兄、クリスに興味を持つ
暗い空間に放り出された2人は、すぐに空中で体勢を立て直し、ごつごつした地面に降り立った。
たった今落ちてきた中空を見上げたが、入り口は見えない。やはり、扉を潜ったところで転移させられたのだろう。
さて、普通に思考出来るから魔界でないのだけは確かだが、一体ここはどこなのか。
「ああびっくりした。海に入ってないのにびしょ濡れになっちゃったなあ」
「……結局あんたまで来ちまったか……。まあいい。足手まといにはならんだろうしな」
ひとりだけ大波を被って異空間に突っ込んできてしまったクリスに、レオは肩を竦めた。思い掛けぬアクシデント、彼を責めたところで意味がない。クリスの不運の為せるわざなのだから。
それに彼が向こうに残らなくても、ユウトはエルドワが護ってくれる。
「……さっさと進もう。早いこと敵を倒して、ユウトのところに帰る」
「そうだね」
敵地に来ても、クリスは特に緊張する様子もない。濡れた銀髪を手ぐしで整えつつ、レオの言葉に頷いた。
「それにしても、ここはどこかな? すぐに敵の真ん前に出るかと思ったけど、どこかの地下坑道か何かみたいだ。暗いからたいまつを点けるね」
「……たいまつがあると敵に勘付かれやすくなるぞ」
「まあ、その方が良くない? おじさんはあちこち探して回るのしんどいから、いっそ向こうからこっちを見付けて来て欲しい」
「……あんた、本当にリスク上等の男だな……」
レオは呆れと感心が入り交じったようなため息を吐く。
もちろん、これはレオと2人だからだろう。おそらくユウトのような護る相手が一緒だったら、こんな無茶なことは言わない。
彼は自分とレオの強さがあれば、敵に先制を取られても問題ないと考えているのだ。
まあ確かにこのまま闇雲に歩き回るよりは、敵が仕掛けてきてくれる方が話は早い。レオは気配を消すこともやめた。
「……あんたが歩いてる最中に、いきなりエナジードレイン食らったらどうするんだ? 俺は効かないからいいが」
「大丈夫。私よりレオくんの方が強いから、エナジードレインなら先に君に行くはずだよ。それが魔族のセオリーだからね。……ていうか、それを見越してなければ、吸血鬼に先制されてもOKとか言えないだろう?」
なるほど。敵が吸血鬼だという情報を先にクリスに与えていたから、その先制攻撃がエナジードレインで、その矛先はレオに向かうだろうことまで想定していたわけか。だから先制攻撃を食らっても問題ないと、目立つたいまつで敵を誘うことにしたのだ。
のほほんとして見えてリスク上等、しかしきちんとしたロジックがあって動いている。クリスという男は本当に底が知れない。
「さて、どっちに進もうか? 前にも後ろにも通路があるけど」
「……まずは適当に歩くしかなかろうな。敵のいる気配はあるが、どこの通路が繋がっているかまでは分からん」
いつもはエルドワがいるおかげで道に悩むことはないけれど、今回はそうはいかない。
地道に敵の気配を辿るしかないだろう。
面倒ではあるが、このフロアにその気配がひとつで分かりやすいのだけが救いか。
「あ、その前に。ちょっと待って、レオくん。先に確かめておきたいことがある」
歩き出そうとすると、何故かクリスがたいまつをレオに預け、ツヴァイハンダーを引き抜いた。
そのまま、近くにあった岩に剣を力一杯振り下ろす。
ガギン、と硬質なもの同士がぶつかる音。
次の瞬間、クリスの剣は同等の力で弾かれたが、岩は欠片すら落とさなかった。
「……っとと、壊れないか。なるほどね」
「……何してんだ?」
「ここがどんな場所か、少し確認しようと思って。……この道が壊せるようだったら、敵のいるところまで真っ直ぐ穴を掘っていっても良かったんだけどねえ」
冗談めかして微笑む彼は、剣をしまってレオからたいまつを受け取った。
「とりあえず、このフロアのボスを倒せば地上に戻れるだろうことは確認出来た。行こう」
「おい、ちゃんと説明しろ。……あんたの力でも岩ひとつ壊せないってことは、もしかしてここはゲートと同じ造りの空間なのか?」
「説明しなくても分かっているんじゃないか。……そう。ここは入り口が人間界に繋がっていないが、紛れもないゲートだ。昔、何度か罠でこういう場所に転移させられたことがある」
ゲートの構造物は、攻略に必要なものでない限り壊すことが出来ない。クリスはそれを確認したのだ。
「ここがゲートのフロアなら、ゲートのルールが適用されている。ボスへの道は絶対繋がっているし、それを倒せば脱出方陣が現れて元の場所に戻れるってことだね。これがゲート以外の場所だったら、自分たちで脱出口を探さなくてはいけないところだったよ」
「ああ、確かに……」
そんなこと、考えてもいなかった。敵さえ倒せば後はどうとでもなると思っていたからだ。実際、ユウトとさえ連絡が取れれば、大精霊が脱出方法を教えてくれただろう。
しかし、と、歩き出したクリスの後ろに付きながら、レオは感心した。
この男、聞けば聞くほど思慮深く、経験で培われた知識が半端ない。さらにはゲートのルールのことまで知っているのだ。レオですら未だに詳しいことを知らないのだが、ディアあたりから色々教わっているのかもしれない。
……おそらく、ここにクリスがいなかったら、レオはふつうにこの坑道を歩き回り、ただ敵を見付けて倒して、何の疑問もなく脱出方陣に乗ってユウトの元に帰っていたことだろう。
結果としてはきっと何も変わらない。
しかし、ほぼ戦闘センスや身体感覚だけで全てをこなしてきたレオにとって、クリスの経験値から来るロジックに裏打ちされた行動は、とても興味深いものだった。
思考展開が卓越したウィルとはまた別の意味で、色々意見を聞いてみたい相手だ。
この男は今、何を考えているのだろう。
「……おい、吸血鬼に遭遇したら、どうやって戦う気だ? あんたの得物、水棲魔物にしか特効ないんだろう?」
「私が手を出さなくても、レオくんだけで行けそうな気はするけど……そうだね、とりあえず別の武器を用意しておこうかな」
「別の武器?」
「うん、昔ゲートの宝箱で手に入れた名剣、オートクレール。最近は出番がなかったけど、本来はこっちが私のメインの武器なんだよ」
そう言ってクリスがポーチから取り出したのは、柄に水晶の飾り玉が付いた片手剣だった。
それを腰に佩く。
「両手剣じゃないのか」
「ツヴァイハンダーの方も宝箱で手に入れて、たまたま水棲生物特効が付いてたから使っていたんだ」
……つまり、あれだけ完璧に使いこなしておきながら、両手剣は得意武器ではなかったということか。
では片手剣だとどうなるのだろう。
「一応、オートクレールには清浄属性が付いている。アンデッド全般にダメージを与えられるから、君の足手まといにはならないと思うよ」
「……だろうな」
どんな戦法を取るのか。
ちょっと彼に戦わせてみたいが、さすがに今回はやめておこう。それよりさくっと討伐を終わらせて、さっさとユウトのところに帰りたいレオだ。
2人はそんな話をしながら、敵の気配を辿って坑道の分岐を進んでいった。




