兄、ルーティンを変える
感謝大祭が近付くにつれ、ザインの街は人が増える。
その間、冒険者も増えるせいでギルドは大忙しだ。ランクの高い冒険者も入ってくるため、夜狩りをする人間も多くなった。
……少し、ルーティンを変えても良いかもしれない。
「え、しばらく昼間のクエストはお休み?」
「感謝大祭が終わるまでな」
レオがそう告げると、ユウトは不思議そうに首を傾げた。
「どうして? せっかく今は依頼が増えてるのに。この時期は報酬も良いってリサさんが言ってたよ?」
「この時期の冒険者ギルドは同じ理由で殺気立ってる。クエストの取り合いで喧嘩が絶えないんだ。そこまでして急いで依頼を受ける必要はないだろう」
「別に、余りものの依頼でもいいんだけど……」
「ほんの数日間の休暇だぞ。珍しい出店もたくさん出ているし、街で楽しんで来るといい」
「えー」
弟は最近、魔法の試行錯誤をするのが楽しくて仕方がないらしい。どれだけ低燃費で最大効果を生むか、その考察に余念がない。
もちろん彼は祭りも楽しみにしているけれど、それを回るのは1日くらいで十分と考えているようだった。
「レオ兄さんは?」
「俺はここで寝てる。……昼間は『犬』があちこちを走り回っているしな」
「犬……? っていうか、昼間寝てるってことは夜狩りは行くんだ。ずるい、僕だって行きたい」
「駄目だ。そんな装備で夜狩りについてくるなんて自殺行為だぞ」
「それ言ったら兄さんなんて毎日自殺未遂じゃん」
ぷくっと頬を膨らまして怒るユウトは怖さなど微塵もなく、ただ可愛い。
しかし、弟の機嫌を損ねるのは本望ではない兄は、その頭を撫でて僅かに逡巡した。
「……そうだな……夜狩りに行くより、クエストを休む間は魔法の知識を入れる勉強にあてたらどうだ」
「勉強?」
「過去に偉大な魔導師というのはたくさんいた。そういう人間の戦い方や魔力の使い方を知れば、応用力はぐんと上がるだろう」
「あ、それはちょっと面白そう。……でも、そういう本って古語で書かれてるよね? 僕、あれ読めないんだけど。どれ買って良いかも分かんないし」
「わざわざ本を買って読む必要はない。ミドルスティックを買った店があったろう。あそこの爺さんに話を聞きに行ってみるといい」
以前訪れた裏路地にある魔法道具の店。
あの店の老人は数多の魔導師を見て、その要望に答える魔道具を作ってきた人間だ。偏屈ではあるが、魔力の研鑽に熱心な者には助力を惜しまない。きっといいアドバイスが聞けるだろう。
これなら問題ないはずだと考えて告げる。が。
「ああ、あのすごいおじいさんのところ? えっと、確か、魔工爺様? とか言うんだっけ?」
しかし不意に、弟が何のてらいもなく教えた覚えもない老人の二つ名を口にしたことに驚いた。
「……お前、その呼び方、どこで聞いた」
「この間初ゲート依頼の時に会った、例のパーティ探してた人から。このミドルスティック見て、魔工爺様が作った杖でしょって」
「一目で当てたのか……」
あの店は10年ほど前に隠居した老人がひっそりと営んでいる魔法道具屋だ。
彼は元々王都の中心地で魔道具専門店を開いていたが、そこを後進に譲って、今はただの道楽としてザインで魔道具の製造販売をしている。
職人ギルドに登録はされているものの、ギルド側が勝手に店舗を客に紹介することはなく、登録店マップにも記載されていない。たまたま見かけた一見さんか、もしくはその素性を知る一部の人間しか訪れない店なのだ。
その二つ名を知る人間なら、もちろん後者。おまけに一目でその作成者を当てたとなると、かなり上流階級に通じている者だ。
魔工爺様の作った業物は、その辺の一般人が買える値段ではない。
「そいつ、どんな奴だった」
「え、ネイさん? ええとね、こう、狐目で、にこにこしてる人」
「ネイ……」
名前に聞き覚えはないが、ユウトが目尻に指を当ててつり上げるしぐさで、レオの脳裏にひとりだけ引っかかる男がいた。
いつも笑顔で一見人当たりが良さそうに見えるが、実は強かな男。その実力を、レオは知っている。
(……あの4人組は奴に目をつけられたか。……となると……)
やはりそろそろ、あの4人パーティは捨て時だ。
夜の検閲門は、いつもに比べでだいぶ人が多い。
旅の予定が遅れてたどり着いた商人もさることながら、夜狩りに行く冒険者も多いのだ。その上、何故だか王都の衛兵までいるものだから、混雑もする。どうやら冒険者の出入りをチェックしているらしい。
時計を見ると今は夜の8時。
レオは職人ギルドには行かず、真っ直ぐ冒険者ギルドに行ってランクDの依頼を受けてきた。15分もあれば終わるクエストだ。もちろんあのランクBパーティはついてきていない。
今日の目当てはその近くにあるランクAのゲート。
ゲートの攻略依頼はボスさえ倒さなければ中の魔物をいくら狩ろうが問題ないのだ。
それでも今までは素材の流通のためにあのパーティを隠れ蓑にしてきたが、この時期は同じ手法で素材を稼ぐ冒険者が多数出没する。多少の売買はそこに埋もれてしまうだろう。
「はい、次の冒険者……ランクDか。クエストによる外出、と。カードを翳して。……OK、確認した。行っていいぞ。次。……ランクBだな、そちらの衛兵にチェック受けて」
検閲門ではランクによってチェックが振り分けられていた。今まではこんなことはなかったのだが、感謝大祭前の厳重警戒か、それとも。一応疑われないようにクエストを受けて来ていて良かったかもしれない。
まあ何にせよ、ランクが低いと色々楽だ。冒険者ギルドでも同じようにランクB以上の夜狩りパーティはチェックを受けていたから、その恩恵はでかい。
あそこで足止めされていたら、またあのヘボ盗賊の視線に晒されるところだった。
レオはそんなことを考えながら森を進んでいくと、途中でランクDの依頼はさくっと終わらせて、ひとりで近くにあったランクAのゲートへ入った。
ここはミニドラゴン系のゲートだ。
防御も魔防も高い、装飾用の鱗や牙がたくさん取れる。
ミニと言っても小さくて可愛いドラゴンではなく、恐竜サイズが普通にいる。小山くらいの大きさがドラゴンの基準であるせいで、こんな表記になっているだけだ。
ランクAでは最強クラス。おかげで最近挑んだものはいないようだ、ありがたい。
ゲートは地上と違い、魔物を倒したり宝箱を取ったりしても一晩で再生成される。しかし一度入れ変わると、次に出現する魔物や宝箱の質が落ちる。
それがゲート本来の質に復活するには最低一週間。さらに1ヶ月以上リスポーンが行われないとボーナスが付く。
ちなみにこの期間が、0階に張っている特殊な蜘蛛の巣の数で分かることを、知っているものは案外少ない。
レオは蜘蛛の巣の数から、このゲートが一ヶ月以上誰も来ていないことを確認した。その分敵も強くなっているが問題ない。
(『もえす』で必要なドラゴン系の素材はここで全て揃うはずだ。上手くいけば、大祭前に素材集めは終わる)
感謝大祭期間中はあまり目立つ動きをしたくない。しかし、人の多いこの機会が素材集めに動きやすいのも確か。
(とりあえず素材さえ集めきってしまえば、あとは動く必要はない)
すでに昼は寝て過ごすとユウトには宣言している。
いささか強行軍ではあるが、これから数日は深夜すぎまで掛けて素材集めに奔走しよう。
「おお、兄じゃねえか。今日はずいぶん遅いな。ちょっと疲れた感じもなかなかいい男だぞ」
深夜の3時を過ぎた頃。
疲れて『もえす』に来たら、さらに疲れる相手が店頭にいた。この店、よくこんな危険物を店頭に出しておくな。
「……ドラゴン素材の納品に来た」
「お、いいねえ、輝く鱗に艶のある皮! これで兄の装備が一気に進むぜ」
「これから数日、このくらいの時間になるかもしれないんだが、ここは何時まで開いてるんだ?」
「作業してる時はのめり込んじゃってるからなあ、萌えにかまけてほぼ朝方までやってるよ。こんくらいの時間なら余裕」
それはありがたい。これなら昼間に改めて来る必要がない。
「納品ついでにひとつ頼みがあるんだが」
「おう、何だ? 途中までできてる装備を試着してみたい? 大歓迎だぞ、私が萌える」
「違う。実は素材をここ経由で職人ギルドのロバートに売って欲しいんだ。売り上げは二着目の作業代に回してくれ」
「職人ギルドに?」
ロバートの元には以前王宮から素材についての探りが入っている。一度は彼が突っぱねてくれたが、冒険者ギルドと同様、いや、それ以上にこの感謝大祭の期間は、出入りする人間がチェックされている可能性があった。こっそりと裏に回るなんてもってのほかだろう。
それなら、この『もえす』から余り素材として売ってもらう方が疑われづらいと考えたのだ。
しかしミワは頷かず、レオが出した素材を見ると腕を組んで逡巡した。
「……だったらウチで買い取ってもいいぞ」
「ここで?」
思わぬ提案に、驚くより先につい怪訝な顔をしてしまう。
『もえす』は基本、鉱石以外素材はストックしていない。作るものに合わせて本人から持ち込まれた素材か、職人ギルドから調達した素材を使っていたはずだ。
どういうつもりかと眉を顰めると、ミワは「今日のことだがな」と切り出した。
「昼間、王都の人間が来た。んで、上級素材の納品者がいたら教えて欲しいっていうんだよ」
「……ほう」
『犬』はこんなところまで来てるのか。よくあの店舗入り口から昼間に入ってきたものだ。
「それで、どうした?」
「私はあの王都の騎士のゴテゴテした金属鎧、嫌いなんだよな。身体のライン見えないじゃん? だから『脱げ。話はそれからだ』と言ったら『こんな破廉恥なところに来るわけがない! 失礼する!』って帰った」
「あー……」
……これは、ミワが応対してくれたから良かったのか?
とりあえず何も探らないまま帰ったらしい。
「正直、今時『破廉恥な』とか言う潔癖な男にちょっと萌えた」
「……それは良かった」
まあ、出会い頭にこのセクハラ発言を受けたらそうなるか。
「何にせよ、ウチは萌える客を権力に提供する気はないんだ。ただな、兄の持ち込む素材、他に比べて上等すぎんだよ。これをウチから職人ギルドに流して市場に出されたら、絶対ここもチェックされる。だったらそれよか、ウチで素材を止めちまった方がいいだろ」
確かに、ここで買い取ってもらえるならとても助かる。
しばらくロバートのところには行けないし、あの4人パーティももう利用できないのだ。素材が市場に出回ることなく金にできるのなら、その方がありがたい。
「だが、いいのか?」
「構わねえよ、どうせ使うし、場所は取るが職人ギルドから買うより安上がりだし。ただ、鑑定が付かねえ分少し買い取りが安くなるぜ。一応品質を見る目は持ってるつもりだが、専門じゃねえしな」
「多少安くなるのは気にしない。どうせ支払いの足しにするくらいのつもりだ」
ただの変態かと思っていたが、ちゃんと客のことを考えてくれているようだ。少し見直した。
とりあえずとざっくりドラゴン素材の買い取り額を出してくれたが、ロバートの査定よりは安いものの、経験不足の鑑定士よりもだいぶ真っ当な金額が付いていた。さすが、素材への目は利く。
「この売上金はそっくり二着目の作業代に回していいんだな」
「ああ、そうしてくれ」
「ところでさっそくの提案なんだが、このストックに回った素材で予定になかったオプション付け足してもいいか? 絶対似合うから!」
「……は?」
あれ、最近ここの弟の方と似たような展開があったような。
「大丈夫、作業代に上乗せはしない! ただ、このドラゴンの骨で、兄の黒縁眼鏡作らせてくれ! 素材見てたらビビビッて来ちゃってさあ! フレームを細くして、知的でスタイリッシュでセクスィーな感じに……おおお想像しただけで滾る!」
何か、天を仰いで打ち震えている。
……まさかと思うが、眼鏡作りたさに素材を買い取ったわけじゃないよな? さすがにそこまで酔狂ではあるまい……。
「ふふふ、上から下まで完璧に私好みに仕上げた背広姿が見れるのかと思うと今から萌ゆる……! この燃料があれば3日完徹くらい超余裕! 待っていろ兄、完成したら舐め回すように見てやるからな!」
何となくスーツが完成した日の自分の精神的苦痛を想像すると、憂鬱になるレオだった。




