ訊ねたアレオンに、今度は大きく強く、こくこくと頷く。
そして何かを誓うように両手を自分の胸に当てた。
「ぼくは救世主のために死にます」
また『救世主』。
どうやらそれはアレオンを指すようだ。その高尚じみた響きが妙に癇に障って、つい眉を顰めた。
「何なんだ、その『救世主』ってのは。俺をペテン師臭え呼び方すんな」
「……じゃあ救世主のことを何て呼べばいい? えと、……殿下?」
「国の臣下じゃないんだから、ジアレイスの真似事をする必要はねえ。……どうせこのゲートの中だけだ、アレオンでいい」
「分かった、アレオンお兄ちゃん」
「お兄……っ」
お兄ちゃんと言われて、何だか妙にこそばゆい気持ちがする。
……いや、しかし特に不愉快なわけではないし、このくらいなら訂正するほどでもないか。
アレオンはそのまま妙な感情を飲み込んだ。
とりあえず、子どももアレオンの命令を理解したようだし、今日はもう明日のために休もう。
そう決めると、何故か乱れてしまった平常心を引き戻すために、アレオンは食器を片付けて寝床の準備を始めた。
兄が優しくない胸糞展開ですみません。
今後アレオンがちょっとずつツンデレ王子になります。




