5-偽友
それから学園に行こうと思ったのはどれくらい時間が経過した後だろうか。
気付けばすでに一限目が終わろうとしていた。
昨日に続いて遅刻か。
もっとも昨日は学校に着いた記憶すらなかったわけだが。
靴箱に着くと自然と昨日割った窓ガラスの方に視線が動いた。
「あの教室だったよな……」
視線の先にある教室は昨日の戦いなど嘘のように元通りだ。
博人の能力がそうさせたのか。
思えば特殊なフィールドでの戦いだった。
漫画のような修復機能があってもおかしくはない。
そもそも博人の能力はその漫画の主人公とも呼べる能力だったのだから。
気を取り直して自分のクラスへと向かった俺はその異変に気が付いた。
なんだ……?
教室の空気が重たい。
まるでいつもの元気がなくなったみたいだ。
「あ、おはよう深月君。今日も遅刻だね」
そう言って声をかけてきたのは春野だった。
彼女もどことなく表情に元気がなかった。
「ああ、おはよう」
適当に挨拶を返しつつ俺は自分の席へと向かおうとした。
「やあ、深月君」
「―――っ」
ようやく聞き慣れた声。
ユリノと同じ非現実の存在――『一秀司』。
無関係になったはずのその男がなぜか俺に近づいてきた。
「今日も遅刻かい? 感心しないね」
「ああ、悪い。ちょっと用事があってな」
「用事ってその髪のことかい? 確かに学生で染めるのはどうかと思ってたけど……」
その言葉にようやく俺は目にかかる髪が黒色に戻っていたことに気付いた。
まさかユリノが俺から離れたからか?
その可能性は十分にありえそうだ。
「ああ。昨日先生からも注意されていたし元に戻そうと思ってな」
「……そうか。うん。黒い方が君に似合っているよ。もう髪なんて染めない方がいい」
「ああ。そうするよ。俺もどうかしてたみたいだ」
訝しんだ顔から一変して明るい表情をみせると一は手を差し出してきた。
「? なんだ?」
いきなり手なんて向けてきて……握手でもするつもりなのか?
「突然すまない。深月君には突然何をされたのか全然わからないよね。これは……そうだね。僕なりの謝罪と誠意の現れなんだ」
「は? 謝罪と誠意?」
「ああ。僕は君という人間を少し疑っていた。――平気で遅刻はする。髪は染める。正直に言ってとても不真面目な人間だと思っていたんだよ。けど僕のその認識はどうやら間違っていたみたいだ。だからこその謝罪であり、これからも仲良くしようという誠意の現れだ」
どうやら一は見た目通りの堅苦しいヤツのようだ。
けど異能だとかそんな非現実のことを除けばそれなりにいいヤツだとは思う。
「ちょっと堅苦しい性格なんだな」
「直接そう言われたのは君が二度目かな。けどはっきりと言う性格は嫌いじゃないよ」
「そいつはどうも」
今朝方その性格のせいで一人の女の子を傷つけてしまったわけだが……。
嫌な思考を振り払うように一の手をとったところで二限目の予鈴が鳴った。
ようやく午前の授業が終わったところで俺は隣の席に目を向けた。
やっぱり来てないのか。
空席の椅子に嫌な想像ばかり浮かんでしまう。
もしかしたら俺とユリノは取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
この空気の重たさはどう考えても博人の不在に影響しているとしか思えなかった。
博人がこの学園の平和を守っていたというなら俺たちは文字通りその平穏を壊した悪者に他ならない。
主人公のいない学園はこんなにも空虚なんだな…………。
知らずに出たため息をすぐ側まで来ていた一が聞き取った。
「央中君のことが心配なのかい?」
「ああ――って一?」
「昼休みだっていうのに購買に行かない理由はひょっとしてお弁当かい?」
困った表情を浮かべながら聞いてきた一の手元にはコンビニのビニール袋が握られていた。
「いや。俺は購買だ」
「そうなのか。なら一緒に食べないかい?」
ぶら下げた袋を掲げながら廊下に視線を向ける一。
「いや。どうして野郎と二人で食わなきゃいけないんだよ」
「頼むよ。どうも昨日からやけに周囲の女の子の視線を感じるんだ。このままじゃとてもじゃないけど落ち着いて食べられそうにない。だから助けると思って」
なるほど。うらやましい悩みをお持ちの転校生だ。
そういうのはこれまですべて博人の――。
――っ。
何を考えているんだ俺は。
もうすべて終わったことだ。それにきっと博人も二、三日もすればいつも通り教室に戻ってくるだろう。
「仕方ない。別にいいぜ。付き合うよ」
「本当か? 助かったよ。ありがとう、陽斗」
「べつに気にするな……秀司」
何が嬉しいのか笑顔を浮かべる――――秀司を連れてひとまずは購買に向かった。
パンとジュースを抱えたところで秀司がおもむろに切り出した。
「せっかくだし屋上でどうかな? この時期は人が少ないって聞くけど」
そこまでしてゆっくりとご飯が食べたいのか。
俺としては昨日のことを思い出しそうだからできれば他のところがいいんだが……。
「バカ言うな。この時期はくそ熱いから誰も屋上なんて行きたがらないんだよ。それに一階のここから屋上に向かうのも時間がかかる。別に中庭でもゆっくり食えるだろ」
「…………それもそうだね。うん。陽斗の言う通りだ」
肩をすくめて苦笑いを浮かべる秀司を置いて俺は先に中庭の日が当たらない場所に胡坐をかいた。
すぐに秀司がその横に腰を落ち着けると袋の中から弁当とお茶を取り出す。
二人そろって「いただきます」といって暫く無言でお互いの箸を進める。
「そう言えば……」
お茶に手をつけたところで秀司が口を開いた。
「ん、なんだよ」
「央中君のことは本当に残念だったね」
「博人が? 何が残念だって言うんだよ」
「突然転校したことだよ」
――は?
博人が転校?
どうして。
いや。そんなことは分かりきってるだろ。
俺たちのせいだ。
「なんで突然……」
無関係を装えたことは奇跡に近かった。
「彼の転校の理由を僕に聞かれても困るよ。僕も今日知ったばかりだからね」
困ったように頬を掻く秀司を前に俺は拳を握り締めた。
ユリノの言っていたことが脳裏を過る。
――――もう、無関係じゃない。
本当に俺が変えてしまったんだ。平和だった学園をこんなにも寂しい場所に。
教室に帰って気付いたことがあった。
まず博人に魅了されていた大勢のクラスメイトの博人に対する意識が真逆のように変わっていた。
まるで空気のような扱いぶりだ。博人の転校についても何も思わない。
そして演劇もバーベキューへと変わっていた。
これも今朝もう一度投票をやり直した結果だそうだ。
もともと真っ二つに分かれていた意見はそのまま。ただ俺と博人の票がなくなった結果バーベキューになったそうだ。
そして放課後――。
「ねえ。深月君、大丈夫?」
「ああ。春野か」
よほど顔色がひどかったのか心配そうな視線を春野に向けられた。
いや、顔色が悪いのはお互い様か。
「博人のことでちょっとな」
「やっぱり深月君も?」
やっぱりって何がだ?
「そうだよね。博人に進められたっていう銀髪も戻しちゃうくらいだし、みんなとおんなじで博人のことどうでもよくなっちゃったんだね?」
「――春野!?」
他の連中とは違う。
間違いなく春野は博人に好意を向け続けている。
「やっぱり昨日からおかしいよ、みんな。転校生が来て浮いちゃう気持ちはわかるけど、それでも! それよりもずっと一緒に頑張ってきた博人が転校したっていうのにみんな薄情すぎるよ」
違う。
みんな元に戻っただけだ。
だが、春野だけが能力に縛られているなんておかしい。
ならそれは能力に仕向けられたことじゃなくて彼女本来の――。
不意に泣きそうになる気持ちをグッと堪えて春野の話に耳を傾ける。
聞くほどに彼女がどれほど博人に好意を向けているかがわかってくる。
それは俺が壊したものであり、けどしっかりと残っていたものだ。
――――あったんだ。
偽りの平和だったかもしれない。けど、偽りの中にも確かに本物の気持ちはあったんだ。
博人、お前はやっぱりこの学園の……いや、春野のためだけの主人公だ。それだけは嘘じゃない。
「――大丈夫だ。春野がそこまで思ってくれていたんだ。アイツもきっと喜んでくれるはずだ」
確証のない確信。
でも彼女のこの気持ちこそ博人の守りたかったものに他ならない。
俺は春野に背を向ける。
一刻も早く春野の想いをもうこの場所にいない主人公に聞かせてやりたい一心で俺は屋上へと足を運んだ。
屋上は一言で言うとヒドイ有様だった。
折れ曲がったフェンスにひび割れたアスファルト。粉々になった用具入れ。それに大量の血痕。
その惨状は昨日の戦闘痕をくっきりと残していた。
「どうしてここだけ?」
それは些末な問題かもしれない。
むしろ、この傷跡があるからこそ昨日のことが夢じゃないと断言できる。
「博人。お前の守りたかったものはちゃんと守れているよ。お前はやっぱり『主人公』だ」
似つかわしくないレクイエムかもしれない。
けど俺の手で壊してしまったものだ。これくらいは言っておきたかった。
立ち去ろうと振り返った瞬間、厳しい表情を浮かべた秀司が扉を背に鋭い視線を俺に向けていた――――。
「最後まで信じていたかったよ、陽斗」
「秀司……」
どうして秀司がここにいるのか、なんとなくわかった気がした。
そして俺がもう逃げられないということも。
「校舎の修理は秀司のお仲間がしたのか?」
ならもういっそ開き直ってしまえ。
博人が守ろうとしたものを俺が少しでも背負うために。
現実から逃げないために。
「その問いかけができるということはやっぱり君は《ロストシルバー》の仲間なんだね」
「ロスト? ユリノことか? 悪いがもう知らねえよ」
「彼女はユリノと言うんだね。でも本当に驚いたよ」
「確証はなかったのか?」
「今この瞬間まではね。君の髪の色もそして言動もすべて央中君の異能の支配下にあったなら説明がつく。実際にこの場所に訪れて君の変化を見るまでは疑いたくすらなかった。君とはいい友人になれると信じていたからこそだよ」
なるほど。ユリノと離れ離れになれたのは不幸中の幸いだったのか。
もっとも昨日俺がクラスメイトに電話をかけた時点でそいつが口を滑らせれば正体はばれていただろうけど。
「俺は一応は友達だと思ってるぜ」
「嬉しいよ。けどその関係も君次第だ。僕の質問に正直に答えてほしい。彼女――ユリノ君はどこにいる?」
「知らねえよ。今朝別れたっきりだ。どこに行ったかなんてわからねえ」
「…………そうか。なら大人しく僕たちのところに来てくれるつもりはないかい?」
「どうして――――って聞くまでもないよな」
吐き捨てるように言った言葉に秀司は首を横に振る。
「勘違いしないでほしい。僕は君を助けたいだけだ。君がユリノ君にただ利用されてきただけなら彼女の手から君を守る。君が何かを理由に脅迫されているなら僕が彼女から君とその大切な人を救う。だから――」
「一つだけ教えて欲しい」
「? なんだい?」
「博人は――博人がどうなったのか知っているのか?」
「彼? 捕まえたよ。能力者だったからね。あのまま放置していたらきっと大変なことになっていた。それこそこの学園だけじゃなくこの町一帯に大きな被害を及ぼしていたかもしれない。《ロストシルバー》を探す一環で能力者を一人捉えることができたのは運が良かったよ」
そうか。
博人はコイツが……。
なら俺がとるべき答えは一つだけだ。
「断る」
「どうして? 君はただ巻き込まれただけに見えたけど?」
「ああ。確かに俺は巻き込まれた。何もない平和な日常に戻りたいとも思っているよ」
「なら――」
「けど、違う。巻き込まれはしたがそれは俺の意志だ。俺はユリノを助けたいと思った。ただそれだけだ。それに秀司、俺も博人と同じ能力者なんだぜ」
秀司が僅かに目を見開く。
頭を横に振るとそこにはさっきまでの優しい表情は消えていた。
まるで機械のように感情を押し殺したような印象だ。
「そうか。それこそ信じたくなかったけど、残念だよ」
低く、怒りを滲ませた声が漏れる。
同時、秀司は制服のボタンを開け、懐から銃を取り出し突きつけた。
「なら、僕は君を捕える。それだけだ」
引き金に指がかけられる。
あの夜と同じだ。
ただ目の前の死に脅えることしか出来なかった。
今もそうだ。
なにも出来ない。何も変わらない。
――――いや、違うか。今は助けたいと思った女の子すらいないんだ。
せめて一言謝っておきたかった。
「ユリノ、ごめんな」
「言いたいことはそれだけか? なら、さよならだ」
秀司の手元にあった銃の引き金が引かれる寸前、その衝撃を覚悟して瞼をきつく閉じる。
パンという発砲音と共に体が吹き飛ばされた――真横に。
「え?」
地面に叩きつけられながら俺は予想外の人物の登場に言葉をなくした。
白銀の髪に燃えるような真紅の瞳。新雪のよう綺麗な肌に並外れて整った容姿の少女は今朝貸したジャージに身を包んでいた。
「ゆ、ユリノ…………?」
「お前はただ案山子のように的になるしか能がないのか? このバカ」
再会の一言は実にユリノらしかった。