弟、アシュレイの世話をする
テムまでは馬車で2日掛かる。
以前野営したのと同じ場所まで辿り着くと、暗くなる前にレオたちもそこにテントを張ることにした。
「薪拾ってくる?」
「平気だ。前と違って野営用のアイテムは全て魔工翁の工房で揃えてある。このかまどに炎の魔法だけ突っ込んでくれ」
「うん」
火だけ点けてもらえば料理の手伝いはもう不要だ。
食材などはロバートが用意してくれているし、後は煮たり焼いたりすればいい。
ユウトはその間にアシュレイを馬車から外して、小川の中に連れて行った。エルドワも一緒に水浴びを始める。
「アシュレイ、身体洗ってあげるから水の中で屈める?」
ブーツとソックスを脱いだユウトがブラシを持って馬の前足を撫でた。立ったままのアシュレイの横だと、彼の手は背中にも届かない。
あれを丁寧に洗おうとしたら、だいぶ時間を食いそうだ。
「……そいつ、やっぱり人化できないのか?」
もし人化できるなら、自分で洗わせた方が早いし面積も小さいだろう。かまどでスープを煮込みながら訊ねると、ユウトは、んー、と小さく唸った。
「出来るかもだけど……自分からしないのは人化したくないのかなあと思って。エルドワもこの間、人化が苦手だからあんまりしないって言ってたし」
「……エルドワ、人化したことあるのか?」
それは初耳だ。
「ん、この姿じゃなくて、大きくなってる時だけど。ワイルドでレオ兄さんよりがっしり系だったよ」
「俺よりがっしり……」
ユウトの足下でじゃぶじゃぶと水を弾いてはしゃいでいる子犬からは想像が付かない。
エルドワでそれでは、だいぶ筋肉質なアシュレイが人化したらかなりゴツそうだ。
「アシュレイ、人化できる? 嫌だったらいいけど。僕たち半魔の知り合いいっぱいいるし、ここには他の人もいないし、耳とか尻尾とか出っぱなしでも気にしないよ?」
目の前の大きな馬に、ユウトがひとまず訊ねてみる。
それにしばし考えたふうだったが、やがてアシュレイはぐにゃりと骨格を変えて、人型になった。
「うわあ……」
それを見たユウトが感嘆に似た声を上げる。
小川の中で座ったまま人化したアシュレイは、褐色の肌にたてがみと同じ漆黒の髪を背中まで垂らした、筋肉バキバキの偉丈夫だった。
そして、何よりデカい。
座っていてもユウトとほとんど高さが変わらない。
おそらく立ち上がったら3メートル近くあるだろう。ちょっとした巨人だ。
これは、人化して人間社会に紛れ込むには目立ちすぎる。馬の姿でずっとあの農園にいたのは、やはり他に行き場がなかったからか。
「すっごい筋肉! いいなあ、羨ましい!」
しかしユウトは、その大きさより筋肉に感激している。なんでその可愛らしい姿に不要なマッチョ要素を欲しがるのか。解せぬ。
ぺたぺたとその筋肉を触るユウトに、アシュレイは少し困惑気味だった。
「……俺が怖いと思わないのか?」
「ん? どうして?」
「俺はお前たちよりもずっとでかいし、力もある。人間の頭なんて、片手で軽く握りつぶせる」
「そんなの、やろうと思えば馬の姿の時にだってできたでしょ。人化した途端に怖くなったりしないよ」
ユウトは男を安心させるように笑う。
それからはたと目を瞬かせた。
「あ、馬用ブラシだと身体を洗うには向かないかな。ヘチマたわしの方が良い?」
「……いや、それでいい。慣れているし、その感触は好きだ。自分で洗うから貸してくれ」
「ん。じゃあ、僕は髪の毛ブラッシングしてあげるね」
男は少し緊張した様子で、馬用ブラシを受け取る。
どうやらアシュレイは、人化した時にあまりいい思いをしたことがないようだ。おそらくはその力を恐れた人間たちに迫害をされたか、追い出されたか。
ただの大きな馬でいる方が、ずっとマシだったのだろう。
そう、彼は人化することに恐れがある。
それが分かっているからこそ、その恐れを癒すように、ユウトはアシュレイの髪を優しくすいた。ブラッシングを終えると、髪を束ねて肩から前へ流す。
「背中洗うよ。そっちのブラシ貸して」
「……ああ」
少し躊躇いがちに渡されたブラシを受け取ったユウトは、広い背中を丁寧に洗ってやる。
ゆっくりと彼の緊張が解けていくのが分かるようだ。
少々アシュレイを羨ましく思いながら、レオは声を掛けた。
「……アシュレイ、お前も本来は普通のこういう食事の方がいいんだろう? 量としてはどのくらい食うんだ? 必要な分だけ準備するから先に言え」
「……2人前くらいでいい。後は果物が3㎏ほどあれば」
「そんなもんでいいのか。まあ、果物は農場主がいっぱいよこしたから十分だな」
エルドワも同じ食事だから、全部で5人前。大した量じゃない。すでにスープは多めに作ってあるのだ。
ゲートで手に入れた牛豚系の魔物肉はまだまだあるし、野菜もある。足りなくなったらどこかで買い足せば問題ない。
「はい、アシュレイきれいになった! エルドワ、お前も洗ってあげるからおいで」
「アン」
ユウトが今度は子犬を洗う。といっても、小さなエルドワは洗い上がるのもあっという間だ。子犬はすぐにきれいになって川岸に上げられると、ブルブルと身体を震って水気を飛ばした。
「アシュレイ、これバスタオル使って。エルドワ、身体ちゃんと拭くまでそっち行っちゃ駄目!」
エルドワを掴まえてタオルで拭くユウトの隣で、アシュレイもおとなしくバスタオルで自身の身体を拭く。立ち上がるとやはりデカい。
その筋肉も相俟ってかなり圧があるが、弟は全く気にしないようだった。
ユウトも足を拭いて、ソックスとブーツをはく。
「ユウト、薪組みしてあるから、ここに火を入れてくれ。そろそろ焚き火がないと獣が寄ってくる」
「うん。……この薪も、魔工のお爺さんのアイテム?」
「そうだ。一度火を点けると12時間燃え続ける。焚き火が夜中に消える心配がないから重宝するぞ」
「へえ、すごい。じゃあ点火っと。エルドワ、アシュレイ、ここで身体温めて」
「……待て、その前にアシュレイ、その馬並みのイチモツを隠せ。バスタオルでも巻いとけ」
「ああ、すまない。もう何年も常時全裸だったから気にもしなかった」
……今後も人化することになるなら、何着かこいつ専用の服を誂えておくべきかもしれない。そのうちラダに連れて行って、ミワ祖父に作ってもらうのがいいだろう。
「エルドワは自分の魔力で服が作れるみたいだったけど、アシュレイはできないの?」
「俺は魔力はほぼない。物理的な力に特化している」
「そっか。じゃあ今度服とそれを持ち歩くポーチを作らないとね。ミワさんのお爺さんに相談してみよう」
ユウトもレオと同じ事を考えているようだ。
その提案にやはり困惑するアシュレイの髪を、ユウトが優しくタオルで拭いてあげている。
この野郎、羨ましい。
「ユウト」
「何?」
「それ、今度俺にもしてくれ」
それ、と言われて、弟は自身の手元を見た。
そして、兄の言わんとしていることを察して、ユウトはしょうがないなあというように苦笑する。
「いいよ。今度ね」
「約束だぞ」
「はいはい」
念を押したレオに、肩を竦めて返事をしたユウトの尻尾が楽しげに揺れた。




