弟、死を予言される
「聖なる犠牲って……?」
「ユウトくん、あの男の話を真に受けないように。未来が見えると言っても、語る内容が本当かどうかはまた別ですから」
グルムの言葉に反応したユウトに、ヴァルドは耳打ちをした。
確かに、目的を持って未来を見られるわけじゃないのなら、この男が本当にユウトのことを知っているとは限らない。ただのでまかせの可能性もあるのだ。
しかしユウトは、最初のグルムの一言に強く関心を引かれてしまった。
レオには会ったら問答無用で倒せと言われたけれど、すっかりそのタイミングは逃している。話を聞くなとも言われたけれど、聞いたものも消せない。「聖なる犠牲」、ユウトはその単語が妙に気に掛かっていた。
……グルムが発した言葉は、嘘か真か。
困惑するユウトの視線の先で、男は不遜げに鼻を鳴らした。
「ふん、よく見たらそこにいるのはヴァルドではないか。魔界を逃げ出し、人間界で半魔同士仲良しこよしか。一族の面汚しめ」
「面の汚さではあなたに負けますよ、グルム叔父。……それよりも、この方に適当な話を吹き込まないでいただきたい」
「ちっ、口の減らない……。まあいい。お前は適当と言うが、どうしてそう思うね? 確かに我の予知能力は自分でコントロールできない。しかし脳内に流れ込んで来るのは、比較的大きな事件に関する未来の記憶なのだ。つまり、その記憶の中にそこの半魔がいたのだよ」
「大きな事件……?」
これから何が起こるのかなんて分からない。しかし現状を考えれば、いつどこで大きな事件が起こっても全然おかしくない。
ユウトは胸がざわついた。
グルムの言う未来は信用できないけれど、同時に嘘だという証拠もないのだ。
「……あなたは、僕が死ぬ未来を見たというんですか?」
「そうだ。お前は死ぬ」
男は即座に端的に答える。
その断定的な物言いに対してエルドワが僅かに動揺し、護るようにユウトの肩を抱いた。
「……エルドワもヴァルドも、もちろんレオもいるのに、ユウトが殺されるわけない。あいつ嘘言ってる」
「聞き違いをするな。我はその半魔が『殺される』とは言っていない。『死ぬ』のだ。そもそも、聖なる犠牲の役目はそこに集約されるのだが」
「その、聖なる犠牲っていうのは、どういう……」
「ユウトくん、あの男の言葉に耳を貸す必要はありません。ここから出るためにも、とっとと始末してしまいましょう」
グルムの言葉が気になって訊ねようとしたユウトの前に、ヴァルドが割って入る。するとそれを見ていた男は、椅子に座ったままただ足を組み替え、片眉を上げた。
「……仮にも我が一族の血を引く男が、その半魔の正体に気付いていないわけではあるまい。そっちの高位魔獣の半魔も……。それが分かった上で、我の見た未来の記憶が嘘だと言い切れるか?」
「僕の、正体……」
エルドワとヴァルドは、ユウトの正体を知っている。
それを聞いて、ユウトは今さらのように得心が行った。
確かに、正体を知らない相手といきなり血の契約なんて結ぶわけがない。エルドワだって高位魔獣、自分から従うわけがない。
……そう言えばヴァルドもラフィールも、最初にユウトのことを救済者と呼んだ。知っているのだ、ユウトが何者かを。
「……それ以上余計な話は止めていただこう。エルドワ、ユウトくんを連れて下がって。この男は私が殺ります」
「うん」
ヴァルドがいつもより低い、怒気を滲ませた声でエルドワに指示をする。それに応じたエルドワは、困惑するユウトの身体を抱えると後ろに下がった。
吸血鬼殺したるヴァルドが、本気で殺る気だ。
しかしグルムは怯むでもなく、椅子に座ったまま不敵な笑みを浮かべた。
「お前たちは余程その半魔が大事と見える」
「当然です。彼は私の主。ユウトくんのことはどんなことをしても私たちで護る。貴様の未来の記憶なんて知ったことではない」
「そんなにその半魔が大事なら、うまい回避法を教えてやろう。……殺されぬよう、そやつを匿っておけば良いのだ」
「……何だと?」
ふと、攻撃に転じようと踏み出しかけたヴァルドの足が止まる。
それは彼がグルムの言う未来を完全には撥ね除けられず、心のどこかで危惧している証だ。
それを見て取ったグルムは、さらに不遜げに口端を吊り上げた。
「聖なる犠牲を担う者は大精霊たちの造った傀儡……。我を倒して大精霊に力を戻すのは、奴らに使役の力を復活させる自殺行為と言えよう」
「……精霊さんが造った、傀儡……?」
「そうだ。世界の危機に現れるおぞましきもの、それを消すためだけに造られた聖なる兵器だ。どうやらお前はその使命を忘れているようだが」
聖なる犠牲を担う者は、大精霊が造った。それはおぞましきものを消すための兵器……。
では大精霊が今までユウトを護ってくれていたのは、来たる危急存亡の秋まで死なせるわけにはいかないからということか。
本来、ユウトはその使命を覚えているはずだったのだろう。
それを忘れて今まで生きてきたのは、幸運だったのか、それとも。
思わぬ自身の正体に思考が追いつかず、うつむいて黙り込んだユウトに、しかしグルムは気にせず話を続けた。
「死にたくなければ、ここで我に成り代わってゲートの主になるがいい。さすれば、祠は解放せず大精霊が完全体に戻ることもない。お前の力で封印した扉を開けられるものはいないだろう」
「……そうして貴様は戦わずしてのうのうとここから出て行くわけですか。都合の良い話ですね」
「実際、我を倒したところでお前たちに利するところはあるまい。祠を解放して大精霊を復活させても、お前たちの主は死ぬ運命しか残されておらぬ。我の未来の記憶通りにな。……まあ、その時点までの主従だと割り切っているのなら別だが」
「っ、ふざけるな!」
思わず、といった様子でエルドワが怒鳴り、抱えていたユウトをぎゅうと抱き寄せた。
「エルドワはずっとユウトを護る! そのためなら大精霊とだって戦う!」
「……落ち着きなさい、エルドワ。この男の言うことを、全部真に受けてはいけない。事実を告げているかもしれないが、それを正しく伝えているわけではない」
「事実があれば十分じゃないかね? このまま出ればそやつは死ぬ。ここに留まれば犠牲にはならぬ」
「……それは本当に、事実なんですか?」
エルドワの腕の中でずっと黙っていたユウトが、不意に訊き返す。
妙に冷静で表情のない顔。それをどう受け取ったのか分からないが、グルムは笑みを強めた。
「事実だ。これに関して、我は嘘を吐いていないと断言しよう」
「……そう、ですか」
「ユウトくん、この男を信用しては……。……いや、もしあなたがここに残る決断をするのでしたら、もちろん従いますが」
「エルドワもユウトを護る。大精霊と戦う? ここに残る? どっちでもいい」
「うん。ありがと、2人とも」
ヴァルドとエルドワの言葉に、ユウトの表情が緩む。
衝撃は受けたが、絶望はしていない。その顔を見た2人は、救われたような安堵のため息を吐いた。
彼らがどこまでユウトの正体を知っていたのかは分からないが、それをずっと黙っていたのだ。大精霊と同罪的な後ろめたさがあったのかもしれない。
「ユウト、平気?」
「大丈夫。……どうするかも、決まってる。僕が一番望むこと……2人なら分かるよね?」
唐突に水を向けられて、ヴァルドとエルドワはぱちりと目を瞬く。
しかし2人はすぐにユウトの真意を読み取って、明確に頷いた。
「……そうでした。ユウトくんのことを思えば、それしか選択肢がありませんね」
「ユウトがそう決めてるなら、エルドワは従う」
「うん。お願い」
「……ようやっと、話がまとまったかね?」
こちらのやりとりを聞いていたグルムが、自身の解放を確信したように立ち上がる。その座をユウトに譲ろうというのだ。
それ以外の選択肢はありえないと思い込んでいる男に、ヴァルドは一歩分歩み寄った。
「……ええ。お待たせしました」
「では、入れ替えの儀式を……む?」
グルムも数歩近付いてきて、しかしそこでぴたりと足を止める。
……いや、止められたと言うべきか。
驚いたようにヴァルドを見た男は、彼の深紅の虹彩が金色に縁取られていることに茫然とした。吸血鬼殺しの魔眼が発動したのだ。
自身の予想が覆されて、グルムは焦ったように声を荒げた。
「な、何のつもりだ!?」
「知れたこと。貴様を倒してここを出るのです」
「ば、馬鹿な! 我を殺してこの場を出たら、お前らの主は世界の犠牲になって死ぬのだぞ!」
「エルドワたちがユウトを護るから問題ない」
「この、事の道理の分からぬ愚か者どもが……!」
男はいらだたしげに歯噛みをする。
だが、何をしようがこの魔眼から抜けることは出来ないのだ。
グルムはしばらく抵抗しようと足掻いていたが、やがて徒労と知って脱力した。
「くそっ、こんなことになるのなら、あのままデュランを公爵にしておくんだった……。そうすればこんなところに閉じ込められることもなかったというのに」
「……何ですって?」
思わずといった様子で呟いた男の言葉を、ヴァルドが聞き咎める。
「あの時、儀式のことをガラシュに漏らさなければ……」
「儀式のことを漏らした……? ……なるほど、そういうことですか。完全に秘密にされていたはずの儀式が何故襲撃されたのかと思っていましたが……貴様が予知して吹聴したのですね……!」
儀式とはユウトたちが以前聞いた、公爵位後継者への能力移譲の儀式のことだろう。ということは、デュランというのはヴァルドの父の名か。
その儀式の様子を予知したグルムがガラシュ・バイパーへ話を漏らし、他の叔父たちも巻き込んで襲撃に至ったわけだ。
それを知ったヴァルドは、大きく嘆息した。
「……こんなところで、お爺様と父上が亡くなった元凶が判明するとは……」
「い、言っておくが我は襲撃には参加しておらぬ!」
「そういう問題ではないのですがね……まあいいです、この鬱屈を貴様ごときにぶつけたくらいで気が晴れるわけでもありません。ただ、貴様程度の男がその能力を持ち続けることは許しがたい。輪廻に戻り、低ランクからやり直して下さい」
これ以上の問答は不要だと言わんばかりに言葉を吐き捨てる。
呆れとも嘲りとも取れるヴァルドの態度に、グルムは激昂した。
「この高貴な我を、低俗な魔物ランクに落とそうというのか!?」
「貴様らが高いのはプライドだけで、魔族としての気品や資質など欠片もない」
ヴァルドは冷たく言い放つ。
そして空中に手を滑らせて術式の帯を描くと、男に向かって手のひらを差し出した。
「まっ、待て! こんな、屈辱的な……」
「紅蓮の柱」
「ぐああああああ!」
グルムの言葉を待つことなく、強烈な紅蓮の炎が男を包む。
その熱は後方にいるユウトの頬をも焦がすほど強い。
とはいえ、エルドワが腕の中に庇ってくれたから、幾分はマシだったけれど。
やがて火柱は小さくなり、全てを燃やし尽くして消えて行く。
最後にグルムがいたはずのところに、灰だけが残った。
「……終わった?」
「はい。お待たせしました」
「やっぱりヴァルド強い」
魔眼を解除したヴァルドの瞳の虹彩から金の縁取りが消える。
それと同時に、先程までグルムが座っていた椅子の背後に脱出方陣が現れた。
手前にもボス戦利品の宝箱が現れ、奥にはクリアボーナスの宝箱が現れる。
……これで完全に、精霊の祠の解放が終わったのだ。大精霊も復活するはず。
ユウトはエルドワの腕の中から出ると宝箱の中身を回収し、それから時計を見た。
「……もうすぐ3時間経っちゃうね。早く帰らないとレオ兄さんが泣いちゃう」
努めて普段通りに微笑むユウトに、エルドワとヴァルドは複雑そうに眉根を寄せる。
おそらくグルムの言った未来の記憶を気にしているのだ。
エルドワが思い悩むように小さく唸った。
「……ユウト、本当にここから出ていいの?」
「もちろん。早くレオ兄さんのところに戻らなくちゃ」
「そうなりますよね……。ユウトくんがレオさんを置いて、こんなところに留まるわけがないですものね」
彼らはそれを分かってくれている。だからさっきも、何も言わずともユウトの選択に従ってくれた。その内心は、きっと酷くざわめいているだろうけれど。
「自分勝手でごめんね。でもありがとう、2人とも」
「いい。エルドワたちはユウトを護るだけ」
「……ただ、一応今回のことは、レオさんにも伝えるべきですよね。グルムの言ったことが確かなこととは限りませんが」
ヴァルドがそう言うのも当然か。
常に一緒にいるのはエルドワとクリス、そしてレオだけ。その中でも群を抜いて強いレオが護っていれば、だいぶ安心出来る。
しかし、ユウトはそのヴァルドの言葉にやんわりと首を振った。
「……2人とも、悪いけどこのことはレオ兄さんには内緒にして」




