8話 ゲンジョーの旅立ち
竜王国は五隻の飛行戦艦を保有している。
一辺百メートルの立方体。漆黒の面には凹凸なし。外殻は金属の分厚い装甲。内側に戦闘指揮所や居住区、そして中心には推進力を生む飛行石がある。
飛行速度は遅いが、移動する要塞としての戦力は十分。突破困難な装甲と防御魔法による高い防御力。そして、空に浮かんでいるため飛べない敵は肉薄することが出来ない。その上で、魔法攻撃による射撃を浴びせることが出来る。
兵器として非常に優れており、竜王国の武名が轟く要因である。だが、この兵器はドラゴニュートが建造した物ではない。輸入品だ。それも技術の核心部分については永久に引き渡さないという条件付きだ。
テムジンは王城の一角、転送室に来ていた。
飛行戦艦は艦内の転送室と、王城にある転送室が一対になって魔法で出入りすることになっている。装甲が破壊された五番艦は直接乗り込むことも出来るが、無傷な状態であれば外側に出入り口はない。
転送室は、かつては百人ほどが集まって会議を行う場所であった。今は机や椅子などが取り払われ、大きな姿見が六つと、守護する魔法王国のゴーレムが姿見一つに二体。係官のドラゴニュートが何人かいる。
姿見に見える大きな鏡は転送呪文の術式が施されており、脇に立つゴーレムが魔力を注ぐだけで起動する。ただし、術式は魔法王国の国歌機密。分解や、解読されるのを防ぐため戦闘用ゴーレムが配置されている。
今日、テムジンが転送室に来ていたのはゲンジョーの見送りのためであった。部屋は満員で、廊下にも城勤めの者たちが集まっていた。
迷宮探索から帰ったゲンジョーは、褒美として魔法王国への旅を希望した。竜王は彼の望みを叶えるべく交渉し、成功した。代償として国宝の魔道書、魔道具が何点か魔法王国へ渡ることとなった。教会の反発は大きく、正式な反対表明が行われたが、竜王は決定を覆すことはなかった。
「共に苦難に挑んだ戦友。そして我が同胞たちよ。忙しい中、集まってくれてありがとう。私はこれまで何度も旅立ち、帰って来た。出立の朝、何のためにと問われ、そのたびに答えてきた。旅の意味は道中に分かる物で、理解できたら帰ってくると。ただ、今回の旅だけは違う。私は未知を知るために外界へ出る。寿命が尽きる前に旅が終わるかは、分からない。けれど、帰ってくるとしたらここしかない。だから、こう言わせて欲しい。行ってきます、と」
竜王が一歩前に出て握手する。
「お前ほどの傑物が旅人などというのは、納得がいかない。必ず帰ってこい」
「ありがとうございます」
宰相バールが握手する。
「貴方が行ってしまうのは国家の損失です。今からでも心変わりして、行くのはやめたと言ってもらえたらと思います」
「決心は変わらない」
「残念です。では、あなたの逸話が神話になるよりも早くお帰りください。心よりお待ちしています」
「ありがとう」
カラン王子が握手する。
「あなたを我が幕僚に加えるのはずいぶん先になりそうで残念です。ご武運を」
「過大なる評価ありがとございます。ですが、すでに王子の下には多くの才が集っております。彼らを信用し、よく意見に耳を傾ければ私がいなくとも覇業は成りましょう」
ゴダッジ王子が握手する。
「俺はいつかあんたを超えてみせる。そうさ帰ってくるころには、あんたの武名など霞むほどにな」
「王子、あなたが才気みなぎる方であることは承知の上で一言。くれぐれも慢心はなさらないようお気をつけください」
ネロス姫が握手する。
「迷宮では世話になった。感謝する。そして、帰って来たら、外の世界のことを私に教えて欲しい。そうすれば、開発した秘術の一つや二つ明かしても良い」
「姫様。身の回りの警備は特にお気をつけください。新たな魔法を作っていることを快く思わない者たちの嫉妬や、強奪したい者の欲望は侮ってはいけません」
「忠告に感謝する。ゲンジョーも、あちらで頭角を出すようなことはしないことだ。旅人が目立っては闇に葬ろうとする者がでないともかぎらない」
「お互い気をつけましょう」
二人は小さく笑った。
居並ぶ大臣たちが次は私とばかりに前に出たが、ゲンジョーは人混みの中に一歩踏み込み、テムジンの前に立った。
「テムジン」
「はい!」
「お前は多くの者に守られている。だが、忘れるな。いずれ大人になり、一人で立たねばならないときが来る。私の知る限り、その年で魔法が使えないのはお前だけだ。それはこれからも続くかもしれない。それがどれほどお前を苦しめるか、危機を招くかは分からない。ただ、どのような苦難があろうとも生き延びよ。よいな」
「はい。これまでの指導ありがとうございました。これからも多くを学び、困難に立ち向かっていきます」
「その意気だ」
ばしばしと音が出るほど、ゲンジョーはテムジンの肩を叩いて激励する。
その後、ゲンジョーは文官、武官の要職にある者だけでなく、多くの者と言葉を交わしていった。
人間として生きて五十年。ドラゴニュートに転生して五十年。百年生きても子供扱いされるのは歯がゆい。けれど当然だ。迷宮の中ではネロス姫、ゲンジョー、二人に守られていた。どちらも四肢の欠損をも瞬間回復させるほどの治癒魔法が使えて、少しでも危なければ過剰な攻撃で周囲をなぎ払っていた。これからもネロス姫の側にはいるが、本来なら姫を護衛するための近衛騎士が、その姫に守られているのはどう見ても立場が逆だ。陰口を早速たたかれているのが、ゲンジョーの耳に入っていたのが分かる。
あらかた挨拶が終わった頃、転移門の鏡面が光り輝いた。部屋から誰かが出て行く場面ではなかったので、戦艦側から誰かが移動してきたのだ。
「みんな、行ってくる」
「行ってきます。じゃなかったのか」
竜王の突っ込みにくすりと笑う者たちがいる。
ゲンジョーは転移門の前に立つ。
鏡面からまず足が出てくる。褐色のすらりとした長い足だ。見るからにしっとりとした艶がある。
テムジンは目をこらした。周りにいるドラゴニュートの鱗のある肌とは明らかに違う。獣人達のけむくじゃらの足でもない。虫や甲殻類のテカテカした足でもない、迷宮で良く見た魔物たちのような、がさつき、ひび割れた硬い皮膚でもない。ましてや腐乱した生き物の皮膚でもない。
「ダークエルフ!」
転生して初めて、人間に近い容姿の種族を見た。それが容姿端麗で知られるエルフの亜種族ダークエルフ。きらきらと光を乱反射する銀色の長髪。面長で端正な顔立ち。ほどよく丸みを帯びた体つき。上品な色使いながらも、肩口の出る上着。太ももが露わになる裾の短いスカート。
一人だけ声を上げてしまったので、ネロス姫に足を思い切り踏みつけられ、テムジンは口をつぐんだ。
「お別れは済みましたか。ゲンジョーさん」
声までも艶があって素晴らしい。などとテムジンが感激しているが、周りの者は静まりかえっている。
魔法王国の外交官シュラトは大使権限を持つ。彼女を怒らせれば、戦争の引き金にもなりうる。国が違い、種族も違う。何をすれば機嫌を損ねるか分からない以上、誰もが慎重だ。
「はい。準備は万端です」
「では行きましょう」
シュラトは言うが早いか転移門をくぐり、姿が見えなくなる。
ゲンジョーは、ややゆっくりとした足取りで転移門をくぐった。
「解散。皆仕事に戻れ」
宰相が声がけして、皆が部屋を出て行く。
「姫様、あの人が魔法王国の大使なのですよね」
竜王が執務室に向かい、その後ろに王子、姫と続く。移動中も各々がおしゃべりをする。
「あぁ、シュラト殿だ。かなり若いらしいのに、よほど有能なのであろう」
「教えて欲しいのですが、魔法王国はダークエルフの国なのですか」
迷宮探索の試験対策に子供の時は追われていた。テムジンに魔法王国に関する知識はなかった。
「かの国は種族で言えば、人間の国か。女王が人間であるし、数で言えば一番多いだろう。ただ、聞く限りは多くの種族がいて共存しているとのことだ」
テムジンはほっと胸をなで下ろした。美女がいる国の存在を知ることが出来た。世界を統一しても、爬虫類、けむくじゃら、虫類など、およそ美しいと思えない女性ばかりでは気が滅入る。いっそ、狐を見て欲情できるくらいの変態だった方がこの世界では幸せかもしれない。そんなことを思うこともあったが、人間のいる国がある。ダークエルフがいるのであれば、どこかにエルフだっている。いつか美女を愛でられる日もくるだろう。
「テムジン、言っておくが、あの国に渡るのは歴史上、歴代の竜王陛下と、ゲンジョー殿のみだけだ。行けると夢見るのは自由だが、不可能に近いと思う」
うれしくてにやついた顔をしているので、ネロス姫が注意する。
「では、姫様に竜王になっていただいて、お付きの者としててでも渡りましょう」
「私は王位に興味はないし、王の重臣であっても行けはしない」
不意に、窓の外に黒い球体が見えた。
魔法王国の飛行戦艦。直径百メートルの球体。表面は真っ黒な流体金属が波打っており、海の下に戦闘指揮所や居住区、飛行石が配置されている。
「あれに乗りたければ、ゲンジョー殿と並ぶほどの手柄でも立てるのだ。そのほうが現実的だ」
音もなく飛行戦艦は進む。間近にあった魔法王国の戦艦が遠のいていく。
「そうですね」
ゲンジョーは大戦の英雄。それも竜王国にとっての英雄ではなく、魔物達の形成する連邦国家にとっての英雄。世界の統一を目指せば、いつかは超えなくてはいけない英雄だ。人間の時であったなら、絶対無理だと思ったろう。けれど、ドラゴニュートの寿命は長い。夢を持つのも野望を持つのも、諦める理由がない。ましてや、五十才になってもまだ子供だ。ドラゴニュートの人生は長い。
「竜王陛下っ! 勅命です」
執務室の方向から、背丈二メートルほどの蟻人が叫びながら走ってきた。軍隊蟻の種族は連邦の正規兵としてよく見かける。食料さえあれば、彼らはほぼ不満を持たない。それでいて死を恐れぬ勇猛な戦いぶりで知られる。
竜王は泰然と構えるが、宰相は大げさなほどにため息をついた。
「ここで構わぬ。勅命を聞こう」
「魔王陛下より、勅命をお知らせします。速やかに首都クワーリンへ兵を率い参陣してください。南軍は首都への進路を取りました。お願いします。以上です」
「魔王様に返信。速やかに軍を率い向かいます。以上だ」
「承りました」
蟻人が駆け足で去って行く。
「さて、皆の衆。戦いだ」
竜王の声は落ち着いていた。竜王国は休む間もなく勅命を受け、これまで何度も戦ってきた。竜王にとってはいつもと変わらない。いつもの戦いの始まりだった。
設定資料
ダークエルフ
美女美男が普通。という見た目の個性がない種族。
多様性の無さからもわかるように、寿命は長いが無難で没個性的な行動を取るのが常で、魔法において高い素養を持ちながらも魔法文明はさして発達していない。同様に、武器の類いなども狩猟生活から抜けきらないなど発達も古代からさして変わらない。
シュラトはそうした「よく言えば成熟した」悪く言えば「停滞しきった文明」を嫌い、国を出て、魔法文明の発達著しい魔法王国の門を叩いた。
ちなみに、ダークエルフの国も、エルフの国も、テムジンのいる連邦国家よりも外にある。そのため当面登場の予定はない。