弟、ヴァルドを呼び出す
周囲は暗いが、そこに1カ所だけ煌々と灯りの点いた大きな建物があった。一見では、何の建物なのかは分からない。
本来、魔物を使った闘技場は非合法な施設だ。
建物の正体を知る者は関係者か、その悪事の一端を担っている自覚もない浅はかな貴族のどちらか。ジラックの住民はそんな危険なものが城壁の内側にあるなどと、思ってもいないだろう。
しかし今日、この存在が明らかになる。
厳重にチェックされている出入り口からは、客の貴族らしき人間がぞろぞろと出てきていた。彼らは次々とやってくる馬車に乗り込んでいく。
それを木々の隙間から隠れて見ていたユウトは、すぐ近くで周囲の様子を覗っているレオに訊ねた。
「闘技場はもう終わりの時間?」
「ああ。ネイの話によると、今日は魔物が召喚できずにランクA同士の一戦しか行われなかったようだ。いつもは深夜までやってるらしいがな」
「そっか。他の日だったら終わるまで待つの大変だったね」
「……別に、こんなところに来る奴らが巻き込まれたところで関係ない。時間など待たず、満員御礼のところに魔物を放ってやるつもりだった」
レオは何でも無い事のように言う。
どんな阿鼻叫喚になる予定だったのだろうと、ユウトは少し鼻白んだ。
そんな弟の前で、兄がちらりと時計を見る。
「ユウト、そろそろあいつらが配置に付く時間だ」
「あ、うん」
今、ここには兄弟2人しかいない。
ネイたちは、ヴァルドの侵入と共に地下の坑道から忍び込む算段なのだ。
攻め込んで来たのは、あくまで半魔が仲間を救うためでなくてはならない。自分たちは裏方に徹する。ジラックや魔研の連中に王宮の影を見せるわけにはいかなかった。
「まだ、建物の中に人がいるみたいだけど……」
「あとはほぼスタッフだ。侵入者のサイレンが鳴れば死にたくない奴は逃げる。お前が気にすることはない」
さあ、とヴァルドの召喚を促されて、ユウトは少し躊躇いつつも、左耳のピアスに触れた。
ヴァルドを呼び出す詠唱は一応教えてもらっている。高貴な魔族を召喚するには必要な言霊の配列らしい。
それを1回頭の中で諳んじてから、ユウトは左の人差し指をピアスの針にぷすりと刺し、ぷくりと浮かんだ血玉をブラッドストーンに塗りつけた。
「わあ……」
「……っ、すごい魔力だな、これは……」
途端にユウトの足下に魔方陣が浮かび、ぶわりと魔力の渦が涌く。
レオですら少し気圧されたようだった。
「……深淵なる虚無の海の底にたゆたう昏き者、その瞳に力と光の導きを与えん」
少しおっかなびっくりしつつも唱えた言葉に、魔方陣が反応する。何だろう、この魔方陣に巻き上がる魔力がもたらす感覚。
まるで歓喜をしているような。
「……汝、我の声に応えよ! ヴァルディアード!」
詠唱はその真名を呼ぶことで完結する。
ヴァルディアード……ヴァルドを呼ぶと一瞬魔方陣が眩く光って、次の瞬間には目の前に臣下の礼を取って跪く赤い瞳の男がいた。
「私奴をお呼び下さるのを心待ちにしておりました、我が主」
顔を上げ艶然と微笑んだヴァルドの瞳には、やはり歓喜が宿っている。
農場にいる時とは別人の体躯と美貌、自信に溢れた表情。纏う衣服も高貴な貴族のような黒の上下に、漆黒のマントになっている。
ダンピールというよりは、かなり吸血鬼寄りの見た目だ。
「呼び出しに応じてくれてありがとうございます、ヴァルドさん」
「私はあなたの下僕、当然のことです。……マスター、左手を」
請うように手を差し延べられて、ユウトは言われるがままに左手を差し出す。痛みがないので気付かなかったが、その指先からは血が零れていた。
「少々失礼致します」
「え、ちょ……」
恭しく手を持ち上げられて、その指先に唇を寄せられる。そのまま傷口を柔らかく吸われ、最後にぺろりと舐められた。
「これで傷が消えました」
「あ、ホントだ」
「……待て、待て待て、おいコラ、俺の可愛い弟に何してくれてんだ。貴様、呼び出されるたびに今のやるつもりか。殺すぞクソが」
いつの間にかユウトの後ろに回り込んでいたレオが、弟を腕の中に抱き込んでヴァルドに威嚇をする。何だか今にも噛み付きそうだ。
「レオ兄さん、ヴァルドさんは僕の傷治してくれたんだよ?」
「その方法が問題だ! ユウトを舐めるとか、許せん所行だぞ!? 何でお前ら魔族はいちいち魔力の摂取方法が卑猥臭いんだ!」
「溢れた血を無駄にせず、ユウトくんの傷も治る、一石二鳥の方法ですよ。ふふ、マスターの血は大変薫り高く美味しかったです、ごちそうさまでした」
「ユウトを味わうな!」
レオはだいぶ立腹しているようだが、向かいにいるヴァルドは涼しい顔だ。いつものオドオドした様子とはまるで違う。
「まあまあ、こんな些細なことでもめている場合ではないでしょう、レオさん。ネイさんという方から簡単なあらましは聞いています。私は何をすれば?」
「言っておくが、全然些細な事じゃないからな!? ……チッ、とりあえず、貴様は分かりやすく闘技場に攻め込んでくればいい」
怒ってはいるが、ヴァルドの重要性も重々承知のレオは、一旦それを飲み込んだ。代わりにユウトを苦しくない程度に抱き潰す。
「分かりやすく、というのは、監視にバレバレの力押しで突入しろということですか?」
「そうだ。建物のまわりに魔道具による監視センサーがあるから、それに引っかかれ。そうすればサイレンが鳴るはずだ。それを合図にネイたちも地下から侵入する。貴様は上から入り込んで、地下にある半魔の檻のところでネイと合流してくれ」
言いつつ、レオはユウトを拘束する腕を緩め、見取り図を取り出してヴァルドに示した。
そういえばユウトもネイに伝言を頼まれている。
「半魔の方々の檻を開けたら次に魔物の檻を開けて欲しいそうですよ。それから、最後に禁書? とかいう本がある部屋を完全に破壊してもらいたいそうです」
「ほう、禁書ですか……? それも、魔法生物研究所の……」
ユウトの禁書という言葉に、ヴァルドが反応をする。
彼は一旦口を閉じ、僅かに視線を泳がせ、前髪を掻き上げた。
どうしたんだろう。
その表情は、何かを口に上せるのを躊躇っているようにも見える。
ユウトがその様子に首を傾げていると、しばしの逡巡を経て、ヴァルドはようやく口を開いた。
「……ものは相談なのですが……実は、私には探している本がありましてね。もしもそこにその本があったら、破壊せずに頂いてもよろしいでしょうか?」
「禁書をですか? どうなんだろ、レオ兄さん?」
「……それを手に入れてどうするつもりだ?」
「とりあえず今のところは手元に置きたいだけなんです。もちろん、悪用したりはしません。主であるユウトくんの意向に沿わないことなど出来ませんし」
「ふん……まあいいだろう。ただ、どんな本か確認のため一度表紙を見せろ」
「わかりました」
了承を得られたことに安堵したヴァルドが、改めてこちらに向かって恭しく礼をする。
「そうと決まれば、そろそろ行って参ります」
「ヴァルドさん、気を付けて下さいね」
「……おい、その前に。その姿はどのくらい保つんだ?」
「今回は血を直接摂取させて頂きましたので、大きな魔力放出さえしなければ5時間くらいは余裕かと」
「なら問題ないな」
「はい、何の問題もございません。……では親愛なる我が主、また後で」
ヴァルドはユウトに向かって悠然と微笑むと、マントを翻したその一瞬で大きなコウモリへと姿を変えた。
そのまま真っ直ぐ闘技場に飛び、暗闇から灯りの下に出、監視センサーの感知エリアに突っ込む。
途端にけたたましく鳴り始めたサイレンに臆することなく、ヴァルドは建物の屋上まで飛んでいった。
「何だ、あれは!?」
「侵入者か!」
突然のことに闘技場の警備のスタッフが騒然とする。
その渦中、屋上で再び人型に戻ったヴァルドは、空中に大きな火球をいくつも作り出した。遠目に見てもその火球ひとつひとつの桁違いの炎の威力が手に取るように分かる。
「うわあ、すごい熱量……」
「……あの男、わざと派手な魔法を選んだな。まあ、これだけ注目を集めてくれれば、狐たちも楽に動けるだろう」
サイレンの中、爆発じみた轟音が鳴り響き、風圧で闘技場の窓が吹き飛んだ。その音すらも暴力のように皮膚を打つ。
ど派手な魔法で屋根に大穴を開けたヴァルドは、落ちる瓦礫と共に闘技場の中に姿を消した。




