プロローグ
何者かにならなきゃいけない。
そんな気がずっとしていた。
他人の成功体験を見ていると、何かをしなければいけないような気になってくる。
その「何か」が何なのかもわからずに、自分の手の届く範囲でその「何か」を求めて探してみる。
自身にも何か特別なものがあるんじゃないかと期待して。
自分には何か、やるべき事があるんじゃないかと夢想して。
なんでもいいから才能ある者に、なりたいと願って探すのだ。
――ああ。でも、たまに思う。
「才能ある者になりたい」
これは本当に、自分の願望なのだろうか?
「……」
「……」
家でゲームをしていた俺の横に女の子が落ちてきた。
ゆっくりと上を見るが、そこは見慣れた天井でその女の子がどこから落ちてきたのか見当もつかない。
視線を女の子に戻すと、女の子は慌てた様子で、
「驚くお気持ちはわかります。ですが、お話を聞いていただけ無いでしょうか」
そう言った。悪人が言い訳をする前振りのようだ。
女の子は一目で日本人では無いとわかった。ピンクに近い紫色の髪にフードを被っており、ゆったりとしたローブに身を包んでいて、その上からでも体つきがいいのがわかる。
不安そうな表情を浮かべてこちらを窺っているものの、その愛嬌のある可愛らしい顔は普段なら鼻を伸ばすところだ。
俺は決して女の子に耐性があるわけではない。思考がクリアなのは、俺の頭の中は上書きできない混乱でいっぱいだからだった。
普段なら目を離す事の無いモニターにすら目を戻す気になれない。
モニターから自キャラがデスした時に流れる音楽が流れる頃、俺はようやく口を開くことができた。
「どうぞ……」
これが精一杯だった。情けない。
「よかった……!神よ、感謝します!」
ぱぁ、と女の子の表情が明るく変わり、嬉しそうに手を合わせて祈り始めた。
数秒祈ると、こちらに目を向ける。
「初めまして、私はトリス村から来たシオンと申します」
「どうも……渡辺翔と申します」
相手が名乗ったので、流石にコントローラーを置いて自己紹介をする。
やはりというか予想通りというか、日本には無さそうな地名が出てきた。
「まずお聞きしたいのですが、救世主様でしょうか?」
「人違いです」
思ったよりやばい子かもしれない。
「で、ですが!外が暗いにも関わらず火を使わずに明かりを……」
「電気ですね」
「電気を操れるとは少なくとも魔術師ではあるということですよね!」
「違います。皆使えます」
思ったよりもやばい子だ。
どうしよう。宗教勧誘みたいな面倒臭さを感じる。
ここで大袈裟に否定しては何かよからぬ事に巻き込まれそうだ。大袈裟に否定したせいで何かを隠していると勝手に解釈される展開を見たことがある。違うことを説明して早めにお帰り願おう。
「そ、そんな嘘に騙されませんよ!」
「……外をご覧ください」
窓を開けて、窓の外を見るように促す。
窓に近付いたシオンと名乗った女の子は冷たい風少し体を震わせた。
その様子は可愛い。フードをすっぽり被っている姿が童話の赤頭巾みたいでやけに庇護欲に駆られる。
「な、何ですかこの異様な建造物の数々は…!」
意図しないことで驚いていたが、まずは一個一個潰して行く。
俺はアパートの前の電灯を指差した。
「あれも電気で光ってます」
「す、すごい……火を使わない明かりがいっぱい……あんな高価な魔道具をこんなに配置できるなんて流石救世主様です」
他にも何か言ってたが無視する。話が進まない。
こういうのは慌てて否定してはいけない。主導権を握らせず、こちらのペースで違うという事実を伝えていく。
「次に周りの建造物をご覧ください」
「は、はい」
「光がいっぱいありますね?周りの建造物には一つ一つ住んでいる人達がいます」
時刻は二十三時。俺が住んでいる場所は都会ってほどでもないが、この時間でも周りが真っ暗なんてことはほとんど無い。
流石に辺りは静かだが、其処此処に建つ家々からは窓から生活の光が漏れていた。
「よって私は特別ではありません。ここの人は少しお金を払えば皆電気を使えます。そういうシステムなんです」
「ま、魔術師では……」
「ありません」
これだけの説明にも関わらずわかってくれたようで、シオンは肩を落として、わかりやすいくらい表情が暗くなった。
もっと面倒くさいかと思っていただけにちょっとほっとした。こういう類の人は話を聞かず、自分の常識で押し切るタイプだと思っていたが、この子はそんな事は無いらしい。
「で、では……もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でもどうぞ」
どうぞと言ったものの答えられるかどうかはわからない。少なくともこの子にこちらの常識は無いように見えるから突拍子の無い質問をされればわからないというしかない。
普段なら特に気にしないが、こちらを真っ直ぐ見る金の瞳は縋るようだが真剣だ。ふざけた来訪ではあったが、この子に何でもどうぞと言うのは少し無責任に感じた。
「この辺りに、救世主は呼ばれる方はいらっしゃいますでしょうか……?」
「いない」
撤回だ。即答できる。
そういう人種は何千年前かに世の中を救ったっきり現れていないのだ。
「そう……ですか……」
搾り出すような声だった。失意に満ちながらも律儀に俺の回答に対して返事を口にした。
足に力が抜けたのか、シオンはその場にへたり込む。
「それは……ご、ご迷惑を、お掛けしました……う……うう……!」
俺の宣告がよほど効いたのか、歯を食いしばって涙をこらえ始める。今にも泣き出しそうだ。
流石に泣かせるのは罪悪感がある……!
それに、何も無い天井から急に降ってきた子だ。薄々だが、何か普通と違うことも気付いている。興味が無いわけではないし、向こうの事情を少し聞くくらいは損しないだろう。
「えっと、トリス村って言ってたけど……」
ぐううううううううう……きゅるる……。
同じ目線で落ち着かせようとしゃがんで事情を聞こうとしたら、大きな音が彼女のほうから鳴る。
俺の言葉は綺麗に彼女の腹の音に遮られた。一瞬何かと思った。
彼女はゆっくりと両手で顔を覆うが、羞恥で顔を真っ赤にしているのが見えなくてもわかる。
「何か、食う……?」
「申し訳ありません……」
シオンは顔を隠したまま、か細い声でそう言った。