兄、イムカの強さを知る
想定外のことでもなかったのだろう。
ジラックの領主に、という話を聞いて、イムカは口端を上げた。
「死んだ男を領主に据えようとは、彼らも酔狂な」
「いや、彼らは街をどうしたいかという問いで、あんたが生きてることを察したようだがな」
「同じ事。私は社会的には死んでいるんだぞ。引っ張り出さなければ力も金もない私の存在は消えたまま、彼らの上に立つことはない。それでも街を、彼ら自身を私に託そうというのだから、相当な物好きだろう」
そう言いつつもイムカは嬉しそうだ。
力も金もないと言っても、彼の一番の宝である『人』が、その基盤を支えようとしてくれているからだ。
もともとポジティブでエネルギッシュだったイムカの覇気が、一際強くなる。
「良かろう。私が取り戻そう、平和だった我々のジラックを。……そうなると、まずはライネル国王陛下にお会いして、お力添えを頂かなければなるまい。皆とも会って、今後について話をせんといかん」
さすが、やるとなるとこの男は話が早い。
彼の臣下たちがどんな結論を出したとしても、やるべきことはすでに決めていたのだろう。
こちらが言い出す前に、イムカの方から王都へ行く意欲を見せた。
「レオ殿、この後王都に行くならば、私を同行させてくれまいか。まあ、不法に街に入ることになってしまうが」
「いや、あんたがその気なら、事前に書簡転移ボックスで王宮に連絡して、裏門から入る許可をもらう。直接王宮に入れるし、周囲の目も気にならんだろう」
「おお、それはありがたい! すでに兄上をラリアットで倒すための筋肉は十分……! 後はどれだけ準備ができるかだ」
本気でラリアットで倒すつもりかどうかはさておき、事前準備は必要だ。レオも今後を算段する。
「建国祭にジラックが事を起こすだろうと考えると、あんたはそれまで王宮で匿ってもらうのが得策か。できればロジーの爺さんにあんたの装備を作らせたいんだが、事前に採寸だけ済ませていくか……」
「いや、王宮で匿ってもらう必要はない。一度王宮に行った後は、ラダに戻って来て建国祭まですごそうと思っている。王都は何につけ人が多く、仕事で王宮を出入りする者も多いからな。兄上と通じる者がいないとも限らん。それよりもほぼ他の街との往来のないラダの方が安心して動ける」
彼の言っていることはもっともだけれども。
「……だがそうなると、部下たちとの意思の疎通が難しくならないか?」
「平気だ。私の臣下たちはいちいち私にお伺いを立てたりしない。事前に目指すべき場所と方向と課題を示せば、私より有能な頭で、私よりずっといい案を考えてくれる。私の役目はそれを実行する時にどんなことにも対応出来るよう、身体とメンタルを準備万端にしておくことだ」
つまり、策に関しては臣下たちに丸投げということか。
そしてどんな策が立てられようとも、自分がそれに対応し、全ての責任を負おうという心づもりなのだ。それだけ部下を信頼している証拠。ある意味、ものすごい度胸といえる。
だがこうして信頼して重要な策を任されるからこそ、臣下たちはそれに応えようと尽力するのだろう。何としてもイムカを領主にという、その熱量はきっと彼らの能力をぐっと底上げするに違いない。
「それから装備の話だが、鎧だけなら鍛冶屋のご老人が無償で作ってくれたのだ。筋肉仲間として」
「筋肉仲間……?」
「私の筋肉は皆を救うからと。やはり筋肉は愛と平和の象徴だからな」
うん、何言ってるか分からない。あ、あれか、鳩胸ということか。
……いや、突っ込むまい。とりあえずもう装備を作ってあるならそれでいい。
「……まあ、後は王都に行ってから皆を交えて話し合おう。……次に、リーデンの話なんだが」
「ああ。最近現れんな。私と兄上の間で板挟みになって、身動きが取れないんだろう。私のところに来れば兄上を裏切っている気分になって、兄上のところに留まれば私を裏切っている気持ちになる。我々2人の臣下である限り、彼は不忠であるという意識を拭うことはできないのだ」
リーデンの話になると、さすがのポジティブも眉を顰める。
イムカももちろんリーデンの変化には気付いていて、その内心を慮っていたようだ。
「私が今にも死にそうなひょろひょろの頃は良かったのだ。私が兄上に抗って蜂起するような状態ではなかったからな。ただ私が筋肉を取り戻し、兄上に対抗しうる存在になっていくのが、恐ろしかったのだろう」
「まあ、あんたと現領主、2人ともを護るためにやってきたのに、両方を護ったせいでその2人が戦う羽目になるわけだからな」
「その上、どちらかの敵に回らなくてはいけない。リーデンにとっては針のむしろだ」
「おかげで今、ジラックではふさぎ込んで屋敷に引きこもり、他人とほぼ口をきかない状態らしい」
リーデンの現状を告げると、イムカは大きくため息を吐いた。
「……リーデンは元々精神的に強くないのだ。昔は、その弱さを受け入れて正しく健全に導いてくれる父上にだいぶ依存していた。その父上が亡くなり、彼はジラックの軍人としてその息子たる我々を護ることでしか、自身のアイデンティティを保てなくなってしまったのだ。リーデンが心酔したはずの父上を殺した兄上でさえも、彼にとっては自我を保つためにいてくれないと困るのだ」
「それが歪な忠義となっているわけか」
リーデンの持つ弱さを知って、レオは眉間にしわを寄せる。
その心情が、レオには分かってしまったからだ。
弟にかなり重度の依存をしている自覚のある兄は、もし彼を完全に失って寄る辺をなくしたら、どれだけ酷い精神状態になるのか、恐ろしくて考えることも出来ない。
レオはユウトが異世界に飛ばされただけでも正常ではいられなかった。
まだ息子たちを寄る辺に踏みとどまっているリーデンの方が、自分よりだいぶマシかもしれない。
「……あんたは自分がリーデンを救うと言っていたが、どうするつもりだ? このままだとあいつは、その精神状態につけ込まれて、奴らに利用されるかも知れん」
「奴ら……兄上に取り入って操っている悪人たちだな」
「クリスはリーデンを戦線から離脱させてやった方がいいんじゃないかと言っているが」
ずっと黙って2人の話を聞いていたクリスに水を向ける。
それを受けて、彼は補足のようにレオの後に続けた。
「戦うことができなくなれば、君たちの敵にも味方にもならないだろう? 身体は辛くとも精神的には楽になると思うんだけど」
「まあ、一理はあるな。だが、おそらくそれでも私か兄上かどちらかが死んだ後、彼も生きてはいられないと思う。我々の戦いが、リーデンが私を復活させたことに起因しているからだ」
「自分が護るべき相手の死ぬ根本の原因を作ったということになるからか」
それを自分に当てはめたら、確かに生きていられないとレオも思う。
もしユウトがレオの行動が原因で死んだら、それに関わった者を全部破壊した後に自分も死ぬだろう。
「でも、リーデンにはまだひとり、護るべき相手が残るじゃないか」
「そうだ。彼に救いがあるとしたら、その一点。ただ、他人がその状況を強制的に作るのでは駄目なんだ。リーデン自身に選ばせないと」
イムカはすでにリーデンをどう救うか、その手段を決めているようだった。
「……選べるか? 今までそれが出来なかったリーデンに」
「逆だ。私に今まで彼に選ばれる素養が足りなかった。リーデンが未だに父上への依存から逃れられないのは、私にそれを凌ぐ力がなかったからだ。言ったろう、今度はリーデンに選ばせるのだ、私を」
「……すげえ自信だな」
「自信というよりやるべきことはやって、それで駄目ならリーデンを殺してやるほか苦しみから救う術は無いと、すでに覚悟しているだけだ」
イムカが敢えて無感情に告げる言葉は、それが自身の感情と切り離した、ジラックの街を護るための決断だからだろう。
リーデンが現領主を護り続けるのなら、それは彼がジラックの破壊を容認していると同じ事。ジラックの民を護ることを第一とするイムカにとって、排除するべき相手になる。
彼の苦悩も分かっているからこそ、最悪はリーデンを殺す覚悟を持った上で、手を下すのも自分であるべきだと考えているに違いない。
その痛みを、一生背負っていく覚悟もしているだろう。
「……イムカくんは強くなったねえ」
「常々、私は強くあろうと思っている。クリス兄にもそう見えているのなら嬉しいな」
ジラックを護る、その一義があるからこその強さ。きっとその内には他人に見せない不安も悲しみも弱さもあるのだろうけれど、それもひっくるめてこの男は強い。
イムカの存在は、今後間違いなく、閉塞したジラックを救う希望の星になるに違いなかった。




