004 月天人の南征
<パンナイル>に<軍師>龍眼が帰ってきた。
「長き間の転戦、ご苦労だったにゃん」
領主ライブライト公の代わりに彼を出迎えたのは、娘の<算盤巫女>ネコアオイだった。
大麦が金色に輝く田の中に、領主の館はある。
この辺りでは二毛作をしているので、しばらくしたら麦を刈り入れて、長雨の後に少し遅めの米の田植えをするらしい。
そのため、もうしばらくはこの黄金の景色を見ることができる。
「領主殿はお変わりありませんか」
「父上だったら今日も元気に北の境界線のあたりにゃん」
北の境界線とは<ウェストランデ>と<ナインテイル>の境界線のことを指して言う。<ナインテイル>は支配を受けているのだから<ウェストランデ>の一部と見る向きもあるが、<ナインテイル>側からすれば全くそうではない。
交易を許された<パンナイル>商人も、境界線止まり。そこでマルヴェスから業務を引き継いだ貴族商人によって商品は買い叩かれる。だが、砂糖などの必需品の流入が減っては困るので、最低限の額は保障するといった具合である。
全くもって自由な貿易ではない。
それでも領主自ら繰り出して行くのは、最低限の額をこれ以上さげさせないためであり、叩き上げで培った実演販売のスキルによって商品に付加価値をつけていくためである。
今日も境界線のあたりでは独特な高い声を響かせていることだろう。
「使者の件はよいのかにゃん?」
ネコアオイは訊いた。
龍眼は頷く。
「例の<衛兵右腕装備紛失事件>や<猫妖精族の塔>問題なんかで忙しいのでしょう。それに<喧嘩屋>騒動の件もあって、ウチとは無関係だと判断したのかもしれません。ようやく使者は引き上げていきました」
「主は全てを知る男だというのににゃん」
<喧嘩屋>騒動というのは、<ナカス>の中で喧嘩を吹っかけ衛兵沙汰を起こす黒ずくめの男の問題である。右腕だけに装備をつけ、<衛兵>に強烈な一撃を食らわせては煙のように姿を消すのである。
ステータスを見たものの情報によると、その男の名は「ゴッド」。職業は<喧嘩屋>。見慣れぬ十二職の名に、正体は海外サーバーからの刺客ではないかとも噂された。
「兎耳に無益な復讐は辞めさせるがよいと進言しただけです」
龍眼の進言後、男の襲撃はピタリと止んだ。桜童子の口ぶりからすると、<喧嘩屋>の情報はつかんでいなかったらしい。龍眼はこの一件には<アキヅキ>が絡んでいるのではないかと見ている。
ともあれ<喧嘩屋>の三度の襲撃は<ナカス>を震撼させるには十分だった。
「そなたは<ワンハンドゴッド>とやらはどう見るにゃん」
「兎耳に連なるものの仕業なら、最悪とも言えるほどの悪手です」
「ふむ」
「兎耳が先日行った<ナカスオーバーフロー作戦>は、余波によって<ナカス>の内外を分ける境界を破壊するものだったと思われます」
「どういうことにゃん」
「<ナカス>近郊に<猫妖精族>を招き込むことで、<ナカス>は外部の<冒険者>とつながる必要が生まれました。文化や物流の面でも同じ。ヤツは<ナカス>のすぐ外に刺激を置くことで厚い鎧を脱ぎ捨てさせようとしたわけです」
物流という言葉でネコアオイは猫耳をピルピルと震わせた。
「主が以前言っておったにゃん。そう、『北風と太陽』」
「まさしく<ワンハンドゴッド>は北風。<ナカス>はまた鎧を着込んでしまったわけです。ですから、兎耳の意図を無駄にすらしかねない一手なのです」
ネコアオイは手にした算盤をシパンッと鳴らした。
「ともあれ、それで使者が去ったのならもっけの幸いというやつにゃん。『四ヶ月もかけてなんの戦果もあげなかった愚鈍な指揮官』などと陰口を叩くものさえおるというのに、よく我慢したにゃん。その辛抱強さが実らせた安泰にゃん」
「やはり、耳に届いておりますか」
龍眼は目を開いた。無用な威圧感を与えぬよう、いつもネコアオイの前では糸目で過ごしている。
「当然にゃ。でも我はちゃんと分かっているにゃん。そう怒らずとも良いにゃん」
「失礼しました」
「よいよい。我は算盤巫女にゃん。儲けにならぬことはやらぬにゃん。そなたのことを悪く言うような、儲けのにゃんたるかもわからぬ口さがない愚かもの共は、じわりじわりと所持金をまきあげて痛い目見せてやるにゃん」
「お気持ちだけで結構」
龍眼がぴしゃりと断るとネコアオイはほんのわずかだがむくれた表情を見せた。本気で彼を擁護したかったのだろう。その源流が恋愛感情かどうかまでは定かではないが、ネコアオイは龍眼を高く買っていて、その努力に報いたいと考えているのはまちがいないようである。
新年の<不死者騒動>で龍眼は非常に危うい立場を強いられたが、ネコアオイの献身的な庇護があったから今の立場を維持できたのであろう。
それを分かっていて龍眼が主従の関係を崩さないように努めているのは、おそらく<リーフトゥルク>家の歴史では下克上が何度も起きており、それが<パンナイル>に戦乱を呼び込む火種であったことを十分認識しているからであろう。
ネコアオイが外に目を転じた。
小麦畑の中を早馬が駆けてくる。
ネコアオイと龍眼がいたのは二階の一室だったので、その様子がよく見える。
「父上に何かあったかにゃん? 龍眼、下に降りるぞ。ミケラムジャ! 伝達係に水を用意してやるにゃん」
「かしこまりました」
扉の向こうにミケラムジャが控えていたのに龍眼は気付かなかった。遠征の間、冒険者施設である<ドンキューブ>からこちらに加勢にこさせていたのだ。ネコアオイがそばに置いているところをみると、ミケラムジャはひょっとすると一番龍眼に近い存在であったため、他のものに疎まれていたかも知れない。
早馬から下りた伝達係の青年は冷まし湯をあおってから、報告をはじめた。
「主君ライツ=ブライツ=リーフトゥルク様よりネコアオイ様への伝言にございます。一つ、小麦は他国も豊作。ただし<冒険者>の麦酒特需がありうる。輸出量を減らさぬべしと。一つ、<イズモ騎士団>の壊滅を確認。龍眼殿に連絡せよ。一つ、主君と月天人より書状を預かり申した。ネコアオイ様と龍眼殿の両名で吟味すべし、とのことでございます」
「げってんびと?」
ネコアオイと龍眼は顔を見合わせた。
■◇■
戦闘訓練を終えた桜童子は念話を受けた。
念話をかけてきたのは<フィジャイグ>本島に在住する【工房ハナノナ】の一員、きゃん=D=プリンスである。
「そっちはもう海で泳げるんじゃないのかい」
桜童子が言うと(さすがにまだですね)という返事が帰ってきた。
「ウミトゥクやマヅル、カニハンディーンやクガニは元気かい」
(元気ですよ。クガニは【工房】に入りたがっていたのでずいぶん落ち込んでいましたが。そのクガニも、今は忙しくって落ち込む暇もないと思いますよ)
桜童子はクガニの顔を思い出す。大きくつぶらな瞳に褐色の肌、そして肉垂という赤い突起器官がのど元で揺れるのが印象的だった。彼女は<ウフソーリング>と呼ばれる種族の娘で、その地の風水師に習ったので<神祇官>の技を多少覚えている。物事の記憶に著しい難題をもつ種族であるので、よほどの才能と努力があったのだろう。<冒険者>の間で生かしたいという思いもあったに違いない。
それでも彼女を加入させなかったのには理由がある。
年が改まる前辺りから<アロジェーヌ17>を中心とした<テルクミ攻略>がはじまった。<アロジェーヌ17>は【工房ハナノナ】にとても関わりの深いギルドである。
戦闘能力の高い彼らは、一時的ではあるが攻略に成功した。
このときたくさんのドロップ品とともに手に入れたのが、「フィジャイグに覇を唱える権利」なるものであった。攻略隊のリーダーであるフルオリンは、この権利を「サブ職業を<〇〇王>にできる権利」だと考え、仲間が思案している間に安易に取得してしまった。
それまで<セクシーメイド>なるまったくどうでもよいサブ職だったものだから、<〇〇王>と名乗れるならかっこいいなくらいにしか思っていなかったに違いない。
彼女が<波路厳王>を名乗ると事態は一変した。
鎮圧されたはずの亡霊武者たちが、呪いの言葉を呻き始めた。「数ヶ月の後、怨嗟の念をかき集めて復活し、貴様の支配する領土を灰燼と帰さしめん」と言うのだ。
砦を占領するエネミーを排除するというクエストから、国力を高め、防衛ラインを形成し、領土を守護するというクエストへと進展してしまったのである。
きっと拡張パック<ノウアスフィアの開墾>で用意されていたイベントなのだろう。
フルオリンは一介のレイダーにすぎない。圧倒的なセンスで戦線を維持することは得意だが、国づくりや国防に関することはからきし苦手である。だが残念ながら、彼女が腰をくねくねして嫌がろうと、王の名を捨てようと、次の事態ははじまってしまったのだ。
そして泣きついたのが彼女の所属する<パンナイル>の<軍師>龍眼である。龍眼にしても面倒なことになったと考えたにちがいない。そこで頼ったのが<フィジャイグ>に渡航経験のある【工房ハナノナ】だったのである。
泣いて嫌がるフルオリンの代わりに桜童子が組織を立ちあげることになってしまった。それが<機動戦線アマワリ>である。
一応、名目上のトップは波路厳王フルオリンである。
実質上のトップにおいたのが、ウミトゥクである。マヅルと協力して組織の拡大を図らせている。まだ味覚革命が起きたばかりの<フィジャイグ>において、カニハンディーンの料理は有力な勧誘手段だ。そして、<冒険者>のような能力をもつクガニの存在は、組織の強化につながる。
遠回りな説明となってしまったが、クガニを【工房ハナノナ】に入れなかったのは<機動戦線アマワリ>の重要職におくためなのである。
「ジュリはどうしてる?」
(新婚さんですからね。いつ見てもアキジャミヨ君と手をつないでいますよ)
ジュリは【工房ハナノナ】の奥の手とも言える存在である。ジュリは<大地人>であるが、その身のうちには<冒険者>の体力と<第三の存在>の精神を隠している。
きっと身体の中に無理が生じているのだろう。時おり<第三の存在>が目を覚ます。
場合によっては<第三の存在>が何か喋ったのをジュリ自身が覚えていて、定期的にきゃん=Dに伝えている。そのほとんどは意味不明である。アキジャミヨも聞いているはずなのだが、彼はそれをほぼすべて忘れてしまうのでまったくもって意味ある情報を伝えてもらえない。
(ただ、ここ最近繰り返していう言葉があるらしいですよ。「つき」、「しょうかん」、「てんさい」の三つが頻出ワードですね。あとは、「なかま」と「近づいている」が次によく出る言葉だそうです)
「<召喚の典災>か」
<召喚術師>であり、数体の<典災>との遭遇経験のある桜童子にとっては変換が容易だったようだ。
ジュリを追って<典災>が襲いに来たことがある。話に出てくる「仲間」が<典災>の敵であり、【工房】の、ひいては人類の味方になってくれることを祈るのみだ。
桜童子は頬の当たりをポンポンと叩きながら考えた。
「それにしても、月ってなんだ」
■◇■
Hello,world! 出力は上々でも気分は上々とは限らないものだ。とはいえ、最近私の中で大流行している手紙なんか書いていると、少しは気も紛れるかもしれない。
改めて新たな友人諸君! はじめまして。私はロエ2。厄介な体質をしているので、その根源であるサブ職業の離職クエストのため<イコマ>を目指して旅するものだ。元々は月にいたのだが、ここは日差しが強すぎる。<吸血鬼>にとってそれは辛いことなのだよ。
そんな私がなぜ<トオノミ>の地で、あなたたちの父であり上司であるパンナイル公に出会ったか少し語っておこう。彼は命の恩人だ。
<イコマ>についた私は、離職クエストの鍵となる人物が<ヨシノ>と呼ばれる地にいることを知る。そこにたどり着くと今度は<桜迷宮>というダンジョンに行けと言われる。こういうのをあなたたちの言葉で「タライ回し」と言うのだろう?
タライ回し―――、いいなあ、ワクワクする響きだ。
私はそこでイツナリ姫という幼女に出会う。彼女は見た目の割りに高齢だというので、私は私を「お姉さん」と呼ばせるかひどく苦悩した。だが、大福という食べ物を彼女に渡すと、自ら「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。
そう、私は「お姉ちゃん」になったのだ。その迷宮には彼女を狙うものがいた。私はお姉ちゃんなので、その刺客から彼女を守ろうとした。正確に記すと、全くの無警戒であったので私は不意打ちを食らい、遠く離れた場所へ放逐されてしまったのだ。
宝石色に輝く海の中に浮かぶ島、<ホーンナイル>。そこから引き返すため、私は長い長い橋を走って渡った。よほど焦っていたのだろう。日光に晒され私は衰弱して倒れてしまった。そこに行き合わせたのがパンナイル公というわけだ。
命の恩人の子のあなたたちは、私から見たら兄や姉にあたると言えるだろう。私は兄や姉に敬意を払い、警告するために筆をとった。
私を放逐した敵は<刃の典災マスカルウィン>。この<典災>という名を覚えておいて損はないだろう。マスカルウィンは私が倒すつもりだが、他の<典災>はあなたたちの行く手を阻むかもしれない。
彼らも私と同じで月からやってきた。ある意味においては同種の存在なのだ。ただし、私とは役割が違う。彼らはあなたたちの<共感子>を奪いにくるだろう。
だが、あなたたちのいずれかは倫理規定上ランク3に相当する疑いがある。そうなるとこの資源はあなたたちのものであり、奪われるべきものではないということになる。それをこれから明らかにしていくつもりだ。そのため、私は南の地<ジャクセア>を目指す。
南方には<摂理地平線の原則>と身体一つで戦っている仲間がいるというのも聞いている。近くにいったらぜひ会いたいものだ。
ともあれ、私はお姉ちゃんとしてマスカルウィンを討伐しなければならない。あなたたちともいつか出会えたらと思う。あなたたちの未来に平和があるように願う。