兄、魔封鍵を開ける
「おはよう。紹介した宿はどうだった?」
朝、港に着くと、すでに待っていたクリスが笑顔で訊ねてきた。
「おはようございます、クリスさん! すっごい良いお宿でした! ご飯も美味しかったし、お風呂最高です」
「アンアン!」
「そう、良かった。おすすめした甲斐があったよ」
何とも和やかな光景だ。その背景には、半分解体されたナマズが転がっているが。
「レオくんもおはよう。今日は早朝からナマズ解体のお手伝いをしていたんだけどね、胃の中から面白いものが見付かったんだ」
「面白いもの?」
「魔封鍵だよ。魔物やその住処、異界に繋がる扉なんかを封じた鍵だね。本来は施術者が持っているものなのだけど、二度と開ける気がない場合は海なんかに捨てられることがある」
クリスが取り出したのは、カンテラのような入れ物の中に、魔法の玉と術式の帯が回っているアイテムだった。
まだ稼働中の鍵だ。……これは、もしかして。
「……沖にある社を封印している鍵か?」
「かもしれないよね。マナや獲物の少ないこの海を通りかかったナマズが、漏れ出た魔力に惹かれて海に沈んでいた鍵を食べた可能性はあるよ。まだ胃に残っていたってことは、食べたばかりだろうし」
「鍵は食うし精霊も食うし、雑食にもほどがあるな……。だが、もしそうなら社の前で悩む必要がなくなるのはありがたい」
出来すぎた話のような気はするが、幸運を封じた祠ならではのラッキーな偶然かもしれない。
……いや待て、幸運自体はまだ封じられているのだから、今その恩恵に与れるだろうか? 逆に現時点が不運だと考えれば、これは精霊の祠とは別の、封印を解いてはいけない何かの可能性もある。
「……これって、封印を解くまで何の鍵か分からんのか?」
「私たちではほぼ分からないね」
「だいぶリスキーだな……」
「私がひとりで行って開けてみてもいいけど」
不運の申し子みたいな男が、気軽な様子でリスク上等の恐ろしいことを言う。
「駄目ですよ、クリスさんひとりに危ないことをさせられません! とりあえず、みんなで行ってみましょう」
「……そうだな、鍵の必要な社じゃないかもしれんし」
ユウトの提案に頷く。クリスをひとりで行かせるよりはずっとマシだ。
彼の不運はやはり、自分から貧乏くじを引きに行くところと、このリスク上等の度胸にも要因があるのだろう。
「だったら、さっそく行くかい? 漁師さんがもう船は用意してくれているよ」
「ああ、では行こう」
クリスに連れられて、レオたちは小さな漁船に乗せてもらった。
まあ、大した距離ではない。10分ほどで社の建つ岩に辿り着く。
船から岩に乗り移って、ようやく目の前の建物を確認した。
間違いない、精霊の祠だ。
「クリスさん、帰りはどうするね? 何時間かしたら迎えに来るかい?」
「そうだなあ。みんな、帰りはどうする?」
漁師の言葉を受けて、クリスがこちらに意見を求める。
ありがたい話だが、正確に何時間後に迎えが欲しいと答えられるわけもなく、レオは首を振った。
「帰りは自力でどうにかする」
レオたちは沈下無効の靴の中敷きがあるから水面を歩いて帰れるし、クリスは水中を歩いて帰ることができる。ひとりが戻って船を呼んでくることも出来るし、どうにかなるだろう。
「帰りは大丈夫みたいです。ここまで送って頂いてありがとうございます」
「クリスさんにはいつも世話になってるんだ、このくらい朝飯前だよ。じゃあ、俺は戻るな」
「漁師さん、ありがとうございました」
ユウトもお礼を言うと、漁師はそれに手を振って戻っていった。
「さてと、とりあえず祠を調べるか。ユウト、危ないから不用意に手を出すなよ。何かあったら俺に言え」
「うん」
以前のように、ユウトだけ異世界に飛ばされたら大変だ。レオが忠告すると、弟も分かっているのだろう、エルドワを抱いたまま素直に頷いた。
しかし、調べると言っても祠以外に何もない岩の上だ。外周をぐるりと見て回るのはあっという間だった。
「周囲には特にギミックのようなものは見当たらないねえ。やっぱり扉かな。南京錠や閂が掛かってるわけじゃないから、術式による封印なのは間違いなさそうだ」
「ユウト、何か気付いたことはあるか? この間の悪魔水晶みたいなものとか」
「ううん。扉に魔力を感じるだけ。……あ、でも待って、精霊さんがさっきの魔封鍵を出せって言ってる」
「これだね」
クリスがポーチから魔封鍵を出した。
よく見たら彼も大容量ポーチを持っている。まあ、これだけの実力者だ。素材なんか自分で手に入るだろうし、当然か。
「やはり、この魔封鍵はこの扉を封じているものなのか?」
「そうみたい。精霊さんが、同じ術式の波長だって言ってる。……ただ、これで解除した扉が祠の中に繋がってるわけじゃないって」
「……ただ扉が開いて終わり、なんて簡単には行かないってことか」
「魔封鍵は魔属性のものを封じるものだからね。精霊やマナの力を封じ込めるのには普通使わないんだよ。おそらく、ここに異空間を繋げていて、解除するとそこに飛ばされるんだと思う。その先に敵が待ち受けているんじゃないかな」
クリスが自身の推論を開陳する。
……この男、最初からそう推理していたから、ひとりでここに来て鍵を開けてもいいと言ったのだ。封じられている魔のものが何であっても、自身が倒せばいいと考えていたのだろう。
何とも献身的なことだ。わざわざ自分からひとりで危地に飛び込まなくても良かろうに。
「私が鍵の解除をするから、君たちは下がっていて。おそらくこの先にいる魔のものを倒せば、社が解放されると思うよ」
「……待て。その先にいる敵は、おそらく吸血鬼だ。水棲魔物特化装備のあんたでは、少し分が悪い。俺がやる」
ひとりで封印解除の任を担う気満々のクリスに、レオは待ったを掛けた。
一応レオはエナジードレイン無効の装備だし、武器にアンデッド系への特効も付けてある。クリスよりもずっと適任だ。
「じゃあ僕も……」
「ユウトは危ないからエルドワとここで待っていろ」
「ええー。僕だってエナジードレイン効かないし、戦えるのに……」
不満げにぷくっと頬を膨らました弟はただただ可愛いが、連れて行くわけにはいかない。飛んだ先が異世界であった場合、エルダールに再び魔尖塔が出来る恐れがある。
レオは丸く膨れたユウトの頬っぺたを手で挟んで潰して、クリスを見た。
「クリス、あんたもここに残ってユウトを護っていてくれ」
「私も? ……自分が安全な場所にいるのに仲間を危険に晒すなんて、何だか落ち着かないなあ……」
あまり乗り気ではないようだが、客観的な判断が出来る大人な彼は特に反論するでもなく要請を受け入れる。そしてレオに魔封鍵を差し出した。
「じゃあ、レオくんに魔封鍵を渡すね」
「ああ。……ところで、この鍵はどうやって解除するんだ?」
たった今、ひとりで行くときっぱり宣言したものの、考えてみたらやり方が分からない。
訊ねたレオに、クリスは苦笑を浮かべながら説明をしてくれた。
「ええとね、この状態だと鍵は部品同士が魔法で固定化されていて動かないから、まずは魔法解除で固定化を解いて蓋を外す」
クリスはポーチから魔法解除の魔法が込められた上位魔石を取り出し、鍵の外側に掛かっている固定化の魔法を解いた。
すると、魔封鍵の上蓋が開く。この鍵はどうせ海に捨てるつもりだったからか、思いの外簡単だ。
中には魔法の玉と術式の帯が回っていた。
「これをどうするんだ?」
「扉の近くに持っていくと、手元の魔法の玉が鍵の形に変化する。扉の方にも鍵穴が出来るから、それを差し込んで開ければいいよ」
「なるほど。扉に近付く……」
言われた通り扉に近付くと、光の玉だった魔封鍵が普通の鍵の形に変化する。レオはそれを入れ物の外に摘まみ出した。
「これを、鍵穴に、か……」
途端に、扉のところに鍵穴が現れる。
ここに鍵を突っ込んだら、おそらく問答無用で敵のところへ飛ばされるのだろう。レオは一旦気を引き締めた。
「では行ってくる。できるだけ早めに帰ってくるつもりだが」
「うん。気を付けてね、レオ兄さん。何かあったら通信機で連絡ちょうだい」
「ああ」
それだけ言って、鍵穴に鍵を差し込む。
さあ行くか。
そう気合いを入れて鍵を捻った時。
「わあ!?」
「なっ!? ちょ、おい!」
突然クリスの後ろで大波が打ち付け、勢いで大きくよろけた彼が、たった今開いた異空間への扉にレオもろとも突っ込んだ。
異空間の扉が開いた途端にとか、どういうタイミングだよ。
この男、不運っぷりが神懸かってる。




