兄、魔工爺様に工房再生の確認を取る
路地から現れた時と違って、レオはユウトの隣をゆっくりと歩く。
兄は弟と一緒だと、いつもこうしてこちらに歩幅を合わせてくれるのだ。
ユウトはそんなレオから、少しだけ距離をとった。
「……どうした」
「僕、まだ甘い匂いしてるから」
さっきのカフェで、生クリームたっぷりのケーキを食べ、ミルクたっぷりのコーヒーを飲んで来た。
レオがこの匂いを好まないから、普段ルアンと甘い物を食べる時は、家に帰る1時間前までに食べ終えるようにしていたのだけれど。
さすがに今日は無理がある。
しかし兄はせっかく弟が空けた距離を、自分から詰めてきた。
少し腰を屈めてユウトの匂いを嗅ぐ。
「乳くさい」
「乳製品多めだったもん」
そう答えると、レオはこちらの頭をくしゃくしゃとかき回した。
それから、再び手ぐしで大雑把に整える。
「これで匂い飛んだ」
「え? ほんと?」
でも服にも匂いが付いているのでは。そう思って袖口をくんくんと嗅いでみたけれど、自分ではよく分からなかった。
「……装備には防臭効果属性が付いてるから大丈夫だ」
「そうなの?」
「もう平気だから隣に来い」
「うん」
まあ、兄が平気だというのならいいのだろう。弟はいつもの定位置に落ち着いた。
「シュロの木には何かアイテムをお願いしに行くの?」
「いや、話をするだけだ。ラダの村でミワたちの親に工房の再生を依頼するにしても、元々の持ち主に了解を得ないわけにはいかないだろう。パーム工房は魔工翁が立ち上げた店だしな」
「あ、そっか」
縁を切ったとはいえ、工房の存続を決めるなら魔工爺様の意見は聞かねばなるまい。本人が戻らないまでも、その名前を継ぐ者は彼の認めた人物でないと。
「ロジー鍛冶工房の方はどうなんだろ」
「そっちはラダの村で訊けばいい。パームと違って、ロジーの息子は直系だ。そのまま継いで問題ないだろう」
「先代はいないのかな?」
「死んだという話は報告にないから、どこかにはいるはずだが。おそらくジラックかラダのどちらかだな。鉱石が出て鍛冶が盛んなところに居を構えているだろう。……まあ、年齢的にもラダで息子たちと一緒にいると考えた方が自然か。ジラックで再び店を立ち上げていれば、有名店になっているはずだし」
ロジーとパームは元々は仲が良く、当時は切磋琢磨し、やがて王都を代表する二大工房になったという。確かにそこの店主が大きな街で店を出せば、評判にならないわけがない。
この魔工翁の店だって、高ランク冒険者の隠れた名店として、知るものは知っているのだ。
「じゃあとりあえずは、魔工のお爺さんにだけ話をすればいいんだね」
「そうだな」
納得して少し歩けば、シュロの木はすぐだ。
エルドワが先に駆けていって扉の前で振り向いて、尻尾を振りながらこちらを待った。
ユウトも小走りに駆けていき、その身体を抱き上げる。
長いコンパスで普通に歩いて来てすぐに追いついたレオが、後ろから扉を開けてくれた。
「お爺さん、こんにちは」
「ああ、あんたたちか。いらっしゃい」
店には相変わらず他に人影はなく、魔工爺様だけがカウンターに座って術式書を読んでいた。
レオは真っ直ぐそこに近付いて、頓着なく声を掛ける。
「……少し話があって来たんだが」
「話? 長くなるようなら奥に行くかね?」
「いや。あんたがここで良ければここで。確認を取りたいだけだからな」
ユウト以外の他人の心の準備など知ったことではない兄は、単刀直入に切り出した。
「実は王都のパーム工房とロジー鍛冶工房を再興しようと思っている。まあ、ロジーの方は向こうの息子次第だが、パームの方はあんたの店だ。再興には賛成か、反対か?」
「工房を再興、だと?」
突然の話に、魔工爺様は目を丸くする。
「正直もう、ジラックで収監されたあんたの息子が再びあそこを継ぐのは無理だ。あんたがあそこに戻って店を再開するなら話は早いんだが、権利を放棄するなら他の誰かに託したらどうかと思ってな」
「儂にはもう、ああいう大きな工房を運営する体力はない。しかし他の誰かと言っても、誰が……」
「あんたの息子の嫁、タイチの母親に話をしようと思っている。本当ならタイチが継げばいいんだろうが、本人もその気がないだろうし、別の意味でパーム工房が敬遠されそうだからな……」
「タイチの母親……。ああ、彼女か……」
レオが出した人物の名前を聞いた魔工爺様は、特に嫌悪感を示す様子はなかった。息子を見限りロジーの旦那と逃げた女性だが、彼としても仕方のないことだと思っていたのかもしれない。
それどころか、申し訳なさそうな、後ろめたさも感じるような表情だ。
「パームの名を冠して職人を雇ってもいいし、あんたやタイチたちの受注窓口になってもいいんじゃないかと思っている。王都にもやはり名店が欲しいと、職人ギルドもバックアップを申し出ている」
「……わざわざ職人を雇うまでもない。彼女も元々私の下で働いていた魔道具職人だ。もちろんタイチの母親だけあって、腕もいい。……ただ、彼女が戻って来たがるかどうかは分からんぞ」
そう言って、魔工爺様は首を振った。
「とりあえず反対はしないんだな」
「まあ、あそこはもう息子夫婦に明け渡しているんだ。正式に離婚もしていないのだから、息子がいなくなったなら嫁が継ぐのもいいだろう。儂は彼女の腕は認めているし、人となりも知っている。……とりあえず、賛成か反対かと訊かれたら賛成だ。もし彼女に会ったら説得してみるといい」
「……お爺さんはその方と仲が良かったんですか?」
「そうだな……。仕事の覚えが早いし、アイテムクリエイトのセンスもあったから、嫁というより娘のように可愛がっていた」
それならば、事態は良い方向に進むかもしれない。
魔工爺様は彼女が戻って来るか分からないと言っているけれど、出て行った理由が旦那に腹を据えかねてのことならば、今なら戻る可能性はあると思う。
「……しかし、あんたたちは色んなことに首を突っ込んどるな。王都でパームとロジーの立て直しなど、ウチともえすで事足りているあんたたちには何の得にもならないだろうに」
「王都には多くの冒険者が訪れる。王宮の騎士団も憲兵もいる。そこに良質の武器防具・アイテムが揃うことは、国を護ることにも繋がる。国が護られれば俺はユウトとゆっくりのんびり生活ができるようになる。つまり俺にとっては超重要だが」
「ははは、あんたは行動原理が徹底しているな」
レオの理由を聞いて、魔工爺様は楽しそうに笑った。
これは完全に自分たちのための行動だが、彼にとってのこの流れは、過去のしがらみが解かれることに等しい。それを立ち話だけで済ませていく、その気負いの無さに魔工爺様も救われたのだろう。
「まあ、弟とのハッピーライフのために頑張ってくれ。……彼女はなかなか一筋縄では行かない女性だ。ロジーの息子もだが、我が道を行くタイプだからな。説得、頼んだぞ」




