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愛は時に暑苦しい


 書斎には先客がいた。

 弟だ。

 シオナは、ここでも王女への手紙をゆっくり書くことはできそうにない。

 兄のヤトルは文武両道で、コトナギの将来の主としての頭角を見せている。

 一方で、弟のケイルは、子どもの頃から体が弱かった。

 代々武人の家でも、生まれてくる子すべてが運動能力に恵まれているわけではない。

 ケイルは、幼い頃、秋冬の半分はベッドで過ごし、冬は全く外で遊ぶことがなかったが、十四才になった今では寝込むはほとんどなくなった。

 騎士にならないと決めていたはずのケイルにも、初陣の日は来た。シオナの件で、最後尾でも危ないと学習した父は、自分の手元にケイルを置いた。

 体の弱い息子可愛さの所業だったが、これが良い結果を出した。策士としての才能を見せたのだ。

 子どもの頃、駆けっこで負けてばかりいたケイルも、コトナギの旗の下に、着々と居場所を作っている。

「ケイル、邪魔をしてしまったかしら。」

 突然やって来たシオナに驚いて顔を上げたケイルは、すぐに、手元の本に目を落としてぶっきらぼうにいった。

「別に。」

 弟は、元気になって来たとともに、生意気にもなった。話しかけても、煩わしそうにして単語でしか返事をしない事が多い。

 シオナは気にすることなく、ケイルが呼んでいる本に手を掛け、表紙を見てタイトルを確認する。

 過去の戦記だった。

「何するんだ!」

 ケイルが怒って、本を自分の方へ引き寄せる。シオナは平然と言い返した。

「邪魔かって聞いたら、別にって言ったじゃない。別に邪魔してもいいよって事でしょ。」

「悪魔だ。」

 小さく呟かれた言葉は無視した。

「私は書庫に籠るわ。」

 シオナは一人になりに来たのだし、弟が自主的に勉強しているのを中断させる気はない。

 書斎からしか入れない書庫には、シオナ達兄弟が子どもの頃に呼んだ本も残されている。その背表紙でも眺めて少しぼんやりしよう、そう思って歩を進めた。

「婚約解消だって?」

 ケイルに聞かれて、シオナは少し驚いた。

「ずっと書斎にいたんじゃなかったの?」

「いたよ。女の子たちが知らせに来た。」

 あの時、玄関ホールにいた誰かだろうか。シオナは小さくため息をついた。

「そう。解消になるはず。」

 ケイルは、窓の外へ目をそらせて言った。

「良かったんじゃない? あいつ、バカだもん。」

 日頃から、バカは嫌いだと言い放つ弟は、とても頭が良い。

「そうね。結婚する気になってた私もバカだったかもね。」

 自嘲的な気分になって、言ってしまった。

 すると、ケイルが急に真面目な顔でシオナの方を向いて来た。

「自分で決めた結婚じゃないだろ。シオナは、前向きに対処してただけだ。」

 ケイルの言葉が、胸にすとんと落ちて来た。シオナの心を掴む。

 何故だか目が潤んでくる気配を感じて、シオナは慌てて言った。

「ありがと。」

 弟は、もう知らん顔で、本に視線を落としている。

 しばらく見ていたが、絶対に顔を上げるものかと決心しているみたいだ。

 シオナは少し微笑んで、書庫の扉を開いた。

 壁一面の本、部屋の中は背の高い書架が等間隔に並んでいる。窓は小さい。

 ひんやりとして、薄暗かった。

 一番奥の隅に行って、床に座り込んだ。掃除はされているが、綺麗なドレス姿のままだから、ふさわしい行いとは言えない。でもここなら、泣いてうっかり声が出てしまっても、たくさんの本に音は吸収され、誰にも聞かれないはずだ。

 失って、惜しむ気持なんてなかった。

 殴ってすっきりしたはずだった。

 でも、やっぱり傷ついていたみたいだ。

 ドレスのスカート部の左右には、隠し場所があって、ハンカチが一枚ずつ入っている。両方出して、重ねて、目にあてた。

 たくさんは、泣かなかった。

 


 父がノックなしに書庫の扉を開いて入って来るまで、それほど長い時間は待たされなかったが、シオナの涙は乾いていた。

「シオナ?」

「ここです。」

 短く返すと、すぐに書棚の間から父が姿を見せた。

 静かな面持ちだった。

 だから、シオナも気持ちを荒立てることなく聞けた。

「どうなりました? ちゃんと婚約解消になりました?」

 父はしっかりと頷いた。

「あぁ、破談だ。ナバル子爵も息子の決断に同意しているらしい。あの子爵は、時々妄想に走るからな。」

「ガイは父親似ね。」

「後継者の兄の方までそうでなくてよかったよ。あの家族の中で、一人だけまともなのは不思議だけどな。」

 その理由をシオナは知ってる。

「奥様と出会ってからだわ。ガイのお兄さまは、それから随分と現実的な発想をするようになったもの。」

「あぁ、確かに子どもの頃はガイと変わりなかったかな。出会いが人を変えたか。」

 感慨深げに父は言ったが、その言葉はシオナの心をひやりとさせた。

 シオナは、ガイを変えられなかった。逆に、ガイといて、シオナがどこか変わったかというと、全くないというしかない。

 父は、そんなシオナの感傷には気づかなかったようだ。

「それで、どうする?」

 どうするとは、なんだろう。シオナは首を傾げて、父親を見上げた。

 すると父が歩み寄って来て、シオナの前に片膝をつく。

「慰謝料をせしめるとか、考えなかったか?」

 冗談めかして聞かれたから、シオナは笑って答えた。

「貰ったアクセサリーを売り払って、偽善的な事をしようとは思いました。」

「それも、悪くない。」

 父も笑う。が、すぐに真顔になった。

「すまなかった、シオナ。父上が亡くなった時、すぐに婚約解消の話を出しておくべきだった。これは、父上の独善的な判断だったからな。」

 祖父がなくなったのは、一年と三ヶ月前だ。兄の結婚は一年の喪が明けてすぐに行われた。

「おじい様が亡くなったすぐだと、あからさま過ぎだし、お兄様の結婚前に、婚約破棄騒動を起こすわけにはいかなかった。私は十九才でそろそろき遅れになりそうだから、結婚式の日取りをいつまでも決めないわけにはいかなかった。」

 シオナは思いつくままに言ってみた。

 父が、床に座り込んだ。

「まぁ、そんなところだ。シオナが、ガイとうまくやっているようだったから、あいつの少々子供じみたところは、結婚後、わたしが手元に置いて叩き直してやるつもりだったんだが。」

「まさか、婚約解消の申し入れを、他にも人のいる玄関ホールでやるほど莫迦とは思ってませんでした。自分が不利になるだけなのに。」

「それだけファレア王女殿下が好きなんだろう。あいつ、熱く語って行ったぞ。」

 父にまでそうだったとは恐れを知らぬ大馬鹿だ。ため息が出た時だった。

「シオナァ。」

 書庫のドアの方から、兄ヤトルの心配そうな声が聞こえて来た。

「父上としか会わないなんて言わないよな! ケイルとだって話したんだろ。俺とも話すよな!」

 大きな声が書庫に広がる。

 父同様、ヤトルは、妹シオナに対して過保護だ。有り難いと思う事もあるけど、面倒なことも多い。

だから、兄の結婚は嬉しかった。自分への干渉が、妻に向くと思ったからだ。まさか、兄嫁キエラも、シオナに構いたがるとは思っていなかった。

 今は、早く兄の子が生まれてくるのを祈るばかりだ。キエラが気にするといけないから、口に出しては言わないが、心の底から願っている。ちなみに母は、嫁に、孫はまだかと口癖のように聞く。

 シオナは、少しため息交じりに言った。

「どうぞ、お兄様。」

 兄ヤトルは、すぐにシオナを見つけて、傍までやってきた。どういう風の吹きまわしか、後ろから弟ケイルもついてきている。

 ヤトルは、父と同じようにどかりと床に座り込むと、ケイルの腕を遠慮なく引っ張って、自分の隣に座らせる。

 なんだか近い、とシオナは思った。周りは背の高い書架ばかりの狭い空間だ。弟は平均的な貴族の子弟の体つきだが、父と兄は大柄だ。空気まで薄くなった気がする。

 弟ケイルが嫌そうな顔で、端的に評した。

「暑苦しい。」

 同感だ。

 兄ヤトルが、がしりと弟ケイルの首に腕を回して引き寄せ、ゲンコツを頭の上でグリグリと動かす。弟の止めろぉと言う声を無視しながら、シオナに物騒な顔を見せた。

「ガイの奴、シメるか。」

「単純な仕返し方法の提示をありがとう、お兄様。お母様は、すでに作戦をお持ちよ。協力要請されるわよ。」

「協力しないわけにはいかないな。」

 反応したのは、父だ。

 兄も弟を離し、単純解決から頭を切り替えたのか、次期領主の顔になる。

 そうかと、ヤトルは々しく頷き、ケイルを見る。

「お前も強制参加だな。えげつない手を考えてくれ。」

「俺を何だと思ってんの?」

 ケイルは不機嫌そうに言ったが、嫌だとは言わない。

 シオナの頭に、常識人の次期ナバル子爵がまた浮かんだ。が、落ちついて考えてみれば、彼だって、自分の父親と弟のことはよくわかっていたはずだ。対策のひとつやふたつ持っているはず。

 兄がにやりと笑った

「母上は、社交界狙いだろう。俺は、ナバルの兵たちの戯言を一掃するかな。」

 ナバルの兵たちの戯言とは、五年前のコルラン戦役の際、コルランの王弟を捕縛したのは実はガイ・ナバルで、公爵家のご令嬢に戦果を譲ったのだというものだ。公爵家の長女と子爵家の次男という、世間的には身分的に釣り合いが取れているとは言えない縁組がその考えを生んだのだろうと、シオナは思っている。

 確かにあの時の証人は少ないが、記録を見ればシオナのしたことと明らかだ。

 この讒言をどう始末するかは、ガイが指揮官に慣れるかどうかの試金石の一つでもあった。駄目なまま終わってしまったことになる。

 コトナギの者たちは、一々相手にしないようにと言い渡されていたが、結婚の日取りが決まってからは、ナバル出身者たちの声は大きくなっていて、不平不満が膨らんでいた。

 兄ヤトルは、それを全部一掃するつもりのようだ。

「俺は、ナバルの次期当主かなぁ。」

 ケイルがさらりと言った言葉には、シオナはつい大きく反応した。

「ケイル、彼はナバル家唯一の常識人よ。」

「だからだよ。」

 いつもと同じように見える憮然とした顔の弟、けれど声に少し憤りが籠っていた。

「小さくまとまりやがって。ガイの婚約解消をこんな形でやらせた事の罪は重い。」

「良く言った。弟よ。事前打ち合わせはしようぜ。」

 兄が弟の肩にまたガシリと自分の腕を置いた。弟は迷惑そうだ。

 さて、私の家族たちは何をどうするつもりなのか。

 シオナは、自分は少し頭を冷やすべきかもしれないと思った。

「とりあえず今夜は、静かに過ごしたいです。私、お食事はお部屋で頂きます。」

 一時戦線離脱を申し入れた。


 暑苦しい家族愛は、確かにシオナの味方だとはっきり示してくれている。

 それはシオナの心にしっかりと納まった。


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