兄、ひとりでワイトを倒しきる
薄暗い部屋の中央に、傀儡となった骸が浮かんでいる。
身体にとろとろとした黄色の幽体をまとっていたが、レオたちを見つけた瞬間にそれは活性したように体表に立ちのぼった。
ナイトメアと同じ、かげろうのごとき幽体の揺らぎが見える。この状態が、こいつらの臨戦態勢ということなのだろう。
とりあえずワイトが周囲の手下を呼ぶ前に、ざっと踏み込んで鞘から剣を抜きざまにその首を落とす。もちろんこれでどうにかなるとは思っていない。ただの様子見だ。
すぐに後ろに下がって、ワイトが何事もなかったように首を拾い上げて戻すのを見届けた。
「落とした首も幽体をまとっていると戻ってしまう、か。確かに」
やはり、幽体に覆われた場所を切断しても意味がない。だが、幽体が覆っていない場所なんてあるのか? 見たところ、その全身が黄色い靄に覆われている。
「……ワイトが周囲の仲間を呼び寄せますよ」
後ろからヴァルドにぼそりと言われて、レオは反射的に剣を構えた。それは何かを意図しての声かけに違いないからだ。
ヴァルドの指摘から秒を置かず、ワイトが口を開け喉を反らした。
カカカカカ、と声とも骨鳴りともつかない音が周囲に響き渡る。
途端に周囲の壁や扉をすり抜けてポルターガイストやゴーストが現れ、レオたちはあっという間に取り囲まれてしまった。
「うわ、すごいいっぱい……!」
「えーちょっと、この数の死霊を一度に相手はしんどいなあ……」
ユウトが目を丸くし、ネイがうんざり気味にそれを見回す。
しかしこの状況に、ヴァルドは平然と前に出た。
「今回はレオさんのトライアル中なので、外野は私が片付けます。お二人は討ち漏らしの処理をお願いしますね」
言いつつ手のひらを滑らせて、空中にくるりと360度、術式の帯を浮かべる。足下に魔方陣が浮かび、一気にふくれあがる魔力で、ヴァルドの黒髪とマントが大きく翻った。
「地獄の業火」
魔法を唱えた途端、周囲が激しく炸裂した炎の嵐に包まれる。
ゴーストはもとより、憑依したポルターガイストもアイテムごと焼き払われた。死霊の悲鳴と燃えさかる炎の音が、辺りを埋め尽くす。
ユウトが慌ててエルドワを抱き上げ火の粉から護り、ネイがそのユウトを熱風から庇った。
「……あー、そういや闘技場の禁書を焼き払った時もこんなんだったっけな……。ヴァルドって見た目に寄らずワイルドだよね」
「これ、部屋燃えないんですかね……。まあ、ゲートが火事になるなんて話聞いたことないけど……。エルドワの毛先に火が点いちゃいそう」
炎はしばらく周囲を焼き、そしてやがて小さくなる。
気にして見た部屋の壁はすすで黒くなっているが、やはり燃えてしまうことはないようだ。
ユウトは鎮火の後、いくつか焼け残ったアイテムに残るポルターガイストに、ファイア・ボールでとどめを刺した。
「すげえな、ヴァルドの魔法で一掃できるならこのゲート問題ないじゃん」
「今のは特別です。こんな魔法を敵と遭うごとに使っていたら、もゆるさんの血をもらっているとはいえ、私の魔力が持たずに1時間程度で引き上げることになりますよ」
「でも、こんな強力な全体魔法ってすごいです、ヴァルドさん」
「いいえ、あなたが素晴らしいのです、マスター。私はあなたの下僕でないと、この魔法が発動できないのですから」
ヴァルドはユウトに艶然と微笑んで、それからレオを振り返った。
「そしてソードさんも素晴らしい。この短時間で、私のヒントを理解したご様子」
「あ、ワイトの腕が切断されてる……!」
「ホントだ。もう元に戻らないのかね? あれが幽体から切り離されたってこと?」
レオは、ユウトたちがヴァルドの魔法に目を奪われている間、ずっとワイトを観察していた。そして、幽体が偏ったタイミングを見計らって、干渉されていない部位を切り落としたのだ。
仲間を呼ぶ瞬間、確かに幽体は一部に偏った。
しかし、レオにとっては思ったような成果ではない。
「……まだ理解度は20%くらいだ」
「切っ掛けさえ掴んでしまえば、あなたの経験と戦勘でどうにかなると思いますよ」
「……どうだかな」
レオは言いつつ踏み込み、ワイトに攻撃を仕掛ける。
刺突、打撃、なぎ払い。幽体を纏った敵はすぐに再生してしまい、一見無駄な攻撃に見えるが、レオはそれぞれの攻撃に対するワイトの幽体の揺らぎの法則を探っていた。
ダメージに備える時、魔法を唱える時、攻撃をする時。その時々によって、一瞬だけ幽体が偏りを見せる。それを見極め、狙うことができれば、そこだけを身体から切り離すことが可能だ。
これは確かに、ヴァルドに戦って見本を見せてもらったところで役に立たなかったろう。
自分の感覚を頼りにタイミングを探り、己の剣速との兼ね合いを考えて数手先までの剣筋を組み立てなくてはならない。
「はっ!」
剣を突き出してあばらを刺突をすると、幽体は砕けた骨を保持するために一瞬そこに集まる。
その隙に、レオは幽体の干渉がなくなった魔物の腿から下の片足を叩き落とした。
「この短時間にワイトの弱点を攻略できそうですね。その天性の戦闘センス、さすがです。これは教えてできることではありませんから」
「でもこれ、時間掛かりそうじゃね? 少しずつ身体を削ってる間に、エナジードレインとかかまされそう」
「そうですね。でも、その辺りもご自分で考えて頂いた方がよろしいかと。相手は魔物ですから、やりようはあります」
「相手は魔物だから、って、どういうことですか?」
「未完成の半魔と違って、魔物は完成された存在だから、やりようがあるということです。詳しいお話は、夜にでもソードさんにゆっくり訊いて下さい」
ヴァルドはユウトからの問いをレオに回して、再びワイトを見た。
「……ソードさん、そろそろエナジードレインが来ます」
その呟きから、レオはワイトを観察しつつ脳内で状況を整理する。
今のワイトにエナジードレインをする兆候が現れているのか、それともここまで身体が欠損すると放ってくるということなのか。
レオがこの状況に導いたのは好手なのか、それとも悪手なのか。
それらを判断するための次の一手は。
ヴァルドの言葉はただのヒント。全ては己の解釈次第だ。
レオはワイトを見据えたまま、ユウトに指示を出した。
「もゆる! 俺にアジリティアップを掛けてくれ!」
「あ、うん!」
兄の言葉に、弟は急いで補助魔法用の杖を取り出す。そしてすぐにレオに魔法を掛けた。
幸運アップは3分しか保たなかったが、敏捷性アップはとりあえず10分は保つ。レオはこの間に決着を付けるつもりだった。
敏捷性が上がると、周囲のスピードが遅く感じる。
ワイトの幽体の揺らぎも見えやすい。この状態で、一瞬の幽体の偏りを捉えることができれば、きっと行けるはずだ。
レオの視線の先で、すうっと骨と皮だけの指が伸ばされ、その指先に小さな術式の帯が円を描く。あれがエナジードレイン。
ぐっと剣を握る手に力を入れて、レオはタイミングを計り、軽く身を屈めた。
さっきから観察していて分かったことがある。ワイトの幽体は一度にひとつの動きしかしないということだ。威力や効果を上げるため、ひとつのことに全霊力を傾ける。それはもちろん、魔法発動の瞬間や防御の瞬間の、ほんの0コンマ何秒という短い時間だけれど、確実に幽体が1カ所に偏るのだ。
一撃で狙えるのはここ。
ワイトの体表を覆う幽体が、エナジードレインを発動しようと指先に集まる。敏捷を上げて見ていてもかなり早い、しかしレオなら追えない動きではない。
まさに魔法が撃ち出されようとするその瞬間。
レオは凄まじい剣の速さでその指を切りつけ、手首ごと叩き落とした。
即座にエナジードレインが中断され、手首は幽体を纏ったまま床に転がる。
次いで幽体の支配から解かれた死体が、糸が切れたようにがしゃりと床に潰れた。
完全なる分離。やはりこうなると、切り離された身体とは再結合できないようだ。
床をうろうろと這う手を目掛けて、レオは剣で貫いた。
ここまでになってしまえば剣の炎で手首は易々と焼かれ、その焼失によって幽体も燃え尽きた。死霊が結晶化し、床にころりと上位魔石が転がる。
ワイトの討伐完了だ。
「やった、兄さん!」
「アンアン!」
「はあ、本当に魔法無しで倒しきれるんですね。すごいなあ」
レオは剣を鞘に収めて、エルドワごと飛びついてきたユウトを抱き留める。
その後ろで感心しきりのネイの横で、ヴァルドが微笑んだ。
「討伐、お見事です。きっとソードさんでしたら、次のワイトからはもう速攻で倒せると思います」
「どうだかな。まだ理解度70%くらいだ。あと2戦くらいしたらどうにかなると思うが……」
きっちりと倒せる段取りを組むにはもう少し試行錯誤が必要だ。まだ分かっていないこともあるし、もっといい手もあるかもしれない。 このランクで戦うなら、慢心は御法度だ。
……教えだって、素直に請うた方がいい。
「……ヴァルド、ひとつだけ訊いていいか」
「どうぞ」
レオは今の戦いで気になったことをヴァルドに訊ねた。
「最後、一部でも宿る身体があればてっきりエナジードレインは発動すると思ったんだが、あの魔法は何故止まった? 本体があの幽体部分だと考えれば、問題なさそうなのに」
「ああ、それはワイトの悪霊が人間の死体に宿っている理由にあります」
そう言って、ヴァルドは焼け焦げたアイテムを床から拾い上げた。
「悪霊が物に宿るとポルターガイスト。知恵が無く、上位魔物に使われる存在です。しかし、悪霊が人間の死体に憑くと、ワイトになります。知恵を持ち、上位の魔物としてモンスターの統率をします。その違いは何か? ……それは悪霊が人間の死体の脳みそと目玉を流用しているからです」
「……悪霊が取り憑いた死体の目で周りを見て、脳みそで物事を考えているってことか。高度な魔法を唱えるのも……。だから、幽体が脳みそ部分と切り離されたとたん、魔法を発動できなくなったんだな」
「そういうことです。そうなってしまえば、もうポルターガイストとほとんど変わりません」
なるほど。だとすれば、もっとやりようはあるかもしれない。
レオはまた頭の中でいくつかの仮となる討伐行程を組み立てる。
あとは実戦あるのみだ。
「……とりあえず先に進むか。ヴァルドがいるうちに吸血鬼や復讐する死者にも遭遇しておきたい。ワイトとももう少し戦っておきたいしな」
「ソードさんがそうやってどんどん強くなってくれるのは大歓迎ですよ。我が主、もゆるさんを護って頂かないといけませんから」
「アンアンアン!」
「ああ、そうですね。もちろん、エルドワももゆるさんを護って下さいね」
「エルドワ、自己主張強いね~。何かキリッとしてる」
「ワフン」
「騎士だから、って言ってます」
「おお、カッコイイ。ね、姫」
「だから、姫じゃないですって……」
レオたちはワイトとゴーストたちの素材を回収すると、わいわいと話しながら次のフロアへ続く階段を下った。




