兄弟、店主に認められる
冒険者ギルドで薦められた『リリア亭』は、外観はそれほど大きくないが、手入れが行き届いて小綺麗な宿屋だった。
入り口の両脇にはテラコッタ製のガーデンポットに植え付けられた可愛らしい花が置いてある。店主が頑固だという話だったけれど、あまりそんな雰囲気は感じない。
それに少しだけ安堵しつつ、ユウトはドアベルの付いた扉を開けてレオと共に中に入った。
入ってすぐ左側に受け付けのカウンターらしきものがあり、右側には4人掛けのテーブルと椅子が3つほど並んでいる。その奥は厨房のようだ。
入り口のベルが鳴ったことに気付いた誰かが、その厨房からのっそりと現れた。
「いらっしゃいませ。リリア亭にようこそ」
姿を見せたのは、筋骨隆々で胸板の厚い、一見厳めしい感じの男だった。しかし身につけている猫柄のエプロンに、どこか間の抜けた印象を受ける。彼が頑固だという店主だろうか。
「あの、宿泊をしたいんですけど。できれば月更新の契約で」
「長期滞在希望だね? それは嬉しいな。ウチは見ての通り、閑古鳥でね」
にこりと笑った男は、見た目に似合わず優しそうな雰囲気をまとっている。
「そうなんですか? 冒険者ギルドで良い宿屋だと薦められて来たので、てっきり部屋はほとんど埋まっているのだと思ってました」
「宿屋としては自信があるんだけどね。ちょっとそれ以前の問題が……」
男がそう言ったところで、今度は左のカウンターの奥の方から誰かが来る足音がした。彼がそちらに視線を向けたのにつられて、ユウトもそちらを見る。
次に現れたのは、ユウトより少し背の高い、ポニーテールをした若い女性だった。
「父さん、新しい宿泊希望者が来たの? ガサツで不潔な冒険者は即却下だからね」
「お前がそういう選り好みをして断るから、全然客が入らないんだぞ。少しは妥協してくれ、リリア」
「嫌よ、私の宿の格が落ちるわ」
なるほど、彼女が『リリア亭』のリリアだ。どうやら彼女が店主らしい。今の会話からして、この宿に客がいないのは評判が悪いわけでなく、彼女が来た客をお断りするからということか。
頑固で問題ありの店主。リサの言ったのはリリアのことだ。
さて、自分たちが彼女のお眼鏡に適うといいのだけれど。
父親に向いていたリリアの視線がこちらに移ったタイミングで、ユウトは彼女に微笑んだ。
「こんにちは。僕たち、宿泊したいんですけど」
「うん? ……僕っ娘……いや、男の子?」
「男です。一応、冒険者です」
「冒険者なの? ふうん……、とりあえず不潔さはないわね。後ろのお兄さんも。冒険者のわりにガサツでやかましそうな感じもしないし、代金を踏み倒すような下賤の輩にも見えない」
こちらを観察するように見たリリアが、自身の言葉を確認するようにひとつ頷く。
その反応を見てこれはいけると思ったのか、彼女の父が横から補足を入れた。
「長期滞在希望なんだって。月契約したいそうだから、父さんとしては入ってもらえると嬉しいなあ」
「先払い?」
「もちろんです」
ユウトが即答すると、リリアはあごに手を当てて逡巡する。
「そう。見た感じ、まあ悪くないわね。それなりに礼儀もわきまえてそうだし。……じゃあ宿泊に際して色々規約があるんだけど、それが飲めるなら許可してもいいわ」
ここまで客に対して強気なのがいっそすごい。ただの世間知らずか、それとも宿として余程の自信があるのか、どちらにしても面白い人だなあと思いながら、ユウトは頷いた。
「まずひとつ。食堂で酒を飲んで暴れたら即退去」
「僕飲まないし、兄さんはザルだから大丈夫です」
「宿内で喧嘩して家具を壊したら即退去」
「喧嘩したことないです」
「洗濯物は朝8時までに出さなければ差し戻し」
「あ、洗濯もしてくれるんですね。ありがたいなあ」
「シャワー室から出たら必ず服を着ること。パンツのみは不可」
「……逆に他人の目があるのにその格好で歩き回る勇気はないですけど」
さらにいくつか規約を列挙されたが、最初の2つ以降はちょっと厳しめの家庭のルールみたいなものばかりだった。ユウトたちにとってはいずれも無理難題ではない。
しかしそれでも客がいないということは、これを守れる人間があまりいないということなのだろう。確かにイメージとして、冒険者は喧嘩っ早くて規則に対しておおらかというか、大雑把な感じがする。
「……うん、いいわ。宿泊を許可しましょう。じゃあルール遵守の誓約書にサインをして、この用紙に宿泊者の名前と職業、その下に希望宿泊期間を書いて。ああ、期間はとりあえずひと月更新なら、1ヶ月でいいわ。都度更新していくから」
全ての条件を飲んだところでとりあえずお許しが出たので、カウンターに移動して宿泊手続きに入る。用紙に必要事項を記入して、最後に身分証明のためギルドカードを提示した。
「ユウトくんとレオさんね。では改めて、リリア亭にようこそ。私は店主のリリア、主に宿の経営関係を担当しているわ。こっちは父のダン。家事全般を担当しているから、基本は父との接点の方が多いわね」
「よろしくね、ユウトくん、レオさん。ああ、新規のお客さんなんていつぶりかな。それも長期滞在だし、嬉しいなあ」
ダンは本当に嬉しそうに満面に笑みを浮かべている。余程客に飢えていたのだろうか。
「君たちのお部屋はどこにする? 一人部屋、二人部屋、四人部屋と大部屋があるけど、一人部屋か二人部屋だよね? 二人部屋の方がもちろん割安だよ」
「そうか、部屋……。僕はどっちでもいいけど、レオ兄さんはどっちがいい?」
ここに来てからずっと無言の兄に意見を求めて振り返る。
テムでもずっと二人部屋で何の問題もなかったし、割安ならそちらの方がいいだろうか。
しかしユウトの予想に反して、レオは割高な方を選んだ。
「一人部屋にしよう。俺は夜に出掛けることがあるから、二人部屋だといちいちユウトを起こしてしまう」
「え、そんなの気にしないけど。何なら一緒に行くし」
兄の夜の外出、それも弟が寝ている時間というのなら、それは夜の魔物狩りだろう。だとしたら自分も行くと告げると、レオは首を振った。
「まだ危ないから駄目だ。どうせ冒険者ギルドの実績にもならないし、ユウトに夜更かしさせると俺が気になる。お前は宿ですやすや眠っていろ、こっそり寝顔だけ見に行く」
「僕だって兄さんだけに夜更かしさせると気になるんだけど」
「その拗ねた顔は激カワだが、ここは譲らん。一人部屋で」
「はい毎度、一人部屋を2部屋ね」
そちらの方が実入りが良いからだろう、リリアがすぐにそれで請け合って、1ヶ月分の宿代を計算し始めた。
その間にダンが料金について補足する。
「毎日の掃除洗濯と朝晩の食事は、この料金の中に含まれているからね。朝食がいらない時は前日の夜までに、夕食がいらない時は当日の朝までに言ってね。昼食やお弁当、おやつが欲しい時は別料金を頂くけど、これはその時に言ってくれれば有り物で作るよ」
「わ、すごい。宿屋ってそこまでしてくれるんですか」
「他の一般の宿屋は普通素泊まりよ。食事は別料金だし、掃除洗濯も、ベッドメーキングも自分でするの。だから安いけど超汚いのよね。長期滞在後の部屋なんて、私が見たら発狂するわ」
そう言いながら計算を終えたリリアが金額を提示する。
そこには2人分で金貨4枚と銀貨56枚と書いてあった。ユウトはこれが異世界の相場的にどうなのか全く分からない。けれどそれを横から覗いたレオが特に舌打ちもしなかったので、高すぎるというわけでもないのだろう。
「料金は普通の宿屋に比べたら倍額以上だけど、相応のサービスは保証するわ。食費込みだし、特に父さんの料理が毎日食べられることを考えたら安いくらいよ」
「リリアやめて、ハードル上げないで」
「その金額で問題ない。2人分を一括で払おう」
「うん、料金にケチも付けない値切りもしない、あなたたち見る目あるわ!」
レオがカードを出すと、リリアがほくほくとタブレット端末のようなものを差し出す。職人ギルドでロバートが使っていたのと同じものだ。ギルドカードの入金支払いはこれで管理できるらしい。
提示された金額をレオがタップして、カードを翳し水晶板に親指を押しつける。チャリン、と端末から音が鳴ると引き落とし終了。ほんと、完全なるキャッシュレス決済だ。仕様としてはデビットカードみたいなものか。
「ではお部屋にご案内しまぁす! ごゆっくりどうぞぉ! 父さん、後はよろしくね。私は夕飯食材の仕入れと、補充用の消耗品買ってくるわ。買い物メモある?」
「来客時用のメモはカウンター裏のボードに貼ってあるよ。良さそうな旬の魚あったらそれも買ってきて。よろしく」
支払いが済んだ途端、リリアの態度がころっと変わる。父親がそれに苦笑しただけで流したところを見ると、彼女はこういう性格なのだろう。現金だが分かりやすくていい。
「じゃあお二人とも、まずはお部屋の前に各設備をご案内しますね。ここは見ての通り、カウンターと食堂。カウンターでは朝7時から夜10時まで総合的な対応をします。食事の要不要とかもここで。他にもご相談があれば何でも言って下さいね。特に急ぎでなければ、カウンターの上にあるバインダーにメモを残していただいても結構です。食堂の開いている時間は基本、朝が7時から9時、夕が5時から7時。事前に言っておいてくれれば、多少の前後は構いません」
リリアを見送ると、ダンは2人に宿の詳しい説明を始めた。冒険者の宿というよりは、ホテルか旅館みたいな丁寧な待遇だ。
「このまま真っ直ぐ奥に進むと、左側にトイレ、その隣にシャワー室があります。シャワー室の使用は朝6時から夜10時まで。明かりを付けっぱなしにするとリリアに大目玉を食らいますので気を付けて」
「わ、すごい綺麗にしてる」
特に新品らしいわけではないが、とても清潔に保たれている。トイレも汚物を溜め込む形式ではなく、下の方を水が流れていた。下水設備があるのだ。
「シャワー室のさらに隣にランドリールームがあります。扉を開けてすぐに洗濯かごが置いてあるので、朝8時までに洗濯物を入れておいて下さいね」
「シーツとかカバーとかですね」
「他人に洗われて気にしないなら私物の衣服や下着も結構ですよ。魔石燃料を使った洗濯機があるので、たいした労力じゃありませんから」
「そんなのあるんだ。洗濯してもらえるなら助かります」
テムの村にはそんな便利なものはなかったから、全部自分で手洗いだった。不慣れなせいで生地を傷め、下着を数枚捨てる羽目になっていたので、あの手間と無駄がなくなるのはありがたい。
「奥の階段を上って二階に行くと、泊まっていただくお部屋になります。一人部屋は2部屋しかないので、そこを使って下さい。大通り側に面した突き当たりの部屋です」
案内されて入った部屋は6畳くらいの広さで、ベッドと簡易なテーブルセット、作り付けのクローゼットと棚が置いてあった。ベッドの隣には小物を入れられる小ぶりなチェストも付いている。
シンプルで落ち着いた印象だ。
窓の外は大通りとあって賑やかだが、日本の喧騒に慣れているからどうということもない。
「良いお部屋ですね」
「ありがとうございます。ではこれが部屋の鍵になります。一応我々も合鍵を持ってますが、なくさないように気を付けて下さいね。余所に一泊以上する予定のときは、カウンターに預けて行って下さい」
「分かりました」
説明はこれで終わりのようだ。最後に自分の部屋の鍵を受け取る。
隣で同じようにそれを受け取ったレオが、不意にダンに質問を投げかけた。
「……夜は?」
「はい?」
「宿の施錠、するだろう。外出して夜中に帰ってきた場合、どうすればいい」
「ああ、宿の施錠は夜10時ですが、それ以降に帰ってきたら、ということですね。そういう時はカウンターで事前に言っていただければ、宿の勝手口の鍵をお貸しします。夜中に正面から入るとドアベルが鳴ってしまうので、近所迷惑になりますから」
「分かった」
「他に何かご不明な点は?」
「特にない」
レオが端的に返す。
素っ気ない態度にも笑顔で「それでは、これで」とお辞儀をしたダンに、ユウトもちょこんとお辞儀で返した。彼は見た目と違い、ずいぶん物腰が柔らかい。娘とはあまり似ていないようだ。
ダンが一階に降りていくと、2人はまずユウトの部屋に入った。レオが荷物を下ろす。
「ここにユウトの荷物を置いていく。片付けも手伝うか?」
「ん、大丈夫。ここまで持ってきてくれてありがと」
日本から持ち込んだものは全て、圧縮ポーチとは別に旅のリュックに入れ替えて兄が背負ってくれていたのだ。ユウトも持つと言ったのだが、肩掛けのバッグに入る量しか持たせてもらえなかった。
「良い宿屋を紹介してもらえて良かったね。今度リサさんにお礼を言ってこよう」
「お前に不満があったらもうひとつふたつランクが上の宿でも良かったんだがな」
「リリアさんもダンさんもいい人そうだし、宿も想像以上に快適そうだし、全然問題ないよ。特にリリアさんが自信満々だったダンさんのご飯が楽しみだな」
テムでのご飯が美味しくなかったわけではないが、村の物流は限られているため、調味料が塩とバターと蜂蜜くらいしかなかった。日本で多様な味を知ってしまっているユウトとしては、少し味気ない。
しかしザインなら香辛料などもあるらしいし、きっと別のテイストの料理を味わえるだろう。
そんなことを考えているうちに、ユウトの荷物を出し終えたレオが中身のほとんどをなくしたリュックの口を閉じた。
「今日は部屋で荷物の整理をして、旅の疲れを取ろう。明日は必要なものの買い出しに街中にでる」
「僕、冒険者ギルドで依頼も受けてみたいんだけど」
「……簡単な採取依頼なら構わない」
「やった! 初仕事」
向こうにいる頃はレオにアルバイトを禁止されていたから、働いてお金をもらうのは初めてのことだ。ちょっと楽しみだ。
「じゃあ、俺も部屋に行く。夕飯の時間にまた来る」
「うん。また後でね」
扉を出て行く兄を見送って、弟はこれからしばらく生活する部屋で荷物を片付け始めた。