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「ふたり」の彼女

作者: 立涌丁字路

 市内の清掃ボランティア活動の帰り、僕は公園の自動販売機で飲み物を買おうとしていた。

 お金を入れ、小さなペットボトルのお茶を選び、ボタンを押した。飲み物が音を立てて落ちてくる。それを取り出して、休憩する場所を探した。この公園は人けがあまりなく、普段から空いているベンチばかりである。自販機の隣に空いているベンチがあったので、そこに座ることにした。

 ペットボトルのふたを開け、お茶を少しだけ飲む。そうして、公園の東側の入口辺りを何となく見た。

「あれ?」

 僕はその入口付近のベンチに座っている人に気付き、その人の所に向かった。その人はボランティア活動を三カ月に一回参加している倉田彩香(くらたあやか)というロングヘアの髪型の女の子だった。僕は初参加の半年前のボランティア活動中のゴミ運びを手伝ったことから彼女と知り合い、話をするようになった。それから僕も彼女と同じようにボランティア活動を三カ月に一回参加している。彼女はボランティア活動が終わるといつもすぐに帰ってしまうのだが、今回は帰っておらず、公園で休んでいたようだった。

「やあ、何しているの」

 僕は普段からこのように声を掛けており、倉田さんの隣に座った。

「今、休んでいるところなんだ。けっこうゴミが多かったね。なんか疲れちゃった。そうだ、そろそろ新学期が始まるね」

 明るい声の倉田さんはうれしそうに言うと、僕は一言「そうだね」とつぶやいた。僕は元気がなかった。 

「うれしくないの?」

「勉強が難しそうだからね、大変だよ。あと、理系を選んだ仲のいい友達が他のクラスになることもあるから、新しいクラスになじめるかどうかも分からなくて」

 倉田さんとは違い、僕は新学期が憂鬱だった。

「吉田君、憂鬱なの? なら、君の憂鬱はあたしが引き受けてあげるね。代わりに、あたしの力をあげるよ」

 そう言うと、倉田さんは僕の両手をそれぞれ彼女自身の両手でつかんだ。目を閉じて、小さな声で何かつぶやいている。おまじないだろうか。ロングヘアというのも不思議な雰囲気を醸し出している。

「ちょっと、恥ずかしいよ。誰か見ていたら、どうすんの」

 僕は倉田さんの手を外そうとしたが、「遠慮しなくていいです……」と彼女は僕からは手を外そうとはしなかった。僕の手は少し汗を感じていた。彼女も声の様子からどこか緊張しているようだった。

 そのおまじないのようなものはさほどかからずに終わってしまった。

「あ、ありがとう。何とか頑張っていけそうだよ」

「いえいえ、こちらこそお役に立てて光栄だよ。あっ、そろそろ帰らなくちゃ。新学期も頑張ってね。じゃあ、また」

「うん、じゃあね、また今度」

 倉田さんはベンチから立つと、急ぎ足で帰っていった。彼女を見送っていると、あることに気付いた。

―あれ? 倉田さんはどこの高校だっけ?―

 僕の通っている高校を、前に倉田さんに教えたのだが、その彼女がどこに通っているのか聞いていなかったのである。


 四月になり、僕は高校二年生になった。文系のクラスである二年六組にいる。初めは知らない人が多かったので、なかなかなじむことができなかった。しかし、倉田さんのおまじないが効いたのだろう、机の近くの何人かには声を掛けることができた。そのようなことがあって、男子で話をする人は数人いる。また、一年生の時には同じクラスで、今は別のクラスの仲のいい友達に会うために、ときどき昼休みに他のクラスに行こうとも考えていた。

 四月に入って、初めて昼休みに僕が理系の二年一組のクラスに行った時のことである。そこで昼食を食べ、その後友人数人とトランプをして遊んでいた。一回のゲームが終わった後、何気なくクラスの中を見ると、気になる人がいた。

「あれ?」

 僕たちがいる廊下側の席から見ると、最もベランダ側に近い席に倉田さんとよく似た女子生徒が座っていたのである。読書をしているようで、顔立ちは倉田さんにそっくりである。ただ違うのが、ショートヘアの髪型と眼鏡を掛けているところである。

 僕は気になったので、「あのさ、あそこに座っている人なんだけど、名前なんて言うの?」一緒にいる友達の一人である石部に名前を聞いた。

「『くらたさやか』さんだね。ものすごく静かで、一人でいることが多いかな。でも、何で?」

「いや、何でも」

 そうは言ったが、僕は内心驚きを隠せなかった。もしかして、今までボランティア活動の時に話をしていたのはこの子だったのかということを。けれども、彼女の姿を見ると、とても社交的には見えない。顔形がよく似ており、名前も似ているから双子の可能性もある。僕が話していたのはこの人なのか。それとも、別人なのか。

 こういう時は彼女に直接話を聞くのが最善策なのだろう。しかし、自分のクラスならいざ知らず、他のクラスで異性と話をするというのは、そのクラスの人及び石部達など自分の仲のいい友達の目を気にせずに話すということであり、それは勇気の要ることである。まして、その彼女はものすごく静かで、話を切り出しにくい雰囲気であることは容易に想像できる。一体どうしたものだろうかと僕は思案を巡らしていた。


 言い出すタイミングを逃したまま六月になった。休日の梅雨の晴れ間の中、僕はいつものように海岸のゴミ拾いのボランティア活動に参加していた。前回の活動に参加していた倉田さんは今回参加していない。何か用事でもあるのだろう。今日は午前中のボランティア活動の後、伸びた髪を切ろうと午後から理髪店に行く予定である。海岸のゴミ拾いはたくさんの人の協力で無事終了した。それから砂浜の堤防付近で携帯電話を取り出し、そこに内蔵されている電話帳からその店に電話を掛けようとした。

 僕は「こ」で始まる、その店の名前がある「か行」の項目を選んでいた。そこには三つの名前がある。最初は石部以外の友人のうちの一人の名前であり、最後はその理髪店の店名である。その間の真ん中には「倉田彩香」とある。

「あ!」

 これを見た時、僕ははっきりと確信した。彼女は初め、「くらたあやか」と自己紹介したが、本当は「くらたさやか」というのではないか。四月に石部に彼女の名前を教えてもらった後に、その名前の漢字を確認しなかった。確かに「彩香」は「さやか」とも読むことができる。彼女の電話番号やメールアドレスを知ってはいるが、このことには気付かなかった。おそらく彼女は僕のことを既に知っているのだろう。けれども、後悔することはなかった。むしろ彼女のことをより知ろうという気持ちが強まったのである。そして同時に、どのように説明したらよいか分からない、熱い思いが沸き起こったのだ。


 その思いを抑えつつ、僕は理髪店に電話を掛けた。昼食の後しばらくして、理髪店に向かった。しかし、先ほどのことが頭をよぎって、髪を切ってもらいながら、理容師さんの話に注意が向かなくなってしまい、さえない相づちばかりになってしまった。

 自宅に帰った僕は、今後彼女に対してどのように話をしようかと考えていた。もちろん、こちらに落ち度はない。僕には彼女がボランティア活動で会う際の「あやか」、学校での「さやか」の姿には外観の違いがあって、彼女がどちらかを演じていると映ったのである。それはなぜだろうか。何か事情でもあるのだろうか。それが一番気になるところではあるが、まずは彼女の話をきちんと聞かなければならない。

 結局、倉田さんに対してはメールで伝えることにした。そういえば、約八か月前に互いの連絡先を交換したにもかかわらず、電話でもメールでもやり取りしていなかったことに電話帳を見ながら気付く。僕は異性に積極的に声を掛けるわけではないが、初参加のボランティア活動の時のゴミ運びを手伝った時、「あやか」はうれしそうな顔で「ありがとうございます」と言ってくれた。僕は彼女が大変そうだったから、当然のことをしたまでである。その時から、彼女といろいろなことについて話をするようになった。楽しい話をする時は本当に楽しそうに話す。ボランティア活動の際の「あやか」は元気で、明るさがある。一方、学校での「さやか」は物静かで、落ち着きがあるように映る。どちらも同じ「彩香」である。

 今回のことについて初めは驚いたものの、これは二重人格のようなものではないという確信が頭のどこかにあった。「彩香」を尊重することが大切なのだ。このような思いで僕は彼女に対して、「あなたは僕と同じ高校の二年一組の方ですか」という短いメール文を作成し、彼女に送った。

 倉田さんからのメールが来るのは時間が掛かるのではないかと思っていたが、意外に早く来た。文章を見ると、僕の質問に対しての返答はなかった。代わりに、明日話したいことがある、というものだった。

 次の日の放課後、僕は通学路である坂道から少し入った小高い丘にある公園に来ていた。昨日の倉田さんのメールの続きには、人目が気になるからここで話をしたい、というものだった。

 公園から遠くに見える町場を眺めていると、

「お待たせしました」と倉田さんが少し気まずそうにやってきた。

「こんにちは、今日の話って何?」

 僕は倉田さんの方を振り向き、ボランティア活動中の会話をするように気軽に言った。この言い方が正しいかどうかは特に意識しないようにした。

「あの、すみません。隣いいですか?」

「いいよ」

 荷物を置いて、僕たちは公園のベンチに隣り合うように座った。

 倉田さんは少し緊張しているようだったので、僕はそれをほぐすようにこう言った。

「倉田さんの三月の時のおまじない、あれ、すごく効いたんだ。おかげで今は憂鬱じゃないんだ。ありがとう」

「あっ、どういたしまして」彼女は即答だった。

―やっぱりそうだったんだ―

 僕の確信は間違いなかった。

「あのおまじないは倉田さんが考えたの?」

「いえ、姉がわたしにつらいことがあった時にやってもらいました。でも……」

「でも?」

「もうやってもらうことはなくなりました。わたしもそんな年齢ではありませんし……」

 少しの間、沈黙が流れた。僕は倉田さんが話すのを待っていた。そして、彼女は口を開いた。

「わたしの姉は二年前に病気で亡くなりました。最期まで明るく振舞っていました。すごく悲しかったです。わたしたちは双子で、外向的な姉に対しては、常に憧れていました。姉は内向的なわたしをいつも心配してくれましたから、姉のようになれる方法を教えてくれました」

「それって、ボランティア活動の時みたいにってこと?」

 倉田さんはうん、とうなずいた。

「そうです。わたしは双子の姉『倉田 綾香くらたあやか』を演じていました。だますようなことをしてしまって、ごめんなさい」

 倉田さんは体ごと僕の側に振り向くように姿勢を変え、両手を腿の上に置いた。それから、僕の顔を見て、頭を下げた。

 僕は怒ってはいなかった。だまされたという気分でもない。けれども、「どうして、お姉さんを演じようと思ったの?」と疑問を感じていた。

「それは、姉のようにならなければ、人間関係をうまく築けないと思ったからです」

 そう言った時、僕の頭には三月の公園でのことが思い浮かんだ。そして、そのことから感じたことを率直に言った。

「本当は無理してたんじゃないの?」

「え?」

「さっきのおまじないの話になるけど、あの時、僕、すごく恥ずかしかったんだ。でも、倉田さんも恥ずかしかったんでしょ? 今思えば、言葉遣いなどに違和感というのがあったのかな」

 倉田さんは言葉に詰まったようだった。「おっしゃる通りです。無理をしていました。本当は恥ずかしかったんです。それでボランティア活動の後、すぐに帰ったりしたのもそういうことなんです」

 倉田さんは申し訳なさそうに少しうつむいたように話していた。

「なるほど、よく分かったよ。でもどうして、僕に話しかけてきたの?」

 これ以上は別な領域に踏み込んでしまうのではないか、それは僕でも分かっていたが、質問してしまった。

「実は……」

 倉田さんはいったん、言葉に詰まった様子だったが、こう言った。

「前に吉田さんも言っていたことだと思いますけど、二年生なって勉強や進路のことについていろいろと考えなければならなくなったんです。でもそんな中、ある焦りの気持ちが出てきたんです」

「それはどういうの?」

「恋です」

 倉田さんの表情は、真剣そのものであった。

「同じクラスの、ある女子生徒が同学年の他のクラスの男子生徒とお付き合っていることをうわさで知りました。また、他のクラスの女子生徒についても同じような話を聞きました。わたしは、そのようなことをすれば勉強がおろそかになると思っていました。けれども、その考えは変わっていきました。何でしょう、この青春という時期に恋をしないというのも何かもったいないのではないか、という意識が芽生えてきたのです。自分自身の心に聞いてみると、そうしたほうがいいと返ってくるんです。でも、どう実行したらよいか、最初は分からなかったんです」

 倉田さんが行動を起こすきっかけになった話を、僕はうなずきながら聞いていた。同時に彼女の心境の変化を感じていた。まさかこのようなことを考えていたとは。

 僕は口を開き、「とても大変だったんだね」と倉田さんを気遣った。

「はい、その誰かとお付き合いする方法で思いついたのが、学校以外の活動です。もちろん、姉の力を借りて、一番近い去年十月のボランティア活動に参加することに決めたんです。何というか、動機が不純ですよね、このようなことをするためにですものね」

「そうであっても、倉田さんはゴミ運びを手伝った後、僕に声を掛けてくれた。楽しい話もしたよね」

 僕は倉田さんを既に受け入れていた。

「そ、それは姉の力を借りたまでで……」

 倉田さんは謙遜してこう言ったが、

「お姉さんの力を借りても、倉田さんは倉田さんだよ」

と僕はこのように言った。

 その後、倉田さんの涙腺が急に潤んだ。彼女はこらえようとして、眼鏡を外してベンチの上に置き、顔を片手で隠しても、涙は収まらない。

「これ使う?」と言って、僕は自分のハンカチを手渡そうとしたが、

「いや、大丈夫です。自分のがあるので」

倉田さんはハンカチを受け取らず、自分のハンカチを制服のポケットから取り出し、涙を拭いた。

 拭き終わった後ハンカチをしまい、眼鏡を掛けて目がまだ赤い中、倉田さんは僕の顔を見た。そして、

「今までのことは本当に申し訳ございませんでした。そして、色々とお気遣い本当にありがとうございました」

と謝罪と感謝の言葉を述べた。

 それから、倉田さんは自然と笑顔になった。

「僕は気にしていないし、こんな顔見たことなかったから……」ボランティア活動の時とはまた違う顔だった。

「え、そうですか?」倉田さんは恥ずかしそうであった。

 一方、僕も急に熱い思いが沸いてきた。この間のボランティア活動から帰る時以来だ。

 それからまた、僕達は黙ったままわずかばかりの時間が流れた。

 しばらくしてから、「あの」とベンチに座る僕たちが、顔を見合わせながら同時に言う。

「す、すみません」

「いや、こちらこそ」

 お互いが謝った。

 その時、夕方の五時を知らせるチャイムが鳴った。カラスたちも時刻を知らせるように鳴いている。

 空の様子を少しの間だけ見ていた倉田さんは荷物を持って、ベンチから立った。そして僕も立った。

倉田さんは僕の顔を見て、「今日は話を聞いていただき、本当にありがとうございました」と言って、深くお辞儀をした。

「うん、色々と聞かせてくれてありがとう」

 僕もお辞儀をした。

「それでは、失礼します」と言って、倉田さんは帰ろうとしたところ、

「あのさ、一緒に帰らない?」と言って、僕は倉田さんを引き止めようとした。

 しかし、「あの……、一人で帰ります」と彼女は言って、僕に軽くお辞儀をした。

「ごめん、無理させて、じゃあね」

「はい、失礼します、また今度……」と言って、彼女は帰っていった。

 彼女の姿が見えなくなってから、僕も帰った。高校からは電車でひと駅のところに僕の自宅がある。倉田さんは市内の同じボランティア活動に参加しているから、彼女の自宅も市内の可能性がある。つまり、帰る方向も同じ可能性が高い。どの道一緒に帰ってもいいと思ったのだが、彼女は彼女なりに気持ちは複雑なのだろう。そう考えると彼女に対しては何かしらの配慮が必要なのだと、揺れる帰りの電車の中でそう感じていた。


 公園で倉田さんと話をしてから数日がたった。僕は昼休みに他のクラスの友達のところへ行くことが以前より少なくなっていた。それは自分のクラスで昼食を食べることが多くなったためであり、これは彼女の気持ちを配慮して会わないようにしているのである。今すぐというわけではないが、何か話したいことがあれば、彼女は連絡してくるだろう。

 ある日、僕は自分のクラスで昼食を食べた後、一組のクラスに用事があった。その教室に入って見回すと、倉田さんはいなかった。用事というのは石部に借りていた漫画を返すことである。午後の授業は生物で、教室移動がある。そのため、時間に余裕を持たせようとして、漫画を返したら、すぐクラスに戻るつもりでいた。

 漫画を返した時、石部がこのようなことを言った。

「あ、そうそう慶人、前にお前が聞いた倉田さん、最近、自分からクラスの女子たちに話し掛けているようだぞ」

「そうなんだ。でも、何で倉田さんのことを僕に?」

 そう言うと、石部は僕の耳元に、

「気になるのかなと思って、結構見てたじゃん」とささやいた。

 彼が友達のことをよく見ていることに、僕は感心していただけで、驚きというものはなかった。というのも、僕は彼女と今回のことでよく話をして、お互いを理解し合ったはずだからである。

 自分のクラスへ戻る際に、ひょっとすると石部は彼女のことが気になっているのではないかという推測を、勝手に僕は立てていた。


 六月の終わりごろに定期試験があり、僕はその試験勉強をしていた。幸い、高校の定期試験は一日では行わないため、ある程度余裕があった。

 今回の試験期間は三日間で、一日当たり二時限から三時限で行われた。

 そして最終日、無事に試験を終えた。クラスの中では、試験の出来を互いに聞くようなことがあった。僕もクラスの人に同じことを聞かれたが、「まあまあかな」と答えた。その裏にはうれしさがあった。なぜなら、今日は午前中で昼食を食べれば帰れるからだ。

 僕は倉田さんとは公園で話をしてから、学校では一組のクラスまで行って話をしていない。そうしなければ、彼女に対する配慮が欠けており、実際に迷惑だと考えていた。

 しかし実際のところ、僕は彼女に対して配慮し過ぎなのではないかと思うようになった。僕は彼女と教室移動や掃除などですれ違う際に、あいさつをするくらいなのだが、その時彼女は僕の顔を見て、しっかりと返してくれる。表情も暗いものではない。

 さて、試験が終わり、午後からどのように過ごすか自分のクラスで昼食を食べながら考えていた。僕にはこの夏にやりたいことがある。それは読書だ。

 僕は昔から本を読まなかった。本が嫌いというわけではなく、ただ読まなかったのである。以前、僕のクラスを担当する国語の先生から読書を勧められた。その時先生は、読書をすることで想像力や文章力を養うことができ、社会に出る際にも必ず役に立つことがあると言ってくれた。そこで今日の午後の一時間ほどではあるが、図書室で読書をしようと思ったのである。僕は部活動には入っておらず、自由に時間が使える。

 昼食後、カバンを持って、早速図書室へ向かった。教室から廊下に出て、角を右に曲がると、すぐそこである。

 図書室には、普段なら図書委員の生徒がいて、本の貸し出しを行っている。しかし、今日までが試験期間であるため、カウンターにはいない。そのため、本を借りずにここで読むことにした。カバンを荷物置き場のところに置いて、本を探そうとする。とはいえ、読む本を決めていなかったので、左手を顎の辺りにやりながら何にするか本棚で考えていた。

 その時だった。

「あれ、吉田君?」

 図書室の中で僕に気付いた倉田さんが横から声を掛けてきた。僕は本を探すのをやめ、

「読書しに来たの?」と倉田さんに聞いた。

 そうすると、彼女は少しうれしそうな顔で、「そうです。いつもは昼休みに来ることが多いんですけど」と答えた。

「そうなんだ。あのさ、何かおすすめの本はないかな? 何を読んだらいいか分からなくてさ」

 僕がこう言うと、「読書を楽しむことに本の厚さは関係ありません」と倉田さんはこう言って、本棚から一冊の本を探し出しそれを取り出して、見せてくれた。その本は、「古今東西ショートショート」という題である文庫本であった。

「そうか、ショートショートか。これなら読みやすいかも。どうもありがとう」

「いえいえ、御気に召してよかったです」

 倉田さんがこう言うと、僕は頭の中でこう考えた。彼女は読書家で、とっさの言い回しなどをそこから学ぶところがあるのだろう。国語の先生の言っていたことは間違いないと思う。

 僕はその本を持って、室内の椅子に座り、本をテーブルの上に置き、最初のページから読み始めた。最初の話は人の不安を除去する装置を作ろうと思ったら、結局不安を題にした詩を投稿して、賞をもらって詩人になってしまった、というものだった。最初の話を読み終えてから、その本を置き、僕は何かを気にしていた。

 倉田さんも椅子に座って大判の小説本を読んでいたのだが、どういうわけか僕の隣に座っていたのである。この時間は僕と彼女の他に生徒や先生はおらず、二人きりであった。図書室は空いている席ばかりである。僕から少し離れたところで読んでもいいし、第一、本を読むことに集中できないのではないかと勝手に考えていた。当の彼女は黙々と本を読んでいた。

 一時間ほどがたち、僕はその本を読み終えて、本棚に戻した。一方、倉田さんも本を読み終えていた。

「あれ、もう読んじゃったの?」と僕が本棚から戻って聞くと、「長い話なのでこれはまた今度にします。しおりがあるから、今度続きからまた読みましょうかね」と言い、倉田さんもその本を本棚に戻した。

 倉田さんが本を戻してテーブルに戻ってくると、「倉田さんはまだ本読むの? 僕、帰るんだけど」と僕は帰りの支度をしながら聞いた。

 倉田さんは、「今日はもう読まないですけど、ちょっといいですか? 話したいことがあるので」と少し緊張した様子で聞いてきた。

「ここで? まあ、帰るだけで特にその後の予定があるわけでもないし、いいよ」

「ありがとうございます」

 僕たちは椅子に再度隣り合うようにして座った。僕は倉田さんの顔を見ると、本を読んでいる時は何でもなかったものの、今は再び、心の中に何か熱いものが感じられていた。おそらく、彼女もそうであるに違いない。

 その倉田さんが一回深呼吸をしてから、口を開いた。

「この間の公園で話した時に、恋について焦りの気持ちがあると言いました。あの、わたしの恋心を成就させてくれませんか?」

「え? えっと、それは?」

 驚いた。静かな人だと思っていたのだが、結構大胆に来るとは。いきなりストレートを投げられたような気分だ。

「あ、あの、これは初めて言うことなんですけど、最初のボランティア活動に参加した時に、あなたに偶然お会いしたんです。その時優しい印象を持ったものですから、話しやすそうだったんです。後に、同じ学年の方というのが分かりました。あなたにお会いした時は姉の力を借りてですが、初めて家族以外の異性の方に声を掛けることができました。それ以来、ボランティア活動ではわたしが『姉』を演じてきたのは、御存知の通りです。でも、だんだん話しているうちにあなたのことが気に入ったのは確かです」

 大胆さの次は堅実さ、僕は聞きながら倉田さんのすべてを理解しようとしていた。

「そうだったんだ……」

「じゃあ、その、お付き合いを……」

 倉田さんがそう言うと、僕は、熱きものを抑えつつ、

「僕はいいけど、他の人がどうだとか、そういうのは、なしだよ」と忠告した。

 倉田さんは、はっとして、

「そうですよね。すみません、以後気を付けます」と言って、頭を少し下げた。

 それから、倉田さんは顔を上げた。

「わたし、何だか頭を下げてばかりですね」

「大丈夫。気にしなくていいよ」

 倉田さんは照れた顔を僕に見せていた。その顔というのは、まさに純真無垢という言葉が似合うものだった。ここに至るまでは色々あったが、僕の目の前にあるのは「彩香」の顔だ。

 その顔を見ながら、僕は自分の中にある照れを隠し通そうとしながらも、

「倉田さん、ありがとう。君が自分のことをよく話してくれたから、君のこと、好きになったよ」

と喜んで言った。

「あ、ありがとうございます。わたしも好きです、あなたのこと」

 いつの間にか倉田さんの瞳は涙ぐんでいたが、その涙はうれしさから来るものに違いない。そして、彼女は僕の両手をしっかりと彼女自身の両手でつかんだ。

 その時、僕はてっきり彼女が抱擁してくるのではないかと心の準備をしていたので、拍子抜けしてしまった。けれども、そのような気持ちはどこかへ行ってしまった。

 僕たちは和やかな様子で見つめ合っていた。

 僕たち二人の熱い思いは、つながった両手を通って体の中を巡り合い、それがお互いが好きだという気持ちにつながっているのだろう、と僕は感じていた。おそらく、倉田さんもそうだろう。

 そう思っていると突然、ドアを開く音がして、「何してるんだ?」という声がした。

 僕のクラスの国語の先生が図書室に入ってきて、僕たちの様子を見て、首を傾げている。

 僕たちはそれに驚き、恥ずかしながら慌てて、あれやこれやと誤魔化そうとするのであった。



 いかがでしょうか。私はあまり文章の長い作品を書くことが多くはありませんが、頑張って執筆致しました。人の気持ちを動かすような作品というのは、なかなか難しいものがありますが、これからも小説を執筆していく所存です。最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

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