兄弟、陰から様子を探る
レオがユウトを抱えて階段を降りる。
そうして最下層フロアに降り立った時、近くにいたはずの仲間は全員散らされていた。
「兄さん、みんないなくなってる」
「やはり階段による空間移動で振り分けられたか」
ユウトだけはレオの装備扱いだから、離されることはなかった。兄はそれだけで冷静になれる。
「ボスフロアは基本的にそれほど広くない。ヴァンパイア・ロードがいる場所に行けば、みんな来るだろう」
「ディアさんとかヴァルドさんとかは、どこかに閉じ込められてるかも……」
「いや、人質なんて今さら見つからないような安全な場所に置いても、俺たちへの抑止力にならないからな。その首根に刃物を突きつけて見せてこそ意味がある。おそらく、全員ボスのところにいるはずだ」
レオはそう言って、ユウトの手を取って歩き出した。
道中に障害になりそうなものは何もない。どうやら自分たちは、ここのボスの眼中にないようだ。
多分ネイも、同じようにフリーだろう。
ヴァンパイア・ロードの注意がエルドワとヴァルドだけに向いている証拠だ。
もちろん彼らの存在はボスにとって脅威だろうけれど、だからと言ってレオたちを放置するのは愚の骨頂。
まあ、自由にやらせてもらおう。
「……ディアさん、大丈夫かな。ヴァンパイア・ロードに血を吸われて、操られちゃったりしないのかな」
「平気だろう。生娘じゃないし」
「えっ? あ、そうか、そういうもの……なのかな?」
生娘、という単語を聞いて、ユウトが頬を染めて分かりやすくキョドっている。
「下級吸血鬼は吸血衝動が強くて結構何でも行くようだが、上級の貴族吸血鬼は上質の生娘の血を好むと聞く。お前が女の子だったら危なかったな。……いや、もうヴァルドの毒牙に掛かっているとも言えるのか」
「毒牙って……ヴァルドさんはダンピールだし、僕の血しか飲めない偏食だって言ってたし、仕方ないじゃない」
「偏食と言うより、究極の美食家の間違いだろう」
レオはそう言って、ふんと鼻を鳴らした。
ヴァルドの力を借りるには必須と分かっていても、大事な弟の指を食まれてムカつくのは仕方がない。文句ぐらいは言わせて欲しい。
少し機嫌を損ねた兄に気が付いたユウトが、繋いでいるこちらの手の甲を宥めるように撫でた。それだけでレオは簡単に溜飲を下げる。
「……そろそろボスのいるスペースに着くぞ。静かにな」
「うん」
やがて大きな広間に出る通路の際に到達すると、レオはユウトを背後に庇って陰から様子を覗った。
一段高いところにある豪奢な首座に、見るからに吸血鬼然とした男が座っている。あれがここのボスに違いあるまい。
その正面の段下にはヴァルドが立っていて、どうやら手足を魔法金属の鎖で繋がれているようだった。
すぐ近くで、同じようにエルドワも。
まだ大きなままだが、あと少しで子犬に戻るだろう。エルドワはそうなれば首輪も鎖も関係なく逃げ出せるだろうから、気にしなくても良さそうだ。
首座の後ろには魔法の檻。そこには予想通り人質としてディアが入れられていた。精霊は結局一緒じゃないのだろうかと思ったが、考えてみたら常人にその姿が見えるわけがない。いるかいないかはレオには判断が付かなかった。
そして、ネイはいない。おそらくレオたちと同じように、どこかからここの様子を覗っているはずだ。まあ、どうせあいつは勝手に動くだろう。
「……まさか、こんなところで会うとはな、ヴァルディアード」
首座に座る男が、脚を組み替えながらヴァルドに声を掛けた。
やはり知り合いらしく、本来の真名を呼ばれている。見るからに地位の高い上位魔族が名を呼ぶということは、ヴァルドの出自も同等なのだろう。
「もういつ会ったかも定かではない年月が経っているのに、よく私の名前を覚えておいでですね。申し訳ございませんが、私はあなたが父上の何番目の弟だったかも、お名前も覚えていません」
それに悠然と答えたヴァルドに、男はぴくりとこめかみを動かした。しかし激昂するわけでもなく、皮肉げに口角を上げる。
「まあ、お前の叔父にあたる者は20人以上いたからな。構わんさ、俺の名前など覚えていなくても。どうせお前はここで死ぬのだからな。……吸血鬼殺しを始末したとなれば、俺の地位はだいぶ上がる。俺のゲートに入ってきたのが運の尽きだったな」
このヴァンパイア・ロードはヴァルドの叔父か。
しかし、叔父が20人以上いた、というのはどういうことだろう。何故あえて過去形なのか。
「お爺様の後継争いはまだ続いているのですか。皆さん、よく飽きませんね」
「お前が生きていられたのはそのおかげだろう。他の兄弟を消すのに吸血鬼殺しは利用価値があったからな。……だが長兄の血を継ぐお前はとっとと殺すべきだと俺はずっと思っていたんだ」
「あなたにそう出来る実力が無かったのですね、ご愁傷様です」
「違う、今まで機会がなかっただけだ。今日がその日になった、ただそれだけのこと」
男は立ち上がり、両手を広げた。まるで何かの儀式のように。
「……もう少し近付かないと、エナジードレインの魔法は届きませんよ」
「ふん、その魔法が効く範囲に入ったら、お前の魔眼に囚われるだろう。そうはいかん。……どうせお前とそこの魔物さえ葬れば、後は雑魚だ。人質を使って適当に遊んでやる」
「……ふふ、あの方たちを雑魚扱いとは、おめでたい方だ」
そう言ったヴァルドが、ちらりとレオたちに視線を送った。そして軽く腕を上げ、繋がれている魔法の鎖に触れる。
どうやらそれを斬れということのようだ。
そこに掛けられている魔法は不壊などではなく、ヴァルドの変化を抑止し、魔法を封じるだけのものなのだろう。
ならば行ける。
「……もゆる、お前はここで待っていろ」
小声で後ろにいるユウトに声を掛けると、弟は頷きつつも吸血鬼の後ろを指差した。
「……ディアさんも何かするみたい」
見るとディアが木片らしきものを手に彼らの様子を覗っている。
何をする気なのか。
「あの木片、精霊を降ろす依り代なんだ。もしかすると、カチナさんを呼ぶのかな」
「カチナ?」
「ディアさんのお友達で、上位の精霊なんだって。物理攻撃めっちゃ強いの」
彼女が入れられている檻も、ヴァルドが繋がれているのと同じ魔法封じのものだろう。物理攻撃で破壊出来る可能性は高い。
だが、あそこに精霊も囚われているのなら、それが通り抜け出来ない類いの魔法も掛かっているはず。
「どうだろうな。おそらくあの檻の空間は閉じられているから、外から精霊は入っていけないんじゃないか。そのカチナとかいうヤツも」
「あ、そっか。……とすると、中に囚われている精霊を実体化させるのかもね」
「……ディアがその精霊と接触出来ればボスをボコボコにできると言っていたし、それだろう」
だとすれば、ディアも心配要らないか。
ふとその奥を見れば、檻の向こう側にネイの姿も見える。
このボスは我々を分散させたことで、包囲される状況を自分で作るという悪手を取ったわけだ。
数々の罠と同様、性格が悪く難敵のようでいて、詰めが甘い。
だが、そんなことに気付いてもいないヴァンパイア・ロードは、悠々と術式の詠唱を始めた。
繋がれたヴァルドとエルドワの足下に、魔方陣が現れる。
「……これは……魔喰い召喚!?」
それに気付いたヴァルドが、隣にいるエルドワに慌てて声を掛けた。
「エルドワ! 今すぐ変化を解除してここを離れて下さい!」
「アン!」
ちょうどタイムリミットだったのか、それともヴァルドに言われたからか、呼び掛けとほぼ同時に子犬に戻ったエルドワが、緩んだ首輪からすり抜けてぴょんと離脱した。
突然のことに男が目を瞠る。
「何!? ……チッ、まあいいか。あの魔物も変化だったなら、すぐには再成獣化できまい。ヴァルディアードさえ葬ってしまえば……」
「信じられない……この術を使うとは、あなたはまさか魔研と繋がりが……! 精霊を閉じ込めていたのもそのせいですか……!」
「これから死んでいく者に、その答えが必要かね?」
男が詠唱を終え、ニヤリと笑う。
途端にヴァルドの足下の魔方陣から黒い無数の手が伸びてきた。
魔手だ。
魔研の降魔術式でも使われていた、魔物や半魔を絡め取り連れ去る不気味な手。
人間と手を結んでいるなどと、指摘をされればプライドの高い魔族なら即座に否定するだろう。しなかったということは、つまりそういうことだ。
レオは目眩がする思いだった。
奴らは魔族までもを世界崩壊に巻き込んでいるのか。
封印されていたこんなに古いゲートの最下層で、まさかその名前を耳にしようとは。




