弟、罠に掛かる
今日の目標は80階。
とりあえずこのパーティで主たる魔物は討伐できる。今日はヴァルドがいる間にそこまで到達してしまいたい。
途中で遭遇する魔物を、どうすればもっと効率的に倒せるか話し合い試行錯誤しながら、レオたちはどんどんゲートを下った。
そして、辿り着いたフロアは78階。
例の、脳筋パーティが『やられた。もう帰る』と一言報告して撤退した階だった。
「……何だ、この階は?」
その異様さにまず眉を顰めて声を発したのはレオだ。
「何だろ、すごく明るいね。今まで薄暗かったから、ちょっと目がチカチカする」
「ずいぶんだだっ広い部屋だね。天井高いなあ、すげえシャンデリアぶら下がってるわ」
「……部屋の中央に大きな宝箱と立て札がありますね。78階は、このワンフロアだけのようです」
「アンアン!」
その広さにテンションが上がったらしいエルドワが辺りを駆け回る。特に罠もないようだ。
「見たところ、モンスターもいないようだが」
「でも、一番深部まで進んだパーティは、この階で引き返してるんだよね? ……あの宝箱に何かあるのかな」
「とりあえず、あの立て札見てみましょうよ」
「無視して行くにも下りの階段はない様子……。宝箱を開けないと進めない仕様なのかもしれません」
ふかふかの真っ赤な絨毯が敷き詰められたフロアを、皆で歩いて行く。そして宝箱の前まで来ると、ネイが立て札に書いてある内容を読み上げた。
「進みたくば、この宝箱を開けよ。何が起こるかは運次第……」
「……運次第か。嫌な感じだ」
「立て札の下のところにメモ書きみたいのがあるよ。前に来たパーティが書いたのかも」
「あー、そうみたいだね。鍵開けを試して出た効果を記したのかな?」
そこには、おそらく脳筋パーティが鍵開けに失敗して出したのであろう効果が20項目くらい書いてある。
目立つのは魔物が出現する項目だが、他にも毒やら麻痺やら、さらには女体化やらアホ化やら、ちょっと理解に苦しむ項目まで書いてあった。
「……もしかして、あの報告書がクソなのって、アホ化のせい?」
「……かもな。実際の所は分からんが」
だとしたらものすごく恐ろしい効果だ。絶対掛かりたくない。
レオが顔を顰め、ネイもげんなりした様子で呟いた。
「『やられた。もう帰る』って、魔物にやられたんじゃなくて、この宝箱の効果にやられてにっちもさっちも行かなくなったってことかよ……」
「そのまま帰ったのなら、失った能力も戻らなかったに違いない。もうランクSS冒険者としては活動できなくなっただろうな」
「魔法の宝箱って、挑んでから開けるまでが一連の術ですからねえ。完了させてないならアホのままだったでしょ」
「僕たちが開ければ、その人たちの能力も戻るの?」
「そういうことになるな」
ユウトの問いに答えたものの、直近のマルセンがいたパーティのアタックすら13年前だ。そのパーティはもっと前。まだ生きているかも怪しい。
一応確認のようにネイを見ると、すぐに察した男はポーチから攻略資料を取り出した。
「以前78階まで到達したパーティは、20年前みたいです。当時の年齢にもよりますけど、まだ現役かもしれませんね。まあ、ランクは保持できてない可能性の方が高いけど」
「……思ったより最近だな。6人パーティか?」
「ですね。あ、でも、ゲートから生還したのは5人だけだったみたいです。ひとり行方不明ですって」
「行方不明? 魔物にやられてってわけじゃないのか」
「あ、兄さん、これじゃない?」
一緒にネイの資料を覗き込んでいたユウトが、ふと思い出したように立て札を振り返った。
見ればその項目のひとつにある、『メンバー1人消失』。
なるほど、ここの罠でひとり消えたわけだ。
「えーと、行方不明になったのは魔導師みたいですね」
「不死者のゲートで魔導師が消えるのは痛いな。それも諦めてゲートを出た要因だろう。……仲間ひとりを見捨てて帰るのは苦渋の決断だったろうが」
もしもこの宝箱の罠でユウトが消えたりしたら、レオは絶対帰ることなんてできない。考えただけで気が狂いそうだ。
……正直、弟に影響が出るなら、この宝箱に関わりたくないが。
「宝箱を開けたら、きっとその行方不明になった人も助けることができるね。戦闘ではあんまり役に立てないけど、これなら僕もどうにかできるかも」
しかし、ユウトは開ける気満々だ。レオ的には嫌な予感しかしていない。
「待て、もゆる。このゲートに入るほどの高ランク魔導師が鑑定できなかった鍵の罠だぞ? おそらくこの鍵は、通常より解読正答率がだいぶ低い。魔力を妨害されているか、術が誤変換されている可能性がある。危ないから開錠はそこのジャージに任せろ。こいつならちょっとくらいアホになっても構わん」
「ちょっとソードさん、扱いの差が激しすぎ。今さらですけども。……まあ、もゆるちゃんに何かあっても困るし、開錠は俺の方が慣れてるからやってみますよ」
文句は言うが、ネイは無駄にごねずに盗賊用ピックを取り出した。
ユウトに何かあると、レオがレオでいられなくなることをネイは知っているのだ。そんな主人を見ることになるよりも、自身を危険にさらす方がずっといい。
それに、今までの実績から来る自信だってある。ユウトよりも正答を導く確率は高いだろう。
「ヴァルド、この宝箱に関して、何か情報とかないの?」
一応、宝箱の開錠に取り組む前に訊いてみる。
しかしヴァルドは、あっさりと首を振った。
「これに関しては何も。……ただ、こういうものはゲートのボスの思惑によって配置されます。人を小馬鹿にしたような罠ですよね。きっと正攻法では開かないと思いますよ」
「ヴァルドさん、これって、絶対開かないようになってるとかいうことってないんですか? 実は答えがない、みたいな」
「それはないですね。ゲートを作るには決まり事があって、それに従わないとゲートのボスにはなれないんです。……ゲートの詳しい話は世界の理に関係していて長くなるので割愛しますが、とにかく、ボスの場所まで絶対行けないということはあり得ません。必ず活路があるということだけは保証します」
「……答えはあるって分かっただけでも助かるわ。じゃあ、やってみましょうかね」
ネイは宝箱の前にしゃがみ込むと、そこに付いている鍵を見た。
普通の物と違い、罠の内容が分かるダイヤルはない。さて、全部で何種類の罠があるのか。
盗賊のピックを差し込むと、内側を探る。ピンが押し込まれているものがいくつかあるのは、前のパーティが作動させたものか。
「どうやら、1回押し込んだピンは戻らないみたいですね。同じ罠は掛からないのかも」
「ということは、アホ化や消失はもう無いということか」
「同じ罠を2つ仕込まれていない限りは、多分。……それにしても、すごいピンの数だな。いくつの罠が仕込まれてんだ、これ」
ネイが集中力を総動員して、慎重に手応えを探っていく。
レオたちはそれを静かに見ていた。
カチン、カチンと金属同士が当たる音だけが部屋に響く。
しかし、しばらくするとネイが唸り声を上げた。
「んー……? 何か、手応えがみんな同じなんだよなあ……。でも、答えはあるはずだし……」
「先生、集中力が切れてきたんじゃないですか? ちょっとお茶にします?」
「そうだね、一旦休憩しようかな……あれ?」
一度作業を中断したネイがピックを引き抜く。
その途端に、鍵の内側がカチンと音を立てた。どのピンにも当てていないはずなのに。
「……っ! まさか、ピンを押し込んでなくても途中で止めるとランダムで罠が発動する仕組みかよ!?」
条件で発動する類いの罠だ。
ここに来るランクの盗賊は間違ったピンを容易くは押し込まない。そんな慎重な盗賊が、それ故に何もせずに鍵穴からピックを抜くと発動するダブルの罠。性格が悪すぎる。
おまけにこれはただの開錠ミスと違って、盗賊にだけ降りかかる罠ではない。パーティの誰に掛かるか分からない。
「やばい! 何かの罠が発動します!」
「え、な、何かって……うわ!?」
「もゆる!」
ネイが声を上げたのと同時に、ユウトの身体が青い光に包まれた。
「もゆるさんに青い光が……これはドレインの罠です!」
「ドレインだと!?」
他の状態異常ならまだしも、よりによってドレインとは。
唯一対策ができていなかった罠を、ユウトが食らってしまうなんて。
体力、魔力、ステータス、もしくはそれ以外か、一体何を奪われるのか。
弟を包む光がハレーションを起こし、レオたちはたまらずきつく目を閉じた。
間もなく光はおさまったけれど、視界はすぐには戻らず、それでもレオは無理して目を開ける。ユウトに何が起こったか、その方が心配だった。
「もゆる!」
まずその輪郭だけを捉えて、低くなっている身体に気が付いた。体力を奪われて、膝をついたのだろうか。
しかし、ゆっくりと景色が戻ってくると、自分の想像が違っていたことを知る。……というか、自分の想像の範疇を超えた弟の姿が、そこにはあった。
「も、もゆる……?」
ユウトであることは間違いない。
だが、いつもの弟とは明らかに違う。
「……にいに?」
そこにいたのは、レオの腿ほどまでしか身長のない、幼くなったユウトだった。




