兄、諭す
レオが威圧するような殺気を放つと、さすがにアシュレイもその実力を察して怯んだようだった。
しかし引く様子はなく、こちらに挑むような視線を向けたままおもむろに立ち上がる。
それを、レオは冷淡な目で見ていた。
この殺気を感じていながら、それでも向かってくるか。
度胸がある、と言えばそうなのだろう。だが、レオから見ればただの考え無し、無謀なだけだ。
アシュレイは自分の怪力と身体の大きさのアドバンテージを過信している。そして人間に対する侮りがある。
いくらレオが強くても、先に攻撃を当てれば勝てると短絡的に考えているのだ。
彼の向こう傷がそれを物語っているだろう。狙うは先制攻撃、少しくらいの傷を負うことは気にせず、一撃で決定的なダメージを与えて勝つ。
今までそれが成功していて、だからこそその力がアシュレイの成長を妨げている。そこで満足してしまっているからだ。
彼はレオとのこの手合いに勝てば、ユウトを護るに足る力を誇示出来ると考えているに違いない。しかし、見定めているのはその思慮深さと判断力、その一挙手一投足だ。
今のところ、この男は完全なる不合格。
「……俺の力を察しても、まだかかってくる気か? 先に言うが、お前は勝てない」
「やってみなくては分からないだろう!」
「やってみなくては分からない時点でお前は駄目だ。ユウトを護るに値しない。その一か八かの賭けは、ここで使うものじゃない」
「ど、どういう意味だ!?」
少し声を荒げるアシュレイに眉を顰め、レオはテントの方をちらと見る。
ユウトはレオの発する殺気に勘付くことはないが、さすがに大きな声や音がしたら目を覚ますだろう。テントの寝室に防音効果も付けているとはいえ、あまり音を立てたくない。
一応エルドワにユウトを任せてきたから、あのもふもふで耳でも塞いでくれているといいのだが。
「……まあいい。お前は少し力がありあまっていてうるさいし、一旦おとなしくさせてやる。人型のままでも馬に戻ってでも、やりやすい形体でかかってくるといい」
「このままでいく。……あんたを怪我させても知らないぞ」
「できるものならやってみろ」
レオの言葉に、アシュレイも殺気をみなぎらせた。
その闘争心の強さだけは悪くない。ただ、狙いが分かりやすすぎる。最初から右腕の筋肉に力が入り、その視線はまっすぐレオの顔。こちらから見たら、回避してくれと言っているようなものだ。
あれだけ最初の一撃のみに重点を置いていると、自ずと大振りになる。それでもぶれることなく当てる自信があるということは、大男でありながら敵の懐に入るスピード……つまり、脚力と瞬発力もあるということか。
リーチとパワーとスピードと、そして傷付くことを恐れない闘争心。確かにその辺の魔物では簡単にやられてしまうだろう。
もちろんレオは、その程度の攻撃に当たってやるつもりは毛頭ないが。
「行くぞ」
「来い」
レオは両手でなく片手で剣を構えた。
アシュレイには明日も馬車を引いてもらわなければいけない。あまり大きなダメージは与えられないのだ。
何より怪我をさせてアシュレイと戦ったことがバレたら、おそらくユウトにめちゃくちゃ怒られる。それは避けたい。
若干遠近感を狂わすアシュレイとの間合いを静かに観察していると、その右足がぐっと土を踏み込んだ。
次の瞬間、たったの1・2歩で距離が詰まり、右の拳が目の前に迫る。思ったより速い。なるほど、これが自慢の一撃。
しかし、レオはそれを寸前で避け、鞘に入ったままの剣でその腹に一発、攻撃を食らわせた。
インパクトの瞬間、剣を握った手に力を込める。
……割れた腹筋がクソ固いし、重い。
片手での手加減は要らなかったかもしれないと思いつつ、レオはその剣を振り抜いた。
「ぐあっ!」
拳を空振ったアシュレイが、後ろへ吹っ飛ぶ。
すごいスピードで突っ込んできた分、衝撃もでかい。
そのまま仰け反ってひっくり返るかと思ったけれど、しかし彼は上手く体勢を立て直した。幾度かたたらを踏んだものの、無様に転がることもなく、ただその場に膝をつく。これは、かなり優秀な身体能力だ。
今は考えが浅く使えない男だが、強くなる素養は十分。
その思考と身体の使い方を鍛えれば、こいつはユウトを護るに足る男になれるだろうが……。
さて、ここで鼻っ柱をへし折られたアシュレイがどう出るか。
「まだ向かってくるか?」
膝をついた男は、そのまま苦しそうに呻き、腹を両手で抱えてうずくまっていた。とはいえ一応内臓が傷付かないように加減をしたし、アシュレイ自身の身体の強さも相俟って、すぐに復活できるだろう。
やろうと思えばもう一度、レオに向かって来れるはずだ。
「……いや、いい」
しかし男は大きく息を吐くと、その場に座り込んで戦意を消した。
それでいい。
ここで再び向かってくるようでは話にならない。
実力差を見せつけられた上で再び無策で挑むのは、感情任せの子どもの癇癪と一緒だ。
レオも剣を戻し、再び焚き火の横に座った。
「やってみなければ分からないと言っていたが、今はどうだ?」
「……またやっても同じだ」
項垂れて言うアシュレイに、レオは頷いた。
そして続けて問い掛ける。
「本当は、お前はこの結果になることをやる前から知っていたはずだ。それを知らせてやるために、俺はわざわざ言葉にしたし、最大の威圧を掛けていた。なのに、何故さっきは向かってきた?」
「それは……あんたが俺の力を軽んじるから。一矢を報いてやろうと……」
「その思考が、お前にユウトを任せられない最大の理由だ」
レオは、反発することなく耳を傾けるアシュレイに諭すように言った。
「俺はお前の力を軽んじたのではなく、事実を言った。軽んじられていると思ったのは、お前が自分の実力を過信したからだ。そして、俺を侮っていたから。結果は分かっていたはずなのに、感情に引き摺られたんだ」
「……だが、やってみないと分からないのは確かだろう。やり方次第で俺が勝つことも……」
「その確固たる方策があるなら話は別だが。お前のはただ自分のプライドを護りたいがための愚行だ。……そもそも、俺に軽んじられたところで、お前に何の影響があるんだ? すでに実力差は分かっているのだから、お前はただやめる判断を下すだけで、一か八かの挑戦をする必要なんてなかった」
「ああ……」
レオに負けた直後よりも、アシュレイはどんどん凹んでいく。
単純な力の問題ではなく、自己への過信、人間への軽侮、他人の言葉に簡単に揺らぐプライド、感情的な判断、自分では見えなかったそれを目の前に並べられたのだ。
今まで彼の自信を形作っていたものが崩れていく。それが、脆く弱いものだと気付いてしまった。
「ユウトを護りたいなら、他人の評価に左右されるようなプライドは捨てろ。誰に何を言われようと揺るがない自分を持て。周囲を冷静に見て、最善の判断を下す努力をしろ」
「……俺には難しい。俺は本当は弱い。ひとりで生きていけずザインにずっと留まり、周囲からの評価に態度を変えて、力の弱い人間を下に見る事でプライドを保ってきたんだ」
プライドを潰されたアシュレイが、気付いてしまった心の内を苦しげに告白する。
レオはその言葉を黙って聞いた。
この内省は、彼にとって必要なものだ。少なくともそれが出来るこの男は決して弱くない。ここから再起する気概があるのなら、アシュレイはきっと強くなる。
「お前はやり方を知らないだけだ。その気があるなら、お前は強くなれる」
「……俺が?」
「弱いところはあっていい。それを自分がちゃんと知っていれば。プライドも持てばいい。驕りではなく、本当に誇れるものを。……俺も昔は何もない虚ろな人間だった。しかし、ユウトのおかげで色々なものを手に入れることが出来た」
「あの人の? ……俺も、持てるだろうか。あの人を護る力を」
「お前次第だろう」
簡単に請け合ってやることはしない。実際、どう転ぶかはアシュレイ次第なのだ。
おそらくこの男も安易な返事など期待していまい。
そこで話を終えると、彼はどこか吹っ切れた表情で最後に訊ねてきた。
「ひとつだけ訊いてもいいだろうか」
「……何だ」
「あんたは、敵わないかもしれない相手と一か八かの戦闘をしたことはないのか?」
さっきの話が気になっていたのか。
レオは僅かに逡巡してから、焚き火を見つめたまま答える。
「……ある」
「それが必要だったのは、どんな時だ?」
「……失いそうだった大切なものを護ろうとした時だ」
そう告げると、アシュレイは至極納得した様子で微笑んだ。




