弟、ヒントを読む
食事を終えた後、レオたちは全員でリビングに集まって、まだ発動していないだろう罠の推測を始めた。
ちなみにユウトは今レオの膝の上にいる。
一度ちゃんと抱っこして問題ないと分かった兄は、今度は弟にべったりになってしまったのだ。極端から極端に走る男である。
「即死、凶戦士化、混乱……このあたりの罠なら発動しても無効化できるから問題ないんですけどね」
「実害がありそうなのは何だ? アホ化とかがあるくらいだから、巨大化とか獣化とかもありそうだな」
「正解にたどり着けるまでに、致命的な罠が発動しなければどうにかなると思うんですが、その正解が不明瞭なのがなあ……。もゆるちゃんに鑑定掛けてもらいたいけど、それでも多分罠が発動しちゃうんだろうなあ」
鍵穴にピックを突っ込んで、何もせずに引き抜いただけでも罠が発動したのだ。おそらく、鍵になんらかの干渉をした時点でそれがトリガーとなるのだろう。
当然、レオとしてはユウトにそんな危険を冒させるつもりはない。
「もゆるに魔法を掛けさせるくらいなら、ピンを全部押し込め」
「まあ、俺もそのくらいの気持ちではいますけど。ただ、例えば巨大化とかしたらもう俺は使い物になりませんし、その後もしソードさんが代わりに鍵開けに挑戦したとして、獣化で熊にでもなったらもゆるちゃんしかいなくなるわけですよ。そのリスクがなあ」
「せんせ、エルドワもいるよ?」
「あー、そうだねえ、エルドワもいるねえ。鍵穴にピック突っ込むくらいはできるかな」
「アン!」
「無茶言うな。後はヴァルドを呼び出して、俺もキイとクウを呼び出して、人数を確保するしかない」
まあ、残りのピンはまだ30くらいあるとはいえ、途中で正解が出る可能性はある。……もちろん、最後のひとつまで出ない可能性も否定はできないのだけれど。
だからレオの言葉にも、ネイは浮かない顔だ。
「人数確保でどうにかなる問題ならいいんですけどね。……ヴァルドが活路は必ずあると言ってたけど、そんな感じがしないんだよなあ」
そう呟きつつ、盗賊のピックを取り出す。
ネイの隠密の必需品。不壊+と集中力+が付いている。9割を超える正答率を導くこのピックに、何の手応えも感じないというのがネイはどうにも引っかかっているようだ。
「……ピンの中に、正答がないと?」
「俺の感覚としては、ですけど。まあ、結構戦闘をこなした後で集中力が減ってたのは確かですから、明日の朝にもう一度挑戦します。どっちにしろピンを押し込んでみないことには始まりませんし」
「とりあえず、推察した罠に対策だけは取っておこう。無効化できるものはできるだけブロックしないといかん」
「そうですね。……あー、何かヒントになることがあるといいんだけど」
ネイが頭を掻いて、少し疲れ気味に項垂れる。
それを見たユウトが、瞳をぱちりと瞬いた。
「ひんと……『すすみたくば、このたからばこをあけよ』って」
「ん、そうだね。その宝箱の鍵を開けるために先生頑張ってるのよ」
ネイはすでに知っている立て札の文言を口にするユウトの頭を撫でる。だが欲しいヒントは鍵を開けるためのものなのだ。
そう思ったネイに、しかしユウトは衝撃の言葉を吐いた。
「かぎあけろってかいてない」
「……!? え? そうね、でも、え? 言わなくても分かるからじゃ……?」
「鍵を開けないと宝箱は開かんだろう、普通……」
「『なにがおこるかは、うんしだい』だよ? ね、ぼくがこううんあげるまほうをせんせにかけたら、たからばこ、あくかも」
「……た、確かに、あの文言がヒントなら……! つうか、謎掛けかよ!」
ネイが呆れとも嘆きともつかない声で喚く。
ユウトの提案は一見荒唐無稽に思えるけれど、正答のない鍵や無意味に見えた立て札に意味があるとしたら、それは信憑性を持つ気がした。
子どもの素直な目線、余計な先入観がないからこその答え。
なるほど、高ランク冒険者の豊富な経験こそが、簡単な答えを見えなくしていたのかもしれない。
レオは弟の意見に頷いた。
「試してみる価値はあるな……。しかし、宝箱から何が出るかも分からんし、試すのは明日にしよう」
「賛成です。今から宝箱開けて魔物でも出てきたら、戦うのキツいですもん。一撃で行けるのだったらいいけど、特別なもの出そうだし」
魔物が出ると決まっているわけではないが、その可能性は0ではない。念のため明日に回すことにする。
「……それから、明日は宝箱次第だが、できるだけ階層を下りたい。明後日にはボスのところに辿り着きたいし、それまでに余力を残さなくてはならんからな。できるだけ体力の回復に専念しろ」
「了解。まあ、ヴァルドがいる間はサクサク進めるでしょうし、明日の目標は110階くらい? だったらここから30階ちょいだし、明後日も18階下りるだけで済むし」
「そうだな。最低でもそこまでは行きたい」
ここから先の攻略資料はもうないのだ。これ以上は手探りで行くしかなかった。
必要なのは十分な休養、万全の体調、研ぎ澄まされた注意力と判断力。
とりあえず今できることは明日に疲れを残さず、魔力も体力も完全回復させること。打ち合わせはここまでだ。
「じゃあ、俺はもうテントに戻って休みます」
「おやすみなしゃい、せんせ」
「おやすみ、もゆるちゃん。明日はよろしくね」
「ん、まほうがんばる!」
ネイはレオの腕に抱かれたままのユウトに手を振って出て行った。
それを見届けてから、レオはテントの入り口を閉め、ユウトとエルドワを寝室に入れる。自分たちもとっとと寝なければいけなかった。
「もゆる、先にシュラフに入ってろ」
「はあい」
良い子のユウトは素直にシュラフに潜り込む。
その間にレオはスーツをハンガーに掛け、軽く片付けをして、自分も寝室に入っていった。
すると小さなユウトが被ったシュラフからちょこんと顔を出していて、レオは激可愛い、と今日すでに何十回と浮かべた単語を再び脳内に上らせた。
「にいに、ぼく、ねむくない」
「ああ、まだ睡眠無効の髪飾りが付いてるからな。おいで、外してやる」
「ん」
座って呼ぶと、ユウトはシュラフからもぞもぞと出て、レオの膝の上に向かい合わせに座った。それでもまだだいぶ低い位置にある弟の頭から、髪飾りを外してやる。
すると途端に、ユウトがふぁ、と子猫のような欠伸をした。
ああもう、激可愛い。
「眠くなったか」
「んー……」
一気に睡魔が襲ってきたのだろう。ユウトはそのままこてんとレオの胸に身体を預けた。小さな手やまろい頬を撫でると、ぽかぽかしている。子どもの体温は抱いて寝たら心地よさそうだ。
その身体を抱えたままシュラフに入る。
このまま寝たら小さな身体を潰してしまわないだろうかと少し心配になったけれど、寝息を立て始めた弟の紅葉のような手が兄のシャツを掴んでいるのに気が付いて、それを外すのがもったいなくてそのままにした。
信頼されている、頼られている、自分のような存在に安心してくれている。この感情は、歓喜か幸福か。いつから抱え始めたものだったか。
ふと、暗黒児だった時のユウトがその小さな姿に被った。
あの頃から、こんなふうに優しく甘やかしてあげれば良かった。
ガリガリに細かった少年を思い出して、少し胸がちくりとする。
しかし、当時を苦く思っても、それを挽回できる今があることは何よりの救いだった。
彼の地獄のようだったあの頃の記憶が消えている今、レオがするべきことはそれを優しい記憶で上書きしてしまうことなのだ。
今度こそお前を、全てから護りきってやる。
兄は改めてそう決意し、腕の中に小さな身体を抱き込んで眠りについた。




