兄、in『もえす』
夜の8時を回った頃、レオは一人で職人ギルドの裏手に来ていた。
圧縮ポーチには昨晩手に入れたランクB素材がぎっちり詰まっている。それを置いてこないと次の狩りの邪魔になるのだ。
レオはギルド支部長であるロバートに素材を買い取ってもらって、再び城外に出るつもりだった。
裏口に人の気配がないことを確認し、支部長室へ向かう。
申し訳程度の軽いノックをすると、レオは許可の声が来る前に扉を開けた。
「……素材を持ってきた」
「ああ、レオさん。お待ちしておりました」
突然の不躾な来訪だというのに、ロバートは至極普通にレオを迎え入れた。その反応に僅かに片眉を上げる。
「俺が来るのが分かっていたみたいだな」
「ええ。ここしばらく旅人を悩ませていたフィラガ鳥の群れが昨晩討伐されたと聞いたので、きっとあなたが狩ったのだろうと思いました。依頼を達成したパーティは別のものでしたけど」
「そうか」
他のパーティがうまくおこぼれを拾ってくれたなら良かった。
これでフィラガ鳥の素材が出回っても皆そのパーティが売ったものだと思うだろうし、そのパーティも『自分たちじゃない』とはわざわざ言わないだろう。ロバートも口を閉ざせば、その真の出所は分からない。
ちなみにフィラガ鳥は大きなダチョウみたいな鳥で、走って地上を移動する魔物だ。単体ではたいした強さではないのだが、群れになると厄介なモンスターだった。そしてほぼ群れで行動する。
大体街の外でキャラバンなどを襲い、その脚力で馬車や積み荷を木っ端微塵にしていくのだ。そして積んであった食料や穀物の種などを食い尽くしていく。
幸い人間は食べないのだが、下手に攻撃を加えると取り囲まれて為す術なく蹴り殺される。
対抗するにはそれなりの人数を揃え、一人頭の割り当てを減らすのが定石だ。しかしそうすると報酬の分け前が減ることから、あまり人気のある討伐依頼ではなかった。
だからこそ、討伐したパーティは感謝される。特に流通に携わる商人や旅人から。ロバートがフィラガ鳥討伐の話を知っているのもそのせいだろう。
これなら依頼を達成したパーティにはだいぶ恩恵を与えているはずだ。文句は出まい。
「今回はフィラガ鳥15羽分の素材だ。羽毛と肉、卵、くちばし、魔石。確認してくれ。必要なら鑑定料を差し引いてくれていい」
「鑑定料はいただきませんよ。ウチにこれだけの高品質素材を卸して下さるだけで十分です。前回の殺戮熊の六ツ目素材なんて、入荷を知らせた途端に王宮から買い付けと加工依頼がありました。それだけでも職人ギルドの評判が上がって、感謝したりないくらいなんですから」
「王宮から……?」
レオは眉を顰めた。
王宮は、当たり前だが王都にある国王の住む宮殿だ。
エルダール王国の首都エルダーレアは、このザインの北西にある。
「王宮からは素材の提供者を教えて欲しいと言われたのですが、とりあえずはあなたの意向があったので教えていません」
「……そうか。今後も黙秘でいい。王宮と関わる気はない」
「分かりました。ではフィラガ鳥の素材を鑑定をさせていただきますね」
ロバートは素材を一つ一つ手にとってメモに鑑定額を記していく。
その間やることのないレオは、勝手に来客用のソファに座った。
「さすが夜に狩られた素材は質がいい。その上に肉や骨の断ち方が綺麗だし、羽毛も血で汚れたりしていない……。あの面倒なフィラガ鳥の大群相手に、素晴らしい腕です」
「……別に。商人の息子に買ってきてもらった剣に、いい属性が付いていただけだ」
「見たところ、斬絶属性付きの鋼の剣ですよね。それこそ腕が良くないと意味のないものです。上手くいけば一太刀で魔物の首を落とせるが、普通は偶然の発動を待つもの。その偶然を必然の域まで持って行くあなたの技術、並の力量ではありません」
そのロバートの評に、レオは小さく舌打ちした。
目が利きすぎるというのも考えものだ。余計なことに勘付いていなければいいが。
まあそれでも、こちらの内情を探ってこないところはさすがだ。
そんなことをすれば、レオが寄りつかなくなることをちゃんと分かっているのだ。
王宮からの要請にも口を割ることなく、深入りしてこず、融通を利かせられるだけの地位がある。ロバートと密約を結んだのは当たりだったと言えよう。
「……鑑定が終わりました。買い取り金額は大体こんなところですが、いかがでしょう」
「ああ、それで構わない」
この男は鑑定額をごまかさないし、変に気を遣って高く買い取ろうとしないのもいい。こういう取引は、対等である方が長続きする。
そもそも欲しい素材の余りを売っているだけだし、互いにWinWinであるならそれでいい。これはビジネスだ。
レオはギルドカードを取り出して、支払いを受けた。
「今日も狩りにお出かけになるんですか?」
「……まあ、適当に。必要になりそうな上級素材は集めておきたいからな」
「だったらその前に、鍛冶屋を訪ねてみてはどうですか。必要な材料が明確になりますから。……ほら、街一番の職人を紹介しろと言っていたでしょう。そこに話を付けておきましたので」
ロバートの言葉を聞いたレオが、途端に前のめりになって喰い気味に突っ込む。
「そいつはユウトに可愛い装備を作れる奴か」
「性格に問題はありますが腕は確かです。デザインが独創的すぎて一部でしか評価されてないんですけど、品質については保証します。街では数少ない合成クリエイトができる工房ですし」
「合成もできるのか。それは願ってもない」
昼間ユウトにもらったネクタイは、レオの中で最強クラスに合成することが決まっている。これはありがたい。
合成クリエイトは、他のアイテムに付いている属性をメインのアイテムに合成する技術だ。術式の知識と手先の器用さが必須で、さらにクリエイションのセンスが問われる高等技術。
おかげで合成クリエイトを依頼するには大金が必要だが、そんなものは稼げばいい。問題ない。
「……その鍛冶屋はどこだ。この時間もやっているのか?」
「職人ギルドを出て左に進んで、2つ目の角を左に曲がって下さい。ええと、表現しようのない看板が付いてますのですぐ分かるかと。『もえす』という店です。いつも夜中まで開いていますので、今もやってると思いますよ。……とりあえず、弟くんに可愛い装備を、という希望に応えたものですので、もし普通の装備がご所望の場合は他のところをご案内しますが」
何となくロバートの様子と店名に嫌な予感がしないでもないが、レオはひとまず立ち上がった。実際に行ってみないと、どんなものか分からない。
「俺の希望と合わなかったらチェンジを頼む。今日は狩りに出ずにそこに行ってみることにする」
「分かりました。また後日狩りに出るようでしたら、素材をよろしくお願いします」
ロバートと別れて職人ギルドを出ると、レオはさっそく紹介された鍛冶屋に向かった。
表現しようのない看板、とロバートが言った意味が分かった。
レオはビキニのような鎧を着たアニメ絵の巨乳の女の子が描かれている看板の前で、しばし立ち尽くしていた。
仕事で立ち寄った秋葉原で、こんな看板を見たことがある。自分には一生関わることのないたぐいの店だと思っていたのだけれど。
看板の下に丸文字で書かれている『もえす』という店名に殺意すら覚える。最後にハートマークを付けているのは何の嫌がらせだ。どうやったら鍛冶屋でここまで入るに躊躇う条件を揃えられるのだろう。
とりあえず周囲に人影がないことだけが救いか。こんな店に入るところを見られたら、後ろ指をさされそうだ。
いや、こうして店の前に立っているのを見られるのすら危険かもしれない。
レオは意を決して店の扉をくぐった。
「……」
入ってすぐに目に入ってきたのは、色とりどりのコスチュームだ。やたらと露出の多い女性ものの鎧や、シスターや巫女を準えたローブなどが所狭しと飾ってある。
あ、これやべー店だ。
「んあ? 客?」
カウンター奥の工房らしきところから、若いのかおっさんなのか一見では分かりづらい小太りの眼鏡の男が出てきた。その手には何故か美少女が表紙のアニメ雑誌が。
「珍しいな、ウチに来る物好きが……あ! もしかしてロバート支部長が言ってた、可愛い装備が欲しい人!?」
「……別にコスプレ衣装が欲しいわけじゃない。邪魔したな、他を当たる」
レオが関わりたくないとばかりに踵を返そうとすると、その腕をがしっと掴まれた。
「待って、あんたコスプレを知ってんの……!? この萌える衣装が意味することを……!」
見れば、何だかキラキラした視線を向けられている。やばいスイッチが入った、とレオは顔を顰めた。
こいつを振り切って逃げてもいいが、外で絶対騒がれる。それに後で絶対捜される。こういう奴は異常に行動力が高いのだ。
こんなのと関わりがあるなんて思われるのは正直勘弁して欲しい。
それを避けるには、ここで一旦話を完結させる必要がある。
「俺たち昔、迷宮ジャンク品の店で手に入れたコスプレ写真集とアニメ雑誌に衝撃を受けてさ。それ以来コスプレと実用装備の融合に心血を注いでるんだよね。でもこの良さを分かってくれる人ってなかなかいなくて……。コスプレを知っているあんたなら、この素晴らしさを分かってくれるだろう!?」
この熱量が鬱陶しい。おまけに「俺たち」などと恐ろしいワードを吐いたが、もしかしてこんなのが他にもいるのだろうか。
「俺はこんなへそ丸出しの装備が欲しいわけじゃない。コスプレの存在は知っているが、望むものと違う。だから他を当たる」
「あれは趣味で作ったやつだからちょっとやり過ぎた。あんたが欲しいのはオーダーメイド品だろ? ちゃんと可愛くて希望通りのものを作るから安心してよ。質は保証する」
そう言って、男はデザイン表と衣装をひとつ持ってきた。
こういう奴は押しが強くて空気を読まないところも苦手だ。少し殺気を向けて牽制しても気付きやしない。
「これが俺たちが今までオーダーで受けたデザイン表。いいのあると思うから見てよ。あと、これは最近作った見本の装備」
「デザインか……」
少し辟易した気分で、数枚見たらたたき返してやろうと考えながらデザイン表をめくる。
しかし見てみるとそれは店内に飾ってあるような奇抜なものではなく、萌えに走りながらもかろうじて実用に耐えられる感じで、装飾も思いの外マシだった。
持ってきた見本も見てみる。
それは白いふわふわした素材でできた、魔術師のローブらしかった。フードに猫耳、背後に小さなしっぽが付いている。赤い縁取りがあり、すごく可愛い。ユウトに着せたら絶対似合う。
「そのローブ、フィラガ鳥の羽毛にミスリルが織り込んであるんだよ。鉱石とか金属ってみんなプレートにして鎧にしちゃうんだけどさ、俺たちどうしても上級鎧と同じ素材で性能のいい可愛いもの作りたくて、この技術を開発したんだ。さすがに同じ素材のアーマーには劣るけど、それでも結構高い防御力と軽さが売りだよ」
可愛いものへの執念だけで技術を開発したというのはすごい。
ちょっとだけ目の前の男への認識を改める。
ロバートが腕は確かだと言っていたし、悪くないかもしれない。
「……最高の素材で可愛い装備を揃えたいのだが」
「あんたの装備でいいの?」
「そんなわけあるか、殺すぞ。天使のように可愛い俺の弟の装備だ」
「あ、良かった。正直あんたに似合う可愛い装備って思いつかなかったから。……しかし、弟ということは男か」
「何か文句があるのか」
明らかにトーンダウンした男をじろりと睨む。
「そりゃあ、俺としては可愛い女の子に萌える装備を着せたいし。ま、もちろん仕事はちゃんとするよ。……ただ本人を見てみないとイメージが湧かないからな。明日の午後にでも一緒に連れてきてよ」
「嫌だ。こんな店に弟を連れて正面から入りたくない」
「うん、そう言う人多いから、隣の民家の二階からも工房に来れるようになってる。そっちから来て」
やはり正面から堂々と入る猛者はあまりいないようだ。特に気分を害する様子もなく男はそう告げた。
「あ、今さらだけど、俺は鍛冶工房『もえす』のタイチ。よろしく。あんたの名前はロバート支部長から聞いてる。レオさんでいいんだよな?」
「ああ」
「明日はもう一人の職人もいるから、そいつとも引き合わせるよ。あんたの弟も来るなら、そこでオーダー全部まとまると思う。楽しみにしててくれ」
こいつらに会うこと自体は全然楽しみじゃないのだが。
しかしユウトの可愛い装備を作るためには仕方がない。レオは頷いて、ようやく『もえす』を後にした。