弟、エルドワの真の姿を見る
ユウトたちが飛び込んだ先は、ごつごつとした大岩の転がる岩山だった。
そこに、ひときわ大きな塊がある。
一見ただの岩が積まれた山だが、そこに漂う魔力が、これが普通の岩ではないことを告げていた。間違いない、これが倒すべき魔物。
眠っているのか、何かスイッチとなるものがあるのか、まだ反応はしていないけれど。
ユウトはエルドワを連れて岩陰に屈んで隠れ、その様子を覗った。
「……この状態だと、何の魔物かも分かんないな……。僕ももうちょっと魔物の知識身につけなきゃ」
魔物の知識は大体レオが持っているから、ユウトはだいぶ疎い。もちろんモンスター図鑑を開くこともあるのだが、冒険者が記憶を頼りに描いた魔物の絵は正直色々問題ありで、実物を見てもなかなか情報が合致しないのだ。
それでも特徴くらいは押さえておかねばなるまい。
今度ウィルに教えを請うてみてもいいかもしれない。既存のモンスターデータには興奮しないというから大丈夫だろう。
そうして敵を観察していると、少し遅れてディアが現れた。
一度こちらを見、それから魔物を見て、ユウトの元に寄ってくる。
「岩石魔竜ですわね。魔族が生成した魔造生物ですわ」
「ディアさんは魔物も知ってるんですね」
「魔法講師ですもの。魔法や術式に通じるものは教材として扱うことも多いんですの。魔造生物はそのひとつですわ」
「そうなんですか。……その特徴とか倒し方とかも分かります?」
「特徴は、やはり魔法が一切効かないことですわ」
「……ですよね。でもあの岩肌、物理攻撃にも強そうなんですけど」
「このランクですと、魔法に強いからといって物理に弱いという分かりやすい魔物はそういませんわ。私やもゆるちゃんが剣で斬りかかっても、おそらく跳ね返されてしまいますわね」
ディアは苦笑して肩を竦めた。
「ただ、物理攻撃は間違いなく効く……つまり、魔竜の防御力をはるかに凌駕する攻撃力で叩き潰せば良いのですわ。ねえ、エルドワ」
「アン!」
同意を求められて、エルドワはぴるぴると尻尾を振っている。
言葉に似つかわしくない微笑みをゆったりと浮かべたディアに、ユウトは瞳を瞬いた。
「……もしかして、ノープランのごり押し……?」
「うふふ、ごりっごりのごり押しですわ。あちらは私たちが体力無しの魔法使いと分かってますから、物理攻撃を仕掛けてくるのは明らかですもの。ガチンコ勝負、殺られる前に殺る、単純明快ですわ」
……何だかイメージと違う。
もっと知略を尽くした戦い方をするのかと思っていたけれど。
「もちろん、もっと強くて面倒な相手には手を掛けますわよ。でも魔造生物の強さは創造主の能力で決まるのです。ここのボスは罠がえげつないだけで、能力は然程ではないと思いますわ」
「……確かに、僕たちは魔物にというより、罠に手こずってる感じですね。アホ化とか幼児化とか、普通無い罠まであったし」
「私も宝箱の罠リストを見ましたけれど、地味に嫌なのは『夜中に必ず5回トイレに起きる罠』でしたわね。あれ面倒そうですわ。誰が掛かったのかしら」
その罠のチョイスをしたヴァンパイア・ロードもどうかと思う。吸血鬼のイメージとしてどうなんだ。
まあとりあえず、その罠に掛かった人も、昨晩はトイレに起きずにぐっすり眠れたに違いないからいいけど。
「さあ、もゆるちゃん。さっさと決着を付けてしまいましょう。エルドワに血を与えて下さる?」
不意にディアが起ち上がった。
そして自身のポーチから、木片のようなものを取り出す。
「ディアさん、それは?」
「物理攻撃をするには実体が必要なのですけど、精霊は本来実体を持たないものですの。ですから、これを依り代にして強力な精霊を呼び出すのですわ」
「実体のない精霊にそれで実体を与える……?」
「そういうことですわね。精霊とは四大だけでなく森羅万象に宿っておりますのよ。それらを束ねる上位の精霊でしたら、全てを網羅するだけの実力がありますの。そのうちのひとりが私のお友達ですから、呼び出しますわね」
彼女はそう言うと、木片を魔力で宙に浮かせた。
「カチナ!」
精霊の名前だろう、ディアがそれを呼ぶ。
すると木片は途端に人型に変化した。
「☆○△×◎◆!」
奇妙な鳥のような、くちばしを持つ精霊。
それは姿を現すと同時にディアに詰め寄って何かを訴えたけれど、ユウトには言葉が分からない。しかしディアは理解をしている様子で、軽く肩を竦めた。
「お小言は後にして頂きたいですわ、カチナ。まずはそこの岩石魔竜を倒して下さる?」
「□▼※☆……」
「はいはい、分かってますわ。……もゆるちゃん、あなたもエルドワに血を」
「あ、はい!」
不承不承という感じでカチナが魔物に近付くと、魔力を纏った岩がゴトゴトと動き出した。
どうやらこちらがある程度近付くと起き出す仕様らしい。
いくつもの岩が連なって竜の形を形成するのを見て、ユウトは慌ててピアスで指に傷を付けた。
「……これだけで大丈夫なのかな? はい、エルドワ」
「アン!」
めっちゃ尻尾を振っているエルドワに、ぷくりと血の玉ができた指を差し出す。子犬はそれを躊躇いなく舐め取った。
その瞬間、いきなりエルドワから大きな魔力の渦が巻き起こる。
ユウトは思わずその圧力に怯んだ。
小さかった身体が、目の前で見る間に大きくなっていく。
「エ、エルドワ……!?」
「あら、本当に成長していますわね、エルドワ。それとも、私ともゆるちゃんでは血が違うからかしら」
「ガアウ!」
いつもの甲高くて愛らしい鳴き声とはまるで違う、猛獣の声。
その変容ぶりに、ユウトは目を丸くした。
いつも抱っこしていた可愛らしいころころもふもふが、こんな真の姿を持っていたなんて。
大きさは成獣のライオンに匹敵する。しかしもちろんイヌ科の顔をしていて、表現としてはたてがみを持つ大きな狼、というのがしっくりくるだろうか。
牙も爪も鋭く、つり上がった目も正しく猛獣といった容貌だ。
明らかに高ランクの魔獣の風格。
凶悪な強さを滲ませながらも、その姿は美しい獣。尻尾のもふもふだけが、唯一子犬エルドワの片鱗を残していた。
エルドワは唖然としているユウトに甘えるように一度頭をこすりつけて、しかしすぐに魔物に向かっていく。
それではたと我に返ったユウトは、エルドワに声を掛けた。
「エルドワ、気を付けて!」
「ガウ!」
鳴き声は違えども、ユウトの声に対する反応は同じ。
それに少しほっとして、ディアと並んで様子を見守った。
「エルドワ、やる気満々ですわね。カチナはちょっと不満たらたらだけど、彼らなら問題ありませんわ」
「わあ、精霊さん、あの大岩でできた身体を剣でスライス……。え、ちょ、エルドワ、敵にかじり付いて噛み砕いてる!」
「歯と顎が強いのですわね」
こちらの攻撃力が、完全に敵を圧倒している。
魔竜は攻撃を仕掛けてくるというよりも、この場から脱しようと暴れているような状態だ。
これは時間の問題だろう。
大きな身体で軽やかに戦うエルドワを見ながら、ユウトは少し肩の力を抜いた。
あれが、エルドワの本来の姿。
「……ディアさん、エルドワが何の魔物の血を引いているか知ってます?」
ふと、エルドワの真の姿を知っていた彼女に訊ねてみる。
するとディアは、簡単に答えをくれた。
「冥界の門の番犬の血を引いているそうですわ」
「冥界の門……?」
「死者の世界へ続く門の番犬ですの。番犬と言っても世界の秩序を護る者、かなり高位の魔獣ですわよ。魔物も人間も支配下に置くことのできる存在ですわ」
「もしかして、エルドワってすごい子……?」
ギリシャ神話で言うところの、ケルベロスみたいなものだろうか。だとすれば、エルドワが不死者を相手に戦えると言ったヴァルドの言葉も頷ける。
死者の門を番する者の血を受け継いでいるのだから、当然死者も生者も相手にできないわけがない。
……しかし、そんな高位の存在が、どうして自らユウトに従属しているのか? その意味が分からない。
「ギャオオオオオ!」
そうして2人で話をしている間にも、怪獣じみた声を上げた魔竜がじわじわ身体の岩を減らされていっていた。
しかし、いつものエルドワならコアとなる魔石を狙ってほぼ一撃のはずなのだが、この魔物にはないのだろうか。
「魔造生物って実体があるのにコアがないんですか?」
「いいえ、もちろんありますわ。今は届かないところにありますの」
ユウトの問いに、ディアが上を指差す。
よく見ると、はるか上空にひとつの岩が浮いていた。
「エルドワの攻撃もカチナの攻撃も、物理に限っては近距離でないと威力を殺されてしまいますの。ですから地上にある身体を全て破壊して、あのコアが新たに岩石を集めて身体を作り直そうと降りてきた時を狙うのですわ」
「……僕たちを侮って攻撃が来ないと思ってるから、今はあんなに無防備に浮かんでいるんですね」
空中に浮いて止まっている岩は、的としてはとても狙いやすい。
……エルドワたちが地上の身体と戦ってくれている間に、もしあれを割ることができれば、簡単に倒せるのではないか。
ユウトはふと思い立ち、以前試行錯誤したことを反芻しつつポーチを漁った。
確か入れていたはずだ、加工したクズ魔石。
それを取り出して、ユウトは魔力を込めた。
「……もゆるちゃん、それは?」
「以前加工しておいた魔石です。円盤形の刃になってるんですけど、これならあの岩狙えないかなあと思って」
言いつつふわりと浮かせたそれを、風の魔法で回転させる。これを勢いよくぶつけて、丸鋸みたいに岩を切断できれば。
「なるほど、魔法をぶつけるのではなく、魔法で魔石を強化して物理作用で破壊するのですわね。面白い考えですわ」
ディアは感心したように言って、興味深げに魔石を見た。
「これなら魔力の消費量も少ないですし、インパクトの直前まで威力を乗せられる、この状況では理想の遠距離物理攻撃ですわ。よく考えていますわね」
「兄さんがいつも、最低限の力で最大限の効果を出せる方法を考えろって言ってたんです。そのおかげで色々応用力がついたんですよ」
「ソードさんが? ……そう、あの方、もゆるちゃんを甘やかすばかりでもないのですわね。きちんと育てて下さったようで何よりですわ」
「記憶喪失だった僕を引き取って養ってくれたんです。愛情注いで育ててもらったし、兄さんがいなかったら僕、今頃生きてなかったかも」
「そう。……ソードさんには感謝しなくちゃいけませんわね」
「? はい」
ディアの言葉は、どこか独り言のような響きだった。けれど内容としてはユウトに言っているのだろうと解釈して頷き、会話を切って再び魔石に集中する。
そうしていると、ディアがついと指を伸ばした。
「もゆるちゃん、円を魔法で回転させるなら、全体を回すのではなく中央に軸を置いて、コマのように回すと省エネで速さも増しますわ」
「あ、ほんとだ」
この世界にもコマがあるのだろうか。そんなことを考えながら回転速度を上げ、浮かぶ岩に向かって構える。
「ここからは魔法であそこまで飛ばしますの?」
「ええと、手元で魔力を凝縮して、それを炸裂させた反動で飛ばします。銃に火薬を込めるみたいな感じで」
「その威力を逃がさないように魔力で枠を作るのですわね。撃ち出した刃の軌道も作って……細やかに魔力を制御できていますわね。素晴らしいですわ。これもお兄様の教えの賜物かしら」
「もちろんです」
ユウトの躊躇いのない答えに、ディアが微笑んだ。
「では、その成果を見せて下さる?」
「はい、行きます!」
一呼吸の後、ユウトは手元で魔力を炸裂させる。
高速回転する刃は、真っ直ぐコアの元に飛んでいった。
「……今度、お兄様にお礼を言わなくてはいけませんわ」
コアが砕け、岩石魔竜が崩れる姿を見ながら、ディアはひとり呟いた。




