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コード・エラー  作者: 松秋葉夏
ロストシルバー
7/14

3-主役

 え? どこだ、ここ?

 最初に目にしたのは見覚えのある机。

 でも家のじゃない。

 座っている椅子も木製の椅子だ。

 ならここは学校か?

 俺はいつ家を出たんだっけ?

 洗面所の鏡の前で自分の髪を見た当たりからの記憶があいまいだ。

 家を出た記憶すらない始末である。

「だ、大丈夫かい?」

「え?」

 俺はすぐ側で聞こえた声に顔を上げる。

 見たことのない人だ。

 誰だ?

「あ、ああ。大丈夫だ。それで……」

 あたりさわりのない言葉を選び、まったく記憶にない先ほどの会話を聞きだそうと俺は口を濁らせる。

「うん。この校章は君のだったかい?」

 その人の手の平に転がっていた校章に目を落とす。

 なるほど。さっきまで校章の話をしていたのか。

 たしか朝方にはなくしていたことに気付いていたし、何処でなくしたのかも覚えてはいないが……。

 ――『答え………な!』

 え? なんだ、今の?

 随分と遠くから聞こえたような……それでいてすぐ側で聞こえたような感覚だった。

 とにかく切羽詰まったような少女の声。それもどこかで聞いたような……。

「……たぶん、違うんじゃねーかな?」

 俺は自然と否定の言葉を口にしていた。

 見ず知らずの……それこそ初対面の人から手渡されるものを受け取るのに躊躇ったのかもしれない。

 ――――いや。違う。

 どうしてか受け取ってはいけない気がしたのだ。

「それで、えーっと……」

 俺が言い淀んでいると思い出したように目の前の青年は笑みを浮かべる。

「そうだった。自己紹介の途中だったね。僕は一秀司。今日転校してきたんだ」

「へえ、そうなのか。けど、どうして俺だけに自己紹介を?」

「どうしてって君が昼休みに登校してきたからだろ。他のクラスメイトには始業前のHRで挨拶したさ」

「え? マジかよ!?」

 バッと教室の時計に目を向ける。確かに昼休みが始まっている時間帯だった。

 つまり俺は盛大に遅刻したってわけか……?

「いくら役作りのためとはいえ、髪を染めたり、遅刻するのは感心しないよ。髪はもう仕方ないとしてもせめて遅刻だけはしないようにしないと」

 そんなことを言ってくる一に俺はますます混乱した。

 役作り? なんだそれは?

 まったく身に覚えがない。

「ああ、気を付けるよ」

 とりあえずはごまかしておこう。役作りの件は多分、央中辺りが知っているだろうし後で聞けば問題ないはずだ。

「役作りと言えば僕も君と同じ小道具の係をやることになったんだけど、クラスの人から君が昨日買い出しを済ませた話を聞いてね。どんなものを買ったのか見せてほしいんだ」

「へえ、そうなのか」

 たしかに転校生にいきなり役やシナリオを担当させるのは無理がある。小道具辺りが無難だったのだろう。

 俺は机の横に視線を向ける。そこにあるのは鞄だけ。昨日買った小道具関係は一つも置いてなかった。

 おかしいな。自転車の籠に入れといたはずなんだが――。

「悪い、家に置き忘れてきたみたいだ」

 あとで央中と春野には謝っておかねーと。

「わかった。また手伝えることがあったら何でも言ってくれて構わないよ。僕もしばらくはどこかの部活に入る予定もないから時間があるしね」

「ああ、その時は頼むよ」

 互いの連絡先を交換した後、身をひるがえして自分の席へと向かう一の背中を見て俺は小さく安堵のため息を吐く。

「お疲れだね」

「え?」

 一を見送った瞬間に声をかけられてビクッと肩をすくませる。

 思わぬ人物から声をかけられて俺は目を見開いた。

「は、春野?」

「おはよ。今日は盛大な遅刻だったわね」

「う、気が付いたらこの時間だったんだよ……」

「まぁ、いいけどね。それよりも今日のHRすごかったんだから。主に一君が」

「へぇ。そうなのか?」

 春野は軽くため息を吐くとお手上げとばかりに腕を開け広げた。

「そう。なんせあのルックスでしょ。女子たちがすごい騒ぐわ、男子は無言の威圧やらで大変だったんだから。しかもすぐにファンクラブが出来たし……」

 しかめっ面を覗かせる春野に感じた違和感を俺はそのまま口にした。

「なにか嫌なことでもあったのか?」

 ファンクラブといえば既に央中のファンクラブがある噂も聞くくらいだし、今さら一つ、二つ出来たところで驚くようなことではないはずだ――多分。

 ……どうしてだろう。この現状に今は違和感を覚える。頭でも打ったのか?

「篠村さんよ」

「え?」

「だから、篠村さんが一君のファンクラブを発足した張本人なのよ!」

「はぁ? 篠村ってあの?」

 央中にベタ惚れしてて昨日も春野と寸劇まがいの告白タイムを繰り広げていたあの篠村雪菜が?

 ガツンと杭を打たれたような衝撃に頭を悩ませながらそれはないだろうと頭を振った。

「あ、あり得ないだろ……あの篠村だぜ? そう簡単に央中のことが諦められるとは思えねえ」

「私もそう思いたいわ。気に食わない人だけど、それでも博人に向ける気持ちは同じだって信じていたから」

「…………」

 女の子同士の関係――ましてや恋心などまったくわからないけど春野の口ぶりが、ライバルを失って意気消沈した瞳が、それが事実なのだと否応なく告げていた。

「それだけじゃないの。演劇の方もね、せっかくだから一君を主人公にしようって声があったの。役柄も昨日決まったばかりだし、まだ何もはじめてなかったらちょうどいいって……」

「央中はなんて言ってたんだ?」

「なにも。けど投票が行われる前に一君は出来ないって降りたの。それで配役は変わらずと言っていいのかな……博人が主人公で、ヒロインは私。あとはさっき聞いたんだけど深月君が主人公の親友って役柄だって」

「え? 俺に役があるって初耳なんだけど……」

「え? そうなの? その頭の髪染めも役柄に合わせてって聞いてるけど?」

 そういえばさっき一も言ってたな……役作りがどうとかって。

 それは演劇での役柄のことだったのか。

 それで俺は昨日の夜、さっそく髪を染めて――。

 いや、本当に俺は昨日髪を染めたのか?

 クラスのみんなも俺が髪を染めていることを気にしている様子はない。

 なら学校から了承を得た上で俺は髪を染めたはずだ。

 問題はないはずだ。ないはずなのに……。

 微かな違和感だけが胸を撫でる。

 そうだ。俺は――。

「深月君?」

「ん? ああ、悪い……春野?」

 悲しげな視線を送る少女に俺は不安を覚えた。

 まるで取り残されることを恐れるような……。

「お願い。深月君だけは変わらないでね」

 ――――ッ!

 バリンと何かが割れる感触。

 その一言が俺の心を覆っていた見えない壁を完全に消し飛ばす。

 手の届かなかった場所にようやく届いた。

 そうだ。変わったんだ。たった一夜で。全てが……。

 ザザザーとノイズの走っていた昨日の記憶が鮮明に蘇る。

 複数の覆面をした人間に白銀の少女。

 そうだ。その少女は今どこに……。

『遅い』

 え? 

 今どこから……。

『遅いと言ったんだ。このウスノロ。この状況では仕方ないにしろ早く気付け、バカ』

 この散々人を小ばかにした声、直接頭の中に響いてきやがる。

「誰がバカって?」

「え?」

 俺の一言に春野がポカンと口を開けた。

 あ。そういえば春野と話してたんだった。

「わ、悪い! ちょっと出てくる!」

「も、もうじき授業が始まるわよ!」

「それまでには戻るから」

 慌てて飛び出して俺は人目のない物置当然の空き教室へと逃げ込み頭を抑える。

「で、何なんだよ、あんたは……昨日の女の子なのか?」

『それくらい気付け』

 なんかムカつくな。

『それは同意見だ』

「は? あんた俺の心を……」

『もちろん覗けるぞ。今さっきようやく不安定だった経路が繋がったからな。お前の心なんぞ覗き放題だ』

「すぐ止めろ。プライバシーの侵害だろ!」

『私の所有物にプライバシーもなにもないだろ』

「勝手に人を物にするんじゃねえ」

『口答えするな』

 こ、コイツ……。

『ユリノだ』

「は?」

『私の名前だ。物にコイツなどと呼ばれたくないからな。お前には特別にユリノと呼ばせてやる』

 こ……。

『ユリノ』

 ――ユリノだな。わかったよ。

「で、ユリノは今どこから話しているんだよ。あとプライバシーどうこうじゃなく本当に心を覗くのは止めてくれ」

 なにも考えられなくなるから。

『それは困るな。お前には利用価値がある。所有物とはいえ仕方ない。今後は覗かないように注意してやる。感謝しろ』

「ああ、そうしてくれ」

『だが主に逆らうようなことがあれば容赦なく覗くぞ』

「しねーよ」

 所有物じゃないし。

「で、さっきの質問だ。ユリノはどこにいるんだ?」

『お前の体の中だ』

「は? 何かの冗談?」

『そんなわけないだろ。昨日私はお前に【私】という存在を割り込ませた。その結果二人の体が一つになったわけだな』

「意味がわかんねえよ」

 なに言っているのかまったく理解できない。

『思い出せ。お前は自分の気付かない内にこの学園に来ていただろ』

「あ、ああ」

 確かに俺は今日登校した記憶がまったくない。

 何時家を出たのかさえ覚えていないのだ。

『その時お前の体の主導権を握っていたのは私だ。私がここまでお前の体を運んだというわけだな』

「は、はあ!?」

 ちょっとまて。もしそれが本当なら――。

「……いや、ちょっと待て。本当にそんなことが可能なのか? ユリノが俺の中にいて、それで体を操るなんてことが」

『ふむ……』

 何かを考えるように押し黙るユリノ。

『お前、昨日のことをどこまで覚えている?』

「え? 昨日?」

『そうだ。私と出会った後のことだ』

 そう言われて俺は昨日のことを思い返す。

 さっきまでノイズがかかったように不明瞭だった昨晩の記憶。

 今ではそのほとんどがクリアに思い出せる。

 ――ユリノとキスしたことも含めて。

「たぶん、全部だ」

 キスとはっきり明言するのは流石に恥ずかしくて言いよどみながら答える。

 だが、

『はっきりしないヤツだな。どこまで覚えているかちゃんと言え』

 この暴君はどうやら許してくれそうにないらしい。

 俺は観念して頭を垂れた。

「その……き、き、キスしたところまでだよ」

 もう声が裏返ったのはこの際許してほしい。

『なんだ全部覚えているじゃないか。最初からそう言え』

 さっきそう言いましたよね!?

 あまりの身勝手ぶりにたまらず心の底で叫んでしまった。

 俺、絶対にこの子と相性最悪だよ。

『では私たちに襲いかかってきた連中も覚えているな』

「……ああ、覚えているよ」

 あれこれ考えても仕方ない。ユリノ問いかけにぶっきらぼうに頷いた。

 そういえば今思い返してみれば自分が殺されるかもしれない場面だっていうのにどうして俺は忘れていたんだろう。

『あいつらは私を――いや、私たちを殺しにきた連中だ』

「な、なんでだよ!」

 あの銃口を向けられた時の恐怖が蘇ってくる。

 底なしの闇にある絶望。死という絶対的な終り。

 あんなものできることなら一生味わいたくはなかった。

『お前は知らんだろうが、この世界には人の領域を超えた力がある。今お前と一つになった私の力もその内の一つだ。アイツらはこの力を【霊器】と呼んでいたな』

「れいき?」

『今は魔法とか異能とか思っておけばいい。とにかくそんな力が存在するとだけその何もない頭に叩き込め』

「わ、わかった」

『あいつらは霊器をもった人間を見つけ出して捕え、そしてその力を集めている連中だ。捕えるのは死体でも構わないらしいがな』

 苦虫を噛み潰したように呟くユリノに俺は口を閉じる。

 それがユリノの追われている理由なのだろう。

「ようするにそんな力をユリノが持っているから怪しい連中に付きまとわれるってことだよな」

『虫けら並みの頭にすればいい線だ。あながち間違ってはいないぞ』

 素直に褒めろよ。

「……ならさ、さっさとその力を解除して俺の中から出て行ってくれないか?」

『む?』

 わからないと言った抑揚でユリノの声が聞こえてきた。

「勝手に俺をユリノの事情に巻き込まないでくれって言ったんだよ。俺には関係ないだろ?」

『お前……』

 怒りを顕わにした声が頭に響くがそれを無視して続けた。

「だってそうだろ。昨日、偶然たまたまそこにいただけだ。俺には狙われる理由もなにもない。ユリノの言ったことがすべて本当だとしても俺には関係ない場所の出来事なんだよ!」

 言いたいことを言い切って大きく息を吐いた。

 漫画の主人公なら格好よく「俺が助けてやる」とでも言いそうな場面だが、生憎と俺はそんな自己犠牲的な性格の持ち主ではない。

 防げる火の粉は防いでおくに越したことはないのだ。

『もし、私が目の前にいたらお前に蹴りを入れてやるのに……まあ、いい。それは元に戻ったら実行してやる。その前にお前の間違いを三つ訂正してやる』

「え? 間違いって……」

『まず、一つ目だ。私は何度も関わるなと言った。それでも何も考えず首を突っ込んできたのはお前だ。言ったはずだ。これはお前の責任だと――』

「そ、それは……」

 こんな事態になるなんて予想もしていなかったのだ。

 ただ体調の悪そうな女の子を放っておけなかっただけで、こんな状況を望んでいたわけではない。

 もしこうなることを知っていれば……。

『二つ目だ』

 俺の葛藤を余所にユリノは続けた。

『さっき私たちと言っただろ。狙われているのは私だけではない。今はお前も狙われている』

「な、なんでだよ!?」

 その一言に俺は声を荒げていた。

 狙われる理由がまったく思い当たらないからだ。

『まず、私が連中から追われている理由は当然、霊器であることも関係しているだろうが大本は違う』

「……」

 俺は眉を寄せてユリノの話に耳を傾けた。

『私が狙われる理由は昨日、アイツらの施設から霊器の力を宿した因子を盗み出したからだ。それを私から奪いかえすためにあいつ等は私を探している――だがな、その因子は昨日お前の体に干渉したついでにお前にうちこんだんだ。つまりお前も因子保有者――つまり【霊器】というわけだ』

 ユリノの言葉をすぐには飲みこめず俺は数秒間黙りこんだ後、頭を抱えた。



「な、なんてことしてくれているんだよおぉぉ!」




 勝手に巻き込まれた挙句、あずかり知らぬ所でユリノと同じ追われる立場にされてしまったのだ。

 文句の一つや二つ……人生をめちゃくちゃにされたのだ。それだけでは足りないほどの憤りをぶつけても仕方なかった。

 当のユリノは俺の動揺などお構いなしときている。これもユリノの言う俺の責任だとしたらあまりにもあんまりだ。

『因子は本来一人につき一つが大原則だ。どちらにせよこの因子は誰かにうちこむ必要があった。むしろ私の下僕となれたことを喜べ』

 いったいこの状況で誰が喜べるのだろうか。

 いや、そんなことよりも!

「その霊器ってやつはどうやったら捨てられるんだ?」

『知らん。一度適合した霊器を取り除く方法なんて知るわけがないだろ。なにしろまだなぞの多い力だ。現に私も今、能力の解除が出来なくて困ってるくらいだぞ』

「マジかよ……ってちょっと待て! 能力が解除できないって……」

『ああ、何が原因かは知らんが干渉したお前から離れられなくなっている。こんなことは初めてだ』

「おいおい……」

 なんだろう。もう俺ではどうしようもない事態まで話が進んでいる気がしてならない。

『それが私たちが狙われる理由だ。理解したか?』

「……ああもう! わかったよ!」

 こういう時はさっさと受け入れた方が理性を保ちやすい。

 中学の卒業式で好きな子に告白して振られた時もそうやって持ち堪えたのだから大丈夫なはずだ。

 スケールはまったく違うが……。

『……少し驚いたぞ。もう少し取り乱すと思っていたが、なるほど。以外に順応性がある……違うな。見かけ以上にバカなだけか』

「それ褒めているのか馬鹿にしているのかどっちだよ……」

『褒めているつもりだ』

 バカにしているようにしか聞こえないのは俺だけなのだろうか……。

「それで三つ目間違いって?」

『ああ、それはだな――』

 笑うのを堪えたような声が漏れる。

 もしユリノが目の前にいれば人を小ばかにしたように唇の端を吊り上げ上から目線で笑みを浮かべているに違いない。

『私がいなくてもお前は以前から霊器の力の影響を受けていたということだ。実際に霊器がどんなものか見せてやる。私の言われた通りにしろ』

 俺は渋々と頷くと空き教室を後にした。








『一つ忠告だ』

 ユリノがそう言いだしたのは俺が教室のドアに手をかけた時だった。

 やけに感情を押し殺したような警戒心のある口調に背筋がピンと伸びる。

 それもそうだ。

 これから特殊な力を持つ霊器と呼ばれる力をユリノは俺に見せるのだ。

 その前に心構えの一つや二つあってもおかしくない。

 俺はゴクリと唾を飲みこむとユリノの声に耳を傾ける。

『ハジメ・シュウジ。アイツには特に気をつけろ。くれぐれもあいつの目の前でぼろを出すような行為、それこそ霊器を発動させるようなことだけはするな』

 どういうことだ?

 一秀司と言えば今日転校してきた生徒のことで間違いないはずだ。

 ユリノのこの言いよう、もしかして……

「一が霊器っていう能力を持っているのか?」

 その可能性は大いに考えられた。

 俺がこの力に関わって一番大きく変化したのは俺自身を覗くとこのクラスだ。

 なにせ一の登場だけでこれまで央中を中心とした学園生活が一気に逆転したのだ。

 それもたった一日で。

 そしてその変化を免れたのは俺と春野くらいだ。

 それは言い換えてみれば一と接点の少なかった俺たちが変化に気付くことができたと言い換えることができる。

 そう考えれば何かしらの特殊な力を使って学園を操作したと言われればまだ納得できた。

『そんなわけないだろ』

 だがユリノは俺の考えを即座に斬り捨ててみせる。

「じゃあどうして一に気を付ける必要があるんだよ」

『あいつが私を追ってきた組織の連中の一人だからだ』

「――なッ!?」

 一が――?

 あんな虫も殺せそうにない優しい顔をしたヤツがか?

 簡単には信じられそうになかった。

『それもかなりの腕前だ。隙をつかれたとはいえ、アイツの攻撃で私は窮地に立たされたんだからな』

 ゾクリと寒気が奔った。

 ユリノという特殊な力をもった人間を追う連中だ。

 それなりの技術なり対策を持っていることは想像しやすい。

 だが、それもでも……。

 いや、だからこそか。

 俺はアイツの表情の裏に隠された本質に恐怖を覚えているのだ。

 ユリノとは性格的に合わないとすると――。

 恐らく一とは本能的に合わない。

 どうしてかと言われれば答えは一つだ。

 ユリノを追う為だけにこの学園に来て、そしてこの学園を変えた張本人ならば俺はアイツを認めることは出来ない。

「それが本当だとしたらまずいんじゃないのか?」

『そうだな。まだ私の存在は感づかれてはいないはずだ。お前の体に主導権が戻ったタイミングも奇跡的なタイミングだった。どうにかアイツの注意を逸らすことだけを考えていた時だったからな。そのタイミングで入れ替われたからこそ、お前もアイツの問いから逃れることができたんだろう』

 そういうことか。

 あの校章は紛れもなく俺のものだった。

 それでも否定の言葉が自然と出てきたのはその直前までユリノが一を警戒していて、その警戒心が俺にも影響したからか。

「それは助かったと思ってもいいのか?」

『今のところはな。だが確証もない。だから近づくな』

「ああ。わかった」

『では行こうか。この世界を暴きに、私にちょっかいをかけた奴の鼻っ柱を叩き潰すぞ』





「で? これでいいのか?」

 放課後――正確には放課後の予鈴も過ぎた完全下校の後の時間帯。

 俺は昼休み直前にある人物に声をかけこの時間帯に教室に来るように伝えていた。

 どう約束させるか暫く悩んだが、ちょうどいい口実があったのでそれを利用させてもらった。

 あとはその人が来るまで待つだけなんだが……。

「本当にアイツが霊器なのか?」

 にわかには信じられない。

 こうして待ってる間もそんなわけがないと心のどこかでは思っている。

 だが。

『ああ、間違いない』

 ユリノの声には迷いが一切なかった。

「どうしてそう言い切れるんだよ」

『私の能力は干渉だということは言ったな』

「ああ」

『お前に干渉して暫くしてだが……お前との繋がりが不安定になることが何度もあった。まるで私という存在を否定するように、お前との繋がり……つまりこうしてお互いに存在を確認することができなかった』

「それはユリノの能力が解除できないのと何か関係があるのか?」

『いや、それはない。お前に使った能力はなぜかお前と強く結びつこうとしているのに対してこの力はその逆だ。お前に私という存在を悟らせないようにしていた』

「ならどうして俺はユリノのことに気付くことができたんだ?」

『それはハジメに感謝だな。アイツの登場でお前はこの学園がおかしくなったこと……つまり異変に気付けた。それが私との繋がりを安定させたんだ』

 待て待て、それって……。

「つまりは……この学校そのものがもともとおかしかったってことなのか?」

『ああ。誰もその違和感に気付かずにのうのうと霊器の影響を受け続けてきたわけだ。クハハッ! とんだ間抜けどもの集まりだな、この場所は!』

 この人を小ばかにしたような女王様――いや暴君みたいな性格こそがユリノの本来の性格なのだろう。

 昨晩のような今にも倒れてしまいそうな……実際にはそうだったらしい……希薄な少女の印象はもう俺の心のどこにもない。

 あるのは我がままで我の強い女の子ってだけだ。

 その分、裏表のない性格で親しみは持てるのだが……。

 それでも色々とユリノは酷かった。

 この時間になるまで常にユリノの声が頭の中で響き渡り――授業もまともに入ってはこなかった。

 あまりの身勝手ぶりに堪えかねて静かにしてくれと言っても口答えするなの一点張りで彼女を俺は一度もとめることが出来なった。

 これからもこの関係が続いていくならどうにかして彼女とよい関係を築く必要はありそうなのだが……。

 これだけは間違いなく断言できる。ユリノは俺を毛嫌いしている。

 もちろん俺も勝手に体を操られてその上、変な異能者に仕立て上げられたのだからいい感情をそれほど持ち合わせてはいない。

 つまるところ、俺とユリノが仲良くなることは暫くないということだ。

 今はただ同じ追われる立場。運命共同体で仕方なく一緒にいるに過ぎない。

 俺としては早々にこの厄介な状況を脱して、元の生活に戻れればそれだけでいい。

 あとのことは知ったことではない。

『おい。無駄話もここまでだ』

 ガラリと教室の扉が開き、ゆっくりと人影が教室内に足を踏み入れた。

 月明かりに照らされたその人の顔はいつも変わらなかった。

「ごめん、深月。待たせたかな」

「いや、そんなことないぜ…………央中」

 央中博人――俺たちクラスのいやこの学園で最も頼りになる男。

 そんなヤツが……。

「けど、驚いたよ。こんな時間に呼び出されるなんてね」

「ああ、悪いな。突然演劇の配役に決まって自信がなかったんだ」

「うん。それで自主練習に付き合って欲しんだろ? 演劇の主人公としては当然さ。協力するよ」

「ありがとな……」

『今から私の話に合わせろ』

 ユリノの声に俺はゴクリと生唾を呑むと無言で頷いた。

『ならば、その演劇の主人公とやらにはご退場願おうか』

「――ならば、その演劇の主人公とやらにはご退場願おうか」

 ポカンと口を開けた央中は唖然と見つめ返してきた。

「どういうことだい?」

「まだ役者でいるつもりなのか? それとも気付かれてないと本気でそう思っているのか?」

「み、深月?」

 押し黙った央中に俺は告げた。

「お前の世界は今夜終わる。私が壊す。それがお前という主人公の最後だ」

 ――言ってて凄く恥ずかしい。

 央中は後ずさるように数歩下がり、ドンと背中を壁にぶつける。

 そのまま視線を下げて、片手で顔を覆った。

 そうだよな。こんなセリフを真顔で言ったんだ。笑いを堪えるのに必死だよな。

「ははは。いつかはこんな日が来るとは思っていたよ」

 え? 

「お、央中……?」

「ああ。一目見た時からわかっていたよ。深月も俺と同じような力を手に入れたんだね。今日、俺がこうして深月の前にいるのもあるいは決められた運命だったのかもしれない」

 ま、マジか……。

 本当に央中が能力者なのか。

「なあ、深月。俺が主人公だって気付いたことは俺の持つ能力がどんなものかも検討がついているんだろ?」

「え? いや……それは」

 知らないです。

 俺はただユリノの台詞を口にしただけなので。

『当然だろ』

 ユリノの言葉にハッとする。

 俺は慌てて口を開けてユリノが言ったばかりの言葉を反復した。

「と、当然だろ」

「そうか……。なら聞くけど、この学園は深月がそうまでする必要があるのかな?」

「そ、それは……」

『仕方ない。お前にもわかるようにコイツの能力を教えてやる』

 ため息交じりのユリノの声に俺は安堵の息を吐く。

 このままでは本当に話がわからないまま進んでしまいそうだったから助かった。

『お前の能力は――続けろ』

「お、お前の能力は《主人公(ヒーロー)》――この学園の中心に居続けることで力を発揮する能力だろ?」

 央中は笑みを浮かべて頷いた。

「ああ。そうだよ。俺の手にした力はみんなの中心に俺が常にいないと発揮されない力なんだ。その副作用というのかな、俺がこの学園の中心で居続けるためにこの能力はこの学園にいる人たちの意識をちょっとばかり替えさせてくれた」

 央中はゆっくりとした足取りで近づいてきた。

「それはほんのちょっとだけだけど、俺の意志を周囲に浸透させるというものだった。俺がその場にいるのが日常なのだと。俺がいれば何とかできると。俺にしか出来ないと。俺がいるから世界はあるのだと。些細なことだけど、そう思わせることができたんだ」

「それで、俺は……」

 そうだ。いつも思っていた。央中がいないから始まらない。央中がいない世界は考えられないと。

「けど、それはほんの小さな影響にすぎない。その後は俺が必死になってみんなの中心で居続ける努力をしたんだ。ほらよくあるだろ。主人公には幼馴染と美少女のハーレムなんていう王道が」

「おい、まさか……」

「苦労したよ。春野はともかく篠村は最初から俺に微塵も興味がなかったからね。必死に口説いてどうにかハーレムをこぎつけた。そしてそれだけじゃない。主人公とはどういうものなのかっていうのを必死に研究して、俺は望まれる主人公であり続けた」

「それがこの学園ってわけか」

 理想ともいえる環境。

 俺はこの学園生活がけして嫌ではなかった。

 いつものように馬鹿げた騒ぎも面白おかしい日常も俺は好きだった。

 けど――。

「なあ、深月。君にとってこの学園はそんなに受け入れなれないものだったか? 誰も嫌な思いをしてない。誰も傷ついてない。そんな生活を君は否定しきれるのか?」

「確かに……俺には否定できない。俺も央中が主人公だったこの学園が嫌いじゃないから……」

『おい、お前!』

 ユリノの激昂が脳内に響いた。

 言いたいことはわかる。

 これは央中の我が儘だ。

 主人公であり続けたいと願う。ただみんなの中心でいたいという……。

「なら深月が頑張って学園を変える必要はない。俺に任せろ。みんなが幸せな学園生活を俺が実現させてみせるから」

 だから俺も――。

 俺も俺の我が儘を通す。

「それはダメだ」

 初めて央中の表情が変わった。

 目を見開いて唖然と俺を見つめるその顔はまさしく俺を理解できないといったものだ。

「わからないな。どうしてダメなんだ? 俺の力の恩恵を受けてきたはずなのに」

「だからだよ」

 俺は央中のただならぬ雰囲気から距離を離すように後ずさる。

「俺はお前が主人公でいてくれてよかった。お前がいてくれた学園生活はスゲー楽しかった。けど、それはまやかしだ。たった一人のイレギュラーで壊れるほど脆いまやかしだ」

「一秀司のことか? 確かに彼の登場は予想外だった。おかげで俺の力も揺らいで篠村も含めた多くの学生が俺から離れた。そして深月という能力者を生み出してしまった。けど、それでも深月! お前が協力してくれればこれまでのようにやっていける。俺はそう思ってる!」

 腕を大きく振りまして叫びあげた央中は血眼な瞳を俺に向けた。

 必死だな。だからこそ俺は嫌なんだよ。

 央中の必死の形相がまるで未来の自分のように見えてしまうことがもう耐えられない。

「もうたくさんだ。俺は変な力だとか能力だとかに振り回されたくないんだよ。この学園がその能力によるものだっていうんならそんなのはいらない!」

「深月、君はなにを……俺の……いや能力を否定するっていうのかい?」

「ああ、そうだ! こんなのは間違っているんだよ。能力に振り回される日常とか俺はごめんだ。お前がその能力《主人公》ってやつにしがみつきたいんなら言ってやるよ」

 俺はビシリと央中を指差して声を張り上げた。

「お前だけが主人公の世界はもう終わりだ。明日からは俺たち一人ひとりが主人公になる!」

『く……クハハハ! 面白い! 面白いぞ! 主人公は俺だと言えればなおよかったがまあ、いい。これでようやくただの腑抜けから一歩前進だな』

 まったく、格好つけてるのに少しは黙ってくれないかな。

『だが、ここからが本番だ。アイツの世界を否定したんだ。どうなるかはわかるよな?』

 ああ。なんとなくは……。

 俺だって漫画とかでよく読むんだ。能力者同士の思想が違う時どうなるかっていうのは。

 だから王道たる《主人公》の央中がとる行動は手に取るようにわかる。

「残念だ。深月。お前がこの世界を否定するっていうなら俺は皆の幸せを守るためにお前という能力者を否定する!」

 来たぜ。異能バトルっていうのが。

 央中が拳を握りしめて踏み込む直前、俺は近くにあった椅子を掴み上げ放り投げた。

「く、深月!?」

 咄嗟に腕で顔を庇うようにして椅子からの直撃に備える央中。

 だが、俺の投げた椅子は央中の横の窓ガラスを破壊して廊下に派手な音を撒き散らした。

 砕けたガラスの破片が央中に降り注いでいたが、あの程度ではまず怪我をすることはないだろう。

 俺は瞬時にそれだけを確認すると央中のいる場所とは反対側の扉に手をかけて廊下に飛び出した。

『お前、戦うんじゃなかったのか?』

「まさか、そんなわけないだろ」

 俺は本当に殴り合うようなケンカは一度もしたことがない。

 王道の展開なら互いの存在でもかけて戦いあう。それが予想できただけだ。

 俺がその王道に乗っかる必要はない。

『お前に少しでも期待した私が馬鹿だった』

「なんとでも言えばいいだろ。俺はこのおかしな状況をクラスのみんなにも教えて央中を主人公の座から引きずり下ろす。そうすればみんなも央中の能力から解放されるはずだ!」

『それは――』

「それは不可能だよ、深月!」

「え? ――がッ!」

 必死に渡り廊下を走り抜け昇降口が見えてきたところで俺は何かに体を勢いよくぶつけ、その場に崩れ落ちた。

 体を支えるようにぶつかったそれに手を沿える。

「なんだよ、これ……」

 それは魔法陣とも呼べるような幾何学的な模様の描かれた半透明の壁だった。

 出口を塞がれた。

 ならばと俺は近くの教室に飛び込んで一階の窓ガラスを椅子で叩き割るが、割れたガラスの向こう側にも同じく半透明の壁が行く手を遮っていた。

「ダメだろ深月、逃げ出すなんて『敵』のするマネじゃない」

「央中……」

 俺は苦々しくその名前を口にする。

 ガラスの破片を袖口で振り払いながら央中は階段をゆっくりと降りてきた。

「深月、君はそうやって学園を破壊してる方がお似合いだ」

「なんだよ、この壁は」

「簡単にいえばバトルフィールドのようなものだよ。俺の世界から逃さないためのフィールドともいえるけどね。このフィールドの中でなら俺は百パーセントの力を発揮できるんだ」

 央中の腕は見慣れない白銀のガントレットを纏っていた。

 央中がブンと腕を振り回すと周囲の椅子や机が吹き飛び、床には幾つものヒビが入った。

 その光景を前にゾクリと俺は身体を震わせ、央中から距離をとった。

 人間業じゃない。

 目の前の出来事は本当に漫画やドラマの中だけ、二次元だけの存在であってほしい。

 これが現実なんてあまりにも馬鹿げている。

「これが俺の武器《白銀の鉄腕(アストロ・シルヴァー)》だ。本当は剣とかの方が格好良かったんだけどね。この手でこの学園のみんなを守ると決めているからこそこの拳の武器が俺に顕われたんだろうな」

 央中は拳を構えるとゆっくりと視線を俺に向けた。

「今度は逃げるなよ。俺の拳で君の歪んだ理想をぶち壊す」

 俺はチラリと視線を反対側の扉へと向ける。

 吹き飛ばされた机が扉を塞ぎ、簡単に出られそうにない。

 後ろの窓ガラスの向こう側は壁で塞がれているし、唯一の退路は央中の後ろだ。

 これはもう本当に。

『戦うしかなさそうだな』

 クククと笑みを押し殺した声に俺は必死に頭を振った。

「まだそうと決まったわけじゃない。俺は――」

 意識が央中から外れた一瞬の出来事。

 そして致命的な刹那。

 白銀に輝く閃光が俺の眼前を掠めた。

 視線が光の軌跡を追う。

 見えたのは白銀に輝く鉄腕。

 意識が理解するよりも早く体は頭を庇うように腕を掲げて腰を折り曲げていた。

 懺悔するような姿勢の頭上に央中の拳が通過する。

 ガツンと壁を貫きパラパラと破片が頭に降りかかる。

 どさりと尻餅をついたところでようやく俺は目の前の死を実感した。

「あ…あ…………」

 喉が渇いて声が出ない。

 ゾクリと背筋が氷つく。ぶるぶると体が震え、恐怖から来る生理現象を必死に体を抱えて押さえ込む。

 こ、殺される!

 比喩でもなんでもなくそれは現実として実感できた。

 嫌だ!

「ど、退け!」

 無我夢中で俺は足を突き出した。

 運よく央中の腹部に当たったそれは央中を突き飛ばした。

 目の前で倒れた央中の横を俺は這いずるように抜け出て、震える足を懸命に動かしてどうにか教室から脱出することに成功する。

 だが、どうする? 学校からは出られない。ならどこかに隠れる場所が?

 ゆっくりとしている時間はない。すぐにでも央中が追いついてあの拳を振るってくるかもしれないんだ。

 とにかく距離をあけないと。

 ふらつく足取りで辿り着いたのは屋上だ。

 俺は近くの給水塔の影に隠れてようやく息を吐いた。

「そ、そうだ。携帯なら」

 ポケットから取り出した携帯の電波を確認する。

 こんな状況で電波が来るとは思っていなかったが俺は携帯の画面に吸い寄せられるに視線を奪われた。

 嘘だろ。

 携帯に表示されたのは圏外ではなくアンテナが入った状態。

 つまり――

「繋がってる!」

 奇跡だ。

 俺は震える指を動かして電話帳を開け、クラスメイトの一人に電話を掛ける。

「もしもし!」

『深月か? どうした? こんな時間に』

「突然でゴメン。央中のことなんだけど」

『博人? どうかしたのか』

「ああ。そのだな……」

 どういえばいい?

 博人は能力者で俺たちは操られていたんだと素直に言うべきか?

 それを信じてくれるのか?

「お、央中が俺たちを操ってる異能者だって言ったら信じるか?」

『は? なんだよ、それ。くだらない話なら切るぞ』

「ま、待ってくれ。本当の――」

 携帯から無機質な音が鳴っているのに気付いて俺は耳から離した。

 無理だ。信じてくれるわけがない。

 誰も異能なんてものを知らないんだ。

 信じてくれるとするなら能力の存在を知っている人物だけ――。

 いや、待てよ。

 いるじゃないか。この学園で一人だけ、能力のことを知っているヤツが。

 俺は携帯の画面をスクロールして今日登録したばかりの人物の電話番号呼び出した。

『おい。何をする気だ』

 俺の行動を黙って見ていたユリノが怪訝な声を投げかけてくる。

 知るもんか。こっちは命がかかっているんだ。

 携帯の呼び出しボタンに指が触れる寸前、ピタリと指が俺の意志に反して止まる。

『何をする気だと聞いているんだ。馬鹿者!』

 ユリノが俺を止めたのか。

 邪魔しやがって……。

「もう、コイツに助けてもらうしかないだろ! コイツなら俺より強い。央中を倒してくれる」

『そうすれば私たちの存在がコイツにばれることになるだろうが』

「知るか。その時はその時だ」

『その時になってまた脅えるつもりか。この大間抜け!』

 ギリギリと腕が勝手に動き握りしめていた携帯を投げ捨てた。

 カラカラと転がる携帯に手を伸ばそうとした瞬間、金縛りにあったように指一本動かせなくなる。

「邪魔するなよ!」

 アイツだけが俺にとって唯一の生き残る道なんだ。

 俺は剥き出しの感情をユリノにぶつけるために口を開く。

「なんなんだよ。なんなんだよ。なんなんだよ! 俺には無理だったんだ。戦うことなんて俺には出来ない。俺には日陰者がお似合いなんだよ」

『なんだそれは……クズだクズだと思っていたがお前はクズ以下だな』

 勝手に言ってろ。俺は所詮臆病者で怖がりなんだよ。

『……今回だけは助けてやる。それから私が直々にお前の腐りきった根性を叩き直してやる』

「た、助ける……」

『そうだ。お前は少しの間寝ていろ。その間に片を付ける』

 本当にそんなことが……。

 そもそもユリノは俺に使った力を解除できないと言っていた。

 どうやって俺を助けるつもりなんだ?

「本当に信じていいのか?」

『私もこんなクズと一緒に死ぬのはごめんだ。それにまだやることもある』

 なら――。

「いいぜ。俺はお前を信じる。だから頼む」

『口のきき方には気を付けろ。そこは助けてください。だろう?』

 嘲笑めいたユリノの言葉を最後に俺は眠りにつくようにゆっくりと意識が沈んでいくのを感じた。



「ようやく見つけたよ。まさか屋上に隠れているなんてね」

 息を少しばかりきらせて屋上に現れた央中を陽斗――ユリノは黙って見つめ返した。

 央中はユリノの手に握られた携帯に目を向けるとプッと吹き出した。

「ああ。なるほど。俺のクラスメイトの誰かに電話をかけたみたいだね」

「そうみたいだな」

「その様子を見ると期待していた結果は得られなかったみたいだね。これが俺が不可能だと言った意味だよ。この学園は俺の世界だ。その世界の住人の一人である君が主への不満を漏らしたところで誰も信じるはずがないよ」

「だから外から来たアイツに簡単に揺さぶられたわけか」

 央中は苦虫を噛んだ表情を覗かせる。

「否定はしないよ。けど一君も俺の世界に来たんだ。直に俺の世界に飲みこまれるよ」

「ククク……クハハハッ!」

 ユリノはお腹を押さえて面白おかしく笑った。

 涙がにじむほど笑い上げ、なおも唇の端を吊り上げて笑みを携えてユリノは言った。

「アイツがこの程度の結界で捉えられるわけがないだろ。むしろ後悔するんだな。お前の世界に踏み込んだ者たちがお前を喰らう獣であったことに」

 怪訝な顔を浮かべ央中がユリノを睨みつける。

「者たち? どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。アイツだけじゃない。今、この瞬間、貴様の前にいる私こそが貴様の世界を蹂躙し、その悲鳴に歓喜を上げる獣そのもだ!」

 怪訝な表情を覗かせる博人から視線を逸らしユリノは陽斗の体に意識を集中させる。

「そうか……随分と雰囲気が変わったと思ったけど――二重人格――その暴力的な言動の人格が深月、君の能力か」

「……あまり私を怒らせるなよ」

 コイツの二つ目の人格だと? バカげた冗談だ。

 ユリノは煩わしさを覚えつつも陽斗の体――取り込んだ因子へと自身の能力を介入させた。

 ユリノの能力『原初の欠片グリモア・マルクパージュ』は能力が干渉した存在に対する情報の収集と操作だ。

 ユリノという一人の存在を対象に挟みこむことで『干渉』した対象を操る。そしてユリノ自身が対象の側まで転移するだけではなく、深く入り込んだ対象に対してはその対象が持ちうるあらゆる情報を引き出すことができる。

 先日まではこの世界――次元とも呼べる一つのものに干渉し、空間転移を可能にし、さらにはこの因子を見つけるのに一役買ってくれた頼れる相棒だが、陽斗との繋がりを切り離せない状況ではできることが限られてくる。

 精々陽斗の体を操るか、陽斗の情報を引き出し、陽斗の中に眠る力を引きずり出すかだけだ。

 だが――。

 なるほどな。

 唯一心に秘めた願いを叶えるために必死に探して見つけ出した『祝福ブレス』と呼ばれる能力の一端を紐解いたユリノは一瞬ではあるが落胆の表情を浮かべた。

『祝福』と呼ばれるほどの能力だ。その能力名から万物の願いを叶える力だと思っていた。

 だが、この力は――。

 いや、これが本当に『祝福』なのか? 何に対する祝福だ?

 意識を現実に引き戻したユリノは拳を構えて距離をつめる博人と対峙する。

 なにはともあれコイツにこの力の実験台になってもらうか。

 脱力の姿勢から一呼吸もおかずに地面を駆けだしたユリノは一瞬で博人との距離を零に詰める。

「そうだな……まずお前が私に勝てない理由をいくつか話してやろう」

 ユリノの速さに対応しきれず無防備に接近を許した博人の腹に拳を叩きこむ。

 博人はグッと息を詰まらせる。そして痛みで体が硬直した。

 その隙にもう一度腹部、そして胸部、打ち上げるようにして顎へと一連動作で繰り出された拳の連打は博人に防御などという甘い選択を許さずにぼろ雑巾のように空中に投げ飛ばした。

「まずは一つ。私がこの鳥かごの人間ではないということだ。お前の絶対的な支配など私には通じない」

 地面に体を打ち付けて痙攣する博人にゆっくりと近づく。

「そして二つ目だ」

「くっそおおお!!」

 起き上がるのと同時に振り抜いた拳はユリノの隙を狙ったつもりだったのだろうか。

 どちらにしろ止まって見えるような一撃はいくら虚を突こうと届くはずもない。

 白銀に輝く鎧を纏った拳をあえてギリギリで避けてみせる。

 愚作に、考えもなしに振られた拳はユリノの頬を掠め、空をきる。

 攻撃の繋ぎ方も駆け引きもなしに放たれた一撃だ。当然避けられることを前提とした一撃ではない。

 ようは隙だらけだった。

「お前には圧倒的に戦闘経験が足りていない」

 撃ち出した拳が博人の顔に直撃。

 勢いよく振り抜くと体をきりもみさせた博人が豪快に備品の詰め込まれた用具入れに激突した。

 衝撃によってユリノの足元まで転がってきたのは先端がなくなった壊れたモップだ。

 ただの棒切れ同然のそれを拾いあげ手で弄びながら沈黙した博人を眺めた。

「お前も一応は霊器だ。この程度でどうにかなるわけがないだろ」

 確信に満ちたユリノの一言に崩れた備品を白銀の光が吹き飛ばした。

「ああ。俺はまだ負けられない。大切な……守りたい人がいるんだ。こんなところで負けられない」

 博人の瞳はユリノが吹き飛ばす前と明らかに変わっていた。

 覚悟を決めた人間の目だ。

「認めるよ。確かに俺は深月の足元にも及ばない。技も力もなにかも。けどそれが負けていい理由にはならないんだ」

 白銀の光が右腕の一点に集まる。

 ユリノはその現象にある種の驚きを覚えていた。

 博人の力は結界の中で最強足らしめる能力だ。力そのものも結界内で頂点にあればそれだけでいい。

 だが、ここにきてユリノという強敵と戦うことでこの短期間の間に成長したのだ。

 まさしく『主人公』と呼べる能力だった。

 まさか霊器の派生系である純粋な力の塊で構成された『霊力』を纏うことができるとは思ってもいなかった。

「これが俺の全力だ。全ての力を一点に。そして俺の全てを賭して深月、君を倒す!!」

 鎧に纏った霊力はさらに膨れ上がり高エネルギーの集合体となった。

 確かにあの一撃を喰らえばただでは済まない。最悪一瞬で命を落とす可能性もある。

 試してみるか。

 他人の能力など操ったことはないが能力自体はわかっているのだ。あとはいつも能力を発動する感覚で深月陽斗に眠った能力を叩き起こせばいい。

 手にした棒切れに意識を集中させる。

 今のこの棒切れはただ相手を殴り倒す武器となんら変わりはない。ユリノは自然と棍棒のイメージを思い起こしていた。

 ビキビキと棒切れに青白い光の亀裂が奔る。

 棒切れだったそれを振り回すとユリノが思い描いた棍棒に近い形に姿を変えていた。

「なるほどな……」

 これが『祝福』の能力か。

 本質を引き出し具現化する能力。

 棒切れという中に見出した殴打する本質を具現化させた結果がこの棍棒だ。

 即席で武器をつくれるというのは悪くはないがどうにも名前に劣る能力には変わりない。

「行くぞ。深月ぃぃぃぃぃ!!」

 拳を構えて走り出した博人の瞳に迷いはなかった。

 最後の一撃。勝敗を決する一撃を互いに撃ちあう。

 それこそが博人の思い描いた理想の最後。

 だからこそ、その能力下に支配されているはずの深月陽斗はこの一撃に真っ向から立ち向かう。

 そう思っているんだろうな。

 振り抜かれた拳はさっきまでと違いスピードもキレもある。

 この短時間でここまで成長したというなら褒めてもいいくらいだ。



 だがそれでも――ユリノの目には博人の動きは止まって見えていた。



 博人の拳を半円を描くように回避したユリノは背後に身を躍らせたのと同時に振り向き様に薙いだ棍棒で博人の胴を勢いよく叩きつける。

 苦悶に表情を歪める博人に続けざまに腰、膝と叩きつけ膝をつかせた。

 それでも攻撃を止めようとしない博人の肘を外側から叩きつけ鈍い音と一緒にありえない方向へと腕を曲げる。

「――!!」

 声にならない絶叫を耳に棍棒を回転させたユリノは遠心力を乗せた一撃をもって博人の体を殴り上げた。

「言っただろ。お前は私には勝てないと」

 今度こそ完全に沈黙した博人を背にユリノは深い息を吐いた。



 周囲の結界が解除されたのを確認するとユリノは手にした棍棒の能力を解除した。

 光の粒子となって空中に溶けていく武器を目にする。

 ――本質を引き出された対象は消滅するのか。

 武器が完全に消えたのと当時に襲ってきた凄まじい疲労感にユリノは膝をついた。

「く……やはりそうか」

 昼間の干渉では長時間陽斗の体に干渉しても疲労感はなかった。

 だが、最初の憑依と今の戦闘では明らかに異常なほどに疲弊していた。

 恐らくは無理やりに陽斗の力を使ったのが原因だ。

 あとどれほどの間意識を保っていられるかわからないがユリノには草々にこの場所から逃げる必要があった。

 震える膝を懸命に立たせ、ユリノは身体を引きずりながら夜の校舎を後にした。











「う……あ……」

 静まり返った屋上に央中博人の呻き声が静かに響いた。

 どれくらい意識を失っていたのか、すでに深月陽斗の姿もない。

 俺を見逃したのか……。

 あれくらいではトドメをさせないことは深月ほどの手練れなら気付いているはずだ。

 トドメをささなかった理由としてはクラスメイト、友達――まぁ、色々と浮かぶがそれが見逃す理由になるとはあの豹変した深月の性格からは考えにくかった。

 ともすればトドメをさせない理由でもできたのか。

 どちらにせよ、身動きがままならないこの現状は間違いなく博人の敗北を決定づけていた。

「再戦は俺がもっと力を付けてからだな……」

 初めての実戦で思い知らされた恐怖。あれを乗り越え、そして今よりもっと強くなる。

 主人公とかそんなのは関係ない。ただ博人にとって一番大切な幼馴染を守るためにも今より強くなりたかった。

 新たな決意を胸に冷たいコンクリートに身を委ね瞳を閉じた。

 ――と同時。

「残念だけど君にその機会はないよ」

 不意に現れた第三者の声が博人のすぐ側から聞こえてきた。

 屋上の扉のすぐ脇に立っていた男がゆっくりと博人に向かって歩を進ませる。

 月明かりに照らされて見えたその顔は見覚えのある顔だった。

「一……秀司」

 鋭くも優しそうな双眸に整った顔立ち。線も細く着やせしていているがそれでもはっきりとわかる鍛え抜かれた肉体は昼間と違う白を基調とした服装に身を包んでいた。

 太ももに巻かれたホルダーには銃だろうか――それが二挺見受けられた。

 見るからに普通じゃない。

 博人の全身が早鐘のごとく警鐘を鳴らす。

 この男から離れろと――。

「驚いたよ。まさか君も能力者だったなんて。この惨状は彼女と戦ったからかい?」

 秀司の顔から表情は読み取れない。

 本当に驚いているかすら博人には読み取れなかった。

 ただあらゆる感情を切り捨てたような機械的な表情をみせるだけだ。

「ぐ……っ」

 痛む体を必死に叩き起こし、博人は膝をつく。

 一番痛みが酷いのは右腕だ。

 恐らくは折れている。

 武器である『白銀の鉄腕』は使えそうにない。

 無事に生き残る為にできることはただ一つだけだった。

「君には聞きたいことがある。抵抗しないと約束するなら危害は加えるつもりはない」

「そう言って後から拷問だなんだとお前以外の誰かが危害を加えるんだろ? その手に乗るつもりはない。それに俺はまだこんなところで終われないんだ!」

 その距離は数メートルといったところだ。

 それでも博人は踏み出した。

 残った最後の一握りの力。霊力の全てを左手に収束させた問答無用の必殺の一撃。

 不意を突こうなんて思わなかった。

 一秀司が深月陽斗と同等の力を持っているというならそんな駆け引きは無用だ。

 明日を願って振り絞った全ての力を信じるしか『主人公』である博人には出来なかった。

「残念だよ」

 秀司は小さく呟くと腰から銃を引き抜き、居合いをするように銃を構えた。

 銃でありながら剣のように構えた独特の仕草。

 むろん銃口は博人を捉えていない。

 その不可解な体勢に疑問を抱きつつも博人は拳を大きく振りあげた。

「おおおおおおおおおお!」

「――《type・S》」

 カチリと小さな音が鳴った。

 引き金を引いたような音じゃない。

 もっと小さな――それこそ何かをスライドさせたような音だ。

 秀司は銃だったそれを抜刀する。

 そして全てが一瞬の間静寂に包まれる。

 ボトリと腕だったそれが地面に落ちた時が合図だった。

「――――――!!」

 声にならない悲鳴が屋上に響き渡る。

 あまりにも綺麗に切り落とされた腕からの出血は思いのほか少ない。

 だが切られた激痛と噴き出した熱が博人の思考を停止させ、目の前で二挺目の銃を取り出した秀司の目の前で土下座をするように膝をついた。

「―――」

 秀司は何の躊躇いもなく引き金に指をかけ――。

 パンと小さな発砲音と共に博人の視界は完全に暗転した。


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