【一方その頃】クリスを監視する者
外はもう日が暮れてしまった。
それでも未だに周囲の男たちは席を立つ気配がない。
おそらくこのまま気の済むまで読解を進め、それぞれが疲労のピークを感じた時点で勝手に帰るのだろう。ちゃんとした食事を取るかも怪しいところだ。
しかし自分もどちらかというとそういう質のクリスは、ワーカーホリック状態の彼らに苦言を呈せる立場ではない。知識欲というのはそれほどに魅惑的だと知っている。
だからただ研究員たちの邪魔をしないように静かに立ち上がった。
「そろそろ私は失礼します」
読み終わった文献を、そのまま未読棚に戻す。
部屋には紙を捲る音とペンを走らせる音しかしていないが、クリスが声を掛けると彼らは片手を軽く上げて応えた。これがいつもの挨拶だ。
「チョコレート菓子を置いておきますから、脳に糖分入れて下さいね」
最後にクリスはそれぞれの手元に小さなチョコレート菓子を置いていく。これもいつものこと。
置いた途端にみんな一斉に食べるから、不要ということはないだろうと思って毎回持参している。
小さな労いだが、これはすぐに脳のエネルギーになるし、片手で食べられるし、手軽で一番良いのだ。
そうして後は、声を掛けずにただ静かに部屋を出る。
魔法研究機関の出入り口と王宮外門で入館証を提示して、クリスはすっかり夜の帳が降りた中を歩き出した。
……と言っても、実際暗くなったのは空だけだ。
街は篝火や魔石燃料による外灯が灯り、まだまだ人通りも多い。レオが訪れてくるだろう時間にも、まだ余裕がある。
空いた酒場を探す冒険者たちの間をすり抜けながら、クリスは通りを進んだ。
(……さて、拠点に戻る前に、できることをやってしまうか)
おそらくまだパーム工房は開いている時間だ。大した手間でもないし、瘴気無効のアイテム制作を頼んで来ようと考える。
しかしクリスは、あえて工房に向かうのと違う路地へと入っていった。その前にもうひとつ、やっておくことが出来たからだ。
大通りより少し人がまばらな通りを何でもないように歩きながら、勘付かれないようにクリスは周囲の気配を窺った。
(うん、いるな)
僅かな違和感を探り当て、確信する。
実は王宮を出てから、ずっとついてくる者の存在を感じていたのだ。
拠点に戻る前にその尾行者を捕まえるのも、今やっておくべきことのひとつになる。
クリスはさらに横道に入り、人気のない暗がりを探した。
(……さすが、気配の消し方がプロだ。うん、それなりの手練れでもなかなか気付かないだろうなあ)
のほほんとそんなことを思いながら、程よい暗さの細道に入る。
勘付かれて警戒されないよう、極力尾行者に意識を向けないように気を付けて、クリスは細道を進んだ。
進むほどにどんどん狭く、暗くなる道。
そこは良い具合に高い塀と家の壁に挟まれて、奥は周囲の目が届かない袋小路になっていた。よし、ここなら少しくらい派手なことをしても問題ないだろう。
クリスはおもむろにポーチに手を突っ込むと、そこから上魔石を取り出した。
「ブライトリング!」
それを頭上にかざし、自分は片目を瞑る。
この上魔石には、以前ユウトに込めてもらった明かりの魔法が入っているのだ。それを高出力で一気に放ってやった。
暗がりで目が慣れた者ならば、明順応しきれずに目が眩む。
クリスはその隙に、瞑っていた方の目を開けて駆けだし、一瞬で物陰に隠れていた気配の主を捕まえた。
「くっ、不覚……!」
怯んで片手で目元を押さえる男の、逆の手首を逃げられないように掴む。
しかし彼は特段抗うことはなく、ただ眉根を寄せた。
「やっぱり君だったか。覚えのある気配だと思ったんだよ」
そんな男に対して、クリスはにこりと笑う。そこにいたのは、見知った男だったからだ。
「私に対して危険感知は働かなかったのかい? 真面目くん」
「……あなたが私に危害を加える気がないんだから、反応するわけないでしょう」
そう、そこにいたのは真面目だった。
完全に観念した様子で力を抜いている。
彼は顔を顰めたまま数回目を瞬かせると、ようやくちゃんとクリスに視線を寄越した。
「……手を放していただいて大丈夫ですよ。今さら逃げても意味がありませんから」
「おや、あきらめが早いね」
「あなたと私の実力差を把握しているだけです。気配を勘付かれてしまうとは、私はまだまだ未熟だ」
「いや、君もかなりの達人だと思うけど」
少し凹んでいるようだ。何となく申し訳ない。
それに小さく苦笑する。
しかしそれは置いておいてと、クリスはすぐに本題に入った。
「私を尾行していたのはどういう目的かな? 私はユウトくんのように陰ながら護ってもらう立場でもないし。……もしかして、敵と通じてないか疑われてる?」
まあ、言うなれば冒険者上がりのぽっと出だ。それも分からないでもない。どちらかというと、自称ばかりでこんな身元がはっきりしない自分をよく国家機密に関わらせるものだと、そちらの方が驚きなのだ。
だから特に気分を害するわけでもなくそう訊ねると、しかし真面目は首を振った。
「陛下の見る目は確かですし、殿下と弟君の眼鏡に適う者ならば間違いありません。間者だなどとは露とも思っておりません」
「え? じゃあ、なんで私のことをつけてたの? 見てる意味ないでしょ」
「それは……」
クリスに問われて真面目が口ごもる。
「誰の指示だい? ライネル陛下? ……あ、もしや、ネイくんか」
「……そうです」
素直に認めた。おそらく特に口止めはされていないのだろう。
だとすると、その指示の内容は何となく推測出来た。
「あー……さては、私が危ないことしそうになったら止めろって言われたんだね?」
「……魔書から得た知識で有効そうなものがあったら、リスク上等で何でもやりかねないからと。何かあったら力尽くで止めろと言われてます」
「ネイくんはどれだけ私を危険人物だと思ってるの……。一応TPOは弁えてるし、とりあえず相談もなく魔道書使ったりしないよ?」
「その『一応、とりあえず』が怖いんです。あなたはダメって言っても聞き分け悪いし」
「うっ、確かに……」
どうやら前回の仕事で、彼らにはそういう印象が付いてしまったらしい。まあ自業自得なんだけど。
そもそも思い当たる節も多いから、これ以上の反論はできない。
クリスは肩を竦めて苦笑した。
「無茶はしない性分なんだけどなあ……。じゃあ君は、これからも私の監視を続ける感じ?」
「そうですね、陛下から次の指示が来るまでは」
「陛下からの指示? ネイくんじゃなくて?」
「リーダーは今後殿下の指揮下に入るので、これから我々の直の上司はルウドルト様と陛下になります」
「そうか、ネイくんと君たちって一緒に働いてるけど、主が違うんだね」
そう言えばネイは、レオに言われてライネルの指示に従っていたのだった。
それがレオの元に戻ったというのなら、彼らは今後リーダーであるネイを介さずに直接ライネルたちとやりとりをするということだ。
(……これは、都合が良いかもしれない)
これまでの状態だと、ライネルと渡りをつけるのには、どうしてもネイかレオを介する必要があった。
ユウトは直接王宮に入る手段を持たないし、レオに仲立ちを頼むとユウトの秘密に関する話をライネルにすることができない。
そうなるとネイに頼むしかないのだが、レオの直属である彼がユウトの秘密を知って、それを主のレオに告げないでくれるかはやはり不安なところだった。
その点、真面目がライネルやルウドルトと直接やりとりするのなら、彼に頼めばレオたちの仲立ちは必要なくなる。
彼らに知られずに、王宮に入れるのだ。
レオとユウトの間で上手く立ち回るためには、大きな助けになる。
そう思い至ったクリスは、真面目に向かってにっこりと笑った。
「……真面目くん、ちょっとお話があるんだけど」
彼が優秀で忠実なのを知っている。クリスの性質と真面目の持つ能力の相性の良さも。
この機会を逃す手はない。
まずは監視役の彼を、こちら側に引き込んでしまおう。




