弟、冒険者ギルドで絡まれる
翌日から、レオは毎晩のように狩りに出掛けるようになった。
それでも朝食時にはきちんと宿にいるし、昼間にユウトのランクD依頼にも付き合っている。よく身体が続くものだ。
その日もユウトは朝食のトーストをかじりながら、兄の顔をのぞき込んだ。
「……レオ兄さん、最近ちゃんと寝てる?」
「最近の討伐はさっさと終わらせるようにしているから、深夜の1時には帰ってきて5時間は寝ている。心配するな」
「そんなに急いで素材を集めなくてもいいと思うんだけど」
「いつまでもユウトに大した防御力もない服を着せていたくない。それに……あの鍛冶屋と早いこと取引を終えたい」
「ああ……」
最後に辟易したように言う兄に、思わず納得してしまう。
あの日からレオは毎日のように『もえす』に素材を納品に行っている。店頭に出てくるのがタイチの時は問題ないのだが、ミワが出てくると大変らしい。
「でも、もっと休んでいいよ。せめて昼間はさ、1人でこなせる依頼もあるし、兄さんがついてこなくても」
「その提案は却下だ。どっちにしろ心配すぎて後をつけていくことになるから意味がない」
「……もう、過保護だなあ」
ユウトは困ったように笑う。
もちろん、弟が非力で頼りないというのもあるが、もう少し強くなったところできっと兄は同じように心配するのだろう。大事にされている自覚があるから卑屈な感情は抱かない。
「じゃあ、冒険者ギルドで依頼を受けてくる間だけでもゆっくりしててよ。あそこならリサさんもいるし、顔見知りになった冒険者さんもいるし」
「……依頼内容を判別できるのか?」
「周りに聞けば大体のことは教えてもらえるから大丈夫。……そういえばリサさんが、討伐依頼をあと2つくらいこなせば冒険者ランクDに上がれるって」
「討伐依頼……まあ、ランクDならどれを受けても問題ないか」
レオもそれくらいならと納得してくれたらしい。ギルドに1人で行くことは止められなかった。
「まだ朝早い。このくらいの時間の冒険者ギルドは混んでるから気を付けろよ」
「うん、平気」
遅くに行くと割の良い依頼はほぼ無くなってしまう。金額よりも冒険者ポイント的に、やはりいい依頼を受けたい。
ユウトは朝食を食べ終えるとカウンターに食器を下げ、レオを残して出掛ける準備を始めた。
朝7時に開く冒険者ギルドは、8時過ぎくらいまで冒険者でごった返す。その1時間で、大体半数の依頼が消えていくのだ。
レオがいるときはいつも混雑を嫌って9時くらいに来るから、ユウトがこの喧騒を見るのは初めてのことだった。
(朝早いと、依頼がこんなにボードいっぱいにあるんだ……)
これだけあると、逆にどれを選んでいいか分からない。それもあるから兄はこの時間に弟を連れてこなかったのかもしれない。
そもそもユウトでは、依頼ボードに近付くことすら難儀に思えた。今ここに参戦したら、自分は確実に潰される。
(杖と魔石を使えば、ここからでも依頼用紙を取れるけど)
依頼の詳細は見えないが、項目なら今の位置からかろうじて見える。でもちょっと順番抜かしっぽいだろうか。怒られそうだからやめておこう。
少し人が引けるまで待つことにして、ユウトは時間帯的に人の少ない、依頼完了受付のブースの近くの壁際に移動した。
そこでは4人組のパーティが、椅子にふんぞり返って完了報告をしている。余程良い成果を上げたのだろう。全員がにやにやと笑みを浮かべていた。
「……依頼モンスターの討伐確認できました。報酬ランク++。ギルドカードを翳して下さい。報酬をお支払いします」
「おう、頼むわ。あー今日も美味い酒が飲めそうだぜ」
リーダーらしき戦士の男がカードを翳す。チャリン、と入金の音がした。
しかし手続きを終えた男は、そのまま立ち去ることをせずに受付の男性に詰め寄る。
「おい、このまま『お疲れ様でした』じゃねえだろ? 昨日も言ったが、そろそろ俺らのランク上げるべきじゃねえ?」
「……確かに、最近の連日の魔物討伐は見事な手前。持ち帰る確認素材も夜間狩りのため上質。……分かりました、少々お待ち下さい。上の者に打診して参ります」
夜間狩り……どうやら彼らもレオと同じ、夜に魔物討伐をする人たちらしい。最近連日で魔物を狩っているというのなら、街の外で兄と鉢合わせしているかもしれない。
そう思いながら見ていると、不意にパーティの中の魔法使いの男と目が合った。ユウトとそう変わらない年齢だろうか。
彼はその瞳を意地悪そうな笑みでゆがめると、こちらに近付いてきた。
「お前、どこの魔法使い? すっげえ貧弱だな、装備も弱っちいし。村ネズミにもやられそう」
同じような科白を若旦那にも言われたことがあるが、その印象はまるで違う。この男の言葉は、ただ相手を貶めるためだけの意図しか含んでいない。
自分より弱い相手を見つけて、貶して、優越感に浸るのだろう。簡単な人だなあと呆れて、しかし無視をすると面倒そうだと軽く対応する。
「まだ冒険者になりたてなんです」
「ふはっ、なりたてにも程があんだろ! お前、腰に差してんのリトルスティック・ベーシックじゃねえか! 幼児用だぞ、対象年齢3歳~6歳だぞ! 俺はそんなの1日で卒業したっつうの!」
だから何だというのだろう。彼の科白は、兄の言葉を借りれば自分の魔法はノーコンだと言っているようなものだ。ユウトを馬鹿にする言葉は、そのまま彼自身の無知を露呈する。
「そんなんじゃ、ネズミ一匹倒すのにもどんだけ詠唱が必要なんだよって話」
「詠唱?」
「うわ、詠唱も習ってねえの!? ははは、そんな魔法使いカスじゃねえか! 死なねえうちに廃業しとけよ!」
「おい、ニール。そんな役に立たないゴミみたいなの相手にしてねえで戻れ。担当が来たぞ」
げらげらと笑うニールという男を、リーダーの男が呼び戻す。
揃った4人の前に、先ほどの受付担当が書類を持ってきて座った。
「……最近のご活躍を鑑みまして、皆様のランクをCからBに引き上げたいと思います。今後はランクAからCの依頼をお受けいただくことが可能となります。ギルドカードをおひとりずつ翳して下さい。ランクの書き換えをいたします」
「よし、やっとだぜ」
「でもある意味簡単だったよな」
「ばか、それは黙っとけよ」
「ま、俺たちは運が良いってことだ」
内輪話をしながらカードを書き換えた4人は、今度こそ席から立ち上がった。
「今日はまた夜まで自由時間だ。夜9時になったらいつものところに集合な」
「うえーい」
「俺たちもっと稼いじゃうもんねー」
「もちろん寝る前にこの金で飲みに行くだろ?」
全員で示し合わせをしながら、ギルドを出て行く。4人は終始上機嫌だった。
そんな彼らがいなくなると、やりとりを見ていた冒険者が口々に噂話を始めた。
「あいつら、最近いきなりランクBの夜討伐に行き始めたよな。万年ランクCでランクB依頼をほとんど受けない、大して強くもねえ奴らだったのに、どうなってんだ」
「でも実際、上位モンスターの討伐証拠素材ちゃんと持ってくるしな。何か良い武器でも手に入れたんじゃね」
「依頼報酬ランク++連日ゲットで、すげえ羽振りがいいらしい。この間酒場で一番高い酒頼んで、4人で10本くらい空けたってよ」
「あれ、一本で金貨2枚だろ。はあ、突然大金手に入れると馬鹿になっちゃうのかね。冒険者なら金入ったらまず装備だろうがよ」
「おおー、お前、真面目だな」
わいわいと話す冒険者たちの彼らに対する噂の内容は、別段気になるような引きもない。
貶されたことだって、虫に刺されたようなものだった。
ユウトにとって、ニールたちに対する興味なんて皆無なのだ。
ただひとつの単語だけは気になったけれど。
(そういや、詠唱ってなんだろ。戻ったらレオ兄さんに聞いてみよう)
ユウトはそこから意識を外し、ようやく人の空いてきた依頼ボードのところに向かった。
「ただいま」
「お帰り。いい依頼は選べたか?」
リリア亭に戻ると、真っ直ぐレオの部屋へ入る。
そこにはすでに出掛ける準備をした兄がいて、弟を部屋の入り口で出迎えた。
「これにしてみた。ずっと気になってた魔物なんだよね」
「ああ、『村ネズミ20匹の討伐』か」
おそらく、魔物としては最弱の部類だろう。それにすらユウトはやられそうと言われたわけだが、どんなモンスターか是非見てみたい。そして対決してみたい。
「ネズミというからにはすばしっこいのかな。最初にこの杖で勝てる攻略法を考えて行きたいから、生態とか教えて」
「そうだな……村ネズミはカピバラくらいの大きさの魔物だ。群れる習性があり、一匹見つければ周囲に大体30匹はいる。ただ厄介なことに、こいつらは臆病ですぐ逃げるんだ」
「……向かっては来ないの?」
「夜は死角から襲ってくることがある。ただ、夜は行かせないからな。これは考慮するな」
向かってこられるのも困るけど、逃げられるのも厄介だ。結構面倒な依頼だった。
「普通はどうやって攻略するものなの?」
「一匹ずつ見つけて殺すの繰り返し。時間が掛かるわりに報酬が少ないから、あまり人気がない依頼だ。ただ、魔道士系ならいくらかマシだな。遠距離で狙えるから」
「魔道士って言ってもなあ」
幼児杖ではそう言えるのかも微妙だ。
なんて思ったところで、ふとさっきのことが頭をよぎった。
「レオ兄さん、そういえば詠唱って知ってる? 魔道士なら習うものなの? 魔法だよね」
「何……? それは、誰に聞いた?」
何の気なしに訊ねたユウトの言葉に、レオが何故か眉を顰めた。
「冒険者ギルドで他のパーティの魔道士に。この杖だとネズミ一匹倒すのにどんだけ詠唱が必要なんだって言われた。リトルスティック・ベーシックでも呪文唱えれば魔法って使えるの?」
「……どこのどいつだ、余計なことを……」
兄は小さく舌打ちをし、僅かに思案をする。しかしすぐに息を吐いて、弟の頭を撫でた。
「……お前にはまだ詠唱はいらない。その杖でも使えないことはないが、ユウトには必要ない」
「そうなの? ならいいや」
レオがそうだと言うのなら、そうなのだろう。ユウトは兄の言うことを信頼している。だったらそれ以上食い下がる必要はない。
何かを隠しているならそれも弟のためだろうし、彼がユウトの味方でないことなんてありえないのだから。
さて、これで村ネズミの話に戻る……と思ったら、眉根を寄せたままのレオは、今し方ユウトの発した言葉を引き戻した。
「ところで……冒険者ギルドで絡まれたのか? 内容からしてその杖のことを馬鹿にされたんだな? どこの誰だか兄さんに詳しく話してみなさい」
「あ、いや、別に平気だったから。兄さんは気にしなくて大丈夫」
しまった、ニールに言われたことをついそのまま口にしてしまった。レオは、ユウトを虐めた相手には容赦がない。正直ユウトがもうやめてあげてと思うほどだ。
ちょっと悪態を吐かれただけだし、それは可哀想な気がする。
「パーティ名も知らないしさ、初めて会った人たちだったし。最近調子が良いらしくて今日ランクアップしてたから、浮かれてたんじゃないかな」
「浮かれていてもしていいことと悪いことがある。この時間に納品してランクアップをしているということは、夜狩りをしている奴らだな。最近調子が良い、魔道士のいるパーティ……。ユウトに絡むってことは、それなりに若い奴だな、ランクもたいしたことない……」
やばい、言葉の端々から色々バレてる。
そのうちレオはそのパーティに思い当たったのか、じいっとユウトを見た。
「……もしかしてそいつら、4人パーティか? 今までランクCだった奴らだろう。リーダーが戦士の」
「え、何で知ってるの? ……あ」
「そうか、あいつらか」
訊き返した時点で当たっていると言ったも同じだ。
兄は確信を得て頷き、何事かを思案している。
「あの、本当にたいしたこと言われてないから。制裁とか与えなくていいからね!?」
「……まあ、ユウトがそう言うなら猶予を与えてもいい」
あれ、珍しい。こういうふうに弟が何かされた時、レオはユウトの意見など聞きもしないのだが。
しかし思い直してくれるならそれでいい、犠牲者が減る。
「……そうか、あいつら、ランクBに上がったのか……」
不意にぼそりと、ユウトに聞こえない声でレオが呟いた。
被害を防げたことに胸をなで下ろしたユウトの向かい側で、兄がもっと物騒なことを考えているなんて、その時の弟は知るよしもなかった。