【七年前の回想】魔研での出会い
魔法生物研究所は、王都から外れたところに建っている大きな建物だ。
常に魔物の憎悪のこもった鳴き声がし、不快な薬品の臭いが立ちこめている。アレオンはこの場所がとても嫌いだった。
その雰囲気も嫌いだが、特に嫌なのがここにいる研究員。所長を筆頭に、狂った倫理観を持つ嗜虐思考の最低人間の集まりだ。
実験室に入ったことはないが、その血と薬品の臭いだけで胸くそが悪くなる。本来なら奴らの顔も見たくないのだ。
しかし今回は、背に腹は替えられない。
とっとと用件を終わらせて、半魔を受け取ってゲートに行くしかないだろう。
そう観念して、アレオンは不愉快な面持ちのまま、魔研の門を潜った。
「ああ、お待ちしておりました、アレオン殿下。陛下からお話は聞いておりますよ。こちらへどうぞ」
入ってすぐにアレオンを出迎えたのは、所長のジアレイス。この男はアレオンを王子だと知っている数少ない人間のひとりだ。
ただ父の友人だけあって、アレオンが父王にないがしろにされていることも知っていて、王子相手だというのにどこかこちらを見下すところがあった。
「……今度のゲート攻略に連れて行ける半魔がいると聞いたが」
「ええ、もう色々な薬を試してしまった半魔で。魔力が高くなかなか死なないので、そろそろどうにか処分しようと思っていたのですが……。殿下が16番ゲートに入るというので、ちょうど良いから差し上げようかと。魔法を使えますし、殿下のお供としてぴったりですから」
つまり、アレオンには死に損ないがお似合いということか。
まあ、露骨な見下しはいつものこと。
どんな半魔を渡そうとしているのか知らないが、……いや、考えてみればなかなか死なないという点は評価できる。
囮としてはそれだけで優秀だ。
「……そいつは、貴様らが造ったエセ半魔じゃあるまいな?」
「エセだと……? 聞き捨てならないことをおっしゃる。自由交雑の野良のものより、我々が造った半魔の方がずっと使いやすいし能力も高いというのに……。まああなたにはこの価値が分からないでしょうね」
「分かりたくもねえ」
相容れない二人の間では、嫌味を交えないと会話が成り立たない。
共に不機嫌な顔をしたまま、視線も合わせずに廊下を進む。
「ご安心下さい、今回お渡しするのは野良の方です。殿下にお似合いでしょう」
「そうか。貴様らの造ったハリボテよりは余程いいな」
「……こちらです、どうぞ」
ようやく立ち止まったジアレイスが示したのは、厳重な防御術式が掛かった扉だった。
……とりあえず、中にいるのが魔力のある半魔なのは間違いなさそうだ。
だったら少しは使い物になるだろう。
ジアレイスは術式を解除して鍵を開けると、先に部屋の中へ入っていった。アレオンもその後についていく。
そこは完全に檻といった仕様だ。
部屋の中は思いの外せまく、本当に何もない。
だというのにジアレイスの後ろからでは件の半魔が見えなくて、アレオンは首を傾げた。
これだけ厳重に閉じ込められているなら、どれだけ屈強な半魔なのかと思ったのだけれど。
「……どこにいる?」
「そこの部屋の隅で丸まってます。……管理飼育№12。起きろ」
ジアレイスがそう言って、金属の打ち込み杭に括られている鎖を引っ張った。
それは部屋の隅に向かっており、その先にようやくアレオンも該当の半魔を見付ける。そしてその姿に目を瞠った。
……小さい。
無理矢理ジアレイスに引き起こされた半魔は、まだ10歳になるかならないかの子どもだった。ガリガリで、肌はあちこちが黒くくすんでいる。服はまるでボロ布のよう。
……こんなのを高難易度ランクSSのゲートに連れて行けというのだろうか。魔物にひとくちで食われて終わりだ。
いや、こんなやせぎすでは、魔物に餌として認知されるかもあやしい。
(……これは連れて行っても足手まといじゃないか?)
その見た目からは全く役に立ちそうな気がしない。
そう考えているアレオンを余所に、ジアレイスは子どもの首輪に繋がっている鎖を杭から外した。
「……管理飼育№12。貴様は今日から殿下の高ランクゲート攻略の供をしろ」
そう指示をされた子どもが、こちらを見る。
まるで感情を映さない、ガラス玉のような瞳。それを見た途端、何故かアレオンは落ち着かない気持ちになって眉を顰めた。
「……俺の供にガキを連れて行けというのか」
「確かにこいつは子どもですが、魔力だけは大魔法使いに引けを取りません。……かなりいじってしまったので少し壊れかけていますが、魔力が空っぽになるまで使った後は捨ててきて結構ですので」
「……クソ野郎どもが」
精神的に明らかな魔法干渉をされている子ども。壊れかけているのなら、尚更連れて行くのは無謀な気がする。
……しかし、こんなクソみたいな場所で死ぬよりは、いっそ魔物に丸呑みにされた方がこの子どもも楽かもしれない。
何となく自分の境遇と重なって、少しだけ同情心が湧いた。
まあ、この小ささならどうとでもなる。
暴れたら斬ればいいし、邪魔なら魔物の中に捨ててくればいい。
とりあえず連れて行こう。
「殿下、この首輪はこいつを捨てる時に回収してきて下さい。着けている間は感情を封じ込め、命令に絶対服従させることができます」
なるほど、子どもはこの首輪で感情を消されているのか。回収してこいと言うなら、きっとこれはだいぶ強力な魔法具なのだろう。
「……話はできるのか?」
「さあ。必要がないので、確認したことがありません。……ただ、悲鳴を上げたりはできますから、おそらく声は出るかと」
最後の補足に、アレオンは忌々しげに大きく舌打ちをした。
……何とも胸くそ悪い。
こんなところ、とっとと出て行きたい。もちろんこの子どもも同じ気持ちだろう。
レオはジアレイスから奪うように鎖を受け取ると、ただ子どもに立つように促した。
「……行くぞ。来い」
命令に絶対服従というのなら、わざわざ鎖を引く必要はない。指示をすれば子どもはよたよたと立ち上がった。
だがそのバランスは安定せず、今にも倒れそうだ。
……そうか、ここに繋がれっぱなしで、足の筋肉があまり発達していないのだ。
それでもおぼつかない足取りで、アレオンの元に来る。
何だか生まれて間もない子犬のようだ、と自身の腰のあたりにある子どものつむじを見ながら、アレオンは思った。
「……おい」
呼び掛けると、子どもは素直にこちらを見上げる。子どもの瞳が感情を映さないというのは違和感があるが、とりあえず言葉は通じている分、思ったよりマシだ。
「これからゲートに行くが……歩けるか?」
子どもはこくりと頷いた。だが、それを見たアレオンは片眉を上げる。
「正直に言え」
命令は絶対だ。そう言うと、子どもは表情を変えないが軽くびくりと肩を震わせて、ふるふると首を振った。
……どうやら感情が表出するのを封じられているだけで、子ども自体は内にちゃんと感情を持っているようだ。
歩けないと言うとここに置いて行かれるかもしれないと、考えるだけの自我もある。
まるで表情のない人形のように見えていたけれど、ちゃんとした生きた子どもなのだ。
アレオンはそれだけ確認すると、子どもを荷物のように小脇に抱えた。とろとろ歩くのを待っているより、移動するならこの方が断然早い。
そのままジアレイスに背を向けて歩き出すアレオンを、子どもが身体を捩って見上げた。
その気配に、アレオンも小さな身体をちらりと見下ろす。
やはりその瞳はガラス玉のようだが、その身体から緊張が抜けたことで、魔研を出られることに安堵したのだろうと察せた。
泣きわめいたりもせず、それでもこの程度の反応は見せるのなら、普通の子どもより扱いやすいかもしれない。
「……このままランクSSのゲートに行くぞ。魔物の恐ろしさにチビんなよ、ガキ」
アレオンの言葉に、子どもはこくこくと頷く。その動きは、まさに小動物。
正直、想像していたのとは遙かに違う。
しかし、想像より全然悪くない。
子どもを抱えたまま魔研を出たアレオンは、いつの間にか王宮を出てきた当初よりもずっとマシな機嫌で、ランクSSの16番ゲートに向かっていた。




