弟、パンチラを兄にたしなめられる
見上げた空は青い。
ただ、地下1階では真上にあった太陽が、30階ともなるとかなり傾いてきている。とはいえ、夕暮れにはまだならず、十分に明るい状況だ。
エルドワの鼻も頼りにしつつ探せば、ユウトのポーチにはたくさんの果物や山菜が詰められた。
こうして太陽が出ているのは50階まで。そこから下の階での食材は期待出来ない。何しろ、不死者のフロアだ。
せっかく劣化防止ケースも手に入ったのだし、今のうちに新鮮な食材は確保しておきたい。
ユウトは十分な果物と山菜を採って、レオの元に戻った。
「兄さん、ただいま……うわ、すごい! 何、このテント」
野営場所に着くと、すでに兄が設置したテントが立っていた。大きな2ルームテントだ。リビング部分にはテーブルとチェアが置いてあり、ランプやクッションまである。
レオには少し低いかもしれないテントだが、ユウトには十分広く、問題なく立てる高さだ。
靴を脱いで中に入り、奥の寝室も覗いてみる。
そこには厚めのエアマットが敷いてあって、ふかふか羽毛の大きなシュラフが乗っていた。
テムからザインに行った時の野営がまさしくユウトが思い描くファンタジー世界のザ・野営だったから、自身の認識との乖離っぷりが半端ない。何なのこの快適空間。
「日本にいる時に見て、良いテントだと思っていたんだ。どうせだから、魔工翁にテントを注文する際に頼んでみた」
「そ、そうなんだ……。でも、みんなで過ごせるから確かにいいかも。寝室も、3人とエルドワで十分なスペースあるもんね」
「いや、あの狐目男は別だ。もゆるとの癒やしの空間にあいつを入れる気はさらさらない。まあ、エルドワは構わんが」
「ええ? 先生は仲間はずれなの? そんなの可哀想……」
「平気だよ、気にしないで」
いつの間にか、薪を集めたネイが側に来ていた。
レオがその薪を持っていき、かまどに火を入れる。
「俺、そもそも野営になると気配に過敏になるから、すぐ近くに人がいると休めないんだよね。昔はソードさんもそうだったせいで、夜は完全に別で休むことに慣れてんのよ。俺は自分用の快適テントあるし問題ないの」
野宿では周囲に対してずっと気を張っているから、すぐ近くにノイズがあると余計に疲れるということらしい。
昔はレオもそうだったと聞いて、ユウトは目を瞬いた。
「……兄さん、以前は近くに人がいると眠れなかったの?」
「今だってお前以外は絶対無理だ」
野菜の皮を剥きながら平然とそんなことを言ってのける兄に、照れがないのがすごい。逆にこっちが何だか照れてしまう。
それにどう返そうかと考えて、困った挙げ句つい反論した。
「……僕だけじゃなく、エルドワも平気でしょ」
「こいつに対しては人とはまた別の話だ。完全に犬になりきってるから環境気配のひとつって感じで、気にならないだけだな」
「あ、俺もエルドワなら側に置けるかも」
「そうなの?」
気配とやらの違いがよく分からないユウトは、小首を傾げる。
でもまあ、とりあえず一緒にいて苦痛でないならいいか、と深く考えずに割り切った。
薪をまとめたネイが、2ルームテントから少し離れたところに自分のテントを立て始める。この距離が付かず離れず、彼らのベストということなのだろう。
ユウトは兄に視線を戻すと、料理セットを広げるその向かいに回り込んだ。
「そういえば、果物と山菜採ってきたんだった。これ、使えるかな」
「ああ、いいな。果物は食後のデザートにしよう。山菜は茹でてごま和えにするから、そこの水路で水洗いしてきてくれ。それから、この鍋の半分くらいまで水を汲んで」
「分かった」
水路はすぐ近くにある。ユウトは料理セットの中からザルを取って、鍋も持って行って、水路の縁に膝をついた。
少し水位は低いが、綺麗な水だ。
手で掬って一口飲んでみると、甘みすら感じた。せっかくなのでポーチから犬用水飲みトレイを出し、そこに水を汲んで隣についてきていたエルドワに差し出す。すると子犬も喉が渇いていたのだろう、勢いよく飲み出した。
その飲みっぷりにちょっと笑いつつ、ザルに山菜を入れる。ユウトは少し前のめりになってそれを水に浸すと、流水で山菜に付いた汚れを洗い流した。指も使って、丁寧に。
そんなユウトに、不意に後ろからレオの指摘が入った。
「……もゆる、気を付けろ。パンツ見える」
「平気。アンダースコートだもん。見られても大丈夫なやつだよ」
「そういう問題ではない。パンツはパンツだ。兄さん的に許せん」
「えー」
拗ねた声で返しつつも、スカートの後ろを押さえて上体を起こす。
まあ、もう洗い終わったからいいけど。
スカートに気を付けながら鍋に水を汲んで、ちょっと理不尽に思いつつ山菜と一緒にレオに届けた。
「僕のスカート気になるなら、いつもの服に戻しちゃ駄目? 誰も見てないしさ、呼び方だって、普段通りに戻していいと思うんだけど」
頬を膨らませて文句を言うと、兄が首を振る。
「今後のことを考えたら、今のうちにこの格好で戦うことと呼び合うことは慣れた方が良い。ランクSSSでの活動中は、必ずこの格好だからな」
「他に見てる人がいなくても?」
問い返したユウトに、テントの設営を終えたネイが答えた。
「俺たちの正体を暴きたがる奴っていうのは、今後必ず出てくるのよ、もゆるちゃん。敵はもちろんだけど、もっと厄介なのは身近な好奇心のある人間。そこに隙を見せないようにしないとね」
「俺たちのパーティは3人……エルドワが人数に入っていたとしても4人。ゲートに入れる上限に2人分の余裕がある。……跡をついてくる輩がいないとも限らん」
「え、うそ」
「大丈夫、今はいないから。ただ、今後もっと有名になったら、可能性はあるってこと」
どうやら、このゲートを出るまでは絶対に魔女っ子でいないといけないようだ。だったらパンツ(アンダースコートだけど)が見えるくらい許容して欲しい。
「そもそもランクSSSとして活動することを兄貴から受けたのは、もゆるだからな?」
「魔女っ子姿で戦うなんて思ってなかったもん!」
「俺はもゆるちゃんのパンチラ可愛くていいと思うけどね」
「……貴様、見たのか……?」
「あ、いえ! 記憶にございません!」
その後、ネイはレオの一撃で本当にその場の記憶を失った。
レオが作ってくれた食事を頂いて、3人と1匹はそれぞれのテントに散る。2ルームのリビングに入ったユウトは、兄にツインテールに付いている髪飾りを外してもらった。これには睡眠無効が付いていて、そのままでは眠れないのだ。
太陽の位置が変わらないために外はまだ明るいが、睡眠無効が外れただけで眠気が襲ってくる。もうゲートの外はいい時間だし、30階下った疲れもあるからだろう。
レオがテントの入り口と窓を閉じて、奥の寝室を薄暗がりにしてくれる。ユウトがくしくしと目を擦っていると、その手を取って先に寝室に押し込んだ。
「……兄さん、シュラフが1つしかない……」
「フィラガ鳥の羽毛で作った特注の2人用シュラフだ。先に入ってろ」
2人用か。確かに大きい。正直、3人くらい余裕そう。
もぞもぞと中に入ると、すぐにエルドワも入ってきてユウトの隣に落ち着いた。
寝心地がめっちゃいい。
スーツの上着とベストを脱いで、ネクタイを外したレオも寝室に入ってくる。そして子犬を挟んでユウトと向かい合わせに寝転んだ。
「明るくて気になるならアイマスクもあるぞ」
「ん、平気」
伸びてきた手に、目元を優しく撫でられるのが気持ちいい。こんなゲートでの野営だけれど、兄がいるだけで弟は心底安心する。護られているからだ。
そんな兄頼りの自分が少しだけ申し訳なく、情けない。
「……兄さん、本当はひとりで寝る方が気が散らないんでしょ?」
「さっきの話か? お前以外の奴とのことな」
「僕なんて気配全然消したり出来ないし、ノイズだらけだと思うんだけど」
「いらん気遣いだ。お前に気配を消されたら逆に心配で仕方が無い」
淡々とした口調だけれど、触れる指先は柔らかい。大きな手で頬を撫でられて、その心地よさにまぶたが下りた。
「俺にとってお前の気配は、気になる気にならないじゃなくて、近くにあることを確認して安心するものなんだ。ノイズなんかであるわけがない」
「……安心?」
「そうだ。……俺は、いつもお前に護られている」
眠気で頭が働かず、レオの言っている意味がよく分からない。
だけど、何だか嬉しい気持ちになって、ユウトは口元に小さく笑みを浮かべた。兄の手に誘われて、緩やかに眠りの淵に下りていく。
ああ、昔にもこんなことがあった。
あれはいつだったろうか。
記憶の中で何かが頭をもたげかけたけれど、その前にレオが呼び寄せた睡魔に負けて、ユウトは寝息を立て始めた。




