真プロローグ
「私はこの世界ではない世界から来ました。伝承に沿って虹の救世主様を迎えに来たいわば間者です。村では巫女の役職についています」
我が家には今米しか無く、彼女が箸を使えるとは思えなかったのでおにぎりを振舞った。
結構なサイズを二つ握ったのだが、よほどお腹が空いていたのか気持ちよくたいらげ、改めて事情を話してくれている。
この子が現れた状況、炊飯器がわからなかったこと、おにぎりの海苔を外して食べようとしたこと、そして冷蔵庫を開けた時の冷気でびびっていたところを見るとこの子が別の世界から来たという話は嘘とは思えなかった。
「これはなんですか?」
「カケル様この黒いのは包みですね!……え、食べ物?」
「ひ、ひやっとします!カケル様!」
と、おにぎりを作るだけでも家電におっかなびっくりの彼女は新鮮な反応でおかしく、そして楽しかった。
あれだけの説明で救世主だのなんだのが誤解だとわかってくれたし、わからない事を聞いてくる。そして改めて事情を話してくれる素直な子という印象だ。
「大役を任された子にしては大分動揺してたな」
「だって伝承と全然違うんです……」
「その伝承って?」
「私達の一族でも全てを理解しているわけではありませんが、一族の危機に瀕した時に……」
言いながらローブの中に手を入れ、黒い真珠のようなものを取り出した。
宝石の良し悪しはわかるはずもないが、その真珠は綺麗という言葉よりも異様という言葉のほうが相応しかった。
簡単に言うと中で何か動いている。真珠の中で黒い何かが流動していて、渦巻いているようだった。
「窮地を救う異界の救世主の元に行くことができると」
「こ、これは?」
「一族に伝わる高位の魔道具です。これを割れば異世界への門が開き、虹の救世主様の下に行けるはずでした」
「虹の救世主?」
「不思議な力を持ち、かつて危機に瀕した一族を救ったと伝わる方です。人々に優しく、弱きを救い、それでいて武器をとらなければいけない時には勇敢に立ち上がる。そんな話を私はずっと聞かされていました。ですが……」
「失敗したわけだ……」
落胆するシオンには悪いが、俺が救世主なんてことは確実に無い。
不思議な力なんて持っての外で水を葡萄酒に変えるなんてことは当然できないし、霊感すらも無い。
異世界に来るってとこまでは成功しただけに彼女の気持ちを考えればそれはもうショックだろう。
「私には巫女のような大役は分不相応だったのです……このままでは我々の住む美しい森は枯れ、憩いの場である澄んだ泉は濁り、活気付いた村は滅ぼされるでしょう……そうさせない為にここに来たというのに、私が至らないばかりに救世主様の下に辿りつけなかったなんて……!」
「おいおい、そんな自分を悪く言うんじゃない…」
「よよ……」
それ自分で言うものなのか。
「カケル様が救世主様であったのなら私の住む村をお見せしたかった。本当に綺麗なんですよ?」
「俺は間違いなくその救世主ってやつじゃないからなぁ……この世界では間違いなく下のほうに位置する庶民だ。少なくとも今にも滅ぼされそうな村を何とかする力は無い」
「出張ギルドもございますので職業登録も簡単、私も村の役割通り巫女として登録しています。残念ながら救世主様という職業はありませんが……」
「ああ、本当にそんなシステムあるんだな」
不覚にも少しわくわくした。
「村の女性も皆私には劣りますが、可愛い方や美人な方ばかりです。想像してみてください、そんな女性があなたをチヤホヤするのです」
「それはちょっと惹かれ……今さり気無く自分をトップに置かなかったか?」
「本当に残念です……」
「そう言われても違うものは違うから……そんな状態ならすぐに帰ったほうがいいんじゃないか?失敗したことを伝えないと」
聞くと、シオンは首を横に振った。
「旅立ちは月明かりと共に、帰還は朝日と共に。とありまして、朝にならないと使えないのです」
「行ってすぐ帰ってこれるような便利アイテムじゃないのか」
「はい……」
答えながらシオンは眠そうに目をこする。
異世界に来るなんて向こうでも大変なことに違いない。疲れている上にお腹にごはんが入ったし、眠くなるのは仕方が無い。
朝日と共に。という事は朝になれば帰れるのだろう。伝承を当てにしている可能性があるなら村に帰るのは早いほうがいい。失敗を報告するのは気が重いだろうが、俺が出来るのはせめてここで眠らせてあげて明日送り出すことくらいだ。
「時間も時間だし、そろそろ寝ようか」
「わ、私もここで寝てよろしいのでしょうか」
「まぁ、事情も聞いちゃったし、それくらいはね。こっち」
俺は寝室の扉を開けて入るように促す。
畳の部屋が珍しいのか、きょろきょろと部屋中を見渡した後に敷きっぱなしにしてあるの布団に座った。流石に布団の使い方は理解できるようで掛け布団を捲る。
「ここで寝てくれ。悪いな、俺の布団で」
「いえ、ありがたいのですが……」
「ん?」
「カケル様はどこで寝られるのでしょうか? これはカケル様の布団なんですよね?」
何でそんな事を聞くのかと思ったが、寝床を奪ってしまったと思っているんだろう。
確かにうちには布団が一つしか無い。
「ああ、こっちにもう一つ寝れるのがあるんだよ」
「そうでしたか、では遠慮なくご好意を頂戴します!」
最低限の、俺が出来る小さなかっこつけだ。安物のソファでも人間は寝れる。
シオンが布団に入るのを見て俺は部屋を出る。
「カケル様」
その俺の背中に、小さく声が掛けられた。
「おやすみなさい」
「お、おう……おやすみ」
満足そうに笑ってシオンは布団に潜っていった。少し照れがちに俺は扉を閉める。
美少女が自分の布団に寝る。これだけで思いの外興奮するな。
まぁ、興奮したからといって……俺に天井から落ちてきた女の子を据え膳する勇気は無いのだが。
「ふわぁ……」
普段なら起きている時間だが、夢みたいな出来事と話で疲れたのだろう。
朝日が出れば使えるということだから案外朝日が出たらすぐに行ってしまうかもしれないが、早く起きればもしかしたら異世界に転移する様子を見られるかもしれない。
シオンとの別れに立ち会うために俺はソファに寝転んだ。
「……やっぱ違和感あるな」
寝心地は悪かった。
◇
「いで」
起きた拍子に体を横に動かしたせいで床に落ちる。
体が痛い。落ちたせいだけでなく、普段と違う場所で寝たせいもある節々の痛みが体のあちこちでする。前に見た睡眠も想定しているソファが今だけ羨ましかった。
落ちた衝撃で何故ここにいるのか、昨日の出来事とともに鮮明に思い出した。
「ああ、そうか……ソファだった……」
「おはようございます。カケル様」
夢じゃない、と思う前に声がかけられる。
声のほうを向くと、すでに起きていたシオンが俺が寝ていたソファーの近くで直立していた。
俺は情けない状態を見られたことに少し恥ずかしがりながらもおはよう、とシオンに返した。
「そんな丁寧にしなくても……起きてたなら帰ってよかったんだぞ?」
「ここまでお世話になってそんな薄情なことはできません!それに急に現れた私と真摯に接してくれたカケル様にご挨拶したかったのです!」
「真面目だなぁ……」
寝る前に朝日が起きたらすぐに帰ってしまうかも、などと考えたのが失礼だった。
別れの挨拶をする為に待ってくれるのは予想外である。
「そしてごめんなさい!カケル様の寝る場所が二つあるという言葉を鵜呑みにして私だけがあのような快適な場所を!」
シオンは頭を下げて謝罪してくる。
俺が今ソファから落ちたのを見てここが寝る場所じゃないとわかったのだろう。
「ああ、いや、客人を床や椅子には寝させられないからな……何もないから寝床ぐらいは用意させてくれよ」
俺がそう言うと、シオンは再び一礼した。
「何から何までありがとうございます」
「ほら、いいかいいから。村に帰るんだろう?」
「はい……名残惜しいですが」
そう言いながらシオンは昨日見せた黒い真珠の魔道具を床に落とした。
割れると同時に、中で渦巻いていた黒い靄のようなものが落とした場所で広がりながら渦巻いていく。
「おお! すげえ!」
黒い靄はある程度の大きさになるとそれ以上は大きくならないらしい。ゆっくりと靄が吸い込まれるように回っていて、異世界への門と言われて想像していた厳かで怪しげな門のようなものでは無かったが、ワープゲートを髣髴とさせる。
今六畳ほどしかない俺の部屋の床に異世界への門が開いたという事実が俺を興奮させた。気になるのは――。
「すげえ、けど……何というか禍々しいな……シオンが通ったらちゃんと消えるんだろうな? 流石にここにずっとってのは困るぞ」
「通った者が向こうに辿り着くまでは開いていますが、すぐに消えますのでご安心ください」
シオンはそう言ってにっこりと笑った。
よかった。流石にこんなのが常時床に出てたら生活できないからな。
「それでは改めて、大変お世話になりました。カケル様に恵んで頂いたおにぎり?の味は生涯忘れません」
「いや、こっちこそこんなもん見せてもらってありがとう。正直半信半疑だったけど、こんなの見せられたら信じるしかないよ。この靄みたいなのは魔力ってやつなのか? それとも魔道具特有のやつなのかな? このワープゲートみたいなの他にもあるのか?」
興奮を隠せない様子の俺を見たせいか彼女は。
「……行きたいですか?」
と聞いてきた。
その問いに興奮が落ち着き、冷静になる。正直行ってみたいが……
「戻れないんだろ?」
薄々わかってはいる質問をシオンに投げ掛ける。
予想通りシオンはゆっくりと頷いた。
「はい……普通は異世界に転移なんて出来ませんから、魔道具が無い今は難しいです……」
「戻れないんじゃ流石にな……やめておくよ」
行きたくないわけじゃない。こんなものを目の前で見せられたら俄然興味が沸いてきた。
これ以外の魔道具とか魔法とかも見てみたい。向こうの日常とか、古い文化とか伝承とか知りたいことは沢山ある。人間が生活するとそういったものはある程度似てきたりはするのだが、それはそれで面白い。異世界の人間でも人間は同じような傾向になると知ることができる。
だが、そういった興味は一定の生活を保てると保障された上でするべきだ。
行ったとして、向こうでどんな生活が待っているかも分からない恐怖もある。俺は刺激は少なくても家があり、家電で最低限の食事を用意でき、エアコンで快適に、そしてパソコンで娯楽を得られる便利な文明に囲まれたこの生活を捨てる気にもなれなかった。
「シオンにとっては残念だったかもしれないけど、こんな不思議なの見れて俺にとってはありがたい出会いだったよ。元気でな」
「はい、カケル様も」
互いに別れを告げてシオンが門に踏み出すのを待つ。
その間に、シオンが通る時に向こう側がどんなもんか見えないかな。
と、気ままな考えで俺は門を覗き込んだ。
「えいっ」
「…は?」
のが間違いだった。
突如、背中を突き飛ばされる。決して強い力では無かったが、門を覗き込んで前のめりになっていた俺のバランスを崩すには充分すぎた。
押された瞬間、先程のシオンの言葉を思い出す。
通った人間が辿り着くまでは開いている。
それは時間制限があるだけで、人数制限が無いということ。つまり、誰かを道連れにしても問題なく帰れるということ。
入る前の最後の視界で小さくガッツポーズしながらふんと鼻息を鳴らすシオンを捉える。
「よしっ」
こ……こ、こ、この女ぁ……!
俺はこの子を勝手にいい子だと思っていた。俺との会話で見せた物分りのよさと素直さ、丁寧な礼節と美少女の笑顔に騙されたのだ。
会話の節々に強かさはあったが、俺が目的の人間でないことをすぐに理解してくれて、事情も話し、そして何より礼がしっかりとしている事で天井から降ってきた初対面の怪しすぎるこいつの事をわかった気になっていたのだ。
「大成功!」
変わらない声色で俺の背中を押したこいつを。
お人好しなだけの一般人がお付きの巫女に救世主だとよいしょされる話が始まります。