兄、ネイを殴りたい
「こんにちは、レオさん、ユウトくん、エルドワ。ようやく会えた」
レオたちが馬車を取りに行くために城門に向かうと、検問所のところで狐目の男が寄ってきた。ネイだ。
「ネイさん! こんにちは、何かお久しぶりですね」
「ほんとだよ。ユウトくんたちと離れるつもりなかったのに、陛下に報告に行ったらそのままジラック調査を申しつけられちゃって、それから何日も拘束されて……。あの人、絶対俺がレオさんのものだって忘れてるよね」
「俺は貴様など保有したつもりはない。そのまま兄貴の駒になっとけ」
「あー、このつれない態度、久しぶりでゾクゾクするわ~」
「ただの変態じゃねえか」
「アン」
「エルドワまで同意しなくても良いんじゃない?」
相変わらず何を言われても軽く受けていなす、めげない男だ。
レオはそんなネイを放って、ユウトと共に検問所で一時外出の手続きをした。その後ろからもちろん狐もついてくる。
「陛下から特殊な馬車を手に入れたって聞きましたけど」
「あ、ネイさん、ライネル兄様に会ってきたんですか」
「そ。つか、ユウトくんたちが来てるって陛下に教えられたから会いに来たんだけどね。これからその馬車のとこに行くなら、内緒の報告をするのにちょうど良いな。王都内で軽々しく出来る話でもないからねえ」
さらりと言ったがこの男、何か重要な報告を抱えているようだ。
それを感じて眉を顰めたレオの隣で、ユウトは別のことに気を取られた。
「一緒に馬車まで行くなら、ついでにアシュレイと対面もできますね」
「ああ、馬車を引く馬の半魔?」
「そうです。ちょっと木訥ですけど、素直でいい獣人なんですよ」
「みたいだね。陛下が気に入ってたし、ユウトくんが言うなら間違いないよね」
レオと違って言葉に滲む不穏な空気を読まず、ただ他意もなくニコニコするユウトに、ネイも素直に微笑み返した。
この男の周りは精鋭で固められ、常にそれぞれが周囲の機微に目を配っている。だから、たまにこうして何の気配も読まないふわふわとしたユウトの雰囲気に触れると、ついつい緊張が解けて和むのだろう。
「……その後、リーデンとは?」
「会ってません。領主に黙ってイムカ殿のところに通っているのに罪悪感があるのか、ほぼ家から出てこないんですよ。その間に領主の方がヤバい感じになってるんですけど」
「……やはり建国祭に何か事を起こしそうか?」
「まあその辺は、ね」
ネイはレオの問いに、軽くはぐらかすように肩を竦めた。
おそらくユウトがいるから明言しない。そういう類いの話だということだ。
それを察すればレオも突っ込みはしない。
話がうやむやになって不思議そうにネイを見る弟の顎を指先で掬って、兄はやんわりと前を向かせた。
「ユウト、あのあたりに馬車があるはずだ。お前が行けばアシュレイはすぐに術式を解除するだろう。ちょっとエルドワと行って呼び掛けてこい」
「あ、うん。分かった。……けど、どこだか全然分かんない……」
「エルドワがいれば分かるだろう。こいつは匂いや気配の他に、魔力の流れが分かるからな。術式を使っているとそこにマナが流れ、吸収されていくはずなんだ」
「そうなんだ。エルドワ、分かる?」
「アン!」
「じゃあ、行こ」
何気に一番有能かもしれない子犬は、キリッとした顔で返事をすると、ユウトを先導して歩き出した。
それを見送るネイが、周囲を見回して首を傾げる。
「ここに馬車が隠れてるんですか? 全然分からんですが」
「パームとロジーの初代が共同で作った馬車だ。気配を完全に消し、周囲に同化して違和感すら抱かせない。魔物避けと消臭剤を併用すれば、おそらくエルドワのような能力が無いとそうそう発見できんだろうな」
「何ですかそれ。動くスパイ用秘密基地みたいな」
「おそらくお前らの偵察隊でも使える。さすがに移動中は消えることはできんが、それをアシュレイが引くなら細かい指示も可能だ。今からあいつとは仲良くしておけ。信頼する相手しか馬車に乗せない奴だからな」
「了解です」
レオたちが話している間に、エルドワが木々の密集した場所に行って立ち止まった。ユウトがそこに追いついて、きょろきょろしながら呼び掛ける。
「アシュレイ。アシュレイ、いる? 術式解いて」
「お帰り、ユウト。早かったな」
ユウトの声に反応して、すぐに術式が解かれた。そして、今まで木々があったところに、幌馬車と褐色の肌をした大男が現れる。
彼はユウトを認めると、嬉しそうに微笑んだ。
「うっわ、でか! あれがアシュレイっすか?」
「そうだ。獣化してもでかいぞ」
「……誰だ?」
後からレオとやって来たネイに、アシュレイは少し身構える。
するとユウトが、それを宥めるように腕をさすった。
「あの人が前に言ってたネイさん。メールボックス以外でライネル兄様の依頼を持ってくるのは多分ネイさんが一番多いから、仲良くしてね」
「この人間がそうか……」
「初めまして、アシュレイ。一応俺のこと聞いてんのね? 俺はネイ。レオさんの下僕で、ユウトくんの護衛で、不本意ながらライネル国王陛下の雇われ隠密。よろしくね」
いつもの人懐こい笑みで挨拶をするネイに、アシュレイは控えめに頷いた。
「……アシュレイだ。よろしく」
少し警戒しているように見えるのは、彼がネイの実力を正しく読み取ったからだろう。以前のように人間相手だからと慢心するようなことはない。
「そう警戒しないでよ。俺、結構面倒見が良いし、仲間には優しい男よ? 今後は接点も多くなるんだ、仲良くやろう」
「その自己弁護が腹黒で胡散臭い」
「何でレオさんが横からディスるんですか」
「アン! アンアンアン。アンアン、アン」
「……そうなのか?」
ユウトの足下から、エルドワもアシュレイに向かって何か情報を与えたようだ。アシュレイがちょっと引いた。
「ちょ、今エルドワが多分俺のことでアシュレイに何か言ったよね? 何言った?」
「エルドワが、『ネイはこうしてレオさんにディスられることを喜ぶ変態だ』と」
「あ、それほど間違ってなかった」
「認めんな、クソ狐」
「でも、ネイさんが優しいのは本当だよ」
不愉快も露わに舌打ちをするレオに苦笑しつつ、ユウトはすかさずフォローを入れる。
弟の言うことはあっさり聞くアシュレイは、素直に頷いた。
「大丈夫、変態とも仲良くする」
「言っとくけど、俺がドMなのはレオさんに対してだけだから」
「ならいい」
全然良くないのだが、ここでネイに一撃かましたりすると逆に喜ばれるので拳を握ってぐっと堪える。ああ、殴りつけて黙らせたい。
そんなレオに気が付いたユウトが兄の拳を抑えに来たから、とりあえず癒やしを求めてその身体を腕の中につかまえた。
「……ところで、みんながもうここに戻ってきたということは、工房で馬車を改造するのか?」
「改造はまだだが、工房で一度馬車を見たいというから王都に入る。……しかしその前に、荷台で少しネイの報告を聞くから待て」
「そうそう。今回の調査で色々分かったことがあるんですよ。レオさん、ユウトくん抱っこしたままでいいからとっとと荷台に行きましょ」
「では、また馬車の術式を発動するのか?」
「そうだな。そうすれば見張りもいらんし、音も漏れない。アシュレイ、発動頼む」
「分かった」
アシュレイに術式の展開を任せて、レオはユウトを抱えたまま荷台に上がった。その足下で、エルドワもぴょんと乗り上がる。
兄が荷台の奥に座って弟を隣に降ろすと、その膝の上にすかさず子犬が乗った。次いでレオたちの向かいにネイが座り、入ってすぐのところにアシュレイが座る。
ぐるりと見回したネイが、皆がその場に落ち着いたのを確認して、ポーチからメモの束らしきものを取り出した。
「さてと、まずはタイチ父とミワ母から仕入れたばかりの情報からお話ししますね」
「何だと? それは……」
あの2人が関わるとなると、いきなりジアレイスのことに言及する羽目になるのではないか。
言外にそう含めて言い淀む。
あの男の所業をあまりユウトの前で語られたくない。弟の記憶が何をフックにしてよみがえるか分からないからだ。それはネイも分かっているはずだが。
眉を顰めたレオに、しかしネイは軽く頷いて見せた。主人の懸念は了解しているということだろう。
彼はメモを数枚捲ると、目的の書き込みを見付けて抜き出し、それを見ながら話し出した。
「今から報告するのは、反国王派の活動のお話です」




