005 桜花円舞への道
<ドワーフ>の封印技術が施された神殿<エインシェントクインの古神宮>。その神殿を中心に、<ヒューマン>と<エルフ>が共存する村、<ユーエッセイ>。
静かな祈りが満ちるこの地の空気を切り裂くように、ひたすらに素振りを続ける女性がいる。
金色の髪を揺らしながら一心に木刀を振るうのは、黒地に紅が印象的な<北海竜王の鱗鎧>を身に纏うたんぽぽあざみである。
「ポチ、今いくつ!?」
「年齢を聞いてどうする」
「年なんか聞いてないし! 素振り何回目!?」
「数えていない」
「はぁああ? アンタ、アタシのストーカーでしょ? ちゃんと見てなさいよ! ちゃんと!」
「見てはいる」
「数えてないなら意味ないじゃん。いるだけ無駄よ、ハイ、ストーカー失格」
ポチこと能生寧夢は、彼女の言うように彼女の公認ストーカーである。一時間ほど前に素振りの途中で話しかけてしまったものだから、散々な言われようである。
日陰にあるせいで周りに比べれば遅咲きの桜を能生は見上げた。今が満開だ。一時間座っていたら、能生のいる位置まで日陰になってしまった。
「あんたの素振り、十秒間で十一回だ」
「え」
あざみは素振りを止めないまま、目だけで能生を見た。
「一分で六十六回。一時間で三千九百六十回。俺が話しかけたのは七千回手前だった。そして俺はあんたを一時間見ている。だからもうとっくに一万回過ぎている」
「でかした、ポチ」
あざみは素振りを止めて叫んだ。
「ああ、もう! すっきりしない! 一万って言えなかった!」
もうすでにあざみの苛立ちは、達成感の少なさに移行している。
「ああもう、ポチのせいで。もう一度一万回しようかな」
「ムダだ」
「はぁああ?」
今度は能生に否定されたことに対して苛立っている。
あざみは木刀を突きつけて怒鳴る。
「何がムダだってのか言ってみなさいよ!」
その瞬間、能生はあざみに抱きつくように懐に飛び込んでいた。手に持つナイフの刃をあざみの首筋に既に押し付けてある。
「もう一度貫いてやろうか?」
あざみは膝をはね上げ金的を狙ったが、能生はあざみの蹴りに合わせて後方へ飛びすさった。
もうこの頃には、苛立ちの原因は能生を蹴飛ばせなかったことにすりかわっている。能生からしてみればストーカー冥利に尽きるというものだろう。
「今のどうやって」
あざみは苛立っていたのも忘れ、能生のふわりとした飛びすさり方に興味を移していた。
「いいか、たんぽぽあざみ。あんたはいつも戦うたびにボロボロになる。あんたを傷つけていいのは俺だけなんだよ」
何か考えていたせいかあざみは何も言わない。能生は続けて指摘する。
「その一万本の素振りも生かせてないから、あんたは俺に懐に潜り込まれてしまう。なぜ生かせないのか。攻め攻め攻めの一辺倒で技の意味が分かっちゃいないからだ」
「技の意味?」
「たしかにあんたは強い。<口伝>だって開発してる。それはこの世界に真っ向から向きあって、自分を認めさせたってことなんだからな。だけど、それは力でねじ伏せただけの話だ。技の意味も分かっちゃいないから、俺に懐に潜り込まれてしまうのも防げない」
「だから技の意味ってなんなのよ」
カンカンと木刀で地面を叩きながら、あざみは先を促す。さっき通りすがったひらめきを逃してしまいそうだからだ。
「ふわり」
あざみは一旦口に出して記憶をキープする。
「は?」
「アンタは気にしないでいいから、早く教えなさい」
「一撃必殺。それこそが技の奥義だ」
「分かってるわよ、だからどの技も<奥伝>級以上に高めてるって」
「攻撃系特技ならそれでモブエネミーは倒せる。倒せない敵が現れたら<口伝:紅旋斬>でって考えているんだろ。俺が言っているのは『全て』の技の意味だ。一撃で倒そうとすれば、敵は防御しようとする。躱す。逃げる。ともすれば反撃してくる。だからたくさんの技がある。必殺の一撃を撃ち込むために相手を『崩す』、それが技の意味だ」
最強の一撃を持っていても、崩せなければ意味がない。崩せなければ必殺にならない、ということだろうか。
「<朧渡り>や<ファントムステップ>を<紅旋斬>のための入力コマンドのひとつにしか考えられなくなってるだろう? だけど、それひとつあれば相手を崩せる。崩してしまえば特技なんか必要ない。ただ首筋に刃物を当てるだけで必殺の一撃に変わるんだ」
さっき能生がやってみせたのは、そういうことなのだ。崩すのに技すら使ってない。苛立たせて木刀を突き出させたのだ。
「俺たち<フォレストバンデッツ>を撃退した九連撃すら、今や<口伝>発動の前準備としか思えてないんだろ。だけど、あの日のあんたは鬼神のように見えたぜ」
たった九閃で一チームを崩壊させられるというのに、今やこの九連撃の間にダメージを食らうことが多くなってしまっている。
対面する敵のレベルが違うと言えばそれまでだが、たしかに<口伝>のための動きが諸刃の剣となってしまっているのも事実だ。
「崩す」
相手の体勢をコントロールすること。
相手の重心すら支配してしまうこと。
呟いたがイメージは遠のいていく。
「ふわり」
イメージが少し蘇る。
能生は怪訝な顔をしている。
「アンタ、さっきのどうやったの?」
「さっきの?」
「膝蹴りを躱した『ふわり』とした動き」
「覚えてないが」
「ああ、もう」
あざみは持っている木刀を振った。花びらが散りかけてくる。
花びらは木刀を躱すように、ふわりと木刀の周りを舞った。
「え?」
何か閃く寸前の予兆めいたものがある。あざみは吹いた息で前髪を払う。こういうときは一旦問題から離れたふりをするのがいい。狙っている獲物に興味がないふりをして、油断したところを狙う。
「水浴びしてくる」
能生の足元に木刀を投げつける。木刀が突き立った。
「あっぶ!」
「覗いたらコロす」
■◇■
全ての服を脱ぎ捨てて、あざみは禊の泉に浸る。身体の汗を流し、髪も顔も洗う。立ち上がって右足に触れる。能生に触れられた感触がある。
ダメージ以下のものは身体には残らない。だが皮膚感覚は残る。
蹴り上げた瞬間、能生はあざみの大腿に触れていたのだ。
もう一度水に身体を浸す。
泉から出る小川を見る。水に浮かんだ葉が岩に触れる前にくるりと身を翻し流れて行った。
さぶりと音を立てて立ち上がる。
「こぉりゃああ! またお前かー! バカ狐がー!!」
「わあ! お葉婆! あ、そうだ。落花流水ってどう?」
「何を素っ裸で言っておるんじゃ! 風呂に入りたければ温泉街まで行けばいいじゃろう」
箒を振り回して現れたのは、お葉婆である。大概この<古神宮>の周りで掃除をしている姿を見ることができる。
あざみは<軽身功の腰布>を拾うと、振るってくる箒に足の裏を当てた。ふわりと宙返りして泉の中央まで飛ぶ。水面に着地する寸前、水を蹴って走る。たんたんたんと水飛沫をあげて戻ってくる。
「できたできたー!」
「水面を走るとは、おそろしいやつよ」
あざみは<腰布>を首に巻いて裸の胸をふんぞり返らせた。
「とにかく服を着んか、バカ狐」
お葉婆はあきれてため息をついた。
■◇■
「ねえねえねえ、姫様。『落花流水』って技にしようかって思うんだけど」
あざみは白い衣に着替え、アウロラ姫と話している。
あざみが頻繁に<ユーエッセイ>を訪れるのは、きっと彼女のためでもあるのだろう。
<古神宮>に幽閉されている<ハーフアルヴ>の姫、アウロラ。彼女は<ルークィンジェ・ドロップス>が近くにあるときのみ、短時間だけ意識が覚醒し会話が可能になる。あざみは同級生を見舞いに来ている気分でここに来ているに違いない。
「落花流水という言葉はセルデシアにもありますよ。春の恋心を謳う美しい言葉です。『あの方々は落花流水の時をすごしているのですね』という風に使うのです」
「うーん、じゃあなんかイメージ違うなあ」
「うさぎさんはお元気ですか?」
「今度にゃあちゃん連れてくるよ!」
「楽しみにしています」
社殿を出るとあざみの装備を持って能生が待っていた。
「えらいぞ、ポチ」
「うるさい」
「アンタ、何で戦い方に詳しいの? 格闘技でもやってた? 野球部なんでしょ」
能生は身構える。
「あんたに話した覚えはない」
「腕の筋肉見てりゃ分かるよ。動きもそんな感じだし。全然格闘技やってる感じじゃない」
「男は大概格闘マンガ読んでるもんなんだよ」
「丘サーファーってやつ?」
「黙れ」
装備を身につけるあざみを見ながら能生は目を細める。あざみの表情を見ると何か閃いたらしい。だが、きっとあざみはもっと潜在能力を秘めている。その閃きは、まだまだ化けるに違いない。
(筋肉見てりゃ分かるだと? こいつどんな目をしてやがる)
「あんた、さっき、何か閃いたんじゃないのか?」
「ああ、新技でしょ? まだ名前は考え中だけどねー」
「まだ完成じゃないんじゃないか? 後で戦え」
「はあ? なんでよ、めんどい」
遠くからお葉婆の声がする。
「おおい、たんぽぽあざみと言ったな。まったく、はあ、はあ、ちょっと目を離した隙に姫様のところまでいきおって」
あざみの表情が変わる。お葉婆が名前を呼んだときは、受諾可能なクエストがある合図だ。
「さあさあ、去ねいねいね」
しかし、駆けつけたお葉婆は、箒であざみたちを押し出そうとしただけだった。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ。何かクエストもってきたんじゃないの?」
「何じゃクエストとは」
「ほら、よく言うじゃん。ほにゃららの噂は聞いたことあるかえ? ってさあ」
「ううむ、最近は、噂がバラバラでのう。まとまった噂があるときは、姫様も何かをお感じなさって託宣なさるのじゃが。これといった噂はないが、ひとつ気になるものが」
「あるの?」
「なくはないが」
「早く早くぅ」
「うるさいのぅ。これはあくまでも噂じゃからな。ここからずーっと東に行ったところに<神仏の郷ロクゴウ>と呼ばれるところがある。そこで大量の蛾や兎がまゆに包まれているが見つかったという噂じゃ。あくまで噂じゃからな」
「だからその噂が聞きたいんだってば。ありがと、お葉婆、またね」
二時間後、あざみはシモクレンに念話を入れた。
「はあ! ふー! ああ、ムダ乳ー?」
(やめい、その呼び名。ん? 息切らせてどないしたの?)
「さて、何から話したもんか。とにかく言えるのは、今、国東がヤバい」
(くに、え? また<ユーエッセイ>行っとったん? 姿見えへん思たら)
あざみが川向こうに目を移すと、土手の上を徘徊するエネミーの姿が見える。
「ふう、ゾーン名が<人外魔境ロクゴウ>に変わってる」
■◇■
お葉婆にあいさつした後、あざみと能生は<ホランエンヤリバー>を越えた。そこは、普段は神代の廃墟が軒を連ねる静かな町である。
だが、足を踏み入れた瞬間から異変が起きた。
すでに魔窟と化しており、数体のエネミーに襲われた。それを切り伏せると、倍に敵は増えた。次々と生まれてくるようである。
<二刀流の武闘家>と呼ばれたあざみである。大勢を相手にするのは得意だ。
<火車の太刀>、<朧渡り>、変わり身の一尾で手に入れた<トリックステップ>を使って移動しながら次々と切り伏せる。
一際大きな<醜豚鬼>が現れた。あざみは<口伝>の発動準備に入る。
離れていた能生が近寄ってきた。
「今が閃きを試す時だろ」
敵は金棒を振り回して近付いてくる。あざみは頷いて前に出る。
<独狐九剣>発動のモーションに入りながら、敵の攻撃範囲に入った。
金棒を水平に振ってきた。あざみは右足をあげて金棒に乗る。そして後方に軽やかに舞う。
「おいおい」
能生は呟く。
あざみは敵の中央に飛び降りた。そこで水平に薙いで一気に敵を倒したが、少し後方にいた敵から反撃を食らいそうになる。
「やばいやばいやばい」
あざみは転がり出て、能生のところまで駆けていく。
「真下に振り下ろされたら『ふわり』使えないじゃん!」
「バカか」
「ポチのくせにバカにすんな!」
能生とあざみは小高いところを探して敵から距離をとる。高いところをとった方が圧倒的に優位に立てる。
「聞け」
「聞いてる!」
「イメージとしては正しい。だが、ムダが多い」
「何おう?」
「『ふわり』を使うのは相手の攻撃を無効化するためだ。だが、今できたのは、ダメージを無くしただけで、攻撃を無効化できていない。次の攻撃まで距離も開いてしまっている」
「ダメっすかねぇ?」
「ダメだね。言っただろ。崩せ。攻撃を無効化してこちらの攻撃を当てやすくしろ」
「口では簡単に言うけどね」
あざみがそこまで言った瞬間、能生が右ストレートをあざみの顔面に放ってきた。あざみは左手で受け、ふわりと後方に流す。右手の甲で能生の顔面を叩く。能生はそれを額で受ける。
それで能生は気づいた。
「あんた、<刹那の見切り>はどうした」
「<トリックステップ>手に入れたときに消えた」
狐尾族は他の職業の特技も使える代わりに、本来の職業が使えるはずだった特技が取得できなくなることがある。
「それでか」
「でも筋肉の動きを見れば相手の動きは分かる。もっと集中すれば攻撃はじめた後の空気の動きでも反応できる」
「大したもんだ。もしかして<察気>を取得してるのか」
「あー、たしかにもってる」
「さっき俺のストレートをどうやって躱した」
「アンタの腕が伸びきる前だから触れても痛くない。そこから力を外に逃した」
「それだ」
<醜豚鬼>たちが丘を駆け上がってきた。
「今から相手の攻撃を、全部今やったように後ろに流せ。フィニッシュは全部俺がやる」
「アンタが仕切るんじゃないよ!」
「やるぞ」
「あー、もう。わかった!」
あざみは敵の金棒に切っ先を合わせた。しかし、風に揺れる柳のようにあざみが手を振るうと、金棒は空を切って地面を叩いた。
「それだ」
そう言いながら敵の首をはねる能生。
金棒を水平に振って来られたあざみは、先ほどのように武器に飛び乗ることはなかった。まるで車にはねられた人形のようにあざみは回転した。しかし、軽やかに舞い降りて敵の背後にまわった。
激突の瞬間、刃で金棒を押し下げながら側転するようにして躱したのだ。空振りしたようによろけた敵は能生の前に身体を差し出す形となった。
突き出した槍を片手でいなしながら身を翻す。
振り下ろされるウォーハンマーを切っ先で軌道を逸らしながら、背後にまわる。あざみは軽やかに舞うように敵を躱す。完全に崩された敵は能生の餌食となる。
躱していくうちに反撃する隙があることもあざみにははっきりと見えてきた。だが、今は舞うことに集中する。
そうして数十体からの攻撃を一度も食らわずに、広いところまで出た。まだまだ敵は増援を送ってくる。
「一旦退こう」
「待って、あと二百十なの」
「はあ?」
「経験値ためたらアイツに追いつける」
能生は胸を締めつけられるような思いがした。
あざみにはヨサクという男のことしか見えていない。
能生の心に暗い炎が宿る。
回復職がいない今、継続戦闘は自殺行為だ。
「あんたが望むなら地獄の入り口まで案内するぜ」
もうすぐレベルアップするというのならHPやMPが先になくなるのは能生の方だ。いざというときは、あざみにダンジョンを抜け出すためのアイテムをぶつけてやってもいい。
能生だけ死ねば罪悪感という形で、あざみの心に自分を焼き付けることが出来るだろう。
「やっぱりやーめた」
「はあ?」
「この技の開発中にミスして死んだら、ポチ泣いちゃうでしょ」
「泣かねえよ」
あざみは思い直したようだ。能生にはそれがむず痒く感じられた。
「一旦退くよ、ポチ」
「それは俺のセリフだ」
すでに敵に囲まれている。<ホランエンヤリバー>まで退避したらあらかた退治せねば川向こうに被害が及ぶだろう。
それを果たしてようやくあざみたちは川を渡った。
そしてシモクレンに連絡を入れたのである。
「うん。二十四人は欲しいけど、人手足りないでしょ? 十人寄越すよう手配お願い。アタシら<ユーエッセイ>まで退くからそこで合流で。あ、それから、にゃあちゃんに聞いといて。お葉婆が言うには、ボスがいるあたりに蛾や兎の繭がいっぱいあるんだって。そう、蛾。兎。じゃあね」
「どうだって?」
「帰って来いって言ってたけど、まあ大丈夫でしょ」
「ふうん、で、技の名決めたのか?」
「うーん。まだ。なんかアイディアある?」
「あんたの踊っているような動きを見てて考えたのがあるが、聞くか?」
「聞かない」
「聞けよ」
「じゃあ言いなさい」
どうにもあざみは能生に主導権を与えたくないようだ。能生は唇を歪めて言った。
「桜花円舞と書いて<アンタッチャブル・ポルカ>」
「厨二病っぽくていいぞ! 芸人にもいそうだし」
「いねーよ」
あざみは気安く能生の頭をポンポンと叩く。
「次のアタックでものにしてみせるよ、シャウエッセン・ポルコ」
「アンタッチャブル・ポルカな」
能生は手で頭の上を払いながら訂正する。
「さ! <ユーエッセイ>まで戻ろう。あ、ちょっと先まで行って<カラーゲ闇街道>でなんか買ってく? そうときまれば、ダーッシュ」
能生は地面にツバを吐いたが、次の瞬間姿を消した。きっとあざみを全力で追っているのだろう。
異変が起きるのは、それからわずか数時間後のことである。
あざみの新技<桜花円舞>はスプリガンさんにいただきました。
スプさんとTwitterでお話ししている際に、あざみの技として使わせてもらえることになったのです。
どうやって習得させるかという点には、「蜂の巣を突っついて修行」というアイディアをいただいたのですが、今回のお話のような形にすることにしました。
なお、シャウエッセン・ポルコというルビについては、独自に振らせていただきました。あ、ちがう。アンタッチャブル・シバタ。←