兄、弟に尻尾ぴるぴるさせたい
翌日、城門近くの馬屋で選んだ街道馬車は、4人乗り用のゆったりとしたものだった。
小さな固定テーブルが置いてあり、そこで飲み物や軽食をとることが出来る。街と街を結ぶ大きな街道は整備されているから揺れも少ないし、なかなかに快適な乗り心地だ。
この馬車は宿駅の食事付きの上宿と提携をしているらしく、その手配がいらないのもありがたかった。御者は結構歳がいっているがその分安定した走りで、何の問題も無い。
レオの隣に座って窓の外の流れる景色を眺めていたユウトは、機嫌良さげに、テーブルの上に乗っている小さなチョコレート菓子に手を伸ばした。馬車に乗る前に買っておいたものだ。それを口に運ぶ。
その甘い匂いは苦手だが、弟がお菓子を幸せそうにもぐもぐと頬張る姿が可愛いから、文句も言わずに許容している。とことん弟に甘い兄である。
「やっぱり馬車だと早いね。歩くのも嫌いじゃないけど、目的地に着いた後に疲れて何もできなくなっちゃうからなあ」
「そういえば旅の最中の宿駅で、お前はすぐに眠ってしまうな」
「んー、体力足りないのかなあ。やっぱりもっと筋肉付けて……」
「やめろ」
「えー」
戯れみたいな会話をしつつ、時を過ごす。
そうしていると、不意に御者席と接する窓が開いて、老齢の男が顔を出した。
「お兄さん方、そろそろ宿駅に着くから降りる準備をしてくれ。わしは入り口であんたらを降ろして、表の馬屋に行くんでな。わしがいなくても、さっき渡しておいたチケットを宿屋に出せば部屋に案内されるはずだ」
「はい、ありがとうございます」
「……明日は?」
「希望の時間に入り口で待っとるよ。何時に出立するかな?」
「それなら、10時でいい。あまり早いと人が多くてごちゃごちゃするからな」
「そうか。では、明日は10時に入り口のところでな」
それだけ言うと窓を閉め、御者は馬車の速度をゆっくりと落とす。
前方に宿駅が見え、そこにすでに何台かの馬車が止まっているのが見えた。下車待ちのようだが、すぐに順番は回ってきそうだ。
「お菓子片付けろよ。忘れ物はないか?」
「うん、大丈夫。エルドワ、おいで」
「アン」
向かい合わせのシートにゆったりと寝そべっていたエルドワが、起き上がってユウトの腕の中に飛び込んでくる。
これで下車の準備はOKだ。
やがて馬車が止まり、御者の男が客車の側面に回って扉を開けた。
「到着ですよ。手を貸すかい?」
「不要だ」
王都の街中を走る小さな馬車と違って、街道馬車は客車の位置が高い。足を掛けるステップも狭いから、ひとりで降りるには難儀する者もいるのだ。
しかし、もちろんレオがそんな助けを必要とするわけもない。御者もどちらかというとユウトに向かって言ったのだろうが、何にしろ不要なこと。
レオは先に馬車を降りると、すぐに振り向いて手を伸ばし、ユウトをエルドワごと抱き降ろした。
「では、わしは馬屋に向かうんで、これで。お兄さん方の向かう宿屋は、奥の背の高い建物だよ。ごゆっくり」
「ありがとうございます、お爺さん。明日もよろしくお願いします」
「ああ、明日の10時にまたここで待ってるよ」
御者は軽く挨拶だけすると、すぐに馬車に乗って行ってしまった。
それを見送ったユウトが元気な笑顔でレオを見上げる。
「馬車ってやっぱり楽だね。全然疲れないや」
「良い馬車に当たったな。いくら車体が良くても、御者が下手なやつだともっと揺れがひどくて疲れるものだ。あの爺さんはだいぶベテランなんだろう。高い金額を取っていながら、変におもねらないところもいい。自分の操作技術と宿に自信がある証拠だ」
「そうなんだ。やっぱり上手い下手ってあるんだね」
「生き物を使っている分、自動車よりシビアだぞ。馬の世話もちゃんとして、信頼関係がないといけないからな」
もし自分たち専用の馬車を買うとしたら、このくらいの技量の御者が欲しいが難しい。不定期の呼び出しのために雇っておくのは、その能力を無駄にさせているようなものだ。操作勘も悪くなってしまう。
かと言って今いる人間でどうにかしようにも、ネイは操縦は出来るが熟達はしていないし、レオ自身に至っては乗馬はできるが御者は経験が無かった。
まあ、ユウトと馬に乗って移動でもいいのだけれど。しかしそうなると今度は馬の世話が大変だ。
……とりあえず、そのうち何かいい手を見付けよう。
レオは気を取り直して、ユウトを連れて今日の宿へと向かった。
目指すは奥にある大きな上宿。見た感じ、以前泊まった宿と遜色ない。
さっそく観音開きの扉を潜ってフロントで手続きすると、すぐに二人部屋に案内された。
「チケットを渡すだけでほとんど終わっちゃった。手続きが早くていいね」
「料金が先払いだからな。あの御者の爺さんと先に話が付いてるんだろう」
話しながら部屋に備え付けられているクローゼットに荷物をしまい、ローブや上着を掛ける。
時間的にはもう夕飯時だ。2人はそのまま宿の中にあるレストランに向かうことにした。2階部分を大きく使った食堂フロアだ。
酒も飲めるらしく、すでにだいぶ賑わっている。
「食事料金込みだったよね? 何頼んでもいいのかな」
「平気だろう。ただ、エルドワの分は別料金になると言われたが」
「アン」
まあ、それくらいは別に問題は無い。
喧騒に囲まれながら適当に食べたいものを頼んで、2人と1匹は運ばれてきた食事を食べ始める。
その時、不意に横を通りかかった人物に話しかけられた。
「……あれ、ユウトくん?」
こんなところで知り合いか? 訝しんでそちらを見る。
何だか聞き覚えのある声だと思ったら、そこには小太りの眼鏡の男が立っていた。タイチだ。
「あー、可愛い子がいると思ったら、やっぱりユウトくんだ! 偶然だね、こんなとこで会うなんて。レオさんもこんばんは。エルドワ様、ご機嫌麗しゅう」
「アン」
「タイチさん? 何でここに……」
相変わらずエルドワにへりくだる男に、ユウトは首を傾げた。
しかしタイチがここにいる理由、今ならひとつしかないだろう。
「……王都に久しぶりの両親と再会しに行くのか?」
レオが訊ねると、タイチは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「そう! 全てはレオさんたちのおかげだよ。姉貴から明日王都に着くって連絡もらっててさ。親父たちとも会うって言うから、居ても立ってもいられなくて店閉めて来ちゃった。引っ越しの手伝いも兼ねてね」
「そっか、これからご両親は王都で生活始めるんですものね」
「お前ひとりか? ……魔工翁は?」
「爺さんはまだ無理だよ。っていうか、多分爺さんからは行かない。父さんと叔母さんがザインに行かないと会えないと思う。仕方ないけどね」
そう言ってタイチは苦笑する。
まあ、そこから先は彼らの家族の問題だ。レオたちがどうこう言うことではないだろう。
タイチもそう思っているようで、すぐに話を変えた。
「あ、ところでさ、レオさん。以前言ってたあの話、どうする?」
「……あの話?」
何のことだ。唐突に振られた話に、レオは怪訝な顔をする。
ユウトも不思議そうに目を瞬いた。
「あれ、忘れちゃった? 全てが解決したあかつきには、お礼にユウトくんのローブの犬耳と尻尾が気分によって動く機能を付けるって言ってた話」
「はっ! そういえばそんなことを言っていた……!」
「え、あれ冗談じゃ……?」
「冗談なわけないじゃない、レオさん相手に。その機能を付ければ、今後はエルドワ様並みに尻尾ぴるぴるするユウトくんが見れるわけだよ。かなり萌えると思うんだけど」
「それは間違いなく萌える……!」
レオは力強く同意した。
「いつなら可能だ!?」
「術式はもう作ってあるから、それをローブに埋め込むだけなんだ。今晩貸してくれれば、明日の朝にはできると思うよ。最低限の仕事道具は持ち歩いてるしね」
「よし、任せた!」
「早っ! レオ兄さん、そんな無駄な機能いらな……」
「今すぐ渡そう。部屋に来い」
「了解っす」
ユウトがさらに可愛くなるなら問答無用だ。
レオは即座に立ち上がった。
「ユウト、ここでエルドワとご飯を食べて待っていろ。すぐに戻る」
「えー……」
「大丈夫だよ、ユウトくん! 絶対可愛くなるから!」
「その、可愛いとかいらないんですけど……」
不服そうなユウトを残して、レオとタイチはローブを取りに部屋に向かうのだった。




