兄、職人ギルドと取引する
「これから宿に行くの?」
「その前に職人ギルドに行く。素材を売って金にしないと契約もままならん」
確かにそうか。
またもや迷いなく歩いて行くレオに、ユウトは素直に従った。
大通りから1本脇に逸れて、それでもまだ賑わいを見せる通りにそれはあった。ハンマーとはさみと金床をモチーフにした看板だ。
中に入ると冒険者ギルドとはまた別の雰囲気があり、向こうほど混んでもいなかった。
正面には作成依頼のボードと窓口の他に、商品鑑定窓口が多く並んでいた。納品に来た職人が、窓口の職員に質が悪いと突っ返されて口論になっている。その隣では納期を延ばして欲しいと懇願する職人が職員に叱られていた。
レオはそれに目もくれず、左側にあるブースへと足を向ける。
その先には、職人の斡旋、紹介、案内をする総合窓口らしいものがあった。そこに、立っている気の良さそうな青年が担当だろう。
「いらっしゃいませ、ギルドの職人への作成依頼ですか?」
「いや、鑑定士と素材の買い取り先を紹介して欲しい」
言いながら兄は弟を椅子に座らせ、今度は自分も隣に座った。
「普通の鑑定と素材買い取りなら当ギルドの窓口でもできますが……」
「ランクA以上の鑑定と買い取りができるところだ」
「は、ランクA以上……!? しょ、少々お待ち下さい!」
レオの言葉に慌てた青年が、座ったばかりの2人を置いて裏に引っ込む。それを見たユウトは首を傾げた。
「普通の鑑定とランクA以上の鑑定って、何が違うの?」
「ランクA以上の素材はそうそう出回らないから、そもそも現品を見たことないとか、鑑定できない人間もいるんだよ。そういう奴に任せると、規定通りの金額しか付かない。一方で、実績のある鑑定士なら鑑定書も出せるし、質によっては買い取り金額も跳ね上がる」
「そうか、ちゃんと素材の価値を見極められる人に見てもらうってことだね」
2人で話をしていると、すぐに青年が男を1人伴って側にやってきた。
おそらく彼の上司なのだろう。どこか知性を感じさせる40代くらいの中肉中背の優男は、青年の前に出て、ユウトたちに笑顔でひとつお辞儀をした。
「お待たせして申し訳ありません。私、この職人ギルドで支部長をつとめております、ロバートと申します」
「え、支部長、さん?」
それってつまり、このザインの職人ギルドで一番偉い人ということだ。
驚いたユウトがどういうことだろうとレオを見ると、兄は小さく舌打ちした。
「……鑑定士を紹介して欲しいと言ったんだが」
「ええ、もちろん分かっております。しかしランクAの素材が持ち込まれるなんて滅多にないこと。少しお話を伺いたいと思いまして……」
「素材を持ち込んだとは言ってない」
「おや、そうですか? 良いポーチをお持ちのようですが」
ロバートの指摘に、もう一度レオは明確な舌打ちをする。男は兄の腰に下がっているポーチがどんなものか知っているのだ。そして、その中に上級素材が入っていると確信している。
「よろしければお茶をお出ししますので、奥の部屋でゆっくりお話をお聞かせいただけませんか?」
笑顔を崩さない男に促されて、眉を顰めたままのレオが立ち上がる。ユウトも成り行きを不思議に思いながらもそれに続いた。レオは不愉快そうな顔をしているが、どうやら彼についていく気らしい。
兄はこの誘いが意に沿わなければ、気にせずこのまま外に出るタイプの人間だ。そうしないのは、何か理由があるのだろう。だったら弟が気を揉むことはない。
2人は応接室に通されて、ソファに並んで座った。その向かいの一人がけ用ソファにロバートが座る。
職員の女性がお茶を出して退出すると、3人だけになった部屋で男はにこりと微笑んだ。
「さっそくですが、素材を見せてもらっても?」
「あんたに見せてどうするんだ」
「一応我が国のギルドの支部長は鑑定士の免許も持ってます。以前は王都にいたので、ランクS級素材あたりまでは鑑定実績がありますよ。もちろんどうしても他の鑑定士がいいのなら後でご紹介しますが、今回は鑑定料を頂きませんので私に鑑定させて頂けませんか?」
「……解せないな。先に目的を言え。俺の持つ素材をどこかからの盗品かと訝しんでいるのか?」
警戒しているような口ぶりに聞こえるが、レオはロバートを見定めているだけだろう。そもそも兄が交渉するに足る相手だと判断していなければ、こんなに言葉を交わすことすらしないと弟は知っている。
「盗品だなんて思っていませんよ。大体、ランクA素材がどこかで盗まれたなら、職人ギルドで大パニックが起こっています。それほどに今ランクA以上の素材は少ないのです。……実はそのせいで、一部の鍛冶職人が似非素材に手を出して、まがい物をランクAの商品として売るという詐欺事件が起きました」
「似非素材って何ですか?」
「上級素材を真似て人工的に作った素材です。見た目が似ているだけで、質は雲泥の差なんですよ。……我々の目から見れば劣化品なのは明らかなのですが、目の利かない冒険者が買い求めてしまって」
ロバートは一つため息を吐いた。
「もちろん、その鍛冶職人たちはギルドから除名しましたが、偽物を扱っていると噂されて職人ギルドの評判も落ちてしまった。おかげで素材は冒険者ギルドに依頼して調達する者が増え、そちらの方が割が良いからと職人ギルドに素材を卸す者も減ってしまったんです」
「それで、俺の持つランクAの素材をギルドに卸して欲しいと?」
「素材自体に私の鑑定書を付けることで、品質は保証できます。当ギルドに売って頂けるのなら、いくらか色を付けるのもやぶさかではありません。それで作った良質な装備やアイテムが出回れば、少しずつでも信頼回復になりますからね」
なるほど、そういう話ならギルド支部長自ら出てきたのも納得がいく。無償で鑑定というのも、この交渉に持ってくるためだったのだろう。
レオはこの話を受けるのだろうかとユウトがちらりと隣を見ると、何故か彼はおもむろに眼鏡を掛け、ソファの背もたれから身体を離して膝の上で両手を組んだ。
あ、これは。
「だったら、提案があります。互いに実のある取引にしませんか?」
レオが仕事モードに入った。口調まで変わっている。
しかしその変化をさほど気にすることもなく、ロバートは話に乗ってきた。
「ほう、取引とは、具体的にはどんな?」
「こちらの希望を飲んで頂ければ、この街にいる間俺たちが手に入れた上級素材は、全て職人ギルドに卸します。特に色を付けてもらう必要もありません」
「それは願ってもない話です。……しかし、あなた方の希望、ですか。私にできることでしたら喜んで受けますが」
「支部長たるあなたなら特に難しくはないと思いますよ」
そう言ってレオは指を2本立てた。
「こちらの希望は2つだけです。素材を俺たちが卸していると絶対に口外しないこと。街で一番腕の良い職人に引き合わせること」
「……それだけで良いんですか?」
少し構えていたロバートの肩から力が抜けたのが分かる。彼にとっては思いの外、容易なことだったのだろう。
「それで十分俺たちにメリットはあります」
「だったら私としては何の問題もない。その取引を受けましょう。……そうだな、とりあえず今後素材が手に入ったら、夜8時以降に裏口からギルドに来てください。納品を知られたくないなら、皆の前で鑑定するわけにもいかないですしね」
「分かりました」
取引はあっという間にまとまった。さすが、決定権を持つ者との話は早い。
しかし、そこで兄はさらに1つ注文を付けた。
「……ところで、紹介していただく職人ですが、腕の良さ以外にもう1つ条件があります」
「条件?」
ぱちりと目を瞬いたロバートに、レオが強く頷く。そしてユウトの肩に手を置いた。
「このユウトに似合う、軽くて防御力が高く、何より可愛い防具が作れる職人であること。これが最重要と言っても過言ではない」
「え、ちょっと待って、可愛い防具って嫌な予感しかしないんだけど」
「分かった。条件に合う職人を見繕っておこう」
「ええ? 分かっちゃうの?」
ユウトの突っ込みを余所に、その話もまとまってしまった。大丈夫だろうか。防具に猫耳とか付いたらちょっと嫌だ。
後で兄としっかり話し合わなくては。
「では、とりあえず最初の取引といきましょうか。今度こそ素材を見せて頂いても?」
「ええ、もちろん。少し大きいので、床に置きます」
レオが立ち上がり、応接室のテーブルを少しずらしてスペースを作ると、圧縮ポーチから殺戮熊の皮を取り出した。幌馬車の荷台を覆う大きさのものが4枚。
ユウトはよくそれを軽々と出し入れできるものだと半ば感心しながら眺め、ロバートは現れた素材に目を瞠ったまま固まった。
「レオ兄さん、これってなんで全部四角く切ってあるの? 熊の皮って、手足と頭付いてるイメージなんだけど」
「ポーチに入りきらなかったから、稀少部位以外切って捨ててきた」
「すっ、捨て……っ!?」
あっさりと言うレオに、ロバートが額に手を当てて動揺する。
「私の予想のはるか上だった……。ほぼ炎でしか倒せない殺戮熊の皮は端材でも特級稀少品……それを捨ててきた……!? おまけに、この大きさでも均一の毛並みでこれだけ毛足が長いということは、相当大きい殺戮熊ですよね!?」
「五ツ目の皮が3枚、あと1枚は六ツ目の皮だ」
「む、六ツ目の皮……普通の部位でもハンカチサイズで金貨1枚のランク特A素材っ……!」
ギルドの支部長はさっきまで全然動じることもなかったのに、レオの答えに頭を抱えた。余程素材が欲しかったらしい。
「ねえレオ兄さん、金貨1枚ってどのくらいの価値?」
「向こうの金額に換算すると大体だが10万円くらいだ」
「あ、結構高い。じゃあ捨てたとこ、ちょっともったいなかったね」
「ちょっとじゃありません!!!!!」
ロバートがドン! と机を叩く。
「今さら言っても詮無いことですが、それがあればギルドの在庫がどれだけ潤ったことか……」
「ポーチの容量が足りなかったんだから仕方ないだろ」
「くっ……上級素材を持ち帰るための特殊空間持ちのポーチか……。提供したいが作成に必要なのはまたさらなる上級素材……。何たるジレンマ……」
「支部長さん泣いてる」
「ほっとけ」
レオはいつの間にか眼鏡を外し、口調も戻ってしまっている。
彼はロバートの様子を気にも留めず、ポーチからさらに牙や爪などを取り出してテーブルに置いた。何かグロいものも。
「うわ、それ内臓?」
「熊の胆だ。薬の材料になる。これも高価なものだ。……さて、これでいくらで買い取ってくれるんだ?」
兄が訊ねると、ようやくロバートは気を取り直したように涙をぬぐった。目の前に置かれた素材の方に気を惹かれたのだろう。
そこからはひとつひとつの鑑定に入る。
「どれも十分に発達していて質がいいですね。毛皮には艶があるし……。全部基準額よりも上がりそうですよ」
「そっか。そういえばレオ兄さんは素材の質を上げるために、わざわざ夜に討伐に行ったんだもんね」
「なっ……!? 殺戮熊を相手にするのに、わざわざ夜に!? ……いや、うん。もういい、驚くのは止めておきましょう。きりがない」
ロバートは悟ったようにそう言って、黙々と鑑定を続けた。
最後にそれを全部紙に書き出して、合計金額をレオに提示する。
「このくらいでいかがですか」
「まあ、妥当な値段だな。問題ない」
ユウトが横からちらっと見ただけでもずいぶんと0が並んでいた。
兄はこの1回の取引でどれだけ稼いだんだろう。
そしてその金貨、持って帰れるのだろうか。
「では、買い取り金額をお支払いしますので、ギルドカードをここに翳して、下の水晶板に親指を当てて下さい」
「えっ、支払い?」
おもむろに、ロバートがタブレットのようなものを取り出した。そこに言われた通りにカードを翳すレオを見て、ユウトは目を丸くする。
「金貨でもらうんじゃないんだ?」
「そんなもの現物で渡されても重くて邪魔だし、狙われて危ないだろう。金銭の授受はカードに入っている術式でデータだけでやりとりできるんだ。ギルドに登録した一番の理由はこれだ」
「へええ、異世界にもキャッシュレス時代が……」
確かにこれは便利だ。感心してそれを見ていると、不意に兄がロバートに指示を出した。
「ああ、そうだ。支払金のうち金貨10枚分はユウトの方に入れてくれ」
「分かりました」
「へ? 金貨10枚って……百万……!? そ、そんなのいらないよ!」
「ユウトにひもじい思いはさせないと言ったろう。これで好きなものを買え。生活費は全額俺が準備するから、それは自由に使って良いぞ」
「いいってば、僕もこれから冒険者ギルドで自分で稼ぐし! 生活費出してもらうだけで十分!」
「しかし……」
「い、ら、な、い!」
断固拒否をされて、レオは渋々と引き下がった。それを見ていた支部長が目元を緩める。
「お兄さんは破天荒そうだが、弟くんは普通の感覚で良かった」
「……じゃあこのうち銀貨を30枚、銅貨を50枚だけ現金でくれ」
「分かりました。用意してきますので少々お待ち下さい」
指示を変えた兄に従ってロバートが部屋を出て行ってしまうと、レオは手持ち無沙汰に弟の頭に手を伸ばし、その髪をぐしゃぐしゃと乱した。
申し出を拒否されたことへの抗議だろうか。その指先は優しく滑っていくから、全然抗議になっていないが。
「銀貨と銅貨もあるんだね。そっちはいくらくらい?」
「ざっくりとした相場感覚でいうと、銀貨が1枚1000円、銅貨が1枚10円ってところか。きっちりとは当てはまらないがな」
「日本と比べると種類が少ないね」
「店なんかはほぼカードで支払えるからあまり必要ないんだ。現金は屋台やチップに使うくらいだ」
ユウトの問いに答えながら、レオは自ら乱した弟の髪を、結局自分の指ですいて整えている。
意味のないことをするなあと思いつつも、ユウトは好きにさせた。
「お待たせしました、こちらが現金になります」
まもなく現れたロバートは、テーブルの上に現金を並べた。銅貨はほぼ日本円の10円玉に、銀貨は100円玉に近い。これくらいなら問題なく持ち歩ける量だ。
レオはそこから銀貨5枚と銅貨20枚をユウトに渡した。
「小遣いとしてせめてこれくらいは持っておけ」
「うん、これくらいなら……ありがと」
今度は素直に受け取って、小銭入れにしまう。それを見届けてから、レオも残りを自分のポーチにしまった。
「とりあえず、今日のところはここまででしょうか」
「ああ。もう用はない」
「では、退出には裏口をご案内します。次にいらした時に場所が分からないと困るでしょうから。……しかし、その前に。1つだけ、訊いてもよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
話が終わろうという段になって、不意にロバートが控えめに問いかけてきた。それに応とも否とも返さない兄に代わって弟が問い返す。
「素朴ながら不躾な質問なのですが……。殺戮熊の毛皮のような稀少品、冒険者ギルドの納品依頼で受ければ、職人ギルドの鑑定額よりはるかに高い報酬を得られたはず……。もちろん当方としては大変ありがたいことなのですが、どうしてわざわざ鑑定しての買い取り希望に……?」
何か退っ引きならない事情があるのかと訊ねる彼に、ユウトは目をぱちくりと瞬いた。
「え、だって」
殺戮熊の毛皮納品なんて、どう考えたってランクAの依頼だ。
理由なんて、ただそれだけ。
「僕らランクEなので、ランクDまでの依頼しか受けられませんから」
「……はい?」
あっさりと答えたユウトに、一瞬理解ができなかったのか、ロバートは耳をこちらに傾けて訊きなおした。
ユウトはもう一度、今度は兄と自分のギルドカードを見せながら答える。
「僕ら冒険者ランクEなんです」
「は……はあああああ!? ランクE!?!? ちょ、嘘でしょう、本当に初心者マークが付いてる……!」
さっき驚くのを止めると言ったはずのロバートだったが、驚愕を飛び越えたすごい顔をした。そのまま仰け反って、ソファごとひっくり返る。
その驚きようにユウトもびくっとし、レオはうっとうしそうに眉間にしわを寄せた。
「ま、待って下さい、色々理解が追いつかない……。いや、何だかもう一周回って考えても仕方ない気がしてきました」
「それでいい。とっとと裏口に案内しろ」
ギルドカードをしまったレオが、付き合っていられないと立ち上がる。ユウトも急いで立ち上がると、天を仰いだままのロバートを助け起こした。
「し、失礼しました。……しかしこれは我々にとっては僥倖……。これからも、よろしくお願いします。素材はランクB以上でしたら買い取らせて頂きますので」
「ランクB以上でいいんですか?」
「お兄さんは夜の素材を狩る方のようですからね。そもそもランクBを超えると、夜の魔物討伐はとても難儀なのです。よって、必然的に質の良いランクB素材は貴重になってくる。そういうものなら喜んで買い取ります」
「ああ、なるほど」
ようやく落ち着いたロバートは、少し乱れた上着を整えてから2人を伴って部屋を出た。
今度はさっき通った廊下ではなく、職員が使う通路を案内していく。
「表から来ると支部長室は遠いですが、裏口からだとすぐです。夜8時以降は建物自体に2、3人しかいないので、そうそう見られることはないでしょう。……一応誰かに見つかった時のために、名刺を渡しておきますね」
裏口に着くと、胸ポケットから取り出した名刺の裏に自筆のサインを入れて、彼はそれを兄に渡した。
「ではまた、ご来訪をお待ちしています。この出会いに感謝を」
「ありがとうございます」
胸に手を当てて頭を下げるロバートに、ユウトも丁寧にお辞儀で返す。レオは軽く会釈だけした。
すぐに背を向けて歩き出した兄に連れられて、兄弟は今度こそ宿屋に向かって歩き出すのだった。