兄、弟と無自覚にいちゃいちゃする
「ありがとうございます」
タイチの母がレオたちの前にある小さなテーブルにお茶を置くと、ユウトは律儀に頭を下げた。
それに彼女は満面の笑みを見せる。
「いえいえ、色んな意味でこちらこそありがとうございます、ご馳走様です。うふふ、おばさんのことは気にせずに、どうぞ続けて」
「……おい」
レオは、やたらと頬を上気させていそいそと去って行こうとするタイチ母を呼び止めた。
「ちょっと相談があるんだが」
「あら、なあに? せっかくの2人の甘露な空間に、おばさんが入っていくなんて恐れ多い……」
トレイを両手で抱えながら何故か恐縮している。意味が分からん。
しかし細かいことは気にしたら負けだ。レオは気にせずに話を続けた。
「術式を組んで、通信用のアイテムを作れないだろうか」
「通信用?」
「離れたところに居ても連絡が取りあえる……書簡の転移ボックスみたいな文書でなく、会話でやりとりが出来るツールが欲しい」
そう告げると、彼女は少しだけ職人の顔になった。
「物質ではなく、音声だけを送りたいということね?」
「そうだ。物質を送るには空間魔法が必要だが、音だけなら術式で信号化すればどうにかならないか」
「術式と魔力でやりとりするとなると、効果が届くエリアは使用者の魔力の影響範囲までになるわ。同じ街の中での通話がせいぜいね」
「……それはだいぶ短いな。距離を伸ばすにはどうすればいい?」
「世界中に一定間隔で、魔力を中継できる上位魔石か何かを設置するしかないわね。でもこれは現実的じゃないわ。見つかればすぐに盗まれるだろうし」
空間魔法を応用すれば距離は伸びるかもしれないが、一日に一度など使用制限が付いてしまう。それではあまり意味がない。
かといって短い距離で妥協しようにも、万が一またユウトと引き離されて、それが範囲外になることはいくらでもあり得ることだ。その時に連絡が取れなければ結局安心なんてできない。
どうするべきか。
何か良い方法はないかと考えるレオの隣で、何もない空間をじっと見つめていたユウトが、不意に発言した。
「魔力を送るのに、竜穴を使うのはどうでしょう?」
「竜穴って……祠にある、あれか?」
「確かに竜穴はエルダール全土にあって、竜脈を通してマナの流れに魔力を乗せられればどこにでも繋がるけど……。でもあれは高位精霊の通り道と言われるものよ? 使えるわけがないわ」
「精霊さんが使っていいって言ってます」
ユウトが言うと、タイチ母は目を丸くして固まった。
まあ当然か。その偉い高位精霊がこの弟に付いているとは思いもしないだろう。
「……精霊、ずいぶん太っ腹だな」
「ん、でもその替わり、まだあちこちの竜穴がバラン鉱山の祠みたいに封じられてるから、そこを開放して欲しいって」
「条件付きか。……だがまあ、悪くはない」
精霊の使う竜脈の大元は世界樹と繋がっている。
他の派生した異世界とも繋がっているとすれば、次にユウトが別の世界に飛ばされたとしても、通話してその安否や帰還の可否も判断出来る。
そしておそらく、封じられた竜穴にはこの分割された精霊が閉じ込められているはずで、それを開放すればユウトに付いている精霊の加護がどんどん増す。
メリットは十分すぎるほど。
「……ちょっと待って、竜穴を使うにしても、その力とアイテムを関連づける術式コードがそもそもこの世界には存在しないのよ。あれは人間の力では制御出来ないものだから」
「えっと、その部分の術式コードは精霊さんが教えてくれるそうです。紙とペンありますか?」
ユウトはペンを借りると、文字や記号を羅列していった。多分精霊に言われるがままで、どの記号に何の意味があるかも分かっていないだろう。
しかしそれを見ていたタイチ母は驚愕の表情を浮かべた。
「え、弟さんの言う精霊さんって何者なの……? 古代語によるコード生成……書き換え不可の難読術式なんだけど……」
「古代語って? これ、普通の術式と違うんですか?」
「古代語で作られた術式は、そのものの本質にずばっと切り込む、非常に強力なコードなのよ。その反面、汎用性は皆無で一切の流用ができない。決まった型はなく全て一からオリジナルで作らなくてはいけないし、膨大な知識を必要とするわ」
「……強力だからこそ、悪用されないために、流用できない形式にしているのかもしれないな」
「ん、精霊さんも他には使うなって言ってる」
今ひとつ、これがどれだけすごい術式か分かっていないユウトは軽い調子で頷いた。
「とりあえずこの術式のコードでは、僕の魔力を竜脈に乗せる許可が取れるみたい。音声を術式で魔力信号に変換したりするのはこっちでやれって」
「こ、この高度古代語術式とコラボ……。難易度高いわ……」
「おい、ユウトの魔力が竜脈を流れるとしても、中継地点は竜穴なんだよな? だったら最寄りの竜穴の場所を感知して、互いがいる場所が分かる機能も付けてくれ」
「ああっ! お兄さんがさらにハードルを上げてくる……!」
レオの追加要請に、タイチ母がよろめく。
あまり自信がないのだろうか。
「あの、無理そうならタイチさんか魔工のお爺さんにお願いするんで、大丈夫ですよ?」
そんな彼女を気遣ってユウトが声を掛けると、タイチ母は小さく首を振った。
「……いえ、あなた方は私たちのために世界樹の葉の朝露を採って来て下さる大事な方……。微力ながらも、私もその恩に報いたいと思います。……それに、お二人が離れていても繋がっていたいという、そのLOVEを応援したい……!」
「……よく分からんが、結局できるのか?」
単刀直入に訊ねる。
すると彼女はひとつ咳払いをし、改まってこちらを見た。
何かを期待する瞳だ。
「お兄さんと弟さんが、いちゃいちゃして見せてくれれば頑張れる気がします」
「……いちゃいちゃ?」
「例えばお兄さんが弟さんを膝に乗せるとか」
「こうか」
少々身構えたが、タイチ母の要求は特に問題ないものだった。あっさりとユウトを膝の上に横抱きに乗せる。
姫抱っこをしょっちゅうしているから、何の抵抗も違和感もない。
「はうあっ……! こ、こんな容易く希望の光景が……!」
どちらかというとタイチ母の方が動揺している。それ以上に何だか昂揚しているが。
「それから?」
「お、おでここつんとか」
これもユウトが熱を出したりすればよくやる。特に照れもない。
こつんとおでこをぶつけると、彼女は変な声を出した。何なんだ。
「そのまま手繋ぎお願いします!」
「……そんなんでいいのか?」
よく分からない要求だ。今度はユウトと手を繋ぐ。
相変わらずレオより細くて小さくて肌理が細かい。その手の甲を親指で撫でていると、ふといつもと違う手触りを感じてそこに目をやった。
「……ユウト、手の甲に引っ掻き傷ができてる」
「あれ、本当だ。気付かなかった。飛ばされた時に森の中を歩いたから、その時に木に引っかけたのかも」
小さな傷だが、血が滲んでいる。もちろんもう乾いているけれど、レオはごく自然にユウトの手を口元に引き寄せ、その傷痕をぺろりと舐めた。
「ちょっとレオ兄さん、くすぐったい」
それにユウトがくすくすと笑う。
途端に、「うひょーーーーーー!」と奇声を上げたタイチ母がその場にひれ伏し、ユウトがびくっとしてレオにしがみついた。
レオは彼女のその姿がタイチとそっくりだ、とだけ思った。
「おい、何なんだ突然」
「ああもう、ありがとうございます! タイチやミワちゃんからお二人は萌えの化身だとは聞いていましたが、まさかこれほどのものとは……!」
「え、僕たち大したことしてないと思うんですけど……」
「その無自覚のいちゃいちゃっぷり、マジもんだわ、ご馳走様です! よーし、おばさん頑張っちゃうぞ~! 今後ともよろしく!」
やたらとテンションを上げたタイチ母が、意気揚々と店の奥に戻っていく。
カウンターにいたミワとその父は慣れたものなのか、特に反応しなかった。ネイだけが異様なものを見た顔をしていたが。
「……僕たちいちゃいちゃしてた?」
「いや、いつも通りだな」
ユウトを膝に乗せたまま、他に傷がないかどうか確かめる。
うん、どうやら大丈夫なようだ。
「まあ、これで頑張れると言うんだからそれでいいだろう。タイチ母の萌えは特に害がないようで良かった」
「そうだね」
言いつつユウトの頭を撫でるレオ。
無自覚な二人にカウンターの3人が内心でそれぞれ突っ込んでいたが、それが口に出されることはなかった。




