001 静かな台地の森の陰から
木の軋む音がする。
「ユイくん。そっちに行った!」
<妖術師>デルウィードは杖を構えて叫ぶ。
「わかってる、ディル兄!」
<武闘家>ユイは振り返る。背後には誰もいない。
「上か!」
ユイがトンファーを振り上げると、鋭い音と激しい衝撃が走る。上から降ってきたのは人型の美しきエネミーだった。トンファーで何とか爪の攻撃は逸らすことができたが、ざっくりと腕の皮が裂けている。
「イイ・反応・ダ」
地面に這うように着地した<羅刹>は、一瞬の間もなく足を刈るように蹴りを放つ。
ユイは後方に宙返りして躱す。
鋼で編んだような強靭な筋肉をしならせて、<羅刹>は地を叩く。その瞬間<羅刹>は宙を舞い、ユイの頭上にいた。
ユイはトンファーで蹴りを凌ぐ。
重力に反するような動きを筋力だけでやってのけるのが<羅刹>の戦闘スタイルだ。
「ディル兄!」
呼びかけとほぼ同時にディルウィードの<サーペントボルト>が<羅刹>に着弾する。
「まだだ、ユイくん!」
<羅刹>はディルウィードの<サーペントボルト>を右手だけで弾いてしまった。ディルウィードの叫びに反応してトンファーを振り抜く。そこにもう<羅刹>はいない。だが、ユイのあごの下に<羅刹>の赤銅色の足先があった。
「ぐうっ」
振り抜かれた蹴りではなかったから顎は砕けなかったが、ユイは大きく弾き飛ばされてしまった。
「サポート・ガ・遅イ」
ユイが宙に浮いている間に、ディルウィードめがけて<羅刹>が突進してくる。
ディルウィードは思考を巡らせる。移動阻害か、高速移動か。
素早く周囲に目を走らせる。その視野に桜童子が見える。桜童子は気でも失ったかのように、木にもたれて地面に座っている。その横には<ウンディーネ>が桜童子を看病するかのように寄り添っている。
前進だ。
<ルークスライダー>は障害物無視の移動術である。<羅刹>の鋭い蹴りを躱して、中央の広い場所に抜け出る。木を蹴って戻ってきたユイと背中合わせになる。
「甘イ」
二人は突然腰から下の重力を失ったような気分がした。視界を奪われたように、空の青さが急速に狭まっていく。何が起きたか気づいたのは地の底に強かに腰を打ちつけてからだ。
「お、落とし穴?」
<羅刹>は穴の淵に立つと、穴の底のふたりを見下ろした。
「チェックメイト。キズ・ノ・テアテ・シナ」
<羅刹>の横にシモクレンが並んで顔をのぞかせた。
「二人ともおつかれさん。お弁当の時間やで」
日差しの中にいるとずいぶんと暑いので木陰でおにぎりをほおばるユイ。
「ちょっと、治療中なんやから、右手動かさんといて」
「はいはい、もごもご。でもオレは食べれば治るよ、もごもご」
「なんよそれ、つばつけときゃ治るみたいな言い草」
シモクレンが<ヒール>をかけている間も、ユイは食べるのをやめようとしない。
「いつの間に、落とし穴なんて掘ったんすか」
「掘ってなんかねえよ。自然と開けたんだ」
ぬいぐるみ姿の桜童子は笑って言った。
「自然と開けるって矛盾してますね。早いとこ答え合わせしてください」
ディルウィードも笑う。
「まずおいらは<羅刹>に<ソウルポジェッション>で憑依した。本来、その状態じゃおいらに入った方の<羅刹>は簡単な命令しか答えられねえ。だが、<ルークィンジェ・ドロップス>のマナを使えば<ウンディーネ>を喚べるんだ。しかし<ウンディーネ>はさらに単純な命令しか聞けない。だから、ずっとひとつのことだけをさせていた。広いあの場所の下の地下水を大量に増やしていたんだ」
「ああ、シンクホールっすか!」
水の通り道が地下にできれば、そこには空間ができたのと同じだ。水があるうちは強度が保てるが、水が抜けてしまえば地下には空間ができる。そうすれば地表にはおそろしい丸い穴が開く。それがシンクホール現象だ。
「脆弱な土砂層の下に大量の水を流しておいてそれを抜く。あの場所は崩壊手前だったんだ。そこにおめえらを追い込めばおいらの勝ちってわけだ」
「どうやってそこに追い込まれたかがわかんねえっす」
「だから言ったじゃねえか、ディル。サポートが遅いって。おめえがもう半歩分早く移動阻害が出来ていれば、まだ後の展開があったんだ。だが、もうあのタイミングじゃ移動阻害は間に合わない。冷静に<フィジャイグ>での修行を思い出して、体術使えばまだそれでも展開を変えることはできたんだぞー」
桜童子もおにぎりをほおばった。
「いくら綺麗な女羅刹でも、あの勢いで来られたら猛獣っすよ。それに中身リーダーですからね。恐ろしくって足止めて立ち向かうなんて出来ませんよ」
「そうなると、おめえは<ルークスライダー>を使う。だが、<大災害>直後、それで後ろにすっ飛んで死にかけた事あったろ。だから斜め後方においらの抜け殻がいたから警戒して前に出た」
「<キャッスリング>されたら背後取られますからね」
「うーん、それは考えすぎだ。あっちの体に入ったまま<キャッスリング>する方法をおいらはまだ見つけてねえ。ともかくおめえは、サポートの遅れによりあの位置に飛び出さざるを得なくなった」
「なあなあ、うさぎのあんちゃん。オレもどうしてあの穴に落ちたんだ?」
ユイは聞いた。桜童子は楽しそうに笑った。
「おめえの場合はもっと簡単だ。できるだけ遠くに飛ばしておくだろ。それでディルに攻撃を始める。するとできるだけ早く戻ろうとする」
「まあね、仲間は見捨てられないからな!」
「だからおめえは戻ってくるだろ。おいらとディルの間に、最短距離で」
「ぐああ、あんちゃんの立ち位置でオレの戻るところは決まってしまうのかー」
桜童子は微笑んだ。
「まだまだお前ぇたちは伸び代が大きい。レベルなんて気にせず、今必死に学ぶんだ。何が役に立つかなんて気にすることはねえ。レベル上げは背を伸ばすってイメージだけど、学んだことは密度を高めるためにやってるって思いなよ。今になって思うぜ、もっと学んでりゃあなと。おいらなんてあの地面みてぇにスッカスカだよ」
「にゃあちゃんはスカスカやのうて、ふわふわやけどな」
シモクレンも微笑む。
「ディル兄ちゃん、飯食ったらもっかい戦おうぜ」
「ああ、<機工師の卵>たちも呼ぶよ。ドリィさんもね。いろんな連携のパターン考えたいよね」
「ちょっと待て。お前ぇら、おいらひとり相手に寄ってたかって戦おうと思ってんじゃねえだろうな。<火雷天神>呼ぶぞ」
「それいいっすねえ」
「おいおい」
「さあ、うさぎのあんちゃん。もっかいやろー!」
「ちょい待ち! まだ治療中! もー、この子たちは随分成長した思うたんに、ほんまにやんちゃ坊主なんやから」
「これからはこいつらがこの世界を担っていくんだ。頼もしいこったよ」
桜童子には予感じみたものがあったのかもしれない。
決して今の安泰が未来において保障されているものではないことを。
このひと時が激動の前の静けさでしかないことを。
「もぅ、逆ににゃあちゃんったら隠居じみてからに」
「いやいや、おいらもまだ現役だってとこ見せてやろうじゃないの。まだまだ暴れるぜ。せっかく<幻獣>タグもちのはぐれ<羅刹>と契約できたんだからなー」
「まったく、いくつになってもやんちゃ坊主ってことね」
シモクレンは肩をすくめて笑った。