兄、参上
「くそっ、馬鹿な、あのゲートから出るのは四ツ目までじゃなかったのか!? ランクBで対応できる相手じゃない……!」
「矢も毒も罠も、全部使い切っちまってるのに! ど、どうしよう若旦那!」
「このまま村に逃げ込んだら村ごとやられる……。全員で奴を村と逆方向に誘導するぞ! 武器とたいまつ以外の荷物はここに置いて身軽にしろ! お前らはある程度村から離れたらたいまつを消して散って戻れ、後は俺がどうにかする!」
「どうにかって、若旦那……!」
「どうにかするっつってんだよ! とっとと準備しろ!」
怒鳴るようにみんなにそう言った男は、すぐにユウトに向き直った。
「悪いな、ガキ。ここからは一人で右の細い道に逸れてくれ。その先に俺たちの村がある。五ツ目から逃げる魔物が入り込む可能性があるから、村の門を閉めろと門番に伝えてくれ」
「そ、そんな」
この人は最後に自分一人でおとりになるつもりだ。
そこからどうにかするなんて、さっきの四ツ目との戦いを見れば無理だと分かる。力尽きるまで村から魔物を引き離し、そこまでだ。
……そんなの、嫌だ。命の恩人を見殺しにするなんて。
ユウトはどうにかできないかと懸命に考えた。
さっきの庇護されている時とは状況が違う。どうにかこの人たちを助けたい。
(チートのあの魔法がもう一度放てれば、きっとみんなを助けられる。……でも、もしコントロールできない魔法で、彼らまで巻き込んでしまったら……)
もしものことを考えるだけで手が震えるが、それでもユウトはその手のひらにもう一度力を込めてみた。一縷の望みを掛けて。
しかし、どうしても上手くいかない。最初のような熱の塊は発生しない。
ユウトは己の無力に泣きたくなった。
自分の能力は何のためにあるんだろう。こんな肝心な時に役に立たないなんて。
「若旦那、五ツ目野郎が動き出した!」
「図体がでかいおかげで動きが緩慢なのが救いだな。まずは北に向かって全員で誘導するぞ。あんまり引き離すな、四足で追われると面倒だ。ガキはしばらく木の陰で待機、俺たちがある程度あいつをここから引き離したら、村に向かえ」
「待って、僕にも何か、できることが」
「お前が村に伝言を持って行ってくれれば、それで俺たちは大いに助かる。それでいい。あそこには俺たちが守りたいものがあるからな」
冷静に考えれば、もはやユウトにできることなどそれくらいしかない。それでも命の恩人を、このままただ見送るなんて嫌だった。
ピンチの時ほど冷静に、そう言った兄ならば、こんな時どうするのだろう。
「何とかして、レオ兄さん……」
思わずぽつりと零したユウトの頭を、不意に誰かの手が撫でた。大きな手が優しく髪をかき混ぜる。
「何とかしてやる。少し下がっていろ」
「……え?」
その覚えのある声と手の感触に、ユウトは驚いて目を見開いた。
するりと後ろを通り過ぎていったその男の後ろ姿を見て、全員が動きを止める。
「え、まさか……」
長身で均整の取れた身体に、長い脚、広い背中。少し癖のある、黒い短髪。
そして、背広と革靴。
その手には、一本の剣が握られていた。
「レオ兄さん!?」
「え、え、誰?」
「少年の知り合い?」
「あっ、いつの間にか俺の剣がねえ!」
大きな魔物に躊躇なく剣一本で近付いていく男に、みんなが慌てふためく。
「ちょ、おいガキ! 知り合いならあいつ止めろ! あの殺戮熊は毛皮が硬くて、そこらの剣じゃ傷一つ付かねえんだ! むざむざ死にに行くようなもん……」
若旦那が焦った声を上げた時、聞いただけで怯みそうな大きな唸り声を上げた熊もどきが、レオに向かって鋭い爪を振り下ろした。それを兄はこともなげにひらりとかわす。
そして地面を揺るがす勢いで地に突き刺さった魔物の腕をトントンと二歩で駆け上り、上体の低くなった頭部へ、剣を構えてジャンプした。
「おい、嘘だろ……」
彼の剣が月下で一閃し、魔物の首根から血しぶきが上がる。それを見た誰かが、呆然と呟いた。
しかし終わったわけではない。
それだけでは致命傷となっていないのか、傷付けられた怒りに吼えた五ツ目の熊もどきは、着地したレオをすぐに逆の爪で攻撃した。
兄はそれを冷静に見切ってみせる。
「やはり鉄の剣では一撃で首は落とせないか。ならば」
独りごち、バックステップで若干の距離を取ると、彼は剣を地に平行に構え直した。そこに飛びかかろうと身を屈めた魔物に向かって、一気に自分から突っ込んでいく。
革靴とビジネススーツで、どうしてあの動きができるんだろう。
そこからの決着は一瞬だった。
切っ先で殺戮熊の頭骨を割った剣が、そのままレオの手で眉間に深々と突き立てられる。
周囲に響く、魔物の断末魔の咆吼。
巨体が倒れる地響きが付近の山にこだまして。
そして森には静寂が訪れた。
「………………」
若旦那たちはその結末に、声も出せずに呆然としている。
ユウトも兄の立ち回りにあんぐりと口を開けていた。
そこへ砂ぼこりを払いながら歩いてきたレオの背広は、一滴の返り血も浴びていない。
良い背広だから撥水加工がされているのだろうか。いや、そういう問題じゃない。
混乱するユウトの前まで来ると、兄は平然と少しずれてしまった眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ユウト、門限に帰ってこないから心配で探しに来たぞ。全く、お前は可愛いからすぐに変な輩に絡まれるんだ、注意しろ。ほら喉は渇いてないか? 水あるぞ。疲れてるならおんぶしてやろうか?」
「探しにって、え、待っ、何!? どうやってここに? ていうか、今の魔物を変な輩扱い!?」
色々訳が分からなすぎる。
この場で通常運転の過保護な兄に、弟はさらに混乱をきたしたのだった。