【ユウトのいなくなった世界】1
ネイはミワを急いで離脱させると、びくともしない祠に苛立ちをぶつけながらどんどん殺気を増していくレオを見た。
危険すぎる。
初めて会った時にはすでに、暗黒児だったユウトが戦闘に同行していたのだ。だから、ネイはここまで荒れたレオを見たことがない。
……いや、一度だけあるか。5年前、兄弟2人がこの世界から消える直前のあの時。
レオの、世界中の何ものがどうなろうと構わないという全方向への敵意に、当時は為す術がなかった。
「……鼻血出してる場合じゃないねえ」
満ちる殺気は興奮を凌駕し、ネイにすら恐怖を与える。背筋がぞわぞわして今にも逃げ出したい気分になるけれど、それでも踏みとどまるのは、彼が居てくれないとこの世界に生きている意味を見いだせないからだ。
生きるか死ぬか、ネイの生死の境界線を脅かすに足る存在。
そもそもそれを欲して就いた暗殺家業、だがネイに敵う者がおらず、一時はただ惰性で生きていたのだ。そんな中で出会った大きな光。
殺しに行くくらい本気で戦っても、生き延びてくれる相手。そしてこちらに情を掛けず、気にせず殺してくれそうなひと。
そんなのレオしかいない。だから離れられないし、失うわけにはいかない。ネイの狂った死生観が、彼の前だけでは正しく稼働できるのだ。
「……くそっ! 傷ひとつ付かんとはどういうことだ! ユウトを拐かした奴はどこにいるんだ!」
暴れるように祠に攻撃を繰り返すレオを、ネイはできるだけ注意深く見た。
今のレオに冷静な判断は望めない。ならば自分がどうにかするしかない。
どうせ落ち着かせようとしても逆効果。だったらいっそ、その判断力低下を逆手にとって、こちらの思惑にはめればいい。
「レオさん、その祠からは何の気配もありませんよ。おそらくユウトくんは転移の罠に掛けられて、どこかに飛ばされたんじゃないかな」
「何だと……!? どこかとはどこだ!?」
「バラン鉱山の山頂に、噴火口があるそうです。そこには昔溶岩が溜まっていて、王冠スライムなどの魔物を退治するのに使われていたとか。……昔からある罠なら、そこに落ちるように転移を仕組まれていてもおかしくないのでは?」
「噴火口……」
もちろん、口から出任せだ。
ネイはとりあえず場所を変えたかった。
今のレオは何を引き金にして殺意を抱くか分からない。そうなった時、この狭い横穴の中では、逃げる余地が少なすぎて速攻で殺される可能性が高い。
ネイが唯一レオに勝るのは、機動力だけだ。オープンスペースなら、それを駆使すればどうにか幾ばくかの時間稼ぎくらいは出来るだろうと算段する。
すっかり頭に血が上っているレオは、ネイの言葉を精査することもなく外に駆け出していった。
それを追って、自身も外に出る。
ここが何もない山の中で良かった。
万が一ここが街中だったら、レオは邪魔なものを全て壊し、あるいは殺しながら進んだに違いない。
そんなことを考えつつ山を駆け上がり、然程時間も掛からずに山頂に到着する。
ネイは噴火口の手前で足を止めたが、レオはそのまま火口の中に飛び降りた。底までかなりの落差があるものの、彼なら着地に問題はないだろう。
「ユウト!」
まあまあ大きなカルデラの底にはもう溶岩はなく、砂や石ころが堆積していた。レオがユウトを探してそこを歩き回っている。
それを見下ろしながら、ネイは次を考えた。
ユウトがいないことを確認したレオは、きっと山を下りて他を探しに行くだろう。転移魔石はまだ使用できないはずだから、ラダの村と王都は徒歩で行くことになる。
……駄目だ、この状態のレオを行かせるわけにはいかない。絶対手続きなんて間怠っこしいことをする時間を惜しんで門番を殺す。それを止めに来た者も殺す。捕まえに来た憲兵も殺す。ルウドルトにだって、絶対容赦しない。
ネイとしては他人がどうなろうと別に構わないのだが、それによってレオとユウトが今後この世界で生きづらくなるのが困るのだ。
平時のレオは『目立ちたくない、ユウトと食うに困らない普通の生活ができればいい』と言う。
その主の平穏な生活を護るためには、ユウトが無事に戻ってレオが冷静さを取り戻すまで、自分が盾になるしかないのだ。
もちろんユウトが無事なのか、いつ帰ってくるかなんて分からない。それでも、ユウトがいないとレオの側には置かせてもらえないのだから、彼が戻ってこないならここで主に殺されるのも致し方ないと覚悟している。
ただ、分からないなりにも望みはあるのだ。ユウトの側にはエルドワがいて、ヴァルドも呼び出せること。新たに精霊の加護も付いていること。そして、ユウトは森羅万象を司る世界樹の杖を持たされていること。
ネイは時間さえ稼げればどうにかなるのではないかと、淡い期待を抱いている。
まあこの時間稼ぎが、とんでもない難度なのだけれど。
「……くそっ、いない!」
火口の中はたいして障害物がない。
すぐにユウトの不在を確認したレオは、僅かな凹凸を足場にして、あっという間に噴火口の縁まで戻ってきてしまった。
そのまま下山しようとするところに、慌てて声を掛ける。
「ここにはいないようですね。精霊を閉じ込めたのがゲートの時と同様に魔研に関係する者の仕業なら、そこから調べるべきかなあ」
その言葉にレオが足を止めて振り向いた。
こちらを見る殺伐とした瞳に、ネイは気を引き締める。
さあ、ここからが命がけの綱渡りの始まりだ。
「魔研に関係する者……」
「ジアレイスたちの消息を知るのに一番手っ取り早いのは、ジラックの領主あたりを締め上げることかもしれませんね」
ネイは慎重にレオを誘導する。言葉を誤って少しでも彼の意識を逸らしたら最後、問答無用で山を下られてしまう。
「降魔術式を使っていたのもあの場所でしたし、転移したユウトくんがあそこまで飛ばされて牢屋に入れられている可能性もありますね。領主の館の地下に機密の牢屋がありますし」
「ユウトが牢屋にだと!?」
「可能性の話ですけど」
「ジラック……!」
ジラックは国の北東にあるラダとは王都を挟んで真反対だ。今から歩いて行こうと思ったら5日程度掛かる。
当然転移魔石を使って行く方が早いが、彼の魔石はまだ魔力の充填が済んでいない。
となれば、レオの選択肢はひとつ。
「……貴様の転移魔石をよこせ」
よし、思惑通り。そう思いつつも、ネイは内心で冷や汗をかいた。
押し潰されそうな威圧感。服従しか許さない圧倒的な鬼気。さらにレオの忠臣でありたいネイにとって、この命令をはね除けるのはとてつもない勇気が必要だった。
それでも、ネイが言葉だけで彼を留め置けるのはこれが限界。
「……申し訳ありません、レオさん。これは俺にも必要なもの。渡すわけにはいかないんです」
「……俺の命令が聞けないのか。……ならば」
レオが剣の柄に手を掛けて揺らす。戦闘態勢に入る合図だ。
全方向に向いていた殺気が、ネイに向かって集約する。
「死ね」
転移魔石を奪われるまでの、命を掛けた時間稼ぎ。
さて、どこまで保つか。
「……早く帰ってきてね、ユウトくん」
ネイはぼそりと呟いて、腰に下げている短剣に手を伸ばした。




