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コード・エラー  作者: 松秋葉夏
ロストシルバー
5/14

1-遭遇

 今日の教室は普段よりも数割りマシで騒がしい。

 その理由は単純にして明快。

 そう。一ヶ月に及ぶクラス内の審議の結果が今日決まるからだ。

 夏休みが終わった後に訪れる一大イベント――『城宮際』

 言ってしまえばただの文化祭だが、準備期間も含めると学校行事一年間の中では特に大きなイベントだと言って差し支えないだろう。

 なにせ、このクラスでは出し物を決めるのにも一ヶ月近くもかかっているのだから。

 教師の重圧もあり、いい加減に決めないとまずいということで今日、強行採決が執り行われることになったわけだが――。

 最終的に生き残った候補は現在二つ。

 一つはクラス担任が推薦した演劇。

 そしてもう一つが中庭でブースを借りて模擬店を出店する。内容はバーベキュー形式の模擬店だ。

 演劇は先生たってのおすすめということもあってこの一ヶ月に及ぶ議論の中でも優遇されて生き残った案である。

 一方でバーベキュー形式のフードコーナーは他の模擬店とは一味違う工夫を凝らしていることが目玉だ。

 他の出店ではクラスのメンバーが調理したものを売っていく――すなわちお店としてお客に商品を売っていくスタンスが強いが、このバーベキュー形式ではお客の要望に応じて金網や炭などのバーベキューセットを貸出し、ブースの区画内で自由に調理してもらうこともできるというものだ。

 調理する手間も省けるし、クラスでは材料とバーベキューセットの準備だけで済むのでそれほど手間もかからない。

 他のクラスの出し物とも被らないオリジナル性がこの最後の日まで生き残ってきた理由だともいえる。

 もちろんクラスで調理した食べ物も売りには出すがメインは和気あいあいとみんなで食べることだ。

 そしてこの二つの案のどちらかを採用するわけになったわけだが――その方法は投票形式の多数決だ。

 今も教卓に置かれた小さな段ボールの中に一人、一人とクラスメイトが投票用紙を入れている。

 俺――深月(みつき)陽斗(はると)の出席番号は三十一。そして名簿番号はこのクラスでは最後になる。

 今、頭を抱えなければならない問題が二つほどある。

 一つはこの投票が名簿順だということ。

 そして――一番の問題はこの俺を除くクラスの意見は真っ二つに分かれているということだった。

 そう。言ってしまえば俺の裁量次第でこのクラスの出し物を決められることができるわけだ。

 この一ヶ月、影でこそこそとクラスの情報をリサーチ、そして念入りに情報の下調べをしたのだから間違いない。

 胃が痛くなりそうな話だがこればっかりは仕方ない。胃痛の原因はこの際、運命にでも押し付けてしまえ。

 問題は俺がどっちの案に投票するかだが…………。

 ――――ぶっちゃけよう。どれでもいい。というかそれほど興味がない。

 文化祭? 勝手にやっててくれ。俺は適当に手伝うくらいがちょうどいい。

 前に立たず、目立たずが俺のモットーだ。

 頑張って失敗するのは嫌だ。適当に穏便に流れに任せるのが人生丁度いい。

 だからこそ、俺がここでクラスの命運を握るような立場になったのはポリシーに反する。

 名簿順とかそういうのマジでいい。

 出来れば真ん中くらいで投票したかったぜ。

「そう言えば深月の希望を聞いてなかったよな?」

「ん? そうだっけ?」

 もうじき自分の番が回ってこようとする手前で隣のクラスメイト――央中(おうなか)博人(ひろと)が気さくな感じで声をかけてきた。

 央中はクラスでいつも中心になって行動するような奴だ。

 頭もいいし、運動神経だって申し分ない。

 テスト前にあった球技大会(男子はサッカー)でもボールをキープして得点を入れるだけでなく、周囲にパスを回しクラス全員で勝利に導いた功労者。

 俺はというとパスが来たら即他の連中にパスを回していた。

 だって嫌じゃん? 自分がボール持っている時にとられるのって。

 なんにしてもクラスが一つにまとまる時はいつも央中の言動、行動が中心となっていることだけは確かだ。

 央中みたいにクラスの誰とでも打ち解けられる人は滅多にいない。どこの漫画の主人公だって話だ。

 もちろん俺も央中という人間に好意を寄せている人間の一人だ。ゲームで言えば主人公の悪友……言い過ぎたモブキャラの一人だ。

「そうだよ。何度かクラスの連中と話している姿を目にしてたけど、お前一度も自分の希望言ってなかったよな」

「ああ、あの時はみんなの意見を参考にしたかったから、まだ決めてなかったんだよ。それに今言ったら開票後の楽しみが一つ減るんじゃないのか?」

 俺の話をポカンとした様子で聞いていた央中はプッと笑みを零した。

「確かにその通りだ。楽しみが減るのは面白くない。こういうのはサプライズっていうのが必要だ。深月の言う通りだよ」

「そういうことだ」

 話を締めくくると俺は席を立つ。

 あと二、三人で俺の番だ。

 投票の問題は央中と話す前となにも変わらないが、心境には変化があった。

 央中の希望は確か演劇だったはず。

 みんなと協力できる演劇っていうのはいかにも央中らしい選択だ。

 央中が主役をするっていうから男子も女子も演劇に乗り気になっていたし誰も文句は言わないだろう。俺は小道具の準備か照明でもやらせてもらおう。

 ――決まりだな。

 俺は希望の案を書いた紙を投票箱に入れた。


 そして投票の結果、クラスの出し物は一票差で演劇に決まった。


 何をするかが決まれば後の話は簡単だった。

 演劇と決まれば何をするか――女子の意見によってちょっと変わった恋愛物の演劇となった。

 



 不思議な力をもった女の子の秘密を主人公が知ってしまう――その秘密を共有して二人で一緒に行動するようになって自然と女の子は主人公に好意を寄せる――その女の子の他にも主人公のことが好きな女の子がいて、不思議な力をもった女の子はその力を使って他の女の子よりも先に恋を実らせようとするけど、結局力を使った紛い物の恋愛はダメだと知る――そして一切力を使わずに想いを告白――見事に主人公と結ばれてハッピーエンド。

 



 簡単にまとめればこんな感じのストーリーでよかったはずだ。

 たしか女の子の力っていうのが未来を見る力。

 主人公の不幸な運命を助けようとした結果、主人公が女の子の力に気付いてしまう。

 という冒頭だった。

 配役はもちろん主人公は『央中博人』――本人の意思にお構いなく司会をしていた進行役の男子が涙を噛みしめて勝手に黒板に名前を書き殴っていた。

 その意見に反対を示したのは当の本人だけだったけど、まったく主張を受け入れてもらえなくて結局はクラスの視線に折れることになった。

 そうと決まれば恋する女の子役だが――これが思いのほか難航していた。

 立候補者は二人。

 一人は央中の幼馴染の春野(はるの)(まい)

 もう一人がこの学校きっての秀才である篠村(しのむら)雪菜(ゆきな)だ。

「ここは息の合った幼馴染の方がいいに決まってるでしょ!」

「それはない。あなたの演技力では到底舞台に立つことは不可能よ」

 ムッと目を吊り上げた春野は地団太を踏んだ。

「そんなことないわよ! そこまで言うなら私の演技力ってものを見せてあげるわよ」

「ぜひ見せてほしいわね」

 フンと髪を掻きあげると春野は俺の席――の横に座る央中に近づいてきた。

 サッと身を引く俺に目もくれず春野は央中の目の前でモジモジとした仕草と甘えるような目線を向けていた。

「その……好きだよ、博人」

 ワァーとクラスの中が一瞬で活気づく。

 顔を真っ赤にしてチラチラと央中の反応を伺うように視線を向ける春野。

 これは演技ではなく素ではないのだろうか。

 俺の疑念を余所に成り行きを見守っていたはずの篠村がづかづかと怒りを押し殺して二人の空間に割り込んできた。

「そんな演技ではとても認められないわ」

 篠村は央中を立たせると少しだけ上目遣い――けど無表情で口を開いた。

「好きよ。だから付き合いましょう」

 この子の表情も演技を超越した何かを感じる。

「ちょっとなんでいきなりアンタも告白してるのよ! …………あ、こ、これは私の演技のはずでしょ」

 今、演技じゃないって認めかけてましたよね?

「あなたの演技が見るに堪えないものだったから私が演技を超えた本当の告白を手本として見せてあげたの」

 演技じゃないって断言したよ。

 睨みあった二人はまったく同じタイミングで央中に振り返る。

「で!」「それで」

「博人は」「博人君は」

「「どっちの想いを受け入れるの!?」」

 緊迫した雰囲気が教室内に立ちこめる。

 司会役を買って出ていた男子生徒がゴクリと息を呑んだ。

 クラスのみんなが央中博人の反応に注目している。

 ゆっくりと央中の口が動いた。

「す、すごいな二人とも。まさに迫真の演技って感じだったよ!」

 ピシリと空気が凍りついた。

 ドッと一斉に肩を落とすクラスメイトたち。

 見るからに落胆する二人の少女。

 そして場の空気についていけずに目を丸くする央中。


 もういっそうこのクラスの日常を演劇にしてもいいんではないだろうか?


 そんな風に思いながら俺は残り時間をだらだらと過ごした。


「深月君、本当に任せてもいいの?」

 放課後の教室。俺は春野から心苦しい目線を向けられていた。

「気にするな。帰り道のついでだ。それに春野も――っていうか他の人たちも色々と立て込んでいるだろ?」

 結局女の子役は決まらず明日以降に持ち越し。

 それ以外の道具係などは決まったがほとんどのメンバーが部活や塾で忙しかった。

 そしてメインヒロインになりそうな春野と篠原は台本制作に携わりながら衣装など必要なものをリストアップしていた。

「べつに今すぐ必要ってわけじゃないし、みんなの都合がつくときでもいいのよ?」

「大丈夫だよ。そんなに重たいものじゃないし、ホームセンターに行けばすぐに手に入るものだから」

 俺の手元には少なくとも絶対に必要になりそうな備品リストとしてガムテープをはじめとした様々なものがリストアップされている。

 それにしても――と俺は会話の流れを変えた。

「春野も篠村も大変だよな。まだ残るんだろ」

「そうね。けど別にたいしたことじゃないわ。篠村さんがいるのはちょっと予想外だけど、博人もいるしね」

 そう言って顔を綻ばせる春野の顔はまさに恋する女の子って感じだ。

「そっちも大変だな。あそこまで唐変木だと苦労するだろ?」

「まあね。けどそれも嫌ってわけじゃないのよ。なんだかあいつがいないと始まらないっていうか……あいつがいつも中心にいてくれるから楽しいっていうか……こんな不思議な生活だけどこんな毎日がずっと続けばいいって思ってるのよ。私も……たぶん篠村さんを含めたクラスのみんながね」

「俺もそう思うよ。央中がいないとなんだかこのせ――クラスの中央に大きな穴が開いた感じがするしな」

 どうしてか俺はクラスではなく『世界』と言いかけて慌てて言い直していた。

「うん。そうだね。だから私はあいつのいてくれる毎日がたまらなく楽しいんだ」

「そっか、なら演劇頑張らないとだな」

「そうだね。じゃあ、本当に悪いんだけど買い出しよろしくね」

「おう」

 そう言って俺は鞄を手に教室を後にした。






「ふぅ、こんなもんかな」

 帰り道の途中にあるホームセンターの駐輪場で俺は袋詰めされた商品を一瞥しながら吐息を漏らす。

 買い出しに思ったよりも時間がかかっていた。もう日も暮れて随分と立つ。

 あとは家に帰って、明日に領収書と一緒に持っていけばいいだけだ。

「ん? そういえばサイレンが鳴り止んでるな」

 自転車のペダルに足をかけたところで俺はずっと耳にしていた音が鳴り止んでいたことに気付いた。

 家に近づくにつれ耳にするようになったどこかのサイレンの音は確かホームセンターに入る前まで鳴っていた覚えがある。

 この近くには大きな消防署や病院もないからサイレンの鳴り響きそうな場所は一か所しか思い浮かばなかった。

 製薬会社『ラディカル・ケージ』――世界中に支店がある中でもこの町の支部はかなり大きい部類――本部にあたるそうだ。

 施設もかなり大きい作りでそこいらの国公立の大学よりも大規模だ。

 それに加え防音効果もある周囲を囲む大きな防壁があるせいで施設の全容すらつかめない。

 航空写真もないからまさに神秘の場所。

 今まで大きな騒音などクレームになるような出来事はほとんどなかったからその存在を忘れかけていたけど、この町じゃ一番大きな会社であることは間違いないし、セキュリティも製薬会社だからかなり厳重だと姉から聞いていた。

 だとしたら何かのトラブルでもあったのだろう。

 ――まあ、俺には関係ないことだが。

 もし、家に帰っても鳴っていたらそれこそクレームの一つでも言いたくなってくるがもう止まっているので問題はない。

「とっとと帰るか」

 ペダルを踏み込んでホームセンターを後にする。

 あとは家まで真っ直ぐ帰るだけだ。

 薄暗い夜道を自転車のライトだけが申し訳ない程度に道を照らしだしている。

 どうせホームセンターに寄ったのなら新しいライトでも買っておくんだった。

 今にも消えそうな明かりに愚痴りながら俺は緩めの坂道をブレーキに手をかけながら駆け降りる。

 スピードが乗り始め、回転式のライトがより一層明るくなった時、そのライトの隅で黒い何かが揺れた。



 それは――間違いなく人影だった。



「え? ――うおっ!」

 フッと飛び出してきた人影に俺は小さな驚きとともにブレーキを掴んだ両手に力を入れた。

 自転車から放り出されそうになり、必死に自転車にしがみつくのと同時にタイヤのゴムが摩擦で焼ける独特の匂いが鼻についた。

 どうにかハンドルを操作して人影との接触を避けて停止。ライトも消えて当たりが暗くなる。

「はぁ、はぁ、し、死ぬかと思った……」

 ドキドキと高鳴る心拍数をどうにか落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

 ある程度、落ち着いたところで俺は自転車を路肩に停めて、人影の元に急いだ。

 ぶつかってはいないはずだけど、さっきからその場から動こうとしないのが妙に気になる。

「す、すみません。怪我はなかったですか?」

 近づくとその人影が黒いマントのような外套を纏った少女だということがわかった。

 フードが脱げて、そこから覗く夜でもはっきりとわかるほどの綺麗で長い銀髪がまず目を引いた。

 次に真紅の瞳。そして透き通るような白い肌に整った顔立ち。暗闇ごしでもかなりの美人であることはまず間違いない容姿に俺は息を呑んだ。

 加えて歳は俺と同じくらいだろうか。恐らくは高校生程度――十六、七歳くらいもしれない。

 けど、こんな綺麗な女の子この辺りに住んでたか?

 少なくとも俺は今日この時まで彼女の姿を一度も目にしたことがなかった。

 まぁ、そんな些細なこと今は置いとくとしよう。

 それよりも重要なことがある。

「大丈夫か?」

 相手が同い年くらいとわかった途端砕けた口調になってしまったが今さら言い直すのも面倒だ。

 俺はそのまま腰を屈めて少女の顔を除きこむ。

「――ッ、はぁ、はぁ……」

 耳に届いたのは苦しそうなうめき声だった。

 加えて、間近で見たその瞳は焦点が定まらずぼんやりとしていた。

 そのただ事ではない彼女の症状に俺の頭は急速に冷えていく。

 俺は慌てて少女の肩を掴んだ。

「おい、アンタ大丈夫か?」

「――お、お前は?」

 俺が触れるまで存在にも気付いていなかったのかようやく少女は俺と目を合わせた。

「俺は深月陽斗。城宮高校の二年だ。それよりもあんた大丈夫か? 見たところ怪我はないみたいだけど」

 俺はサッと彼女の体に目を向ける。外套も破れた様子はないし、そこから覗く白い太ももに細い腕にも擦り傷の類は見られない。

 少女は俺の手を押しのけるとふらつく体を起こした。

「お前には…………関係……ない。放っておけ」

「そんな体で言われて放っておけるわけないだろ」

 ふらりと膝をついて苦悶の表情を覗かせる少女をさすがに「はい。そうですか」と見過ごすことは出来ない。

 俺は少女の苦言にため息を漏らしながら肩を支える。

「少し歩けるか? ここじゃ危ないしあっちの角で休もう」

 俺は自由な方の手で道端の壁を指差す。

 ちょうど自転車を停めていたすぐ横は塀沿いの壁が続いて背中を預けて休むのには幾分かマシに見えた。

 俺はふらつく体を必死に支えて少女を運ぶ。

 柔らかい体が密着して男の体ではまずありえない感触が伝わってきていたがさすがに病人相手に興奮する余裕は持ち合わせていない。

 そう。これはあくまで不可抗力だと言い聞かせ、俺は極力少女の女の子らしい部分に触れないように誘導した。

「ほら、座れるか?」

「余計なまねを……」

 口では悪態をついているが俺の言うことを嫌々聞いて少女は腰を下ろした。

 ふぅう――と息を吐く少女を尻目に俺はすぐ側の自転車に乗せたままの鞄から飲みかけのミネラルウォーターを取り出した。

「とりあえず飲んどけよ。飲みかけで悪いけど」

 差し出したペットボトルを訝しげに見つめる少女。

 諦めたようにため息を吐くとキャップを開けごくごくと喉を鳴らして水を飲んでいく。

 一気に半分ほど飲んだところで少女は俺に視線を向けた。

「どうしてここまでする?」

「どうしてって……当たり前だろ」

 目の前で人が倒れていたら助けようとするさ。

 少女は鋭い視線を向けると口調を強めて言った。

「これ以上私に関わるな」

「馬鹿言うなよ。少しは体調が落ち着くまで一緒にいてやる」

 視線が交わること数秒後。少女は諦めたようにため息を吐くと瞳を閉じて顔を俯けた。

「……好きにしろ」

 ポツリと聞き取るのがやっとの声でそう呟くとそのまま寝息をたて始めた。




 少女が寝息をたて始めてから本格的にすることがなくなった。

 だからと言って路上で寝ている少女を一人にするわけにもいかないし、一緒にいてやると言ったのは俺自身だった。

 手持無沙汰のまま腕統計に目を向けるとそろそろ家族が心配しそうな時間帯になっていた。

 さすがに起こさないとまずいかな?

 俺がまだ深い眠りにいるであろう少女の肩に手を伸ばしかけた瞬間。



「貴様ら、動くな!」



 俺たち二人を捉えるようにしてどこからか複数のライトが向けられた。

「な、なんだ!?」

 突然の光に思わず顔を腕で覆う。それから数秒後、光りになれた目をゆっくりと周囲に向けた。

「――っ」

 俺は周囲のあまりにも異様な光景に思わず息を呑んだ。

 五人の体格のでかい人間に囲まれている。

 それも全員がマスクに黒い服と何とも怪しい恰好だ。

 そこまで見て俺はなるべくなら見ないようにしていた彼らの手元にあるそれを見た。

 ライトの取り付けられた黒光りする金属の塊――銃だった。

 どう考えても普通の人間がまず手にすることのないそれは現実味なんてまったくなかった。けどそれが俺に向けられているということだけははっきりと理解出来てしまった。

 一体なんなんだよ、これ……。

 呆然とへたり込む俺を見下すように周囲の一人がマスクに覆われた口で喋り出した。

「まさか、協力者がいたとはな。なるほど。反応も止まっていたわけだ」

 空いた手に持っていた携帯のような装置を腰のポケットにしまうとガチャリと銃を鳴らしながら両手で構え直すととそいつは俺に向けてマスク越しに話しかけてきた。

「貴様、何者だ? 《ロストシルバー》とどういう関係だ?」

「ロスト? なんだよそれ?」

「ほう、しらをきるつもりか。投降するならまだ生かしておいたものを……ならばこちらにも考えがあるぞ」

 そいつの言葉に合わせて周囲の連中が引き金に指をかける。

 おい、おい! これまさか本当に撃つつもりなのかよ!?

 今まで経験したことがないような衝動が体を駆け巡る。

 それは初めて体験する死の恐怖。

 僅か数秒後には蜂の巣になる自分を想像して胃が逆流しそうになった。

「目撃者は消せと言われているんでね。貴様が協力者であろうがなかろうが消させてもらう」

 なんなんだ、これは?

 ただそこにいたから死ねと言われたのか?

 ――――なんだよそれ。理不尽すぎる!

「ふ、ふざけるな」

 擦れた声で俺は憤りをぶつける。

 誰も俺の声には答えてはくれない。

 ただ無慈悲に、無防備に俺は自分の死という運命を受け入れないといけないのかよ。



「だから言ったはずだ。これ以上私に関わるなと」



 不意に聞こえた女性の声に俺は、そして周囲で今まさに引き金を引こうとしていた連中はその発生源に視線を向けた。

 壁に寄り掛かるようにして苦しそうに瞳を開けた白銀の少女が俺に睨むような視線を向けていた。

 少女は倒れるように体を俺に寄せると、耳元で呟く。

「覚悟はいいな? これは首を突っ込んだお前の責任だ」

 覚悟もなにも出来るわけがない。

 俺はこんな不条理な現実を受け入れたくはない。

 いやだ――と。

 こんなにも否定の言葉が浮かんでくるのに俺は一言も発せなかった。

 なぜなら――。


 白銀の少女の唇によって俺の口が塞がれていたからだ。


 明滅する思考の中、必死になにが起こったのかを理解しようと遅まきながら思考が回転する。

 だがそれを阻害する抗いようもない何かがゆっくりと思考を乱し、俺は眠りに沈み込むようにして考えるのを止めた。





 白銀の少女ロストシルバーと陽斗がキスをした瞬間、少女の支えを失った陽斗の体が崩れ落ちる。

 同時。少女が身に付けていたであろう衣服だけが陽斗の下敷きになり少女の姿は忽然と消え去った。

 周囲を取り囲んでいた《ラディカル・ケージ》の戦闘部隊レイブンの面々は唖然とした様子で佇んでいた。

 ほとんどのメンバーはなにが起こったのか理解できないといった風貌だ。

 ただその中の一人、《レイブン》の部隊長だけは違っていた。

「――これが報告にあった瞬間移動か」

 出撃前に第一特殊部隊のレインからの報告書にはそんな記載があった。

 実際に目にするまでは到底信じられる話ではなかったが、結果としてその報告があったからこそいち早く現状を理解できたのも確かだった。

 一体上層部は何を隠している?

 部隊長は湧き上がった疑問を頭の淵に追いやると、まだ動けずにいる部下に指示を飛ばした。

「恐らく《ロストシルバー》の残していった衣服に施設で盗まれた『薬品』があるはずだ。探し出せ」

 対象が姿をくらませたのは失策だったが身一つが限界だったのか身に付けていたものが取り残されたのは行幸だった。

 指示を飛ばす中、メンバーの一人が陽斗に銃を向けたままだった。

「隊長、この少年をどうしますか?」

 衣服の上に倒れ込んだ陽斗を見て部隊長は思慮深げに息を漏らした。

 対象は逃したがこの少年は対象に繋がる可能性もあるかもしれない。

「協力者の疑いがある。捕縛して対象の居場所を吐かせるぞ」

「了解」

 メンバーの一人が陽斗に近づき、ライトに照らされて白髪に見える髪を掴もうとした瞬間――。

 陽斗の腕がグイッと伸び、メンバーの手首を掴み上げた。

「な、コイツ!?」

 掴み上げられた隊員は驚きの声を上げると手にした銃を陽斗に向けた。

 数分前まではその銃の姿に脅えて動けなくなっていた陽斗だ。脅しとばかりに銃口を向けるだけで十分すぎる効果を発揮するはず――だった。

「ぐわっ!」

 陽斗の真紅の瞳は目の前の銃口にまったく恐れた素振りを見せなかった。

 隊員が引き金に指をかける寸前で陽斗は手首を掴んだ隊員を壁に突き飛ばした。

 ドンという衝撃音が他の隊員の銃口を陽斗に向けさせる。

 陽斗は周囲を警戒しながら足共に散らばった衣服を掴み上げ、黒い外套から小さな金属片を取り出した。

「なるほど。これが仕込まれていたから私を追ってこれたというわけだな」

 手の平で転がしていた金属片を投げ捨てると陽斗はフードを捨て少女の衣服をまさぐる。

 そこから取り出したのは注射機と何かの薬品だった。

「き、貴様、なにをするつもりだ!」

 声を張り上げた部隊長を尻目に注射器の中に液体を入れた陽斗は迷うことなく針を首筋に当てる。

「本当はもっと適合者を選んでからするつもりだったが仕方ない。コイツに期待するか」

 グッと注射器を押し込むと中にあった液体が陽斗の中に入っていく。

 ドクンと脈打つ陽斗にある種の危機感を抱いた部隊長は引き金に指をかける。

「う――」

「遅い!」

 撃てと声を上げるよりも速く肉薄した陽斗の拳が鳩尾に入る。

 うめき声を漏らした部隊長は膝から崩れ落ちるとそのまま動かなくなった。

 陽斗は部隊長の横で拳を開いたり閉じたりして感触を確かめるようにして頷いた。

「因子が馴染むのにもう少し時間がかかりそうだが、この潜在能力は中々いいな」

「貴様よくも!」

 残った三人の隊員の一人が腰からサバイバルナイフを引き抜き陽斗に飛びかかる。

 ギリギリで躱した陽斗の耳元でサバイバルナイフの風を斬る音に混じって金属音が聞こえたような気がした――が、陽斗は気にすることなく握った拳をその顔面に叩きこんだ。

 くぐもった声とともにナイフをとり落とした隊員の側頭部に回し蹴りを叩きこむ。

 悶絶して意識を飛ばした隊員が崩れ落ちる前に陽斗は残りの二人目がけて走り出していた。

「――ひっ」

 脅えた声を漏らした隊員が引き金を引く。

 パス――とサイレンサーで発砲音を押し殺した銃口から発射された銃弾が陽斗の眉間に目がけて飛んでくる。

 陽斗は最小限の動き――頭を下げるだけで銃弾を避けると接近した勢いを殺すことなく足を蹴り上げる。

 手を弾かれた隊員をそのまま蹴り飛ばすと体勢を立て直し、すぐ横にいたもう人に向けて掌底を顎に叩きこんで黙らせた。

「残り一人」

 陽斗は蹴り飛ばした最後の一人に鋭い視線を向ける。

 陽斗は拳を手の平に打ち付けるようなポーズをとりながら一歩、一歩と近づく。

 陽斗に合わせるように隊員もまた一歩、一歩と後退した。

「私を倒そうとしたんだ。もちろん倒される覚悟があってのことだろ? なら腹を括れ」

 唇を噛みしめた隊員は我武者羅に銃口を陽斗に向けて叫んだ。

「この化け物が!」

 パパパパ――と銃弾が乱射される。

 陽斗は弾道見切って転がるようにして射線軸から離れる。

 そのまま時計周りに逃げながら銃弾を躱して徐々に距離をつめていく。

「コイツで――」

 陽斗は急に立ち止まり――地面を滑りながら残る一人に向けて飛びかかった。

「終わりだぁぁぁぁ!」

 空中で振り抜いた右足が隊員の腹部に直撃――紙屑のように吹き飛ばした。

 地面に着地した陽斗はその場で膝をつくと荒い息遣いで周囲の連中が沈黙したことを確認する。

「はぁ、はぁ、お、終わった――これでようやく始められる。私の――」

 体を駆けまわる不可思議な力の本流と戦いによる疲労から陽斗はその場に崩れ落ち意識を失った。



 ポウ――と戦いの最中に陽斗の右足が僅かに輝いたことに陽斗を含めた誰も気付くことはなかった。


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