4. ラミア
村を出てシオンに着いていくと小さな林があり、そこを抜けたらすぐに雰囲気が変わった。
林の中とは違う植物が目の前に広がっており、陰鬱な空気を漂わせ始めるが、予想に反してひんやりしていて静かだ。
村との境目であるかのように小川があり、ゆっくりと水が流れている。透明度が高く沼のような泥水をイメージしていたせいか新鮮に目に映る。
一帯が鬱蒼とした深緑に覆われていて、向こう岸の足元を見ようにもかろうじて湿った地面が見えるくらいだ。先がそのまま地面なのか水が流れているか判断がつきにくく、人の手が入っていない自然そのままという印象だった。
湿地帯を抜けた先が村から見えた山脈のようで木々の隙間から緑の山が見えるが、ここを抜けてあそこに楽しく登山しにいくようなやつはいないだろう。
「ラミアは半人半蛇の亜人です。下半身が蛇なので人間に発見された時は蛇竜型モンスターと間違われてましたが、集落の形成や言語能力によるコミュニケーションが可能なことから今は亜人として認知されています」
「亜人とモンスターの差って?」
「文化を形成すること?って聞いたことありますけど、詳しくはわかりません」
とりあえずラミアが接触してこないか、水辺をうろうろ散策している間にシオンにこの世界のラミアについて教えてもらっていた。
話を聞くに、姿形は俺の知っているラミアと大差が無いと思う。
元の世界でも自然や動物を分けるのは文化だって言う分野があったな…。文化の定義はよくわからないけど。
「皆、会話できて理性的なのが亜人で会話できなくて襲ってくるのがモンスターくらいにしか思ってないと思います」
「てきとうだなおい……」
「カケル様が細かいんですよー」
「ぐ……悪かったな」
自分が細かくて理屈っぽいのはわかってる。元いた世界ではめんどくさいと思われないように自重するように努力していた。
だけど気になるじゃないか別世界。知りたいじゃないか別世界。
「それはともかく……出てこないな、どうやって渡るか……」
「お、ついに乗り込んじゃいます?」
「何ちょっとわくわくしてるんだ……どう行くか思いつかないんだよ」
水の流れは緩やかだが、向こう岸までは結構距離がある。濡れるのを厭わなければいけそうだが、金が無く、医者にかかることも出来ない状態で風邪を引くような危険は冒したくない。
「歩いて行きましょう!」
話を聞いていたのかこいつは。
「あのな、だからどうやって行くかをだな……」
「《浮遊歩行》」
「え?」
シオンに呆れ、俺がため息混じりに諭そうとした瞬間、シオンが祈るように両手を合わせてそう呟くと俺とシオンに一瞬光が灯る。
急に光ったことに驚く俺を尻目にシオンはぴょんと飛び降り、水の上に立った。
「……は?」
「カケル様?フロートかけましたよ?」
「お前……魔法使えるの……?」
「そりゃ使えますよー。私魔力はそこそこ多いんですよ?」
すまんシオン。お前の性格と巫女の家系だけど巫女らしいことやってないとか、家系は別に普通だの言ってたから勝手にポンコツと決め付けていた……。
しかも水の上歩けるってすごい役に立つ魔法じゃないか。魔法覚えたいな。
「カケル様、そろそろこちらに」
「お、おう……」
シオンは手招きする。
目の前のシオンを見るに、俺はこのまま水の上にいっても浮いたように歩けるのだろう。
だが、待って欲しい。
大丈夫ですよー、と言われて実感も無く水の上に躊躇無く飛べるだろうか。透明度が高いとはいえ水だ。万が一術がかかってなくて落ちてしまってはまずい。世界一胃腸の弱いと言われるジャパニーズの俺が水を飲んだりでもしたら体調を損なうこと間違いなしだ。
あとこいつなら俺に術をかけ損ねたとか普通にありそうで信用できない。
色々要約すると怖いです。
「カケル様……? ……はっ!」
すぐに下りようとしない俺を見てシオンは首を傾げたが、すぐにピンと来たような表情を浮かべる。
俺が躊躇ったのはほんの数秒だ。それにも関わらずシオンは全てを悟ったように次の瞬間。
「うふふふ……」
それはもう楽しそうな笑顔に変わった。
「ほらほらカケル様ー!」
「ちょ、おま、やめろ!引っ張るな!」
にこにこと笑顔を浮かべながらシオンは俺の腕を引っ張り始める。
ていうか、こいつ意外に力が強い……!
必死に踏ん張る俺を見て更にご機嫌になったのか引っ張る力がどんどん強くなっていった。
「こわくないですよー。ほらおいでおいでー!」
「楽しそうにしやがって! 何でこういう察しはいいんだお前は!」
「カケル様可愛いとこありますねー!」
「自分のタイミングで! せめて自分のタイミングで行かせてくれ!」
「騒がしい。何者だ」
俺ともシオンとも違う、会話を切り裂くような声。
俺が往生際の悪い抵抗をしている中、その主は水音とともにゆっくりと現れた。
上半身は引き締まった人間の女性の体。茶髪で目付きは鋭いが整った顔立ちで美人だ。腕には包帯のようなボロ布が巻かれており、そして非常に残念なことに胸にはビスチェのような胸だけを隠す服を着ていた。
下半身は大部分が水に浸かっているが、蛇を思わせる鱗を僅かに覗かせ、後方の水面から尻尾の先のようなものが出ている。
元いた世界で伝えられるようなその姿に少し感動を覚える。
予想外の邂逅だが手間が省けた。何より、水に降りなくてもよくなった。
「さ、作戦成功だ……ここで騒ぐことによってラミアのテリトリーに入らず平等な条件で交渉する為のな……!」
「そ、そこまで考えて……! カケル様流石です!」
け、結果オーライだ。結果的にこの騒ぎがこのラミアを呼び寄せたんだからな。
そしておふざけ空気は終わりだ。相手の空気がピリついてる。
しかし、騒いでたとはいえまだラミアが生活している場所に近付いたわけでもない。いくらなんでもこっちを警戒しすぎな気がする。
「去れ。ここはリビアが祖。テエルテラ一族の住処である。早々に去れ」
第一声をどうするか悩んでいる内に向こうが先に名乗ってくれた。
リビア……。テエルテラは聞いたことが無いな。
気になるが、今は置いておこう。
「俺は渡辺翔。カケルでいい。そちらの名は?」
「リビアが祖。ミリーだ」
険しい表情に似合わず可愛い響きの名前だ。いや、表情はともかく美人だし、むしろ合ってるのか。
いかん、本題に入ろう。
「ではミリー。あなた方が来る前にこの湿地帯で薬草を採取をしていた村人が困ってる。今あなた方が住処にしているのはわかってるが、薬草が無ければこちらとしても困るんだ。どうか入らせて貰えないだろうか」
「ここは我が一族の住処。去るがいい」
「何か入ったらまずいところがあるのだろうか?それなら指定した場所には立ち入らないようにする」
「去れ」
「お願いします!私お金が無くてご飯食べて無いんです!前みたいに薬草とらせてください」
「去れ」
ミリーはシオンの涙目の懇願も一方的に切り捨てる。
念のため、シオンに水から上がるように指示する。シオンは納得できないという面持ちだが、従ってくれた。
気持ちはわかるが、少し様子がおかしい。交渉を拒否してるどころではなく、交渉の場すら煩わしいという様子だ。
「人間が嫌いなのだろうか?」
「去れ」
「それとも君達の信仰によるものか?」
「去れ」
「……質問に答えてくれない理由だけお聞きしたい」
「私は去れと言っている。これが返答だ」
頑なだな。
元いた世界でこんな返答をするやつがいればいらいらするところだが、事情を事前に聞いているせいか特に何も思わない。
何も思わないが、ちょっと厄介になってきたな。話すらしてくれないとは思わなかった。
こっちがラミア特有の作法に反しているのか、住処を追われた理由が人間が関係しているのか、それとも他に遠ざける理由があるのか……?
推理みたいになってきたな。
「また来る、どうやら無作法だったようだ。今度は何か土産を持ってこよう」
探りも兼ねてできるだけ笑顔で告げる。
すると、ミリーは俺に右手を向けた。
「《 大地の欠片》」
ラミアが唱えるように呟くと、何もないはずの手に土塊が生まれ、こちらに向かって飛んでくる。
それに反応してシオンが前に出た。
「《魔法防御》!」
シオンが唱えると同時にうっすらと存在がわかる程度の透明な壁が現れ、弾かれるように土塊は砕ける。
今目にしたのは来る前には予想もしていなかった魔法の応酬だった。
それよりも――。
「ら、ラミアって……魔法使えるのか?」
「当然です!土と水の精霊の加護を受けてますから使えないほうが珍しいですよ!」
く、くそ。滅茶苦茶びびった……。ラミアが魔法はちょっとイメージに無かった!
「二度と顔を見せるな人間……!ここに訪れること即ち我等に対しての侵略だと知れ!我らは仲間の為なら天にも牙を剝く。ゆめ忘れるな!!」
何が神経を逆撫でしたかはわからない。
怒りを表すかのように水の中にあった下半身が近くの樹木に絡みつき、音を立ててみるみる原形を無くしていく。その恐ろしい尾の持ち主は美人の顔を崩し、文字通り刃物のような鋭利な牙を剝いた怒りの形相を浮かべた。次に姿を現せば食い殺すとアピールするかのように。
俺とシオンは顔を見合わせる。
怒りを感じさせるミリーの言葉を受け、俺とシオンは黙って湿地帯から退散した。それはもう逃げ帰るように。
収穫はあったようなないような。
初めて魔法を向けられた恐怖と微かな違和感が胸に残った。