兄、取引を持ちかける
その日の夜。
村に招かれた二人は、そのまま若旦那の家に泊めてもらうことになった。
彼の家はこのテムの村の物流を担う商家で、やはり父親は商いと村長を兼任しているらしい。小さな村だが道や水路も整備され、広場には花壇もあった。健全な運営がされている村だと分かる。
そんな穏やかそうな村の次代を担う若旦那が死ななくて良かった。
心の底からそう思いつつ、しかしそれは置いておいて。
今のユウトは目の前の兄に困惑していた。
「……レオ兄さん、どうやって僕を探しに来たの」
「GPSの見守り機能からお前の位置情報が突然消えたからな。そこからはまあ、根性だ」
「いつの間に僕に見守り機能を……。ていうか、異世界って根性で来れるもの……?」
ユウトの兄レオは、普段はどこだかの小さな会社で働いている、サラリーマンだ。
ひどく無愛想だが仕事は早く確実。有無を言わせぬ威圧感があるので、強面の取引先相手によく営業にかり出されているらしい。
尚且つ、立ち居振る舞いの所作が美しく、高身長で見目も優れていたため、営業先の女性受けもすこぶる良いという男。
ユウトが聞いた話だと、女性上司に命じられて着けている伊達眼鏡は、眼鏡男子属性を付けて営業に生かすためのものだそうだ(レオは嫌がったが、上司が頑として譲らなかったらしい)。
仕事のできる高スペックのクール眼鏡。
周囲はそうレオを評する。
しかし彼は弟のことになると、時に驚くほど過保護で常軌を逸した行動を取った。
今がまさにそうだ。
「探しに来てくれたのは嬉しいけどさ、ここから日本への帰り方知ってるの?」
「大丈夫、俺の帰る場所はユウトがいるところだ」
「……かっこいいっぽいこと言ってるけど、それって」
「今後日本に行けるかどうかなんて分からん」
「だよね~……どうしよう」
兄が現れたことでユウトはだいぶ精神的に楽になったが、問題は解決していない。それに頭を抱えた弟の向かいで、レオは大きな荷物を取り出した。
「安心しろ、あまり不便のないように、お前のために色々持ってきてやった。これが歯ブラシとパジャマだ。替えの下着も持ってきてある。あと正○丸や虫刺されの薬と……」
「何でそんなに用意周到なの!? お泊まり感覚!?」
「数日の野宿を覚悟して寝袋なんかも持ってきたんだが、村に入れてもらえたのは僥倖だったな。日本円は役に立たないから、明日から金と食料の調達を考えなくては。ユウトにひもじい思いはさせられないからな」
帰る方法など分からないと割り切っている兄は、すでにここでの生活を考えているようだ。確かに現時点でどうにもならないことで頭を悩ますよりは余程前向きで建設的。
ユウトも一旦考えることを止めた。
「そういえば、レオ兄さんの異世界転移で得たチート能力って、さっきの剣技?」
「……チート? ずるいことなんてしていないが」
「本来の意味じゃなくてさ。ゲームとか物語で使う、まあある意味ずるいくらい強い力ってこと。僕は魔法みたいなんだけど、一回大きいの出したら、もう出せなくなっちゃったんだ」
「魔法を出した?」
弟の言葉に、いつも冷静な兄が珍しく目を瞠る。それからすぐに何かを考え込んで眉を顰めたレオに、ユウトは首を傾げた。
「レオ兄さん?」
「……ユウト、その魔法は誰かに見られたか?」
「ううん、ひとりで三ツ目の熊もどきを倒した時にしか出せなかったから。魔法でできたクレーターは残ってるけど」
「そうか、発動の瞬間を見られてなかったならいい」
兄に、僅かな安堵が見える。
何だろう。ユウトはレオの反応に違和感を覚えた。まるで弟の魔法がどういうものなのか知っているような。
「兄さん、僕の魔法のこと何か知って……」
「気を付けろ。ユウトは可愛いから、魔法少女と間違われて妙なファンが付いたら困る」
……真顔で言われても。本気なのか、ユウトの質問をはぐらかしたのか、そこからは判断できない。
「まあ魔物のいる世界だ。魔法が使えるようになったのはいいが、だからと言って安易にぶっ放すものでもない。火力が強いならなおさらだ」
「うん。僕もコントロールできない力が怖くて。それ以降に発動できなくなったのも、もしかすると精神的なものかなと思う」
「かもしれないな。だがその自制心は必要だ。力に酔ってしまう者よりずっと健全で好ましい」
レオは僅かに目元を緩め、ユウトの頭を撫でた。
「でもしばらくこの世界で生活することになるなら、僕もちゃんと魔法が使えるようになりたい。さっきみたいな状況で、何も出来ないのは嫌だよ」
「……それはまた、明日以降に考えろ。今日はもう疲れただろう。パジャマに着替えて休め」
「うん……、そうだね、そうする」
昔からの刷り込みか、こうして兄に頭を撫でられていると安心して眠くなる。
まあ、確かに今日は色々ありすぎた。考えるのは明日でいいだろう。
ユウトはレオに促されるままに寝支度をすると、ベッドに入りすぐに夢も見ないような深い眠りに落ちていった。
翌朝、若旦那の家でそのまま朝食を頂いた二人は、村長である彼の父を含めた4人でテーブルに向き合っていた。
明るい光の下で見る若旦那はレオより少し上くらいの年齢に見える。身体に厚みがある分、彼の方が少したくましいイメージだ。
その父もガタイが良く、村長という肩書きのわりにだいぶ若く感じる。
「昨日はわしのせがれたちを助けて頂いて助かった。ありがとうよ」
最初に口を開いたのは村長で、それに対してユウトは慌てて首を振った。
「助けてもらったのは僕の方です。皆さんがいなかったら、生きていられませんでした」
「しかし、五ツ目が出た時点でもう俺たちに勝機はなかった。それを倒してくれた上に素材やドロップ品までこっちで取らせてもらって、俺たちとしてはもう感謝しかねえよ。お前の兄ちゃんすげえな」
少し昂揚した様子でこちらを見る若旦那の視線の先で、レオは黙ってお茶をすすっている。殺戮熊の素材の権利を譲ったことで、弟を守ってもらっていた礼は済んだと思っているのだろう。特に反応を返す気はないようだ。
基本的に無愛想な兄は、ユウト以外の人間とは必要以上の会話をしない。よってこういう時、面だって他人とコミュニケーションを取るのはもっぱら弟の役目だった。
「あの森にはあんな手強い魔物がいっぱいいるんですか?」
「本来はランクC、D程度の魔物しかおらんのだがな。しかし、しばらく前に森の中にゲートができてしまってのう。一応隣街の冒険者ギルドに攻略討伐依頼を出しておるんだが、ここまで移動距離がある上にそれほど報酬も高くないから、未だに受け手が現れん」
「親父、その依頼も変更してこないとなんねえぞ。冒険者ギルドはあのゲートをランクBに設定してたけど、五ツ目が現れるならランクAは必要だ」
「……冒険者ギルド」
ゲームなどで聞いたことがある名称だ。
その内容からして、ランクというのは攻略難易度なのだろう。
しかしゲートというのはよく分からない。あの熊もどきの魔物はそこから出てくるのだろうか。
「あの、僕たち遠くからここに着いたばかりでよく分からないんですけど、ゲートって何ですか?」
「ん? ……この世界でゲートのないところなんてあるのかのう? まあいいか。お前さんたちは明らかに異国の人っぽいしの。ゲートとは空間のゆがみの入り口だよ。入るとだいたいモンスターの住む迷宮になっておる。時折、違うものもあるらしいが」
村長が視線を向けると、若旦那が説明を引き継いだ。おそらくこの件に関しては彼の方が詳しいのだろう。
「一般的なモンスターゲートは、不定期だが魔物を排出する。だから村の安全のために一刻も早く冒険者に迷宮を攻略してもらい、ゲートを消してもらわねえと死活問題なんだ。……ただ迷宮にいる魔物によってゲートの攻略難易度が違ってな」
「その難易度が、このテムの村の近くのゲートはランクBってことなんですね」
「……今度はランクAになっちまうけどな」
若旦那がため息を吐き、難しい顔をする。
「ランクAってそんなに難しいんです?」
「当然。おかげで依頼料と報酬が跳ね上がんだよ。正直ウチみてえな小せえ村だとかなりキツい。ランクAの依頼を受けられる冒険者も数が少ねえし。ゲートがなくなるまでは出てきた魔物相手に罠や矢を消耗して戦うから、余計に余裕がねえな。……あ、でも倒してもらった五ツ目の素材を今日隣街に売りに行くから、だいぶマシか。あの毛皮、めっちゃ高く売れるんだよ」
「今日、これから?」
「ああ。薬品や罠のストックもなくなったし、矢も補充しないとこれから戦えねえ。店に並べる日用品も仕入れてこないと村の物流も回らないしな。テムの商店はウチだけだから、住民の頼まれものなんかも一緒に買ってきてやるんだ」
「忙しいんですね」
魔物退治に輸送に店に、若旦那はずいぶん多忙なようだ。
「若旦那さんが街を離れている間は、モンスターは退治しなくて大丈夫なんですか?」
「……それなんだが。実はお前らに相談があってな。俺が戻るまで四日は掛かる。その間、もし他に行く予定がないなら村の警備に力を貸してくれねえか? もちろん、宿と食事は付ける」
「村の警備」
その相談は、ユウトではなくレオに向けられたものだろう。弟はちらりと兄を見る。
……あ、駄目だ視線も合わせない。どうやら、これにも反応をする気はなさそうだ。
でも、ユウト個人としてはできることなら手伝ってあげたいのだけれど。
弟は軽く兄の上衣の裾を引っ張った。
「……レオ兄さん」
「俺は今日からこの国にユウトと暮らす家を買い、お前に何不自由ない生活をさせるために馬車馬のように働く予定になっている」
「そこまでしなくていいよ、これからは僕も働くし。それより、村の警備を……」
「俺が手を貸さないことで潰される村なら、今回手伝ったところで無意味だ」
まあ、そうなんだけど。
しかし今回は矢もだいぶ減らし、罠も使い切ってしまったと言っていた。それを補充するまでの間くらい、手伝ってもいいと思う。
「……魔法がちゃんと使えたら、僕が力になるんだけどなあ」
あのチート能力さえコントロールができたなら。無力な自分が恨めしい。
ぼそりと呟くと、レオが眉を顰めた。
「魔法なんか使えなくても生活するのには支障ないぞ」
「でも、力があるのは確かなんだし、手伝えるかもしれないなら使いたい。いいよもう、僕は僕で練習してみるから」
「くっ……お前はふくれっ面も可愛いな。だがやめておけ、魔法なんて独学で覚えようとしても碌なことは……」
兄が文句を言いかけて、しかしはたと言葉を止め、何かを考えるように視線を伏せた。
僅かな逡巡。ユウトはそれに首を傾げる。
「レオ兄さん?」
「……そうか。そうだな」
不意に、何を思い立ったのかレオはまるで仕事モードに入ったように姿勢を正し、おもむろにテーブルの上で両手を組んだ。
そしてようやく向かいの二人に眼鏡の奥から鋭い視線を合わせる。
「俺から提案があります。もっと互いに利益の出る、実のある取引をしませんか」
「……は、実のある取引?」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げた兄は、完全にやり手の営業マンと化した。その唐突の変貌に村長たちが困惑している。
しかしレオは気にせず胸ポケットから手帳とペンを取り出し、白紙のページをテーブルの上に広げた。
「今、冒険者ギルドに出しているゲート攻略依頼の報酬は?」
「ランクBのか? 金貨五枚だ」
「その依頼をキャンセルしてきて下さい。その金で街で買ってきて欲しいものがあります。……商家の息子なら、計算と読み書きはできますよね?」
「あ、ああ」
「結構」
手帳に金貨五枚と書き、その下に買う物の内訳を書いていく。
「何だ、買ってくるのってお前らの装備一式と武器、アイテムか。……ん? リトルスティック・ベーシック? こんなの何に使うんだ?」
「それが一番の目的ですから忘れずに。……さて、金貨五枚で買えるのはこの程度でしょう」
レオはメモした手帳を破いて若旦那に差し出した。……何で兄はこの世界の商品の相場を知ってるふうなのだろう? 鎧とか武器とか、買ったことなんてあるまいに。
「ギルドの依頼をキャンセルしてその金で買い物を……ってことは、お前らにこれを貸し付けることで、後でランクA相当の利子を付けて金を返してくれるって話か?」
「いえ、報酬を先払いしてもらうだけです。あなたが戻ってくるまでにゲート潰しておきますので。そっちはランクBの依頼額でゲートをなくせるし、俺たちは移動の手間も元手もなく装備が手に入る。WinWinの取引でしょう」
「「「はあ!?」」」
レオの言葉に、三人が同時に驚愕の声を上げた。
どうなっているか見たこともないゲートの中に突入して、潰してくると言っている。何言ってんの、この人。
ユウトだけでなく、向かいの二人も同意見のようだ。
「俺たちだって入ったことない迷宮だぞ!? あんた冒険者じゃないだろ!? 罠だってあるし、死ぬぞ!」
「ひとりでゲート攻略に向かう人間なんぞ、聞いたことがないわい! 日数も掛かるし、地上で戦うのとは全然勝手が違うというのに!」
「ご心配なく。俺はここに可愛い弟をひとり残して死ぬほど、無責任な男ではないので。……もっとも、俺の取引の申し出を却下して、ランクA冒険者を待つというならそれでも結構ですが」
レオに選択権を与えられた二人はぐっと押し黙る。
申し出はありがたい、でも危険すぎるというのが内心だろう。
村長たちはしばらく逡巡していたが、最後にはユウトを見て、視線で『お前はいいのか?』と語りかけてきた。
そりゃあ、もちろん心配だけど。
「……レオ兄さん、絶対勝って帰ってこれるの?」
「任せろ、俺は勝てない商談はしない主義だ」
「商談関係ないけど……まあ、兄さんが大丈夫って言うなら、信じる」
「い、いいのか……」
ユウトが請け合うと、向かいの二人は困惑しつつも受け入れた。
当然ユウトだって不安がないわけじゃない。でも兄が大丈夫だと言えば絶対大丈夫だし、今までもどんな時もそうだった。弟には、兄への揺るがない信頼があるのだ。
兄はできないことをできると言うような適当な男ではない。
「では決まりですね。……武器は借りたいので、夜までにできるだけ質の良い剣を二本と採取用ナイフを用意しておいて下さい」
「それはいいが、え、何で夜……? 魔物が強くなるぞ?」
「夜の方が良い素材が取れますし、宝箱のアイテムも良い物が出やすくなるので」
こともなげに言い放つレオに、村長と若旦那はもはや閉口するしかなかった。