弟、早朝の冒険者ギルドに行く
翌朝、ユウトはひとり、冒険者ギルドにクエストを受けに向かっていた。
朝食を後回しにした、昨日よりだいぶ早い時間帯。ギルドが開く前に並んでいれば、早めにボードに近付けるかもしれないと思ったからだ。
レオもついてくると言ったが、すんなりいけば15分程度で終わる手続きだし。2人で行く必要もないと夜更かしの兄を丁重にお断りした。それに今回は受ける依頼も決まっている。
毛虫系の魔物の討伐だ。
それを探せばいいだけだから、ボードでぱっと見つけてさっと離れてしまえばいい。楽勝だ。
……なんて、甘い考えだった。
開錠直前の冒険者ギルドの前には、すでに結構な人だかりができていた。正直、昨日の時間帯より密度がすごい。
おまけに整然と並ぶわけでもなくみんな我先に入ろうと殺気立っているから、ユウトがその集団に入っていくのはかなり勇気が要りそうだった。
(うわあ……また人が空くまで待つしかないか)
まあ、急いでいるわけではないし。目的の依頼がなくならないかが心配だが、ないならないで今日じゃなくてもいい。
すでに押し合いへし合いが始まっている集団から離れて、ギルドが開くのを待つ。これはボードの前に行くどころか、冒険者ギルドの中に入るのすら時間が掛かりそうだ。
そうしてひとりで立っていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「あれ、ひとり? いつもの兄ちゃんいないの?」
「あ、ルアンくん。おはよう。依頼受けに来るくらいならひとりで大丈夫かなと思って、レオ兄さん置いて来ちゃった」
「うえー。こんな時間帯だからこそ兄ちゃん必要じゃん」
「うん。しまったと思った」
振り返ったそこに立っていたのは、ユウトと似た背格好の冒険者だった。初めてこのギルドに来た時に入り口ですれ違った少年だ。
……しかし実は少年でなく少女であることを知ったのはつい先日のこと。
実は彼女はリサの娘で、盗賊として登録をしている冒険者だった。ただ、女の子として扱われるのが嫌だというルアンを、ユウトはくん付けて呼んでいる。
たまたま居合わせたユウトたちと彼女を引き合わせたのは、もちろんリサだ。並んだ2人を見て、どちらが女の子か分からないと嘆いていた。ルアンはそんなこと意にも介していなかったけれど。
「そっちこそ、ダグラスさんは一緒じゃないの?」
「あんな図体でかい親父、こんな混んでるところに連れてきても邪魔だろ。オレひとりの方が早いよ」
ダグラスは彼女の父、つまりはリサの旦那だ。戦士をしており、当然ながらルアンとパーティを組んでいる。父はランクB、ルアンはランクC。ダグラスは新人を世話するのが趣味みたいな人で、若い冒険者からはだいぶ慕われている人だった。
その血のせいか、ルアンも初心者であるユウトたちを何かと気に掛けてくれている。
「この時間って、いつもこんなに混んでるの?」
「そりゃそうだよ、だってみんな割の良いクエスト狙ってるし、何と言っても8時くらいまでなら朝日の浄化効果で魔物がおとなしくなってるからさ。その短時間に仕留めようって考える奴らも多いんだ」
「あ、そういえばそんな話テムで聞いたっけ」
「まあ、そうそう思惑通りにはいかないけどな」
そう言って笑うと、ルアンはギルドの扉の方を見た。
「そろそろだな。ユウト、今日の依頼は何にするかもう決まってんの?」
「うん。もうひとつ討伐依頼をこなすとランクDに上がれるんだ。だから今回は毛虫系魔物の討伐クエストにしようって兄さんが」
「うはあ、毛虫系かあ~。オレたちみたいな接近戦パーティだと飛んできた毛にやられて体中に湿疹出て痒くなんだよなあ。まあ、ユウトは魔道士だし、兄ちゃんが選んだなら大丈夫だろうけどな。あの人、ユウトの皮膚がブツブツになるなんて許さないだろうし」
すでに兄の過保護がルアンにバレている。
「でも、これでランク上がるんだな。頑張れよ」
「ん、ありがと。ルアンくんもクエスト頑張ってね」
「……もー、お前可愛いなあ。大丈夫かな、こんなムサイ連中の中に入って」
小首を傾げてにこりと微笑むと、何故かリサにされるのと同じように彼女に頭を撫でられた。
ちなみに言っておくが、ルアンは15歳の少女である。どうもこの家族には、ユウトが18歳男ということを忘れられてる気がする。
「そうだ、オレがユウトの依頼もついでに取ってきてやるよ」
「えっ? いいよ、ボードにたどり着くのも大変でしょ」
「お前、盗賊舐めんなよ。こんな人混み、穴だらけだっつうの。人間が動く余地があるってことは、隙間があるってことだからな。そこを上手く縫って行きゃ、すすすっと行けんのさ」
「そうなんだ、すごい」
思わず尊敬の視線を向けると、再び頭を撫でられる。
「じゃ、行ってくるぜ。根性でギルドの中までは入って来いよ。手続きはしてやれねえからな」
「あ、僕のは気にしなくても……」
こちらが言葉を返す前に、7時を告げる鐘がどこかで鳴った。同時にギルドの扉が開く。
冒険者たちがなだれ込むのを確認したルアンは、軽く片手を上げてそのまま行ってしまった。男たちの隙間に、あっという間に消える。すごいスキルだ。
(ルアンくんは多分すぐに依頼を取ってきてくれる。となると……)
この入り口の人波に乗って、頑張ってギルドの中に入らないと。
ユウトは覚悟を決めて集団に飛び込んだ。
ルアンと体格はほとんど一緒なのだ。上手くいけばするする~っと……なんて、夢物語だった。
冒険者たちに囲まれたユウトは身動きが取れず、ほぼ両足が浮いた状態で数分後自動的にギルド入りを果たしたのだった。
うう、潰されて内臓が口から出るかと思った。
「思ったより早く入れたな。ちょうど周りが力の強い奴だったのか。前に弱っちいのがいると押し退けられて全然進まないから、その点ラッキーだったな」
「そ、そういうものなんだ……」
ギルドに入るだけですでに体力が半減してへたっているユウトに、待っていたルアンが声を掛ける。彼女は少しも疲れた様子がないのがすごい。
「ルアンくん、こんなとこ通り抜けられるなんてほんと、すごいね」
「まあ、この能力で生きてるみたいなもんだからな。力を付けたいけどこの身体じゃ限界があるし、自分ができることを突き詰める方がいいって親父も言ってた」
「うん。それが良いと思う」
「ひとまず、目指すは『ザインで一番の盗賊』かな。はいよ、戦利品」
ルアンはそう言って、1枚の依頼書を手渡してくれた。
ランクDの依頼用紙、『アッシド・モスの幼虫10匹の討伐』だ。
「ありがとう、ルアンくん」
「ん、ほんとについでだから礼はいらねえよ。早く手続き受付の列に並びな。オレはもうユウト待ってる間に済ませちまったから」
「そうなんだ。仕事が早いなあ」
「じゃあ、オレはもう行くな。ユウトが出て行く頃にはいくらか入り口も空いてるだろうけど、気を付けて戻れよ」
「うん、ありがと。またね」
恩着せがましいところも見せず、颯爽と去って行くルアンは男らしい。ちょっと見習いたい。
ユウトはそんなことを思いながら、すでにずいぶんと長くなってしまった受付の列に並んだ。
ルアンが言った通り、受付を終える頃には入り口が空いていた。逆に言えば、それだけ時間が掛かったと言える。
やはり余程の目当ての依頼がない限り、この時間に来るのは控えよう。体力の減りが半端ないし、……余計な出会いがある。
「お、貧弱ちゃんじゃん」
冒険者ギルドを出てすぐのところで、ニールたちのパーティと遭遇してしまった。レオを連れてこなかった自分の英断を褒め称えたい。
「……どうも」
聞こえないふりをして無視しようかと思ったけれど、どうやら酒が入っている様子だ。下手に機嫌を損ねると面倒なことになりそうだった。
ユウトが仕方なしにちょこんと頭を下げる。すると、ニールはユウトの腰に下がっている杖を見て、意地悪な笑みを浮かべた。
「なんだよ、昨日馬鹿にされたからミドルスティックにレベルアップ? でもそんな杖じゃまだまだ全然役に立たねえっての」
「別に、あなたに言われたから杖を変えたわけじゃありません。それに、ミドルスティックは使い方次第でいくらでも強くなるって、魔法道具屋さんのおじいさんが言ってました」
「魔法道具屋のじじい……? ああ、裏路地の偏屈じじいんとこか。お前あんなとこで杖買ってんの? 他で売ってもらえなかったのかな~?」
明らかにユウトだけでなく魔法道具屋の老人をも馬鹿にした物言いに驚き、かつ不愉快な気分になる。
「あのおじいさんは全然偏屈なんかじゃありませんでしたよ。優しかったし」
「はあ!? あのじじいが優しい!? どこがだよ、客には無愛想だし、商品の杖をお前には売らないとか言うし。俺らの周りの魔道士連中も、みんなあのじじいは態度が悪いって言ってる。誰もあんなクソな店で買い物しねえよ」
「……ああ」
彼の言葉で、今さらながら兄がどうしてあの店に弟を連れて行ったのかが分かった。
あそこの店主は、きちんと魔力を使える者しか相手にしないのだ。つまり魔法に真摯に向き合っている、真面目な店だということだ。
あの老人が幼児杖を使い込んでいるユウトを評価してくれたのは、そういうことだろう。
「大通りのマジックショップの方が安いし品揃えも良いし、あんな店行く奴の気が知れねえな。全く、売らねえ商品並べて、何が魔法道具屋だよ」
「それは……」
きっと、あなたたちがその杖を使うに足る力があると、あの老人に認められていないのだ。
そう言おうとしたところで、ニールの仲間たちがギルドの扉の前から彼を呼んだ。
「おい、そんなのに構ってんなよ! とっとと昨晩の報酬もらって帰るぞ! 初ランクA討伐達成だぜ!」
「あー、そうだった。今行く!」
男はこちらを見ることなく、そのまま仲間の元へ去って行ってしまった。
……危なかった、つい正論を口に出すところだった。
あの科白を言っていたら、おそらく逆上されていたに違いない。酒が入っていたことを考えれば、1・2発くらい殴られていても不思議ではなかった。
そんなことになったら、多分レオが黙っていない。恐ろしいことになる。
(……今日も絡まれたこと、兄さんには黙っとこう)
昨日の今日でまた同じ相手に絡まれたと知ったら、それだけでも兄は彼らに何かしそうだ。
(それにしても、面倒そうな人に顔を覚えられちゃったなあ……)
ユウトはうんざりとしたため息を吐いて、ようやくリリア亭へと向かった。