上京した長男が、ど田舎の宴会がムリな嫁を連れてきた
長男を婿に出した気でいるのか、めったに連絡をよこさない母が電話をかけてきた。
「あー。光太郎。宗次が結婚したから。とりあえず、今度の日曜にお嫁さんを紹介するわね」
「へ!?」
カウチソファに寝そべったまま、家族カレンダーを見上げると、俺の欄に「ばーちゃん 三回忌」、嫁欄に「御祖母様 三回忌」、娘の欄には「おおばあば おせんこう」と書いてあった。
軽く世間話をして携帯を切り、しばらくすると、嫁がリビングに戻ってきた。
娘を寝かしつけたばかりで、本人も眠そうだ。
三度の飯よりママと絵本が好きな娘の寝かしつけは、そうとう手強い。でも、ふたりきりで晩酌したいからと、たいていは「生還」するのだ。
俺は麦焼酎かウイスキー。下戸の嫁はジュースのカクテル。
ああ、もう。かわいいなあ。うちの嫁さん。力尽きて寝ちゃっても、かわいいんだけど。
…こほん。
「宗次が結婚したんだって」
「はい?」
アイランドキッチンで晩酌の準備をしながら、顔をあげる嫁。
「え、いつ!? 私、聞いてないわ」
「俺も、さっきの電話で知ったよ」
嫁、ますます、きょとんとする。移動中に胡桃を落としたリスみたいだ。
「と、とりあえず、おめでとうだね。で、結婚式はいつ? 」
「来月だってさ」
「へ!?来月? なんで?あ、わかった。相手方のご家族が急病だ!!」
嫁は、混乱した。そしてピコーンととんちんかんな見解。
「いや、違うと思う…」
「法事の時にお祝いを渡したらいけないわね。宗次さん宅に送るわね。式場はどこ?」
「◯町青年会館」
嫁は、さらに混乱した!
「へ!?な、なんで?あそこ、公民館だよね?チャペルないよね?お嫁さん、かわいそうすぎない?!」
「できちゃた結婚だから、そうそう式場なんか押さえられないんだろ。もともと挙式するつもりがなかったのを、村のじーさんばーさんがのりこんできたって…あれ?」
「できちゃた結婚て。できちゃた結婚て。あわわ。ほんとにこの世にあったんだ…」
聞きなれない単語と事態のオンパレードに、完全にショートしたようだ。
「できちゃた結婚する人より、できちゃた結婚をフィクションだと思ってる人の方が少ないんだけどね? 皐月ちゃん」
「そ、そうなの? じゃあ、世のドラマは全部実話なの?」
「……」
礼儀も作法も人柄の良さも申し分ないが、嫁はちょっと(いやかなり)世間知らずだ。
俺の実家が普通かといったら違うけど、「いろんな人たち、いろんな共同体があっての社会」の「いろんな」の幅がとんでもなく狭い。
幼稚園からエスカレートの女子短大を卒業し、採用は縁故のみの学術研究所で受付をしていた。
なんでも蘭学者の末裔らしく、親戚縁者は医者や弁護士、教師といった士業が多い。義父からして、俺のいたゼミの教授だし。
結婚式で見た妻側の女性客も、年齢を問わず箱入りっぽい雰囲気の人が多かった。
ようは、生粋のお嬢様なのだ。
…にしても、妻の天然は群を抜いているけど。
「朱里はまだ小さいし、皐月ちゃんも無理しなくていいよ。法事と結婚式は俺だけで行く」
「え~。そんな礼儀知らずなこと、したくないよ」
飲み物を運びながら、嫁はとんでもないと首をふった。俺は飲み物が倒れないよう、さっと盆を奪ってテーブルにおろした。
「いや、礼儀を知らないのは、こっちの身内だから」
こちらがドカッとソファに沈むと、嫁は不思議そうな顔でちょこんと隣に座った。愛用しているシャンプーの、清潔な匂いが鼻をくすぐる
学生時代の愛称が「桔梗の御方」だった嫁と、学生時代のあだ名が「戦車」だった俺は、友人のInstagramで常に「美女と野獣」とタグづけされている。
このいたいけな「桔梗の御方」を汚したくないといったら、大袈裟だろうか。
そもそも、俺の実家(いちおう本家)がらみの冠婚葬祭なんて、えげつないトーク満載の、下品な宴会に成り下がるのが相場なのだ。
「堅物」だの「冗談がわからない」だの、果ては「実はホモ?」だの言われて育ったが、そのノリが苦手なだけだー!
「県外の大学に行くなら、国公立のみ!!生活費はバイトと奨学金でまかなえ!!」な家庭で必死こいて勉強して東京の大学にもぐりこんだのも、さらに勉強して国家一種の試験を受けたのも、誰もが知ってる官庁の採用をもぎとったのも、「長男なんだから、田舎に帰って役場に勤めろ」と言わせないため。
いやさ、じいちゃんや親父ができなくなったら、冠婚葬祭の指揮はとるよ?介護のこともちゃんと考えてる。
ただ、町内の半分が親戚縁者で、男どもは老いも若きもウ◯コチン◯ン。おっ◯いみせろー。尻触らせろー。以下、放送禁止用語。を、取りまとめる日常なんて、冗談じゃねえわ。あいつら「趣味=宴会」だし。
が。
どんなに引き止めても、真面目で善良な(つうか、エロと下品の深淵を知らない)嫁は頷いてくれない。
「朱里を妊娠して以来、不義理を重ねて申し訳ない」と言って聞かない。
義父母からも「旧家の跡取りに嫁いだのだから、甘やかさないでほしい」と言われてしまった。この人たちも、エロと下品の深淵を知らない。
旧家って。じいちゃんが畑やってるだけの、公務員一家ですって。
嫁んちのが、ガチの旧家じゃん? 身分違いの姫様の降嫁を賜ったの、俺っすよ…?
そんなこんなで俺たちは、義理の妹になった田中(旧姓)摩瘉羅さんとご対面した。
マユラさんは名前もすごいけど、本人も名前に恥じないすごさだった。
プリンまじりな金髪と、安全ピンがやたら刺さった耳たぶ。顔色が悪く見えるのは、眉毛がなくて口紅が紫だからか?
黒っぽい服の上から、母が貸したとしか思えないおばちゃんくさいエプロンをつけていた。
畳みをはりかえたばかりの広い居間に、エプロンしかマッチしてない。
嫁は嫁で、目を白黒させて「耳にピンささってるけど、気がついてないのかしら…?それとも、針山…?」と、とんちんかんな心配をはじめた。
弟よ…。お前の好みは、胸と睫毛がボリューミィなキャバ嬢だったはず…。
法事は滞りなく終わり、和尚が袈裟を脱いで宴会がはじまった。(和尚も親戚)
じいさんたちが座布団を持って、わらわらと縁側に移動してゆく。
俺ら若い衆がちゃぶ台を並べ、女性たちは酒や食べ物を運んだ。その合間を子供たちがちょろちょろ動きわまっている。
俺にとってはゲンナリおなじみの、嫁にとっては未知のイベントのスタートだ。
案の定、嫁はオロオロしはじめた。
どのテーブルに何を置くか、おばちゃんたちは阿吽の呼吸で通じあってるけど、はじめて実家の宴会を手伝う嫁には、当然勝手がわからない。
さらに、酔っぱらいにびびった娘が、嫁の足にへばりついてしまった。
これで給仕しろなんて、セクハラの餌食にしたってカモネギすぎる。が、叔母たちは「皐月ちゃん、ゆっくりでいいからこれもお願い(どこに置けとは言わない)」だの「誰よ、煮っころがしを端に置いた人は!?(横目で嫁睨み)」だの、「甘やかしすぎると親離れできない」だの果ては「幼稚園で受験させられるなんて可哀想」だの、予想通りの展開だ。
頃合いを見計らって、嫁に声をかけた。
「皐月ちゃん、子供たちの面倒を頼めないかい?」
「は、はい!」
「よ~し、じゃあ、光太郎のお嫁ちゃんと、東屋で遊びたい人~」
俺が大声を張り上げると
「はいはい!!」
と、赤ん坊以外の子供たちが集まってきた。
「東屋って?」
スーパーの袋にお茶とジュースのペットボトル、紙コップをぶちこみ、ピザとさびぬきの寿司をかかえて説明した。
「勝手口を出てすぐ正面に、普段は使ってない東屋があるんだ。宴会がはじまると、たいてい子供たちはこっちに移動するんだよ。テレビもゲームもあるし、押し入れに入っても怒られないから」
いちいち大声で説明したのは、周囲がうるさかったからだけじゃない。平均年齢62歳の「若い嫁をイビり隊」を牽制するためだ。
母が止めてくれりゃーいいんだけど、あの人「いじめられたらやりかえせ」な人なんだよな…。いびりゃしないけど、助けもしねえの。体型と一緒にどっしりしすぎだよ。
と、まあ、妻と子供たちを避難させて、まずは一段落。
ひとりで年齢も性別も違う7人の子供の面倒を見させるのも酷なんだけど、戦場(台所と宴会場)はもっと苛酷だ。
か弱い嫁とは逆に、マユラさんは強かった。
何せ眉毛がないし、唇ムラサキだし、腕に力こぶが盛り上がってるし、筋肉質な巨乳でフリフリエプロンをしているし、「若い嫁をいびり隊」のキレが悪い。
そもそも、マユラさんにはいじめられる要素が薄い。成層圏の酸素より薄い。
配膳は誰よりも素早いし、酌をしたビールは泡と液体の比率が完璧だし、いつの間にか誰かの赤ん坊をおんぶしてるし。
そこに、「やらなくちゃ!!」といった気負いなく、「自分の仕事があるからやる」みたいな、職人的な自然さで給仕をこなしているときた。
下品なエロトークをふられても、いやがりも赤面もしないし。
何も手伝わずに呑んだくれている弟やいとこ夫妻に、不満がある風でもないし。
話しかけても「ああ」とか「うん」しか言わないが、悪い子じゃなさそうだ。
弟の女関係に辟易してきた母も、まんざらでもない目でマユラさんを見ていた。
マユラさんの方は、時折ものほしげにビール瓶を見つめていた。
宴もたけなわ、恒例の大叔父のストリップがはじまった。
大叔父さん、サロンパスを前張りにすんなよ。で、お調子者の弟も脱ぎ始め、馬のお面をかぶって踊り出した。
「よ、種馬!!」
と、囃され、卑猥に腰を降る弟。
…うん、宗次。お前ってこういうヤツだよね。昔から。
動じねえマユラさん、すげえ。
ふいに、酔っぱらいのヤジにまじってか細い悲鳴が聞こえた、気がした。
空耳だろうか。子供たちが手におえなくなったかな? なんだか胸騒ぎがして、席を立つと、なぜか、マユラさんも廊下に出てきた。
「奥さんは?」
少しかすれていて、ハスキーな声だ。
「子供たちと離れに…」
答え終わる前に、もう少しはっきりとした悲鳴がした。
「皐月ちゃん?!」
「チッ」
マユラさんは舌打ちすると、古くて長い廊下を一目散に走り出した。
金髪プリンの妊婦と熊系公務員がひた走り、床もガラス戸もびしびし揺れた。
つうか、はええ!!
こいつ、ほんとに妊婦か?!
いや、女か?!
俺、大学時代はアメフト部だったんすけど…?
勝手口を開くと、子供たちの泣き声と、妻の悲鳴、男たちの怒鳴り声がはっきり聞こえた。
俺とマユラさんは、靴下のまま東屋にとびこんだ。
「やめてください!!子供たちを出して!!!」
俺たちは、ほぼ同時にふすまを蹴り倒した。
酷い有り様だった。
散乱した飲食物、ひっくりかえったゲーム機。
ジュースでベタベタになった畳の上で、うつ伏せの嫁が、ふたりの男に取り押さえられていた。
嫁はむなしく抵抗しながら、押し入れに向かって懸命に手を伸ばそうとしていた。
押し入れはちゃぶ台で塞がれ、中で子供たちが泣き叫んでいる。
「このやろう!!」
間髪入れず、男どもにタックルを決め込んだ。
床の間まで吹っ飛ばされた連中は、そのまま気を失った。
下敷きになった掛け軸が、派手に破れた。
マユラさんが押し入れを開くと、子供たちが我先にと出てきて、嫁にしがみついた。
「ママー」
「うわあん、お嫁ちゃん」
「怖かったよ~」
乱れた服のまま子供たちを抱き締め、嫁も泣いていた。
「ごめんね。ごめんね。怖い思いさせてごめんね…」
マユラさんはだっさいエプロンを外して、さりげなく嫁の肩にかけた。そして嫁たちに背を向けると、俺の隣に並んだ。
「こいつら、誰?」
破れた掛け軸を下敷きに、気を失ったままの男たちを見下ろす。
「又従兄弟の吾朗だ。もうひとりは知らない」
「ここの家は、知らないヤツが法事に来るのか?」
「いや。宴会になるとなんか増える」
「分かった。肝に命じておこう」
マユラさんは軽くうなずくと、軽く拳をにぎって咳払いした。
その、何気ないしぐさに違和感をおぼえたのは、偶然だろうか。血筋だろうか。
瞬時に、マユラさんの肩をつかんだ。女性にしては頑強そうな肩をがっちりホールドし、背負い投げに備える。
「何をする?」
反射的に睨まれ、一瞬怯みそうになった。が、力は緩めない。
「ダメだよ。マユラさん」
「…」
「君がどんな人生を辿ってきたかは問わない。でも、それはいかん」
しばし睨みあった末に、マユラさんが舌打ちをした。
「あまっちょろい男だな」
「俺だって、潰してやりたいよ。むしろ粉砕したい。けど、いかん。子どもらが見てみや。傷つくのは子どもらだわ」
噛み砕くように言い含め、手を離すと、マユラさんは下腹部を見ながらため息をついた。
従兄弟の吾朗とその友人は、そのまま救急車で運ばれた。
未遂であったことと、吾朗たちが慰謝料を払って引っ越したことで警察沙汰にはしなかった。
母や救急隊員には、「やりすぎだ」と怒られた。ちょっと複雑に骨折させてしまったらしい。
一撃でふたりを仕留めるべく、手加減なしにタックルを決めたのがマズかったみたいだ。
だが、後悔はない。
嫁にやろうとしたことを思えば、複雑骨折くらいたいしたことない。
第一、命拾いをしたのはヤツラだ。
東屋に足を踏み入れた瞬間のマユラさんは、野獣よりも猛々しく、戦車よりも凶暴に見えた。
俺が仕留めそこなったら、吾郎たちの命はない。マジで死人が出る。東屋を殺人現場にしてはいけない。妻子たちの心を守れ‼︎
俺の中の文明人がそう警告したのだ。
俺は、ごくごく身近に、こういう人オーラを持つ女を知っている。
それは、コロコロ太ったのほーんとしたおばちゃん。特技はぬか漬け。隠れキ◯ィちゃんマニア。
結婚3年目で「若い嫁をイビり隊」を全員泣かせて土下座させた武勇伝を持つ女傑。沢谷美津子(51)つまり母だ。
その昔、容姿が可愛かった弟が変質者に追いかけられたことがあった。木刀を手に変質者を襲撃した母は、加勢に来た警官まで倒してしまった。
俺は思った。強くなろう。強くなって、強すぎる母のストッパーになれる男になろう。
じゃないと、平和な村が暴力に支配されてしまうと。
あの瞬間のマユラさんには、遠い日の母に匹敵する殺気をまとっていた。
弟よ、お前が実はマザコンなのは知ってる。が、こういう方面で似てる女を選ぶのは……ま、いっか。