【ユウトのいなくなった世界】2
呻りを上げる切っ先がネイの首筋ぎりぎりのところを通過する。
恐ろしいほど的確に急所を狙ってくるレオの剣筋は、逆に言えば読みやすい。いつもの彼ならそんなことはないけれど、今は攻撃に緩急を付ける心理的な余裕がないのだ。
急ぎユウトを探しに行きたいレオは、最短でネイを倒そうとしている。おかげで狙いは絞られ、レオに勝る反射速度と出席簿もどきの防御板で、どうにか対処できていた。
もちろん一瞬でも気を抜いたら殺られる、ひどく危うい攻防だけれど。
「……っぶねぇ!」
しかし当然押し込まれているのはネイの方。レオの剣聖の称号は伊達じゃない。
それなりに良いところで作ってもらったはずの装備は、彼の剣がかすめた傷でぼろぼろで、今後使い物にならないだろう。ミワが造ってくれた防御板がなければ、もう死んでる。
その防御板も、同じくミワが造った高性能のレオの剣を前に、どれだけ耐えられるかは未知数だが。
「……ちょこまかと鬱陶しい。とっとと死んで、転移魔石を渡せ!」
「そうはいきません、よっと!」
悪役ばりの科白を吐く彼から逃げてばかりもいられない。ネイもまた殺す気でレオに向かって短剣を突き出す。普通の人間ならこの速さに付いて来れずに心臓を貫かれるが、もちろんレオは最少の動きで回避した。そして、自分に向かって伸びたネイの身体を両断するように剣を振り下ろす。
「くっそ……!」
むりやり身体を捻って防御板でその剣を防いだが、力任せに振り切られ、後方にはね飛ばされた。火口に落ちそうになって、慌てて体勢を直す。
ああ、このままだとマジ死ぬかも。
そう思いながらもちょっと楽しい自分がいる。
死への恐怖を感じつつ、それに全力で抗えること。この瞬間こそ生きているのだと実感出来る。この感覚は、レオが相手でないと味わえない。
抗って抗って、全ての力を出し尽くして死にたい。
ネイはかねてからずっとそう願っていた。だから、万が一ここでレオに殺されて死んでも本望ではある。自分に死を賜れるのは彼しかいないとすら思っている。
しかし、レオに殺されたいと思うくらいに心酔しているからこそ、ユウトを見失って心を乱している主をこのまま放って死ぬことは、避けたいとも思う。
全ての問題が解決し、レオたちが平和に暮らせるようになるまではまだやるべきこと、やれることがたくさんある。それが済み、自身が彼らにとって完全に用無しになってから死にたいのだ。
「あー……ユウトくん、早く帰ってこないかなあ……」
殺す気で全力を出せる戦いは楽しくはあるが、もしも自分が死んだ場合、その後のことを考えるとかなり楽しくないことになるだろう。
ネイを殺したことでレオがユウトに責められるのも嫌だ。
この状況を解決するにはユウトが戻るしかない。ネイは剣を構えて向かってくるレオに軽くため息をつき、独りごちた。
しかし、2人が再び剣を交えようとした、その時。
「……っ、何だ!? 地震……!?」
不意にバラン鉱山に地鳴りが響き、足下が震動した。もしかして噴火の兆候だろうか。
精霊の力が失せてしまうまでは溶岩溜まりがあった山だ。死火山ではないのだし、可能性は高い。……ということは、精霊が解放されたのだろうか?
レオもネイも動きを止め、火口の底に目を遣る。
するとそこに、妙な方陣のようなものが浮かび上がった。
何だこれ、バカでかい。
2人には、それが精霊の解放によるものではないことがすぐに分かる。方陣から漏れ出る、禍々しい瘴気が襲ってきたからだ。さっきまで満たされていたマナが追いやられ、気分が悪くなってくる。
「何だ、あれ……?」
呆然と見ていると、方陣から無数の魔手らしきものが伸びてきた。
明らかに尋常ではない量。
その伸びた腕同士が手を組むように接合し、何かの土台を形成し始める。大きな建造物の骨組みのような。
「……魔尖塔……」
レオが茫然とした様子でぼそりと呟いた。
その言葉だけで背筋に寒気を感じて、ネイは慌てて彼を振り返る。
いつの間にか殺気が消え、レオは自分の首筋に剣を当てていた。
「……っ、ふざけたことを!」
その刃が皮膚に届く前に、ネイは彼の剣を持つ腕を蹴り上げる。
ああくそ、もえす装備、高性能すぎ。力一杯蹴ったのに、ダメージを殺されてその剣は手から落ちてくれなかった。
しかし一応、レオの行動は阻止出来たか。
「……貴様、邪魔をするな。魔尖塔が現れたということは、ユウトがもうこの世界にいないということ……。俺がここにいる意味がない」
「魔尖塔をどうにかしないと、ユウトくんが戻ってきた時に世界がひどいことになっちゃいますよ!」
「貴様が兄貴に報告に行け。俺はユウトの元に行く」
「ユウトくんがどこにいるか分かんないでしょ!」
「この世界から消えれば、呼ばれる」
再び剣を構えて自傷しようとするレオに、5年前の出来事がフラッシュバックする。当時の絶望を思い出して、ネイは戦闘と違う恐怖に身震いした。
「無理です! あの時は、ユウトくんの聖なる力と奇蹟があった! けれど、今は違う!」
今レオが死んだら、おそらくそれで終わりだ。しかし5年前に似たような状況で彼はユウトと同じ世界に引っ張られて消えた。その体験をなぞろうとしているのだろう。
レオは弟を護るために世界を移動したいのではない。自分がユウトのいる世界でないと生きる価値を見出せないから行きたいのだ。
だからこそ、説得など聞きはしない。
同様に、ネイはレオを心配して止めているわけではない。主のいる世界でないと自分にとって生きている価値がないからだ。
だからこそ、話し合いで相容れるわけがない。
ならば、もはや力尽くで止めるしか。
「俺はレオさんが誰を殺そうが全く気にしないが、唯一、あんた自身を殺すことだけは許さない!」
さっきとは逆に、今度はネイの方がレオに激しい殺気を送る。
本気を出していたのは先程までも同じだが、今度は覚悟が違う。
差し違える覚悟でレオを止めるか、殺されるかの2択だ。心臓か頭を貫かれずに終われれば上出来と言えよう。
ネイは即座にレオの剣を持つ腕を切り落としに行く。
踏み込みの速いネイの攻撃を、レオは反射的に剣で跳ね返した。
「チッ……。貴様、どうしても邪魔立てするつもりか」
「当然です。その両腕を切り落としてでも阻止します。死にたいなら、俺を殺してからにして下さい」
「……ならば死ね」
到底ここまで同行していた仲間とは思えぬ雰囲気が辺りを包む。
ひどく攻撃的な気分なのは、瘴気にあてられているからか。
2人は火口に積み上がっていく魔尖塔のことなど忘れてしまったように、互いの身体に刃を突き立てることしか考えていなかった。
「あれ? 開かない」
自分たちの世界に戻ってきたはずなのに。
精霊の祠が中から開かないことに、ユウトは首を傾げた。これでは出られない。
その隣では、ヴァルドが眉を顰め、怪訝な顔をしていた。
「……何でしょう、外にひどく禍々しい気配がします」
「禍々しい気配?」
「祠の壁のせいで分かりづらい。でも良くないものがいる」
エルドワも同意する。
しかしここから向こうの世界に飛ぶまでは、バラン鉱山はマナに覆われていたはずだ。祠の周辺だけは悪魔の水晶のせいで異空間だったけれど、それももう戻っているはず。
「……私はここにいると、この気配にあてられるかもしれません。マスター、精霊の祠が開けばもうレオさんたちがいるでしょうから、私は戻ることにします。……祠の扉は中央の魔方陣で精霊を呼ぶ術式を発動すれば、開けられるはずです」
「あ、そっか。祠を開けるのは山の精霊たちってディアさんも言ってましたっけ。分かりました、あとは大丈夫。ヴァルドさん、今日も助けて頂いてありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて礼を言うと、ヴァルドはユウトの前に跪き、美形の面目躍如と言わんばかりの微笑みを見せた。
「あなたのお役に立てたのならこれ以上の喜びはありません、我が主。またいつでも頼って下さい。どこからでも馳せ参じましょう」
その言葉と光景に、どういう関係なのかと部外者である3人の男たちが戸惑っている。しかし天使のような羽を生やしたユウトと黒尽くめの美形半吸血鬼は絵画のようで、違和感はまるでない。
とりあえず、何故か分からないが彼らはその光景を拝んだ。
「エルドワ、後はお願いしますね」
「分かった。任せて、ユウトはエルドワが護る」
エルドワにユウトを託し、ヴァルドは魔方陣へ消えてしまった。
それを見届けて、ユウトは精霊を呼び出す術式の方陣の上に立つ。
竜穴はバラン鉱山に戻ってきたのだし、祠を解放すればもう終わったも同然だ。世界樹の杖には力がみなぎり、この空間を清廉な空気で満たしている。
「……えっと、詠唱とか、どうすればいいんだろ?」
「ユウトには今精霊が付いてる。ディアみたいに、適当に呼べばいい。みんな来てくれる」
「適当……。そんなんでいいの?」
「大丈夫。みんなユウトの持つ魔力と精霊の力に釣られて来る。言葉はただの合図みたいなもの」
結構アバウトなようだ。まあ、精霊と人間では言葉が通じないのだし、正式な詠唱だってただの合図のひとつと言えば、広義的にはそうなのかもしれない。
「とりあえず、周囲に呼び掛ければいいのかな? バラン鉱山を中心に、広く精霊に呼び掛ける……」
「……ユウト。出来れば周囲を浄化するイメージで。悪いものを追い出すように」
「? うん」
耳をピンとそばだてて外を覗いながら言うエルドワを、不思議に思いつつも頷く。
ユウトは胸の前で手を組み、思念に集中するために瞳を閉じた。
「精霊さんたち、バラン鉱山を再生するために、ここに来て扉を開けて……!」
ふっと、まぶたの向こうが明るくなったのが分かる。きっと魔方陣が発動したのだろう。
それと同時にふわりとした浮遊感を覚える。
「本物の天使だ……」
そんなユウトを眺めていた3人の男たちがどこか呆けたように呟いた。
おそらく精霊の羽を付けているせいでそう見えるだけだろう。何か柏手を叩かれているが、それ多分違う。
「……ユウト、行けそう?」
「ん、ちょっと外から抑えつけられてる感じだけど……大丈夫」
外に向かって解き放とうとする魔力が、何かに抑え込まれている。けれど、竜穴から溢れる力がユウトを後押しした。
「……行ける!」
ひときわ強く念じた時、パキリと何かの殻が割れるような感覚があった。圧縮されていた力が、一気に外側に向けて解き放たれる。
全てを押し流すような力の奔流。
固く閉じられていた精霊の祠の扉がゆっくりと開き、それは見えない波となって周囲へと流れていった。




