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002 ギエンの大地人

安穏とした空気が漂う中、ジリジリとした日差しに次の季節の到来を予感させるのが<サンライスフィルド>の春である。

南国な上、山に囲まれた盆地であるため、季節の進行が少し早いのだ。


花が散り始めると<ナインテイル自治領>では人々は衣を明るいものに着替え、上着を一枚脱ぐ。それだけ気温が高くなる。日が落ちると気温がぐっと下がるので、日中活動する<大地人>にその傾向は強い。


「もう夏が来そうだなんて、<ミナミ>にいらっしゃった先生は驚かれたでしょうのう」


ぼくに話しかけてきたのは、ロセという<大地人>の老人である。彼はこの<サンライスフィルド>に私学校<ギエン>を建てた人物である。

「ええ、短い春なのですね。ですが、いろいろな花が咲き誇っていて心は踊ります。やっぱり春なんですよ」

「さすが<小説家>の先生は風流なことを仰る」


ぼくは照れ隠しに微笑んだ。

ぼくの名前は浮立舞華。<サンライスフィルド>に住む<冒険者>だ。といってもこの地に暮らしはじめてからまだひと月にも満たない。


そんなぼくがこの<ギエン>に講師として招かれたのは【工房ハナノナ】としての信頼が大きいだろう。<サンライスフィルド>に拠点を置く<冒険者>集団【工房ハナノナ】は、これまでこの地に暮らす<大地人>の信頼を築いてきた。


MMORPG<エルダーテイル>をプレイしていたプレイヤーがゲーム世界に酷似した異世界に転移するという異常事態、<大災害>からもうすぐ一年が経とうとしている。

<大災害>に巻き込まれたのは日本だけでも三万人に及ぶのではないかと言われている。

ぼくたちは<冒険者>として新しい肉体と環境を手にしたが、うまく適応できたものもいればそうでないものもいた。


【工房ハナノナ】はいち早く環境に適応した集団だ。それを可能にしたのはある種の覚悟であったのかもしれない。この世界と向き合う覚悟だ。その覚悟が【工房】の安定をもたらし、地域の信頼につながったとみるべきだろう。


リーダー桜童子は重傷と呼ぶほどの傷を負いながらも、ぼくを【工房ハナノナ】に入れてくれた。でも、ぼくは【工房ハナノナ】の本拠地<P―エリュシオン>を離れ、この<ギエン>に起き伏ししている。けっして【工房】の居心地が悪かったからではない。


ぼくも覚悟を決めた証がほしかったのだ。必要なのは、ジョングルールとしての旅と正反対で同じ大きさのベクトルの覚悟。心の鎧を脱ぐ覚悟。


だからぼくは<ギエン>の西棟に住むことにした。

<ギエン>では中央にある小さな庵で講義が行われる。東に男子塾生の暮らすための寮やロセが思索に耽ったり昇級を決定したりするのに用いる楼がある。道を挟んだ西棟は女子寮だ。

まだ塾生には女の子は二人しかいないので、三人での共同生活はなかなか快適だ。


あれ? 読者のみなさん、ひょっとしてぼくを男子だと思ってません?

元の世界でおぎゃーと泣いてたころから女子ですよ。ただ、女子高だったから恋愛対象から男子が除外されてたってだけの話。ぼくのことはいいから、もうちょい【工房ハナノナ】周辺と<ギエン>周辺のこと語らせてください。


【工房ハナノナ】は新メンバー加入のため、<アオウゼ廃墟>を買い取ってギルドハウスを建設することにした。この土地をもっていたのがロセである。ロセの一族は水路建設に秀でていて、裕福であった。各所に資金提供を行うことで、その見返りとして土地をもつことが許されていたのだという。


当初は、ロセの要望で<アオウゼ廃墟>跡に学習施設を作る予定だった。講師である【工房ハナノナ】のメンバーと学ぶ意欲をもった<大地人>が共同生活を送ることで、質の良い学習環境を作れると考えたのかもしれない。


<アオウゼ廃墟>跡に、イタドリちゃんとディルウィードくんが戻ることになったのでこの話は無しになった。二人は元の地球世界に戻ったら結婚する約束まで交わしたらしい。ただでさえ軋轢が考えられる<冒険者>と<大地人>の共同生活に、半ば新婚のカップルまでいるのであっては、到底学習環境と呼ぶにはほど遠い。


そこで、ロセは<アオウゼ廃墟>の売り上げを<ギエン>の建設資金に回した。建設には【工房ハナノナ】をはじめ地域の<冒険者>も参加したので、瞬く間に<ギエン>は整備され、その週には開校した。その学習スタイルは<ギエン>の前身である<イリン>ですでに確立していたようである。


さらに<冒険者>の技術を積極的に取り入れるために、講師を【工房ハナノナ】から呼んでいる。日替わりで講師にあたるのだが、彼らは人材の宝庫だ。


特に<画家>桜童子にゃあさんや<刀匠>シモクレンさんの授業は好評だ。さすがリーダー、サブリーダーといったところか。

バジルさんの<楽器職人>も<木工職人>の上位派生職なので需要があるのだが、本人が教えるには向かない気質なのが残念なところだ。


ハギさんは<巫術師>でこれも需要があるのだが、実習中の事故も想定されるので、新建設された<アオウゼ―F>の特殊工作室での講義が来週あたりあるそうだ。


あざみちゃんの<武侠>は特殊すぎるので、体力作りの一環としてコーチにあたってもらうことになったのだが、その日彼女は何らかのスイッチが入っていたらしく、そこら辺にある木切れで二千本の素振りをさせられた。「お前らよくやったー!」と涙を流して塾生をハグしてまわっていたが、<冒険者>のぼくでもしばらく肩があがらなかった。


サクラリアちゃんの<細工師>も大人気の講義なのだが、あざみちゃんの特訓の後だったので、手が震えて何も作り上げられなかった。その中で唯一作品を仕上げたのが、トキマサという少年だった。一本のワイヤーから巧みにカエルの置物を仕立てあげたのである。


トキマサ=ホークスアイ=イイツという少年はリーダーさんの講義でも早々に課題を完成させ、花の写生に取り組んでいた。序盤の練習で仕上がらなかったのが満足いかなかったのか、最後まで熱心に続けていた。


リーダーさんに聞いても「彼は面白い」とトキマサのことを評価していた。トキマサは鷹の襖絵を自由課題として完成させ飛び級が決まった。飛び級の褒美としてロセの要望でトキマサに「ホークスアイ」の二つ名を贈ったのもリーダーさんである。


そのトキマサとぼくは水汲み場でばったり顔をあわせた。


「おはようございます。舞華先生」

こう見えてぼくも人気講師のひとりなので、できるだけ上品に見えるように挨拶を返した。ハイ、言い過ぎました。ただ寝ぼけた顔を見られたのが恥ずかしくて取り繕ってみただけだ。


「おはよう、トキマサくん」

もっとも、ぼくはトキマサの水桶よりも重い水瓶を両手に一個ずつ捧げもっているのだから化け物としか思われていないかもしれないが。だってしょうがないじゃないか、ぼく<冒険者>だもん。


「先生の講義面白かったです」

「え! そう? ふふ、ありがとう」

桶に水を汲み入れながら、トキマサは言った。社交辞令だろうが、実はすごく嬉しかった。

「次の試験は昇級が決まっているんでしょ。余裕をもって聞いてくれたからじゃないかな」

「本当に先生の授業はワクワクします。でも、暗誦が苦手なのでその次は落第が決まっています」


トキマサが暗い表情を作ったのでぼくは何とか励まそうとした。

「量質転化って言葉知ってる?」

「いえ」

「質の変化をおこすには一定の量をこなさなければならないこと。覚えられないなら毎日百回は読みなさいってこと」

「百回、ですか」


トキマサが目を丸くしたので、補足説明をする。

「人によって変化の起こる量は違うのよ。一回で出来る人もいれば、百回かかる人もいる。あざみちゃんなんか天才だからね、大概のことは一発でできちゃうの。でもああ見えて、この間やった素振りあるでしょ、あれ、毎日一万本やってるの。そういう下積みって変化を起こすのに大事なの」

「ふうん」

トキマサは何か考えたようだ。その後、トキマサは頭を下げた。

「あ、朝からごめん」

「いえ、勉強になります」

もう少しだけぼくはトキマサを引き止めた。


「トキマサくんは、絵の道にすすむの?」

「分かりません。ただ、ぼくらは継ぐ家もない。だから<ギエン>の存在はありがたいんです。学べて、飯が食えて、屋根がある。何になれるかは分かりませんが、今はここから追い出されないようにすることに必死なんです」

<ギエン>の塾生が非常に熱心に学ぶのには、そうした事情もあるようだ。


「青田買いしとこうかな。トキマサくん、<画家>になったら、ぼくの文に挿絵つけてよ」

「はは、考えときます」

トキマサは重そうに水を運びはじめた。

とても清々しい朝のことだった。ぼくらは、この平和な朝がいつまでも続くと思っていた。




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