兄、不安になる
午後3時より少し前にロジー鍛冶工房に到着したが、すでにクリスはそこで待っていた。
馬車にアシュレイを繋ぎ、ミワ父との最終確認も終え、いつでも出れる状態になっている。やることが早い。
「馬車を出す準備はもう出来ているよ。これからどうするの? もうガントに向かう感じ?」
「これから出てもすぐに日暮れだ。出立は明日早朝にする。今日はあんたの拠点を少し整備する手配をしようと思っていた」
「ああ、そうだね。では私が御者をして一度拠点まで行こうか」
そう言ったクリスは、だいぶ位置の高くなった御者席に軽々と上った。
「みんな荷台に乗って。出発するよ。……アシュレイくん、頼むね」
アシュレイはすでに一度行ったことがあるから、細かい指示をしなくても平気なのだろう。クリスが一声掛けると、手綱や鞭など必要とせずに歩き出した。
「わ、走り出しがスムーズだね。以前は重たい感じで、スピードがなかなか乗らなかったのに」
「前は2頭立て用の形状や体高と馬車の重心の差異なんかのせいで、かなり力の無駄があったからな。アシュレイに合わせて直したおかげで、それが解消されたんだろう」
街中だからスピードは出さないが、それでも違いは歴然だ。
アシュレイの力が上手く駆動部分に繋がって、車輪の回転も軽い。これならスピードも出せるし、以前よりアシュレイの負担も減るに違いない。
しばらく馬車を走らせると、やがて街の喧騒が遠くなった。郊外に出たのだろう。舗装された道から外れ、揺れが少し大きくなる。
しかしそれからほんの5分ほどで馬車は止まった。
「着いたよ」
御者席からクリスに声を掛けられて、レオたちは荷台を降りる。
周囲は畑や牧場などがある農場地区の端っこのようだった。比較的街に近いし、開放的で人目も少なく、良いところだ。
しかしこのさわやかな景色の中、目の前にある石造りの建物は、庭も屋根も雑草に覆われて、木の扉も腐りかけて廃墟のようだった。
……これは本格的に直さなくてはいけないようだ。
「ここが昔クリスさんが使っていた拠点ですか?」
「うん、そう。見た目は酷く見えるけど、木で出来た部分を作り替えれば建物自体はしっかりしてるから問題ないよ。結構広いし、平屋で天井高いし、アシュレイくんもそれほど窮屈じゃなく使えると思う」
「だがさすがに自分たちで直すのは無理だな。やはり修繕業者を手配しよう。アシュレイの使うベッドや最低限の家具はひとまずラダの職人に作らせて、馬車で運び込めば良い」
ラダにいるイムカの使用人たちは、まだ自由に街に移動させられる状況ではない。差し当たり、建物自体は王都で修繕の手配をするしかないだろう。
「せめて庭だけでもきれいにしようか? 僕が草刈りするけど」
「そうだな。やってやれ」
「え、ユウトくんひとりで? 私も手伝うよ」
「これで一気に刈るから大丈夫ですよ」
そう言うと、ユウトは円盤形に研いであるクズ魔石で作った刃を取り出した。ラダに行く時に荒れた野営地で使ったのと同じものだ。
それを回転させ地面すれすれを移動させるだけで、雑草は面白いように刈られていった。人力と違ってとにかく早い。
最後に刈った草を風の魔法で集めて敷地の隅にまとめると、それだけで建物の外観がだいぶマシになった気がした。
「へえ、すごい! クズ魔石を面白い使い方するね。こういう応用力って大事だよ。ユウトくんは頭が柔らかいんだろうな」
「当然だ。俺の弟は最強に可愛くて賢い」
「違いますよ、僕がすごいんじゃなくて、レオ兄さんの教育が良かったんです。最初にちゃんと魔法を考えて使うことを教えてくれたから」
「訂正。俺の弟は最強に可愛くて謙虚で賢くて兄思いで地上に舞い降りた天使」
「はは、お互いに褒め合って仲良いねえ」
クリスはこのやりとりに微笑ましげに頷く。
そういえば昨日より強めの賛美だが、ユウトは平気な顔だ。やはりタイチ母に萌え滾られるのが羞恥を煽るのか。
こうして普通に受け入れてくれるのもいいが、恥ずかしがるユウトも捨てがたい。次にパーム工房にアイテムを取りに行く時も、絶対ユウトを連れて行こう。
そんなことを考えている兄をよそに、弟はクリスに話を続けた。
「この応用力のおかげで、次の精霊の祠の鍵を開けるのもどうにか出来そうなんです。何か、魔力のコントロールが必要な鍵みたいで」
「そうか、ならユウトくんが適任だね」
「はい。次の祠が開放出来れば精霊さんも復活できるみたいだから、頑張ります」
それを聞いた途端、レオは一転して憂鬱な気分になる。
祠の鍵を開けた後は、どうなるのか。それが分からないからだ。
魔族を倒しに行く人間を選べればいいのだが、開錠者がそのまま別空間に引き込まれることもある。術式を駆使した鍵の罠なら、後者である可能性が濃厚。
目の前からユウトが消える、それを考えただけでレオは酷く不安になるのだ。
もちろん万が一ひとりで飛ばされても、彼にはヴァルドもいるし主精霊もいるし、何より本人に自覚はないだろうが単体でも魔法が激強いし、負ける要素はない。
それでも、ユウトがレオにとって何よりも失いたくない唯一無二の存在なのだから、心配するなと言う方が無理だ。
自分もヴァルドのように、弟の呼び出しひとつで駆けつけられればいいのに。
そんな詮無いことを考える。
そうして暗い気分になっていると、不意にユウトがこちらを振り返った。
レオの様子に一瞬目を丸くした彼は、しかしすぐに察して安心させるように柔らかく微笑む。そして自分からこちらの手を握ってきた。
「……通信機の魔力を充填しておかなくちゃね。もしも離れても繋がっていられるように」
この弟は兄の不安を分かってくれている。
ならばきっと無茶なことはしないだろうし、何があっても戻ってきてくれるだろう。それだけで少し、レオの胸の詰まりが解消された。
「……今度、パーム工房でモバイル充填器を作ってもらおうか。魔力が足りなくなって通信が切れると困る」
「どれだけ長時間通話するつもりなの?」
可笑しそうに肩を竦める弟に、兄も眉間のしわを解く。
もちろん不安が完全に消え去ることなんてないけれど、それでもこうしてレオを想ってくれるユウトが、自分の悲しむようなことをするわけがないと信じられる。
精霊の祠の開放はあとひとつ。
これが最後だと自分に言い聞かせて、レオはユウトの頬を慈しむように撫でた。




