兄弟、スピリット・イーターを倒す
伝説の釣り竿は不思議な手応えのするものだった。
竿の先には鮎に似たルアーが付いていて、針らしきものはない。
海中にそれを垂らすと、鮎は勝手に獲物目掛けて泳ぎ始めたようだった。リールも付いておらず、どうやら釣り糸が自在に伸び縮みするようになっている。
しゃくりも勝手にされるようで、釣りテクなんてまるで必要ない。
こういう時はありがたいが、釣り好きにとっては面白みのない、かなり邪道なアイテムではなかろうか。
「レオくん、絶対バラさない竿なら、食い付いた瞬間に釣り上げて。おそらく泳がせてたら海中から精霊の魔法攻撃が来る。その攻撃が漁船とかに当たって損壊すると、村の死活問題だからね」
「分かった」
レオの後ろでツヴァイハンダーを構えたクリスは、気負いのない様子で指示を出した。彼がそんな調子だからか、ユウトも、そして周囲で遠巻きに見守る漁師や買い物客たちも、この魔物がどれだけヤバいヤツか分からずにいる。
本来スピリット・イーターと言えば『高ランク魔物×上位精霊』という、単体でも多大な力を持つもの同士が合わさった、国難災害級の魔物だ。
まともにその攻撃を食らえば、村は一瞬で壊滅状態になる。
おそらくここでそれが分かっているのは、レオとクリスとエルドワだけ。クリスはその危険を周りに知らせる気はないのだろう。
きっと彼は今までもこうして、自身の命を削るような相手でも、周囲に不安を抱かせぬようひとりで倒してきたのに違いない。もちろん、それは自分で倒せる確信があるからだ。
柔和に見えて、だいぶ剛の者。
そのお手並み拝見と行こう。
レオが竿の手応えに集中していると、やがて糸が重い物を引っかけたようにピンと張り詰めて、あたりを知らせる竿先がぐっと大きく曲がった。スピリット・イーターが掛かったのだ。
「……来た! 上げるぞ!」
「任せて!」
ユウトが呼応して、左手を翳した。ブレスレットにすでに睡眠魔法を込めてあるのだろう、狙いを定める。
レオが勢いよく竿を引くと、海面が大きく持ち上がり、岸壁を越えた波が足下を濡らした。揺れた漁船が桟橋に擦れたが、それくらいは我慢してもらおう。
水圧のせいでだいぶ重く感じる獲物を、レオは鰹の一本釣りよろしく海上に引きずり出す。姿を現したナマズは、海坊主よりずっと大きい。
「でけえし重えな、クソ!」
引き上げる勢いに任せて若干自棄気味にその巨体を中空に放り投げると、それは放物線を描いて港の広く空けられたスペースに落ちた。
「睡眠魔法!」
ナマズが地面に落ちるまでの間に、ユウトの放った睡眠魔法が2発、微妙にタイミングをずらして直撃する。
魔法によって動きを止めた僅かの時間を逃さず、クリスとエルドワも動いた。
「ごめんね、ちょっとナマズの粘液飛ぶかも」
一言周囲の漁師たちに断って、大上段に構えた剣を振り下ろす。
その柔らかな物言いからの、クリスの一閃。
一瞬だけ大きく膨れあがった殺気が、ぬめった表皮を裂き、硬質な石のような太い骨を断ち切る。勢いよく振り下ろされた剣の圧力で衝撃波が起き、途端に彼を中心に大風が渦巻いた。
さすがだ。鱗がなくぬめりを纏ったナマズは、とても刃が入りづらい。大振りになりがちな重たい両手剣なら尚更だ。それを正確に切り込み、さらに角度によっては断ち切るのが難しい硬い骨を、一息で両断した。自分の身体と武器を完璧にコントロールできている証だ。これぞ一流。
やはり風圧で近くにいた漁師たちにぬめりを飛ばしてしまったことを謝る男からは、そんな仕事をしたようなそぶりは一切感じないけれど。
そしてこちらも。
エルドワはみんながクリスに目を向けている間に、その腹の下あたりに噛み付いて、いつの間にか魔石をゲットしていた。
おかげでナマズは暴れる間もなく沈黙する。
再度言うが、これが国難災害級の魔物だなんて、レオたち以外誰も気付いていないだろう。
「すごい! あっという間だね! エルドワ、ご苦労様」
「アン」
エルドワから魔石を受け取ったユウトは、その姿を見て苦笑した。
「ナマズのぬるぬるが付いちゃったね。せっかくのもふもふな毛並みが、ぺたーってなっちゃってる。まるで別のワンちゃんみたい」
「アン……」
粘性があるせいで、ブルブルしても上手く取れないようだ。
テンションの下がった様子の子犬を、ユウトがタオルでせっせと拭いてあげている。
しかし、あれをちゃんと落とすには風呂に入るのが一番だろう。
レオは釣り竿をしまうと、漁師たちにナマズの分配の話をしているクリスの元に向かった。
「おい」
「ああ、レオくん。とりあえずナマズは一旦漁師さんたちに預けて、ぬめりを処理して解体してもらうね。私たちは切り分けたものを明日少しだけもらうことにしたよ」
「そっちはそれで構わん。……ところで、今日のところはもう日暮れも近いし、宿を取って休もうと思っている。飯が美味くて風呂が広いおすすめの宿を紹介してくれ」
良い宿は地元民に聞くのが一番だ。
レオが訊ねると、クリスは身体ごとこちらを振り向いて、軽く首を傾げた。
「宿か。お刺身・丼系とまるごと網焼き系と創作海鮮料理系、どれがいい? お風呂は部屋風呂と大浴場、どっち? 部屋やサービスはアイクさんの指導のおかげでどこもちゃんとしてるから、差別化するならそのくらいなんだけど」
「漁場が痩せてるうちは創作海鮮料理だな。魚に脂が乗り始めて、マグロやサザエも獲れるようになったらまた別だが。風呂は部屋風呂がいい。エルドワも入れたいからな」
「だったら港に来るまでの通りにあった、青い外壁の宿がいいよ。少し料金は高いけど、部屋風呂が広めの露天なんだ。海側に面していて景色も良いし、料理も凝っていて美味しいよ」
「そうか」
海を臨める露天風呂か。たまにはリゾート仕様の宿も良い。
レオはそのおすすめに決めて、踵を返してユウトのところに告げに行った。
「ユウト、今日はこの後もう宿に行く。部屋に露天風呂が付いてるところらしいから、着いたらエルドワと先に風呂に入れ」
「え、露天風呂!? わあ、それは楽しみ! エルドワ、お風呂できれいにしてあげるから、今はちょっと我慢してね」
「アン!」
露天風呂に子犬もいくらかテンションを上げたようだ。
大浴場だと犬が入るのは難しいが、部屋風呂なら気兼ねなく入れるし、人化したって問題ないからだろう。
たまにはそうして羽を伸ばすのもいい。
未だにナマズの周りには人だかりが出来ているものの、もうこの場に留まる必要のないレオたちは、そこから離脱することにした。
「クリスさん、僕たちもう宿に行きますね。今日はありがとうございました」
ユウトがクリスに挨拶に行く。
彼はもう少しここで漁師たちに付き合うつもりらしく、ユウトに挨拶を返すようにその場で軽く手を振った。
「うん、こちらこそ。じゃあまた明日ね」
「……明日、沖合の社の開放には朝9時頃向かうつもりだ。あんたも同行できるか? その時間に港で落ち合おう」
「あ、アイクさんからあそこに行く許可もらったんだ? 了解。私もついていくよ。今のうちに、漁師さんに社まで船を出してもらえるように手配しておくね」
「頼む」
地元民がいると融通が利くからありがたい。
後のことはクリスに任せて、レオたちはその場を後にした。




